MBA留学日乗 20016     | 前月へ |    | ホームへ |


6月1日(金)    カミングアウト

6月に入った。もうすぐ梅雨だ。

夕方、部員全員を集めた場で、僕の退職の件が発表となった。まだ退職まで一ヶ月半もあり、本来ならオープン
にするタイミングでもないのだが、後任を社内人材公募にかけるアクションを早めに起こすため、このタイミング
でのカミングアウトになったのだ。

退職するにあたっての挨拶をしつつ、自分でもまだ実感が持てないでいた。実感が持てないので、どうも挨拶
が少し受けを狙った、おちゃらけたものになってしまった。
一ヶ月半後の退職時には、もう少ししんみりとするのだろうか。

正式に退職を届けるにあたり、何人かの上司・関係者から、「本当に退職するのか?休職にはしたくないのか?
制度はないけど、その気があるならかけあってやるぞ」と、聞かれた。
ありがたいことであり、心から感謝しています。

しかし、やっぱり二年後戻る可能性が低い以上、「じゃあとりあえず休職で」というわけにも行かない。休職にして、
さまざまな手続きの面倒をかけた上で、二年後さっさと退職するのは、礼を失することになるし、何よりも、もし
今後休職した上での留学を考える後輩社員が出てきた場合、計り知れない迷惑をかけることになる。

 

このサイトのアクセスが1000を超えた。ほとんどすべてが友人・知人の皆さんによるアクセスだと思います
が(笑)、心から感謝します。

二年間の留学期間中、このカウンターはどれくらいまでいくのだろう、などと考えた。二年間、カウンターがゆっくり
ゆっくりと回っていく間にどんなことが起こるのだろう。


6月2日(土)   M友幹事会

昼過ぎ、一組の母娘が自宅マンションを見学に来た。結婚を間近に控えた女性とその母、あるいはそろそろ
マンションでも買うかという若奥さんとその母、というところだろうか。

リビングの日当たり、各部屋、収納スペース、と仔細に見て回って帰っていった。寝ていたうちの娘も途中で
起き出し、最後はバイバイと手を振ってお見送りしていた。何とはなしに、友人になれそうな気がした母娘で
あった。
さて、結果はどうであろうか。

 

夕方から、高田馬場で行われたMBA友の会(通称M友)の幹事の集まりに参加。今年からM友の海外幹事
をやらせてもらうことになったのだ。

今後の役割の分担や、作業負担軽減策、MBAホルダーの会への参加の活性化策などを話し合う。
この会は完全ボランティアで運営されているため、ホームページの作成や、名簿やメーリングリストの管理
をする幹事の負担も馬鹿にならない。あらためて頭が下がる次第である。

早慶戦帰りの学生でごったがえす高田馬場駅前の雑踏をすり抜けて帰宅。


6月3日(日)   久しぶりのホームラン

快晴の日曜日。
会社の野球部が参加する三つのトーナメントのうちの一つである、自動車健康保険組合の野球大会の初戦
に出場するために、はるばる埼玉県狭山市のグラウンドまで出かける。

内野にまで芝を張った手入れの行き届いたグラウンド。雲ひとつない快晴。実に気持ちのいい環境であった。

試合の方は、さすがに現在のバッティングで4番を打つのは申し訳ないので今日は5番にしてもらったが、結果は
今日も打線爆発。再び11−1でコールド勝ちであった。僕自身も三打数ニ安打で、三打席目には久しぶりの
ホームランも出た。野球の神様が最後の思い出にと、打たせてくれたのかもしれぬ。

もっとも守備の方は、エラーもしてしまったが。

 

昨日マンションの内覧に来た母娘は「環境が今一つ」ということでダメだったとのこと。残念。

ハノーバーのHousingの方も、申し込んではいるのだが学校からは音沙汰なく、同期生たちから聞こえてくる
のは、「落ちた」という話ばかりである。頭の痛いことばかりなり。

とりあえず、学校指定のNoteBook Computerの申込FAXを夜送る。


6月4日(月)  診断士勉強仲間

神田で診断士の勉強仲間が壮行会を開いてくれた。「仲間」といっても、実に年齢的な幅のある集まりである。

僕と同年代のIさん、三十代後半で我々の指導員でもあったHさん、四十代後半のTさん、五十代後半で税理士
のFさん、そして六十代、最近会社を定年退職し人事を中心としたコンサルタントとしての仕事をはじめた社労士
のTさん、である(年齢は一部見た目からの推定 笑)。

