MBA留学日乗 2001年5月 | 前月へ | | ホームへ |
5月1日(火) WSJランキング
連休の谷間。ガラガラの車内を想像して電車に乗ったが、いつもとそれほど変わらない混み具合。職場もそれほど閑散とした感じを受けない。日本人も、GWに分散して休みを取るようになったのだろうか。
昼に歯医者へ。実に高校二年生の時以来15年ぶり(!)の歯医者であった。治療器具や、うがい用のコップなどを見て、「そうそう、こういうのあったよな」と久しぶりの邂逅に感動する。
「あー。随分深いですね。これは」と歯医者も感服するほどの状況であったらしい。親知らずも二本ともやばい状況らしい。渡米まであと二ヶ月ほどしかないので、通常より早いペースで全部やってもらうことになった。
昨日、Wall
Street Journalが初めてのBusiness School Rankingを出し、話題になっている。
一位がTuckだったのにも驚いたが、Top10全体の順位に非常に驚かされた。
1. Dartmouth College (Tuck)
2. Carnegie Mellon University
3. Yale University
4. University of Michigan
5. Northwestern University (Kellogg)
6. Purdue University (Krannert)
7. University of Chicago
8. Harvard University
9. Southern Methodist University (Cox)
10. University of Texas at Austin (McCombs)
既にTuckコミュニティに心を奪われている僕としては嬉しい結果ではある。しかし、先発組のBusiness Week、US News、Financial Timesなんかのランキングと比べると、あまりに違う。やはりランキングなんて、評価項目の設定方法とそれに対する重み付け次第でどうにでも変わるもんである。それにしても、Stanfordが45位というのは。。。
その点、日本の平均偏差値ランキングというのは、画一的でブレがない。どの予備校が出してもほとんど同じランキングになるのだが、このあたりにも国民性が出てるのかもしれない。
しかし、この分野では後発のWSJがかような独自色200%のランキングを出すのは勇気がいったと思うのだが、そこはそれ天下のWSJだから関係ないのか?
5月2日(水)
連休谷間二日目。今日は昨日よりも電車はすいている。電車を待つ列がいつもより短いだけで、少しリラックスした雰囲気を味わうことができる。裏をかえすと、いつもの長い列、込み合ったホーム、混雑した車内に、無意識のうちにストレスを感じているということなのかもしれない。
僕が乗りかえる東横線菊名駅は営団地下鉄日比谷線直通の始発駅であり、毎朝激しい座席争奪戦が繰り広げられている。経験則的に、12番グリッドくらいまでならまず座れるが、13−16番グリッドなら位置どりテクの巧拙に勝敗の行方はかかり、17番グリッドならほぼ絶望だ、ということが皆わかっているため、まずは12番グリッド以内に入れる列を探して鵜の目鷹の目の激しい戦いがある。
ボーダーライン上にでも並んだ日には、少しでもスタートダッシュをかまそうとしてまた激しい戦いだ。かたや座席を確保しつかの間の眠りに入る勝者、こなた吊り革につかまり満員電車に揉まれる敗者。悲喜こもごもナリ。
今日は、のほほんと歩いても6番グリッド。楽々座ることが出来た。やっぱり東京の一極集中は異常だよなあ。
KPMGの木村剛氏著「投資戦略の発想法」を読む。ジェレミー・シーゲルの「Stocks for the Long Run」や、マルキールの「ウォール街のランダムウォーカー」と同様、ひらすら長期投資の有効性、デイトレーディングの無謀さを訴えた本である。実に正論。しかし、これをきちんと実行できる人はなかなかいないかもしれないが。
この本を読んでいると、著書のミッションがよく伝わってくる。良書なり。
5月3日(木) バリアだらけ
冷たい雨の一日。
本所の友人夫婦宅へ、生まれたばかりの赤ちゃんの顔を見に行く。生後二ヶ月の赤ん坊は驚くほど小さい。うちの子供もこんな時があったよなあ、とまだ二年も経っていないのに感慨にふけってしまった。
娘は、赤ちゃんが泣くたびに、「あーちゃん、だいぼーぶ(赤ちゃん、大丈夫)?」といっちょ前に足などをなぜなぜしている。
行き帰りはほとんど寝ている娘をベビーカーに乗せて移動したが、痛感するのは、なんとこの都市の公共交通機関のベビーカーを押して移動しにくい構造になっていることよ、ということである。すなわち、車椅子の人にとってはなおさら、ということだ。
徐々に車椅子で乗れるエレベーターや車椅子専用階段昇降機が増えつつはあるが、まだまだエスカレーターすらない駅も多い。都営地下鉄なんざほとんど階段しかない。利用するな、ということか?
