「MBA友の会」壮行会(2001/05/30)ホームページに掲載した受験体験記

http://www5a.biglobe.ne.jp/~mtomo/index.html


「大事な相談があるんだけど」---深夜のリビングルームで妻にそう切り出したのは、1999年12月のことです。テーブルの脇に置いたベビーラックの中では、生後6ヶ月の娘がすやすやと眠っていました。「実はさ、MBAを取りたいと考えてるんだよね」、私がそう言った時の妻の顔は、まさに"鳩が豆鉄砲を食らったような顔"とはかくあるべし、というようなものでした。

なぜMBAを取りたいのか、なぜ今でなければならないのか。私の切なる訴えかけを聞いて最終的には妻も同意してくれましたが、後で聞いたところ、その時点では私の決意に対して半信半疑だったそうです。しかしそれは、まったくもって無理もないことです。帰国子女の妻と違い、私は大学でも日本文学を専攻したバリバリの純国産男であり、入社した時のTOEICは実に350点!会社の中でも「英語できない君」を自他ともに認める存在であったことを、同じ会社の人事部採用教育担当であった妻は誰よりもよく知っていたのですから。

自分の考えるキャリアのためにはMBAで学ぶことがもっとも有効かつ効率的なのではないか、そう考え始めたのは入社して二年目だったでしょうか。しかし、その後、結婚をしたこと、さらに子供ができたことにより、「もうこれでMBAは無理だな」と完全にあきらめていました。しかし、三十歳を目前にしたある時、本当に突然思ったのです。よく考えたら全然無理ではないのではないか、と。本当は、妻を説得することが面倒だから、借金までして留学する勇気がないから、リスクに見合ったリターンを得る自信が持てないから、だから家庭の存在にかこつけて「無理だ」と思い込んでいるだけなんじゃないか、と。

しかし、いざ、受験準備を始めてからは、本当に家族には迷惑をかけどおしでした。掃除、洗濯、皿洗いなどの家事全般はもちろんのこと、子供の相手をすることもほとんど妻に任せっきりでした。妻が料理の時間を計っていたキッチンタイマーを、GMATの"Sentence Correction"の時間を計るために途中で奪ったこともあります。妻が日々の買い物代をこつこつと節約したお金も、一回GMATを受験すればあっという間に消えていきました。しかし、妻は育児の負担がもっとも大きいはずのこの時期、私の受験を全面的にサポートしてくれました。秋になり、エッセーを書き始めるようになって、ほとんど連日三時間前後の睡眠時間しか確保できないような日々を何とか乗り越えることができたのも、すべて家族のサポートがあったからこそ、と本当に心から感謝しています。

私は、「MBA受験を通じてあなたが得たものは何か」、ともし問われれば、それは「大切な友人たち」と「感謝の念」であると答えます。受験を通じて知り合った仲間たちの存在はいつも心強く、彼らの存在は単なる「受験仲間」を超えた特別なものでした。私は、受験期間中を通じて私をサポートしてくれた彼ら友人たちに心から感謝しています。そして、過分な推薦状を書いてくれた上司に、さまざまなアドバイスをくれた先輩たちに、心から応援してくれた両親と親戚に、退職で少なからぬ迷惑をかける私を暖かく送ってくれる会社の同僚たちに、そして何よりもずっとサポートしつづけてくれた愛する家族に感謝しています。

2月28日の深夜、Tuck(ダートマス)のアドミッションから届いた合格メールは、妻といっしょに開き、並んで読みました。

「Congratulations!」の文字を確認して二人で喜んでいると、物音を聞きつけて、二歳になろうとする娘がベッドから下りて、目をこすりながら歩いてきました。「よかったねー。パパ、タックに受かったんだよー」と妻が言い、娘が満面の笑顔でにっこり笑ったその瞬間、私の一年数ヶ月のMBA受験が終わったのだと実感しました。