徒弟制度的な縦のつながりが支配的な診断士の世界とはまったく逆の、肩書きの関係ない、実にフランクなつな
がりである。

今日も同年代の付き合いとはまた違った、「異質」な刺激のある会話、楽しい時間を過ごすことができた。

皆さん、どうもありがとうございました。いただいた宿題は、きちんと現地からレポートします。

 

帰りの電車の中で眠ってしまい、降りるべき駅を四駅も乗り過ごしてから目がさめた。


6月5日(火)   早退

ゆうべパンツ一枚で寝ていたら風邪をひいたらしく、体調不良なり。
午前中、一件ミーティングをし、昼には早退してきた。

帰宅すると、TUCKからショッキングなメールが。大学所有のOff Campus Housing (Sachem Village)に申し込
んでいたのだが、外れてしまった、という連絡である。ショック。

急いで、他のOff Campus Housingを探さねばならない。


6月6日(水)

昼休みに歯医者に行き、二本目の歯の神経を抜かれた。今日は前にも増して麻酔が効かず、数えきれない
ほど追加の注射を打たれた。十本以上打たれたように思うが、そんなに打ってもいいのかしら?

 

夜は家に遊びに来た嫁さんの弟夫婦と自宅で夕食。嫁さんが外出しなければならず、漫画家の卵をしている
弟にベビーシッター役をお願いしていたのだった。

義弟の生き方は、僕などよりはるかにリスクテイキングなものであり、そうした生き方がかたちづくるのか、
やはり僕を含むサラリーマン一般からは、なかなか感じられない「何か」を持っている。

気付かないうちに「サラリーマン的価値観」にどっぷり浸りきってしまっている僕に、時々「おいおい違うだろ」
と気付かせてくれるのだった。別に彼がそんな教条的なことなどを言う訳ではないのだが。

娘も久しぶりの叔父さん叔母さんに、はしゃぎまくっていた。

 

友人のTさんから薦められた「ザ・ゴール-企業の究極の目的とは何か-」(エリヤフ・ゴールドラット)を読んだ。

「もともと部分最適の改善に関しては超一流の日本人に全体最適の手法を教えてしまったら、貿易摩擦が
再燃して世界経済が大混乱に陥ってしまうために長く日本語訳の出版が許可されなかった」という宣伝文句
は眉唾ものだが、内容は非常に面白かった。

TOC(制約条件の理論)を、日本の自動車サプライチェーンに当てはめるとどうなるか。。。


6月7日(木)  コンフェデレーション杯

雨。

僕のマンションは新横浜駅前にある。そして、そのすぐ裏手には、新横浜国際競技場がある。2002年W杯
の決勝戦が行われるスタジアムである。

今日はW杯の運営リハーサルであるコンフェデレーション杯の準決勝が、我が家の裏庭で行われたので
あった。

帰路、電車で自宅に近づくにつれて、だんだんと雨が強まっていく。
そして、列車が日吉駅を過ぎたあたりで携帯が鳴った。スタジアムに観戦に行っていた上司のIさんと人事の
T君が、豪雨の中、身動きが取れなくなっていたのだった。

一旦自宅に帰り傘を持って二人を迎えに行く。

その後は、嫁さんと娘が実家に帰って留守にしている自宅で、出前の寿司を食いながら三人でビールを
飲んだ。またもや酔っ払った。

そうそう。試合の方は日本代表が1−0でオーストラリアを破った。

せっかく、身近にW杯を経験できるという機会なのに、2002年にはアメリカにいるというのは、何だか惜しい
気もするのだった。


6月8日(金)   Cof2004

秋の野球大会の組み合わせ抽選会に出席したあとに、日比谷で開かれた今年MBA受験をする人たちの
メーリングリスト「Cof2004ML」の顔合わせ飲み会に参加する。

皆、実に優秀で、かつ楽しい人々であった。ずっと笑いつづけていた気がする。

新橋の飲み屋に移動しての二次会で盛り上がっているうちに終電を逃してしまい、そのまま朝まで場所を
移動しながら、飲みつづけた。
そして、またもや気がついたら、ワインのコルクなどを活用した下品な芸(?)を披露してしまっていた。
(詳細は秘密)