これでは、車の免許を持っていない車椅子の人の活動半径は広がるまい。
「バリアフリー」が、他の分野にも敷衍して使われるほどの流行語になっているこの国であるが、実際はまだまだバリアだらけで、実にお寒い状況だ。これは、頭で分かっていても、車椅子の視点で見てみないことにはなかなか実感できないことである。かくいう僕も、「ベビーカー」をかついで移動するという体験を繰り返してようやく実感したわけで、お恥ずかしい限りだ。
5月4日(金) GWの公園
昨日とは打って変わってぽかぽか陽気である。
子供を連れて近所の公園へ遊びに行く。砂場で、すべり台で、子供は歓声を上げて遊びまくる。連休中の久しぶりの晴天で、子供連れの家族が何十組も遊んでいる。特にパパ連中が慣れぬ手つきで子供の手を引いていたりするのが目についた。
公園はまさに「ごった返す」という表現が妥当なくらいの状況であり、滑り台などは一時に20人程度の子供が取りついて大騒ぎになっている。しかし、注意深く見ていると、一見混沌として見える滑り台にも子供なりの秩序が存在することに気付いた。まだしゃべれないような年齢の子供(うちの子供のような)が、階段を上るときには、大きな子供が手を貸したり、抱えあげたりしている。滑り台のあまりの高さに子供が尻ごみしているときは、しばらく見ていた次の子供たちが整然と追いぬいて滑っていき、びびっていた子供が意を決して滑ろうとすると、次の子供も追いぬくのをやめて番を待つ。
下で見ているお母さんたちは、「順番破っちゃダメよ」とか、「次の子の邪魔になるでしょ。どきなさい」とか気を配るが、子供達は、実に整然と滑り台を上ったり滑ったりしていた。
大したもんだ。
一方で気になったこと。車両通行止めの遊歩道を我が物顔でスピードも落とさず走っていくスクーターの馬鹿者二人。すぐ脇を子供がよちよち歩いているというのにである。子供が遊ぶのを、ぶつぶつと独り言を言いながらじっと見ている中年一人。じーっと顔を見ていたら、ぶつぶつ言いながら公園を出ていった。別にぶつぶつ言いながら滑り台を滑る子供を注視する行為自体法的に何ら問題あるもんではないが。。。正直怖かった。
心配なのは明らかに大人の方だ。いつの時代も、世の中を駄目にするのは当然ながら大人の責任である。
5月5日(土) 子供の日
娘を連れてぷらぷらと新横浜駅前まで買い物に出かける。柏餅を買って帰ったものの、娘には柏餅はまだ「大人の味」だったらしく、お気に召さない様子である。「カール」は喜んで食べていたが。
どうでもいいことだが、今日食べた「カール」はスティック状になっている「カール スティック」であり、あの僕達の見なれた形状のものではない。「カール」は形状がカールしているからこそ「カール」なのであって、他に「カール」たる理由はまったくないわけである。したがって、スティック状なのに「カール」と呼べというのは、どだい無茶苦茶な話であり、あまつさえ「カール スティック」などという名称を冠するに至っては、もうその短いネーミングの中に十二分に自己矛盾を抱え込んでいて、ただもう「いかがなものか」と言うより他ない。
しかしながら、一歳の子供には「自己矛盾の方」のカールが食べやすそうであった。リスのようにぽりぽりかじっていた。
5月6日(日) 同姓同名の人
最近、検索エンジンは、もっぱらGoogleを使っている。こやつの検索力は実に素晴らしい。あまりにも素晴らしいので、まだYahoo!を始め、どの検索サイトにも登録されていないこのホームページもGoogleなら探せるのではないか、などと考えて、自分の名前を入れたりして調べてみたが、さすがにそれは無理であった。そのかわりに、自分と同姓同名の人を三人見つけてしまった。もともと僕の苗字はそれほど多いものではない。まして、同姓同名となると今まで一度もお目にかかったことはない。僕の苗字は熊本・鹿児島にルーツがあるらしく、三人のうち二人はいずれも九州に縁がある。
一人目は、九州リーグの一部に所属する「黒潮会」なるサッカーチームの副部長。
二人目は、武蔵工大の電気電子工学科 電力情報工学研究室を、「液体絶縁材料中の溶存水の形態」なるよく分からん卒論を書いて1994年に卒業した男。
そして、三人目はこの人である。大正13年鹿児島生まれ。海軍大尉。かの人間魚雷「回天」の乗組員であったが、出撃直前に終戦を迎え、終戦三日後の8月18日「回天」の操縦席で自決した。享年22歳。
写真を見ると、どうも僕によく似ているのだ。自分と同じ氏名が掲げてある下に、まったく見知らぬ略歴と軍服を着た写真が並んでいるというのは、実に不可思議な感じを与える。
「神州は吾人の努め足らざるの故に、その国体は永遠に失はれたり」と、この人が書き遺した遺書を食い入るように読んだ。この人は今の日本をどのように見るであろう。「国体は失われた」と感じたのは幻であったのか。否、やはりそれは永遠に失われたのか。
しかし、現在の日本を繁栄と見よううが見るまいが、その存在が彼らのような若者の犠牲の上に成り立っていること、それは忘れてはならないところである。自決だろうが戦死だろうが、あるべき戦況判断能力を失った上層部の下で彼らが国のために、好むと好まざるとにかかわらず、身命を賭して戦ったという事実は変わらない。もちろん生存している人々も含めて、である。その事実に感謝こそすれ、あだやおろそかに軽んじてはいけないはずである。
このようなことを発言するたびに、「あなたは右翼ですか?」と言われるのは、もう慣れたとはいえ、現在の日本という国に悲しさを覚える。
5月7日(月) カール
おととい、「カール」は形状がカールしているからこそ「カール」なのであって、云々、、、と、「カール スティック」批判(?)を繰り広げたが、「カールは、その形状と軽ーい食感の両方をかけた、おやじギャグ的ネーミングだったと記憶していますが」という情報をいただいた。いやー、知らんかった。Tさん情報ありがとうございました(笑)。ちょっと賢くなりました。
帰宅してから、カールのネーミングについて、いろいろとネットで調べてみたものの(調べるなよ、という感じもするが)、どうもそれについてずばり言及したホームページは見当たらなかった。その代わりといっては何だが、明治製菓のホームページですごいものを見つけてしまった。何がすごいって、カールの製造過程である「膨化成形」なるものをShock Waveで見せてくれるのである。気持ちい。。。。。いも虫ですか?
ビバ、カール!
(しかし、ほんとにMBAとは何の関係もない日記を書きつづけているが、本当にこれでいいのか?いや、よくあるまい)
本日は、小泉純一郎の施政方針演説があった。「具体的でない」などと、評論家には批判されているようでもあるが、今までのものに比べれば、かなり分かりやすく、首相個人の考えが読み取れる演説だったのでは。それでも、もう少し平明にできないものか、と思うのだ。演説者が草稿をすべて記憶できるくらいの長さと日常の日本語に近い表現で。そして、もう少し国民に直接話しかけられないものか、と思うのだ。「議員諸君」と呼びかけるのでなく。
もっとも、それらすべて、ここ数年の政権に対しては、ばかばかしくて言う気すら起こらなかったことなのである。
5月8日(火) 阪神タイガース と プロジェクトX
渡米前に是非ともタイガースの勇姿を見ておかねば、ということで今日はトラキチの知人三名と横浜スタジアムの横浜対阪神戦レフト側外野指定席に繰り出す予定であった。。。が、甚だ残念なことに雨天中止となってしまった。
一緒に行く予定だった人々は、サンダーバード卒のMさん、今年USCに入学するYさん、そして僕と一緒にTuckに入学することになる可能性の高いTさんである。YさんとTさんは、5月中にも渡米してしまうため、どうも仕切り直しは難しそうだ。尚更残念だ。
彼らタイガースファンを見ていると、この人達は合理性のみで動くのではない、実に血の通った人達だなあ、と思う。だいたい、リターンを期待していたら、二年連続最下位、さらに今年も最下位レースのチームのファンなぞ、やってられるわけがない。何でもかんでも、経済合理性に基づいて判断するような、くだらん人間はタイガース党にはいないのである。もしも、同じことがナベツネ・ジャイアンツに起こったら、三年連続最下位にでもなった日にゃ、いったい今いるファンの何割が残るか。それでもスタジアムに足を運ぼう、なんて奴は1割もいないのではないか。タイガースファン、実に愛すべき存在である。(正直なんでこんなに負けてもファンでありつづけるのかは、もはや自分でも分からない世界である。業病である)
今日のプロジェクトXは、スバル360。元開発チームのよぼよぼの爺さんが、当時のビデオを見て洟水たらして泣いていた。この番組は、サラリーマンの琴線に触れるところをこれでもか、と突いてくる。中島みゆきのエンディングテーマでも流れてきたら、もう涙腺はかなり辛い状態である。僕の周りの人間に聞いても、サラリーマンは皆けっこうはまっている。女性よりも圧倒的に男性が、中でも(当然ながら)50歳以上の人々が。
高度成長期、どの企業でも似たような思いで皆一丸となって仕事に打ち込んできたのだろう。描くだけで心沸き立つような「夢」があり、必ずや明日は今日よりよくなるという「成長」があり、そしてすべてに一致団結してチャレンジする「チーム」が、そこここに無数にあったのではないか。
当時夢想したすべての物質的豊かさを手に入れた今は国家さえ何を「夢」として描けばよいか分からず、「成長」どころか、明日は今日より悪くなるのではないか、という不安ばかりが喧伝される。足の遅い個人は切り捨てることによってスピードを維持しようとする組織に「チーム」の持つ一体感など求むべくもない。
物質的には貧しかったけれど、現在失ったものたちがきらきらと輝いていた高度成長期に対するノスタルジアが、プロジェクトXにサラリーマンを引きつける理由であろう。
僕はプロジェクトXを見ると、「帆船」と「動力船」のメタファーを思い浮かべる。この番組に出てくるプロジェクトは、皆強力なエンジンを持った動力船である。しかし一方では、エンジンを持たぬ帆船的企業やプロジェクトも多く存在したわけである。高度成長という強烈な追い風の中では、動力船ほどではないにしても、帆船もかなりの速度を出していただろう(一杯に風をはらんだ時には動力船すら追いぬいたこともあったかもしれない)。そして現在、すっかり凪いだ海で、あるいは逆風の吹き荒れる海で、帆船は停滞するか波に揉まれるかのどちらかだ。
。。。で、現在はことほどさように厳しい、と言いたいわけでは決してない。つまり、凪ぎだろうが逆風だろうが、動力船なら進んでいける、と言いたいのである。今我々の生きるこの時代でも、人々を動かす強力なエンジンさえあれば、「夢」も「成長」も「チーム」もすべて現出させることは可能なはずだ、と若干の楽観主義と、怠惰で「帆船」的生き方をしがちな自分への自戒の念も込めて、思うのである。
どうせ仕事をするなら、何かをやりとげて涙を流すような仕事をしたい、と単純にそう思う。そこにチームの仲間がいればなお、素晴らしいだろう。仕事の成果で思わずガッツポーズをしたことはあっただろうか。職種が職種だからそんなことはあるはずないじゃないか。
それは果たして本当だろうか。
5月9日(水)
MBA友の会の壮行会実行委員の打合せを麹町の某社会議室にて行う。会議に続いて、近くの居酒屋で皆で飲んだが、いつものごとく終電を逃して一駅歩いて帰った。
いつも数行しか書くつもりはないのだが、いざ書き始めるとついつい長くなってしまう。改めて読み返すといかにも長い。しかし、いざ留学して授業が始まればアサインメントに追いまくられ、とても書く時間などなくなってしまうのであろうし、そうするといかにも「忙しくて書けません」的なおざなりな内容になるのは目に見えており、現在の長文との落差は強烈に際立つわけで、そのへんの激変を緩和するためにもあまり長くだらだらと書くべきではないのではないか、などと考えるわけである。
などというのは言うまでもなく、「ほろ酔い、しかも午前二時」な現在の自分自身に対する言い訳に他なりません(笑)。
5月10日(木) 日本の治安
昨日横浜の大倉山で起きた何ともたまらない事件が朝刊にベタ記事で小さく報道されていた。東横線の跨線橋で、21歳の知的障害者施設に入所している男が、近くにいた二歳の男児を抱えあげて7メートル下の線路に投げ落としたのである。男児は内蔵破裂の重症。男は現行犯で逮捕された。