朝、電車を何度も乗り過ごしながら帰宅する。


6月9日(土)     大阪 池田の事件

二日酔いの体をひきずって八王子の嫁さんの実家へ。嫁さんのいとこが、最近東京に転勤になり、遊びに
来ていたので、初顔合わせ、である。

 

新聞を読んで驚いた。大教大池田小の事件である。同校には大阪に住んでいた頃に何度か行ったことが
あり、本当に信じられない。

どうしようもない怒りを感じる。高校生でもなく、中学生でもなく、小学生の、それも低学年の児童を狙った
というところにも。

 

精神病患者に対する世間の見方は、明らかに変わるに違いない。「隔離せよ、収容せよ」という意見も強く
出るだろう。「精神病だというだけで刑事責任を問えないなんておかしい」という声もしかり。しかし、そのよう
な論調が出ること自体が、不幸なことである。前にも書いた、「排斥」の動きにつながらねばよいが、と思う。

 

一日に全国で3−4件の不審者の学校侵入が起きているという。当局が把握している数字だから、当然実数は
もっと多いということだ。今までは大きな事件などは起きていなかったが、これからは、「地域コミュニティに開か
れた学校」に向けての動きなどは、一気にしぼんでしまうだろう。

僕が私立の学校を経営していたとしたら、現下の保護者の不安に対処するために、即ガードマンを雇う。
しかし、ガードマンを数名雇ったところで、今回の事件は防げただろうか。一学年に一人ガードマンを雇うか?
一クラスに一人?それとも教師全員に特殊警棒を持たせるか?格闘技も義務づけるか?

もはや、「安全はタダ」ではなくなりつつあるが、今後は「高い安全管理能力」を売り物にする学校も出てくるのかも
しれない。そのためのコストは当然授業料(あるいは安全管理料?)に跳ね返るわけで、比較的富裕な層しか
そういった「安全な」学校に子供を行かせることはできなくなるのかもしれない。

さまざまな分野で進む二極分化のひとつの事象として、「安全な学校」に行く富裕な層、「危険な学校」に行く
貧困層、ということも現実のものとなってくるかもしれない。まったく、ぞっとするようなシナリオだ。

どこか投げやりで、無責任で、「変えていこう」という前向きな気持ちが感じられず、絶対に使いたくないと思って
いた言葉なのであるが、今日、記事を読みながらつくづく思った。

「いやな世の中になった」

 

子を持つ親としては、どうしても我が身・我が家族に置き換えて考えてしまうのだ。

子供を学校に送り出したあとは、もはや親としては何をするわけにもいかない。ただ子供が無事帰宅するのを
待っていることしかできない。安全なはずの学校で起きたこんな理不尽な事件を、どうやって受け入れれば良い
のだろうか。

必死に逃げ惑いながら、級友が殺されていくさまを目撃した子供たちの心的外傷が癒えるまで、いったいどれくらい
の時間が必要となるのだろうか。

 

逃げ惑う子供たちは、さぞがし怖かったことだろう。
亡くなった子供たちには、楽しい、さまざまなチャレンジに溢れる人生が待っていたことだろう。

やりきれない、悲しい、憤りを覚える、辛い、、、どんな言葉も届かない事件である。


6月10日(日)   最後の野球の試合

午前中、神宮外苑野球場で、野球大会の準々決勝。久しぶりに嫁さんと娘も見学に来た。

最終回の表に一点差をひっくり返して3−2としたものの、その裏に一点返され同点、さらに内野ゴロの本塁送球
がそれ、3−4でサヨナラ負けとなった。久しぶりにしびれた試合。

バッティングはニ安打であったものの、守備の方はまたエラーあり、不本意な出来だった。

もうひとつのトーナメントの方も土曜日に敗退し、おそらく今日が野球部最後の試合となる。試合が終わった瞬間
は、さすがに感慨深かった。

8年前に初めて野球部の試合に出たのもこのグラウンドのこの大会であった。当時23歳、体重は今より10kg近く
も軽く、ホームランを二本打ったのであった。それが今では(笑)。

 

帰宅後は、不動産屋の営業の人と打ち合わせ。あまりに厳しい状況に、再々値下げを決断する。
もうこれ以上は無理です。頼むから売れてください。

 

コンフェデ杯決勝、日本代表は0−1でフランスに敗れた。


6月11日(月)   ハウジングの悩み

ビザの件、学校指定ローンの件、ハウジングの件で、夜中に電話をかけまくる。どうも英語がうまく聞き取れない、
というのは毎度のことなので、まあいい。

深刻なのは、ハウジングである。学校所で有のSachem Villageに外れてからというもの、一般の物件を探しているの
だが、かける相手かける相手、「その物件はもう借り手が決まりました」である。

借り手が決まった物件を、WEBにいつまでも載せるなよ。

果たして渡米の日までに住居は決まるのか?乞うご期待、である。(その前に、日本の我が家は売れるのか?)