現場は僕の自宅からさほど遠くなく、よく知った場所である。子供の年齢も娘とほぼ同じなだけに、他人事でない事件である。親はおそらく近くにいたのだろうが、まさかの行為にどうにも阻止できなかったのだろう。何ともやりきれぬ事件である。もし、自分の娘に目の前で同じことが起きたら。。。嫁さんに、「何があるか分からんから、気をつけてな」と話した。そんな話をしなければならないこと自体がまたやりきれぬ。
ここのところ、理解不能な事件が多い。凶悪だとか、非道だとか、そういうこと以前に、理解を超えるのである。なぜ、その事件が起こったのかすら、想像がつかない事件が多い。浅草のレッサーパンダ男にせよ、JR横浜線の駅員襲撃にせよ、「なんで?」と同時に得たいの知れない「気味悪さ」が募る。
このような事件が続く状況は、極めて危険だ、と思う。強烈なアジテーターが出現したらどんなかたちで一般大衆に火がつくか分からない。「排斥」運動なんてあっという間に広がる。対象となりうる危険性をはらむ存在は、よく論じられる「外国人」以外にも、いくらでもある。
そんなことを思っていたら、また気になる記事が目についた。横浜地検川崎支部が、仲間五人を殺傷した中国人に死刑を求刑した。三人を殺し、二人に重傷を負わせた、現行法では極刑になっても問題のない事件である。問題は、その論告である。「不法滞在の外国人による集団的犯罪が多発しており、日本の社会秩序維持の根幹に関わる。社会の防衛、予防的見地からも厳重な処罰が必要」----おいおい、それは違うだろ!と思わず声に出た。同じ犯罪を犯したとしても、日本人と外国人で求刑が違うということか?それはどうみたって国際法にも日本国憲法にも違反しとるじゃないか。予防的見地=要は見せしめ、てことだ。
社会の秩序維持、治安の向上、もちろん大事です。しかし、検察が「見せしめ」をしてはいかんでしょう。
感覚的に、ここ数年凶悪犯罪が増えている気はしていたのだが、統計を調べて改めて驚いた。いわゆる「重要犯罪」の件数は、十年前の1990年には8,782件だったのが、ほとんど年々右肩上がりに増え続け、2000年には18,281件にも達している。十年で倍以上だ。今年に入っても1-3月の発生件数は、多かった2000年の1-3月に比べさらに22.7%も増加しているのだ。
一方で、寒気がするのは凶悪犯罪発生件数の伸びと反比例するように下がり続ける犯罪検挙率の数字である。1995年から90.5%、87.9%、87.3%、84.1%、71.5%、60.4%と年々下がりつつけている。もちろん直近の犯罪検挙率は、まだ捜査過程でありこれから上がるものではあるのだが、それを差し引いてもこれは下がり過ぎなのではないのか。(単純に感覚的に。このへんは未検証)
交番制度に支えられた日本の警察制度は世界に誇るシステムであった。ずば抜けた犯罪検挙率を誇っているはずだった。すべての問題は水面下で静かに進行したのちに表に現れてくる。治安の問題は、既に水面下の段階を過ぎ、表に現れる段階にまで達している。
日本の治安は明らかに悪化しているのだ。
「じゃあどうすればよいか」と、いつも考えるのだが、この件についてはまったく自分の案が浮かばない。はっきりしているのは、「おい、政治家。何とかしろよ」じゃないということだけだ。
今日、やっとWhartonからの結果が出た。Deny。これで残すところはいよいよ5/23のStanfordの発表だけとなった。あとニ週間でようやく留学先が決まる。
5月11日(金) 「経営学」
小倉昌男「経営学」を読む。宅急便をゼロから作り上げた経営者の言葉は実に説得力があった。同じ内容の繰り返しも多かったが、それもまたある意味良かった。全国ネットワークを作り上げる過程で、運輸省・郵政省と闘うくだりはまさに迫力満点である。穏やかな風貌に見えるが、運輸官僚の対応について、「未だに怒りが収まらない」と、それこそ怒りに震えるような筆致で何度も繰り返し書いていた。
著者は二代目オーナー社長である。社長だからこそ言えて課長であれば言えなかったこと、オーナーだからこそできてサラリーマン社長ならできなかったこと、それをきちんと把握した上で自らの成功体験を語っているところがすごい。何十年もトップにいると、どこかの百貨店の元会長のように、すっかり謙虚さを忘れてしまう人が多いものだが。
著者は、経営者にとってもっとも必要なのは「論理的思考」と「高い倫理観」だと書いている。しかし、この言葉を聞いて想起するレベルというのはきっと人それぞれなのだろう。往々にして、どこからどう見ても公私混同しているようにしか見えない経営者ほど、「うん。いいこと言うね。まったくそのとおりだ」などとうなずき、高い倫理観を持っている経営者ほど
襟を正すのではないか。
5月12日(土) M友壮行会
竹橋の如水会館で行われたMBA友の会の壮行会に参加する。当初人数の集まりが悪く心配していたのだが、蓋をあけてみたらHoleder, Candidate, Applicant合わせて170名以上もの参加があり、会場はすごい熱気であった。今日も実に多くの方と話をしたが、その中でも来年以降の受験生の方々の積極的な姿勢に圧倒される。こんなところに来るのだから当たり前だが、皆向上心やビジョンを持っており、話していて刺激になる。
二次会を終えて三次会へ繰り出す人々に別れを告げて、終電で帰宅した。
この一年で飛躍的に広がった人のつながりに、あらためて感謝の念を持った一日。
ここ一ヶ月弱、壮行会に向けて実行委員でいろいろと準備をしてきたわけだが、まるで学園祭のようで楽しかった。さてさて、明日は一日ホームページ用のレポート作成だ。
5月13日(日) エシュロン
嫁さんと娘が学生時代の友人宅に遊びに行っている隙を利用して、一日昨日の壮行会のホームページ用のレポート作成などをして過ごす。
まず、ゲストスピーカーのスピーチを起こそうと、昨日持っていったウォークマンの再生ボタンを押したところ、いきなりカントリーミュージックが流れてきた。「昨日あの会場のどこかにカントリーバンドなんかいたのか?」と焦りまくり、(早送り→再生)を4セットほど繰り返すも、延々流れてくるのはスピーチとはほど遠いカントリーばかりである。
幸い、もうひとつ念の為、と持っていっていたICレコーダーに無事録音されており事無きを得たが、かなり焦った。音楽がカントリーというのがまた焦りを誘うではないか。何となく。