 

「留学とはかくも面倒くさきもの この期に及んで思い知るナリ」


6月12日(火)   合格祝

会社の友人Hさんと、彼女の前職時代の先輩であるYさんと新橋で食事。二人が合格祝いをしてくれたのだった。

Yさんは、某トップスクール出のMBAで、昨年11月に、「誰かこのビジネススクールを出た人、前の会社にいない?
紹介してよ」とHさんにお願いして、紹介してもらっていたのだった。

その時にお会いして伺ったB-School生活、受験に関わるTipsもさることながら、彼女の飾らない・魅力的な人柄
にすっかり魅了され、ファンになってしまったのだ。
「俺はこんなに優秀だ」「私はこんなに頭がいいのよ」と、全面に出している人は多くいるが、にこやかでいて、
それでいて優秀さがにじみ出てくる、彼女のような人はそうはいない、と思う。

今日は、実に楽しい時間を過ごした上に、ご馳走にまでなってしまった。
どうも、ありがとうございました。

 

しかし、会が終わるあたりからどうしたわけか異常な悪寒に襲われはじめた。
ふらふらになりながら電車に乗り、ほうほうの体で帰宅して熱を測ると、38度5分もあった。


6月13日(水)   風邪

朝になっても熱は37度9分あり、会社に休みの電話を入れる。そのまま眠り続け、目がさめたら夕方六時、熱は
36度ちょうどまで下がっていた。

平熱が35度2分しかない僕としては、これでもちょっときつい。

しかし、こんなに頻繁に風邪をひいているようでは、とても今後サバイブしていけんぞ。


6月14日(木)    一本の退職メール

朝、霞ヶ関の岩井診療所にて、留学関係の予防接種を受ける皮切りとして、採血検査とツベルクリン反応注射
を受ける。

その後出社するも、やはりまだ病後のため体がだるい。今日は、隣の部のS君とじっくり飲みに行く約束をして
いたのだが、延期させてもらった。

 

会社で一本のメールが波紋を呼んでいる。差出人は、某社員。宛先は関係者各位。

曰く。

「私はこのたび退職して米国にMBA留学することになった」
「そもそもこの会社に転職したのは多額の資金を必要とするMBA留学を実現するためだった」
「前職の低い給与では留学資金を貯めるのは無理だったからだ」
「メジャー企業の合併に携わったおかげで、B-schoolからは高く評価してもらった」
「今、ボーナスをもらった直後、仕事の山場の直前という絶好のタイミングで退職できてほっとしている」

。。。。馬鹿じゃねーの?である。普通、「絶好のタイミング」とか書くか、ちみ。
「MBA留学資金を貯めるために入社した」とか言うかね。ちみの人格を疑うよ、人格を。人としての格だよ。

このメールを受け取った「仕事の山場」を間近に控えた人々は、かなり神経を逆撫でされたであろうことは、
想像に難くない。
「自分は何の仕事もしてないくせに、ビジネス・スクールには評価されんのかね」
「あんな奴がMBAかよ」
と、皆憤懣やるかたない様子であった。

こういう輩がアメリカで、「馬鹿で無口な日本人像」を振りまき、帰国しては、コンサル会社などにもぐりこん
で、「使えぬMBA」像を振りまく尖兵となるのだろう。
たまらん。

こういう奴はきっと、アメリカかぶれのバナナ野郎であり、何かというと「アメリカではさ」とか「MBAじゃさ」
とか言うのだろう(ここのところ、多分に思い込み有)。

しかし、同時期に同じ理由で退職をする僕としては、かなり迷惑千万な話であり、というか一社会人として
少し許しがたいところもあり、甚だお節介なれども一度会ってがつんと意見してやろうと、彼奴の留学先・
連絡先を聞いてまわったが、驚いたことに誰一人知らないのであった。
ま、要らぬお節介なのだが。

まったく品性を疑う。なかなかもってして、腹の虫のおさまらぬ退職メール事件であった。

追伸:
現在の当社の給与は彼奴が言うほどそないに高くはございません。何せ合併企業なもので。


6月15日(金)   数字に弱い?