EUの調査団がアメリカにエシュロンの件で面会を申し入れたが、門前払いをくらって帰国したという興味深いニュースが報道されていた。米国家安全保証局がエシュロンを使って傍受した産業情報を米国企業に流し、ほぼ確定していた受注をひっくり返すなどの妨害を受けた、とフランスはずっと主張している。
まともに交渉しても米側が「はい、やってます」などと認めるとはとても思えないが、今回のEUの動きはまあ言わぬよりは言った方がましだ、というところだろうか。近々エシュロンに関する報告書(第3弾?)をEUが出すらしいので、僕も興味を持って待っているところである。しかし、エシュロンを共同開発したといわれているのは、英・豪・加・ニュージーランドといったアングロサクロン系の国々である。この一点だけを取っても、英国がEUに加盟するということのハードルは実に高いわけだ。
さて、翻って我が国日本である。日本では三沢基地にエシュロンの拠点があると言われている。当然経済諜報活動もされていることだろう。珍妙なるネーミングの「思いやり予算」まで国民の税金を使って献上しておきながら、日本企業の情報を傍受されていたのでは、何のこっちゃ、である。しかしながら、いまだかつて我が国がエシュロンについて米国にもの申したなどとは聞いたことがない。森政権には天地がひっくり返っても期待できなかったことだが、小泉政権にはきちんと対応してもらいたいところである。
ちなみにエシュロンの傍受対象としては、ほぼすべてのEメール・インターネット・電話・FAXが傍受可能であり、その処理能力は1分間に300万件と言われている(しかし、いくらスーパーコンピュータとはいえ、どうやったら電話も含めて毎秒5万件も検閲できるんだ?まったく)。フランスの通信傍受能力は1分間に50件とか。さて、日本。。。
5月14日(月) 「愛するということ」
エーリッヒ・フロムの「愛するということ (The art of loving )」を読む。ちょうど一年ほど前に読み始めて、「いや今はこんなものを読んでいる場合じゃない。GMATをやらなきゃ」と途中で放り投げていたのだ。
久しぶりに読み直して実に感銘を受けた。いつも本を読んで気になる個所、気に入った個所はページの端を折るのだが、この本は全編折りまくられてしまった。
「愛する」ということは、すべての人間らしい生き方の根源なのかもしれぬ、と思う。そして、人間の存在意義であるからこそ、それはもっとも困難な「Art」なのだろう。「幼児虐待」も「DV」も「引きこもり」も「不登校」も「殺人」も「病気や性や人種によるあらゆる差別」もすべて、よく考えると、すべて「愛する」ということの欠如から起こる問題なのではあるが、ただ相手を「愛する」ことで回避できる問題なの
ではあるが、その何と難しいことか。
留学中、そして留学後にもう一度読みなおしてみたい、と思わせる本であった。
5月15日(火) 早期出願の大切さ
帰宅後、留学に関する作業のについてチェックをする。あっという間に深夜二時である。
とにかくやるべきことが山ほどあるのだ。サマースクールの件・ビザの申請・借入金の申込み・予防接種・自宅の売却・健康診断・国民年金・失業保険・現地でのハウジングの検討・公共料金・住民税その他税金関係・家財道具の処分・日本で入っていた生命保険・現地での保険・・・・。そして、その合間に英語その他の勉強。
何かと気を配ってやってくれる嫁さんには感謝であるが、それにしてもやることが多い。しかも、まだ留学先が正式には確定していないがために、どうしても動けないというものも多いのだ。渡米前には近しい人々とはそれぞれ一度は会っておきたいし、離日直前期はそれこそ連日えらい騒ぎになっているのだろう。
来年以降MBA受験を考えている皆さん。「早期出願」と誰もが口を揃えて言うとは思いますが、本当に早期出願をお勧めします。同じ条件なら早期のラウンドの方が有利だということももちろんありますが、出願の遅れは後々のすべての留学準備に影響を及ぼします。
かくいう僕は、Stanfordの2nd RoundのDead Lineに2時間遅れたがために審査を3rd Roundに回され、合格発表が二ヶ月もずれこむ羽目になったのでありました。
5月16日(水) 神経抜かれる
午前中歯医者に行き、虫歯の神経を抜いてきた。昨年巻き爪の手術をした時もそうだったのだが、どうも僕は麻酔の効かない体質らしい。
ぷすぷすと三箇所(スタンダードコース)に麻酔注射をして歯を削りはじめたのだが、麻酔が効いているはずの神経にぎんぎん触れるのだ。このままの状態でこの神経を直接引っこ抜かれた日にゃ、わたしゃ悶絶死するかもしれん、と思い「大の男」の見栄をかなぐり捨て「い、痛いんですけど」と訴える。
「あ、効いてませんか。じゃ、追加しましょう」で、ぷすっ。まだ痛い。ぷすっ。まだまだ。結局スタンダードコース三本に追加でさらに三本打ってようやく神経の痛みを感じなくなった。計6本のVIPコースである。
念入りな麻酔のおかげで、神経を抜く痛みはほとんど感じずにすんだわけだが、治療を受けながら、子供の頃、熊本で通った歯医者のことを思い出していた。
5、6歳の頃、虫歯の治療か乳歯の抜歯か何かで歯医者に何度か通った時の記憶である。歯科治療室の異様な雰囲気に恐れおののき泣き出す5歳の僕。「おい、泣くなっ!」と鋭く叫ぶ歯医者。それを聞いて益々泣き声をあげる僕。「おまえ、男だろーっ!!泣くなーっ!!」絶叫する歯医者。キュイーーーンというドリルの音。そしてぎゃあぎゃあ泣き喚く僕。
それらが交錯する阿鼻叫喚。そして、最後はいつもうがいをした血だらけの水がぐるぐる回りながら排水口に吸い込まれていくところで記憶が終わる。
今、思い返すに「あんた、なぜにそこまでスパルタン?」という疑問とつっこみの念を禁じえないわけだが、あの原体験が僕の「歯医者嫌い」を育てる要因となったのではないか、と考えると実に罪作りなお人である。
ちなみに上記阿鼻叫喚の記憶は、常に控え室で待っていた母親の後日のコメントによって若干補強されているものと思われる。「いやあ、あの歯医者はホント怖かった。泣くなー!!やもんね」。。。怖かったと思うなら、他の歯医者に連れていってほしかった、と思う「大の男」31歳。いまだに歯医者嫌いである。
5月17日(木) 娘の誕生日(前夜)
取引先の商社の方々と夕方打合せ、引き続いてドイツレストランで食事をする。ビール・ワインを結構飲んでしまい、いい具合に酔っ払った。
酔っ払って帰る途中、東横線の車中で熟睡し、網棚に載せていたケーキをうっかり忘れてしまう。レストランのオーナー夫人から「退職された奥様に」といただいたものなのであった。帰宅して、申し訳ないが、かくかくしかじかだから、「大変おいしかった」と今度礼を言ってくれ、と嫁さんに頼む。嫁さんに嘘を強いるの巻。
明日は娘の二歳の誕生日。二年前のこの日、午前一時半に娘が生まれた時のことを本当に昨日のことのように思い出す。二年なんてあっという間に過ぎていくのだが、この同じ時間がもう一度回ると自分はもうMBAを取得して日本に帰ってきているのだ、ということがまったくもって信じられない。
明日の娘の誕生日は同僚の送別会があり一緒に祝えないので、時計の針が12時をまわり、日付が変わった時点で、娘に「おめでとー」と言ってみた。当然ながらまったく何のことやら分かっていない様子であった。
この小さい子供がいつかは一人前にものを考え、人生について煩悶する(?)ような年齢になるということ、これもまた信じられないことである。
5月18日(金)
隣の課に異動になる方の送別会、ならびに二週間同じ課に「体験配属」に来ていた新入社員の送別会を六本木で行う。今日も相変わらず日本酒をかぴかぴ飲んで酔っ払った。
受験仲間のメーリングリストで、Kさんのメールが流れてきた。今年ある学校に合格していたのだが、いろいろ検討した結果、やはり進学はやめるという。来年以降ももう受験はしない、と。
伝えたいことは山ほどあったのだが、なかなかうまく言い表せない。もどかしいようなメールを送ってしまった。この時期、MBA受験生の誰もが様々な決断を迫られている。第一志望にそのまま合格したものは本当に少数派だ。進学するのか、もう一年受験するのか、それとも受験を取りやめるのか。いずれの方向を選ぶにしても、夜も眠れないほど悩んで決断した結果なのだから、第三者にはもはや何も言えないのではあるが、一年間の苦労をずっと見てきているだけに、どうしても感傷的になってしまうのだ。
明日、メーリングリストの仲間の壮行会である。
5月19日(土) 大壮行会
一年間、共にMBA受験をしてきたメーリングリングリストの仲間の壮行会を行う。東京在住のメンバーはほぼ全員が参加し、大阪からもわざわざYさんが新幹線でかけつけてくれ、全部で18名での大騒ぎの壮行会となった。
三時過ぎから芝でボーリング、その後六本木に移動して二次会、さらにパーティールームで三次会、最後はカラオケボックスで朝まで飲んでいた。
三次会のパーティールームでは、皆で肩を組んで歌い、騒ぎ、ビールかけをし、とにかくはしゃぎまくった。全裸で腹筋運動をし部屋じゅうをランニングするNさん(USC IBEAR=大人のMBA行き)の姿が目に焼き付いて離れない。
四次会のカラオケで轟沈したKさんをかついで店を出ると、六本木の路上はすっかり初夏の朝日であった。
本当に一年間どうもありがとう。皆と出会えてよかったよ。
5月20日(日)
朝9時過ぎに新横浜駅で新幹線に乗るYさんと別れた後、ボロ雑巾のようになって帰宅。ベッドに倒れこむ。
夕方目がさめても、体じゅうを覆った筋肉痛と倦怠感が抜けきれず、何やら抜け殻のような一日であった。
「お絵かきして」という娘の頼みに、鉛のような体をひきずり起こしてクッキーモンスターとアーニーとバートの顔(似てない)を色鉛筆で描いたこと、いくつかのメールを書いたこと、それが今日やったことのすべてである。
5月21日(月) グッド・ニュース
朝から夕方まで韓国人と会計システム開発のミーティング。
毎度のことであるが、今日も英語力の問題を痛感。ふっと集中力を切らせた瞬間にもう話を追えなくなっている。Accountingはまあ大丈夫だろう、と思っていたが、ちょっと使いなれない会計用語を英語で言われると、日本語に訳すのに時間がかかってしまい、話の内容の把握がワンテンポ以上遅れてしまうのだ。
まずい。会計も気合を入れて勉強し直さねば。
昨日、高校野球の春季関東大会一回戦が行われ、神奈川県立百合丘高校がセンバツ出場校の日大三高を破ってベスト8に進出した。百合丘高校は僕が高校一年生から二年生にかけて在籍した高校である。学期途中に大阪に転校したが、野球部に所属していたのであった。当時は、練習の質量だけは凄まじいものがあったが、野球経験者の数自体が少なく、ほとんど小柄な選手ばかりであり、夏の予選も三年連続初戦敗退であった。
忘れられない思い出がある。春季関東大会の県予選一回戦で甲子園で全国優勝をしたこともある強豪高校と対戦したときのことである。僕は三塁側ベンチにいた。その試合は初回から滅多打ちをくらっていた。一回戦は、5回で10点差がついた時点でコールド負けの規定である。そして、5回の表についにコールド規定の10点差をつける2ランホームランを打たれたのだった。その瞬間、尻のやけにでかい三塁ベースコーチがくるっと僕のいた三塁側ベンチを振り向いて叫んだのだ。
「おめーらとはやってる野球が根本的に違うんだよっ!!」
静まり返るベンチ。泣き出すマネージャー。
どうにもそれ以来この強豪校のことが好きになれない。てゆうか嫌いである(笑)。ついでにその学校のOBの「バカ大将」も嫌いである。(それは読売だからか)
もちろん当時とてやってる野球が違ったわけではなく、ただ集まる選手が違っただけである。おそらく練習の厳しさは、今でもそうだろうが当時もトップクラスだったはずだ。
それから15年。当時学生監督だったM監督が毎年こつこつと選手を育て、少しずつ「公立の強豪で甲子園に行きたい」という選手が集まるようにもなり、ついに関東でベスト8まで進出するまでになった。色んな意味で本当に励まされるニュースであった。
もはやこのチームに対して「やってる野球が違う」というチームなどあるまい。
今日、準々決勝の相手はセンバツ優勝校の常総学院である。頑張れ百合高。
5月22日(火) トップダウンとボトムアップ