TUCKから、"Pre-Enrollemt Program"の案内メールが届いた。ショックである。

このプログラムは、MBA本番が始まる前の8/19〜8/24の一週間、TUCKで行われるものであり、内容は、
確率・統計・経済学・ファイナンス・アカウンティングなどに重点を絞ったものである。

しかし、誰もが参加できるものではなく、学校側から「選ばれし者」だけが参加を許される特別なプログラム
なのである(ただし実費で)。

その「選ばれし者」とは。。。。

ずばり、「数字に弱い人」なのである!ガーン!!

そりゃ、バリバリのエンジニアや理系のマスターの皆さんなどには、まったく及びもつかぬ私ではございます
が、文系としては普通に数学には自信を持っていたつもりであります。GMATのMathも、ほとんど50点
はキープしております(満点の51点を取ったことはありませんが)。
仕事でも、会計・財務が主たるエリアである以上、「数字に弱い」などとは露ほども感じたことはござりませぬ。
そして、「数字に強い」と評判の日本人は、昨年一人も当プログラムには指名されなかったと聞いております。

なのに、なぜ?

「GMAT、Academic Record、Backgroundなどを総合的に判断して決めました」とのことであるが、やはり
エッセーに詩を書いたのがまずかったのではないか、とひそかに睨んでいるのであった。

唯一の救いは、日本人でもう一人招待された仲間がいたということ。Kさん、ありがとう(笑)。
(Kさんは銀行マンだというのに、いったいどういう基準で選んでるのか?)

まあ、サマースクールには行かない身なので、ちょうど良かったと思ってサマースクール替わりに参加して
みるとしよう。

 

6/16(土)に日付が変わったが、これからが本番だ。また、遠くハノーバーの家主様達に深夜(奴らは真昼間)の
ラブコール大作戦である。


6月16日(土)   進展あり

午前四時過ぎまで、26件の家主に電話をかけまくる。
午前二時頃、何とか一件ウェイトリストの2番目に名前を載せてもらうことができた。さらに午前四時前に
二件ほどHOLDできそうな物件を見つける。

大きな進展ではある。

一眠りした後、MBA友の会のEさんと近所のファミレスで朝食。受験の話をする予定であったが、キャリアの
話などでも盛り上がる。楽しかった。

 

夕方、また一組がマンションを見学に来たが、どうにもおざなりな感じの内覧であった。


6月17日(日)   後輩カップル

同じ会社の後輩カップルT君とSさんが家に遊びにきた。

半日、子供を交えて楽しく遊ぶ。

昼過ぎから最初はケーキなどを食べつつ、紅茶などをいただいていたのだが、そのうちにビールになり、
ブランデーになり、そうこうしているうちにT君はトイレで吐き、僕は気がついたら和室に大の字になっていた。

何で日曜の昼からそんなに飲むのか?自分自身。


6月18日(月)    「実学」

二日酔い。

朝、ジフテリアの予防接種を受ける。二日酔いで予防接種というのはどうか、とも思ったが、どうやら何ともなさ
そうである。
おたふく風邪と麻疹は、残念ながら抗体がないことが分かり、これからまた予防接種だ。出発直前までかかる
見込み。

稲盛和夫の実学-経営と会計」を読む。20年前に、自ら考えて国際会計基準を先取りするような「京セラ会計
学」を作り出した、というのは見事というしかない。
「製造業において必要なのは生産性ではない」というあたりなど、このあいだ読んだ「ザ・ゴール」を彷彿とさせる。
「会社の使命は、そこで働く従業員一人一人に物心両面での幸福をもたらすと同時に、人類、社会の発展に
寄与することである」という言葉にも大きくうなずくところだ。

たいした経営者である。

しかし。どうしてもこのお父さんには、個人的にはうさん臭さが拭いきれないのである。

そもそも、書名に自分の名前を冠すること自体からしてかなりうさん臭い(笑)。

「『我が意を得た』『目から鱗が落ちた』という便りを多くいただいた」ということを自分で衒いなく書けるような人は、
どこか信用できない。大橋巨泉と同質のうさん臭さ、であろうか。