今日も一日韓国人とミーティング。英語と韓国語しかしゃべらないので、日本語がしゃべれないとばかり思っていた彼が流暢な日本語をしゃべるということがひょんなことで分かり、驚く。
まったく、そんなにうまいなら最初から日本語でやってくれー。そう訴えたところ、「でも、日本語の会計用語は分からないから駄目なんです」とのこと。こっちも英語の会計用語よく分からんっちゅうねん、と力説してる場合ではない。彼が日本語の会計用語が分からない、というのとは訳が違う。恥ずべきことだ。
友人からプレゼントされた「バランス・スコアカード経営」(松原恭司郎著)を読む。友人はバランス・スコアカード(BSC)の研究会に参加して活動しており、勤務する会社でもバランス・スコアカードを導入しようと努力していたのであるが、中間管理職の無理解・無関心攻撃にあい、大苦戦しているようである。
しかし、ボトムアップで何かを変えようとする際の大きな障害のひとつがトップとボトムの狭間の「中間管理職」の存在である。彼らは、自分が理解できないものは決して上に上げようとはしない。何やら得体の知れない新しい概念で、なおかつ自分の部下が自分よりも何倍もよく知っているものなど、絶対に上に上げるわけがない。結局は、多くの優れたボトムアップのアイデアが潰え去っていくわけである。
そして、トップは、「うちの連中は俺が指示しないと何も主体的に行動できねえ」と考える。優れたアイデアを吸い上げるしくみも、インセンティブも、自分がうまく作り出せていないなどとは思いもせずに。
かくして、モチベーションを下げる優秀な若手社員、何もせぬことが保身の中間管理職、「トップダウンでやるしかねえな」と衰えゆく己の能力をかえりみず勘違いしたトップができ上がるわけだ。
一方では、ボトムアップでは決して実現しない同じ企画も、例えば社長が私淑するコンサルタントの「先生」などが、「こんなアイデアはいかがですか」などと一言吹きこもうもんなら、あっという間に全社に導入されたりもする。無関心を決め込んでいた中間管理職も、人が変わったように「会社の金を使って」必死で勉強したりするわけだ。
そんなことを電車の中でBSCの本を読みながら考えていた。
ビジネス・スクールでケース・スタディばかりやっていると、ついついマネジメントやマネジャーの視点でのみ物事を考えてしまうようになるのではないか、などとふと思った(もちろんそれこそがMBA教育の極めて重要な目的のひとつではあるのだが)。本当のボトムから上を変えていくという視点はケースの中ではほとんどないのではないか、と。それは自分で意識して持っていなければならない点である。いつかトップになった時に、「勘違い社長」とならないためにも。
百合丘高校、常総学院にはさすがに完敗だったようである。
5月23日(水) 壮行パーティ
夜、有楽町の外国特派員記者協会で開かれた某予備校主催の壮行パーティに嫁さんと一緒に参加する。
受験準備中はエッセーカウンセリングで罵倒されまくり、鬼にも思えた担当カウンセラーが、今日はやたらとでかい蝶ネクタイなど付けてにこにこ顔である。受験中は、自宅でカウンセラーのものまねなどをして、散々悪者のイメージを嫁さんに植え付けてやっていたのだが、どうも拍子抜けの様子。かえって、彼女はカウンセラーに好印象などを持ってしまったようで、それはそれで何だか悔しいものがある。彼のイメージの変化も、「ああ受験が終わったということなんだな」と思わせるものであった。
パーティの最後にスピーチした別のカウンセラー曰く、「大変辛い受験が終わって今が最も開放感あふれる時期だろう。でも、もう間もなく”第一学期”という名の地獄がやってくるよ」。
Class of 2003のメーリングリストがひとつの区切りを迎える一方で、Class of 2004のメーリングリストが立ちあがった。こちらにもお願いして入れてもらった。そのMLのメンバーに限らず、Class of 2004を目指す皆さんは、いよいよ本番開始ですね。お互いに頑張っていきましょう。
今日、Stanfordの合格発表であったが、やはり予想どおり不合格のようである。
5月24日(木) 睡眠不足
今週ずっと一日3−4時間睡眠をつづけていたところ、さすがにこたえた。朝は、目覚まし三個とも消してぐーぐー寝ているうちに危うく遅刻するところであり、電車でも座ったはいいが、あっという間に眠ってしまって三駅も乗り過ごし、仕事をしていてもちょっとした拍子に何回か眩暈がした。
受験最盛期のことを少し思い出した。睡眠時間を削りに削ってエッセーを書き、仕事をする生活を繰り返しているうちに、だんだん周りの風景が揺れて感じるようになり、「おい!地震だよ!地震。。。だよ。。。な?」と同僚やかみさんに話しかけ、呆気に取られたことも二度三度。やり過ぎです。サルじゃないんだからそれくらい自分で調整しろよ、と今は思えるのだが、なかなかどうしてその時は自制できぬものなのであった。
そんなわけで今日はもう寝ます。
5月25日(金)
夜帰宅すると、嫁さんの自宅に二泊三日でお泊りに行っていた娘が帰ってきていた。
たった三日ぶりだが、随分と顔が子供っぽくなった(「赤ん坊が子供っぽくなった」=「大人になった」の意)気がする。いつもは「ただいま」と帰ると、「おかいりー!」と叫んでかけよってくるのだが、今日はたたっと走ってきて1メートルほど手前で立ち止まり、もじもじしている。
照れられた。
二日でこれでは、渡米して三ヶ月強も会わなかったら(嫁さんと子供は少し遅れて渡米の予定である)いったいどうなることやら。心配なパパである。
夜、そごうの水島前会長逮捕の臨時ニュースが流れる。彼については、語る気にもならぬ。ただ、人はここまで「恥」の概念というものを忘れきってしまうことができるものなのか、という驚きだけである。彼も興銀時代はただ頭が切れるだけではなく、礼儀正しく、気持ちのいい若者であったという話(中山素平の談話だったか)をどこかで読んだ記憶がある。
若い頃は、彼も青雲の志を持っていたことだろう。不正義に怒りを覚えたこともあったかもしれぬ。
ただ哀しい話である。
5月26日(土) 実家へ
午前中は、青山のグラウンドで港区野球大会ニ回戦の試合。試合自体は久々に打線が爆発し11−1コールドでの勝利であった。
しかし、個人的には三打席凡退。退社・引退の近い僕に花をもたせようと後輩が四番・サードにしてくれたのだが、良いところなしであった。はてさて、渡米までに初ヒットはでるのか。来週末も別の大会の試合である。
試合後、一旦帰宅し、嫁さんと娘と一緒に埼玉杉戸町の実家へ向かう。JR横浜線・東横線・地下鉄日比谷線・東武伊勢崎線を乗り継ぎ、延々三時間。その間の駅数実に55個。
夕方目的地に着いたときには疲れきってしまった。あまりに疲れており、網棚の上に載せた子供グッズを置き忘れる。(またか?)駅員に話して確認してもらったが、結局出てこなかった。中身は、おむつ・お尻拭き・子供服など、我々にとっては極めてバリューの高い品々であるが、一般には全然いらんもんばっかり。そんなものがいったいどこへ消えたのか、謎であった。
駅前でおむつなどを買いこみ実家へ。
夜は、父親と久しぶりにビール・日本酒・ウイスキーなどを飲み、いい具合に酔っ払っていつのまにか寝ていた。
5月27日(日)
昼から、姉夫婦一家が参加して、壮行ランチをやってくれた。ランチと言っても舟盛などが登場しえらい騒ぎである。娘も久しぶりの従姉妹たちとの交歓に楽しそう。
今日も真昼間から日本酒・ブランデーなどを飲み、また酔っ払った。
昨日・今日と、何気ない会話の中で、家族のありがたみを実感した二日間であった。
帰宅すると、Stanfordよりthin letterが届いていた。これで出願全校の結果が正式に届いたわけである。全15校の出願。合格4、ウェイティング4、不合格7(こういうことはあまり書くものではないのかもしれないが)。受験を始めた当初思い描いていたよりも、やはり厳しい結果であったと思う。
5月28日(月) ファイアストンの決断
朝から夕方まで、シンガポール人・韓国人とディープなミーティング。一ヶ月ぶりにシングリッシュのシャワーを浴びまくった。それにしても聞き取れない。こちとらアメリカ英語でさえ聞き取りが不自由だっちゅうのに。
ブリジストン・ファイアストンがフォードとの100年になんなんとする取引関係を打ち切った。今回の経営判断をネガティブに捉える向きもあるようだが、正しい判断だったと思う。遅すぎたくらいだ。
公聴会でブリジストン・ファイアストン(BF)の日本人CEO(当時)とフォードのJ・ナッサーが証言した際の映像は衝撃的だった。堂々と、日本人的倫理観から言うと「いけしゃあしゃあと」まだ詳細な調査結果の出ていない事故原因の非を全面的にBFに押し付けるナッサー。一方で、少し眠たそうな顔で、小動物のように小刻みに震えている日本人CEO。メガネを震える手に持って話し始める。「私は当年とって六十うん歳ですが、その人生でもこのような公共の場で証言したことはありませんので、今かなりナーバスになっています。。。」何でそんなこと言う必要がある!!だから、大目に見てくれとでも言うつもりか?
冷静に、客観的に見て、自主的に迅速なリコールを実施したBFと、合同調査の最中にだまし討ちのような形でBFに非を押し付けたフォード、どちらが社会倫理にもとっているかといえば、フォードの方だ。しかし、かたや堂々と主張するナッサー、こなたいきなり意味不明の言い訳を震えながら口走る日本人CEO。これを一日何回もニュースで見せられれば、アホな米世論は前者が正しいと思ってしまうだろう。
BSの海崎社長はなぜ自分で公聴会で証言しなかったか?誰か、あの意味不明のスピーチ原稿(あの内容を棒読みであった)を「しゃちょー、そ、それ変ですよ」と言ってやる奴はいなかったのか?
とにかく日本人として、あまりにもショックな光景であった。
今回の絶縁は評価したい。しかし、恥知らずフォードは、ここぞとばかり「リコール逃れだ」とBF全面攻撃に出るだろう。「負けるなファイアストン。胸を張って、堂々と戦え」と、勝手に応援しているのであった。
5月29日(火)
今日もまた一日シングリッシュ漬け。最後の方はかなり「シングリッシュ慣れ」してきていた。
夜、I−20発行依頼の書類をようやくFedexでTUCKへ送る。とにかく準備が遅れに遅れている。本当にこれで7月末にはすべて引き継ぎをし、処分すべきものは処分した上で、渡米できるのだろうか、という不安もないではない。そもそも諸々の準備の中で最大の案件である自宅の売却自体、その後ぴくりとも食いつきがないのである。
嫁さんがTUCKのInternational Officeとメディカルセンターに予防接種の件で深夜に電話していた。旦那の英語が不自由な分、嫁はんの双肩にかかる期待は大きいのであった(おいおい)。
5月30日(水) MBA2003
同じ課の同僚全員に、7月半ばで退社することをカミングアウトした。「嘘でしょー!?。。ハッシー殺す!」とK女史。
カミングアウトした後に、某プロジェクトの今後についてメンバー三名でミーティングをしつつ、思わずThings To Doリストを見ながら皆で笑ってしまった。「ここまで大変だと、なんかもう笑うしかないよね。」と。これからプロジェクトが山場を迎え、いよいよ大変になるという時に迷惑をかけるということは、本当に申し訳ないと思う。しかし、ただ全力でやれるところまでやって恩返しする他ない。
夜、西麻布で、今年MBA留学をする同期の会である「MBA2003」のパーティーに参加する。50人以上の参加者があり、盛会である。何人かの人々とは出発前の最後の挨拶をし、そして何人もの人々と、新たに知り合った。会がお開きになった後、大雨の中を六本木に移動し、USCに行くNさん、IESE(バルセロナ)に行くLさんと三人で軽く飲む。
これでしばらく会えないかと思うと、なかなか立ち去りがたし。そうこうしているうちにまた終電を逃したのだった。
5月31日(木) 出版記念パーティー
知人の出版記念パーティーが六本木プリンスホテルで開かれ、参加する。種々雑多な人々がおり、なかなか興味深かった。
「本書きますから使ってください」と言ってまわる。何の本だかは言わなかったから、皆ビジネスの本のことだと思っているだろう。
帰宅してから、退職願を書いた。
もう明日は六月だ。