熱狂的なファンの多いこの人であるが、そのへんのうさん臭さもまた魅力なのかもしれん。


6月19日(火)

同じ部のS君と、新入社員K君と神谷町駅そばで飲む。

飲んでいる間、S君からは、「ほんと残念です。悲しいです」と200回くらい言われた。S君は、この上なく優秀
であり、この上なく馬鹿でもある、最高に魅力的な男だ。
会話は、馬鹿な下ネタと真面目な話との間を激しく行き来していた。

彼らのような優秀な同僚と話していると、もう少し一緒に仕事をしてみたいな、という気持ちも起こる。
気がつくと、「どうすればこの会社は良くなると思う?」という話を自分がしていることが、少しおかしくもある。
もうすぐやめるくせに、偉そうに何を言ってるんだろう。


6月20日(水)   いい加減な家主

歯医者へ。ようやく、一本目の歯の治療が完了する。次回は、歯科医の言う、「メインイベント一回戦」の
親知らず抜歯である。

「これは、ナンバッシですねー」。

ナンバッシ、、、難抜歯?

 

帰宅するとショッキングなメールが。
先日NH州の家主に、「Depositの払い先と金額を教えてくれ」とメールを送っていたのだが、散々待たせて
返って来たメールは、「もう他の人に貸してしまった。また宜しく」という内容であった。

はあああ?

先週の金曜日に最初に電話した時には、「その物件はまだ空いている」という返事であった。
そして、「Secureしたいのだが」と言うと、先方も「OK、OK」と言う。そこで、Depositの払い先をメールで送って
もらうことにして、こちらのメールアドレスを教えて電話を切った。
しかし、メールがこないので、翌朝電話したところ、どうやら忘れていた様子。
ちょいとムッとしつつ、先方のメールアドレスを聞き、こちらから「このメールにDeposit払い先を返信してくれ」と
メールを送った。それが土曜日の朝である。

その後、何度か催促のメールを送っていたのだが、今日ようやくきたメールの内容が「もう他の人に貸して
しまった」である。これが電話だったら、放送禁止用語を口走っていたところだ。

まあ、怒るよりも、呆れてしまった。おそるべし、「いい加減大国」アメリカ。

今日からまた、電話攻勢である。


6月21日(木)

診断士実習仲間のTさんと菊名で飲む。

実習の思い出話、今後のキャリア、精神病患者隔離問題、政治、日本の安全保障、などなど話題は尽きず。
気がつくともう12時であった。

最後は、菊名駅の改札前で握手し、抱擁して別れる。何とはなしに涙ぐみつつ。

 

Tさん、お互いに頑張っていきましょう。そして、少しずつ変えていきましょう。


6月22日(金)   学生時代の友人と

新宿のセンチュリーハイアットで開かれたリクルート主催の「Pre MBAレセプション」に参加する。MBA採用企業
とこれからMBA留学に出発する日本人学生との顔合わせ、情報交換の場である。

今日も会場で受験生活で知り合った多くの友人・知人と会った。
後ろ髪ひかれつつ、第ニ部の企業との懇親会を早々に抜け出し、西早稲田へ向かう。
大学時代の同級生達が壮行会を開いてくれたのだった。

「源兵衛」の二階の座敷で、久しぶりに、実に久しぶりに皆と飲んだ。太った奴、痩せた奴、子供のいる奴、独身の
奴、それぞれである。
「源兵衛」のお母さんもとっておきの日本酒一升瓶を差入れしてくれた。

閉店まで飲み、そのまま新宿歌舞伎町に移動して、また飲んだ。
トイレでげーげー吐いていたら、「ちゃぽん」という音がした。携帯電話がポケットからすべり落ちたのだ。
酔った頭でしばし悩んだあと、拾い上げたが、それからは常にバイブレーションが入りっぱなし状態になって
しまった。携帯電話自身にとっても、落ちたシチュエーションがよほどショックだったのだろう。

最後は空が白み始めた街を、ツナオと一緒に新宿から渋谷までのんびりと歩きながら帰った。
色んな話をした。

始発に乗って帰宅。


6月23日(土)   嗚呼タイガース

MBA友の会のトラキチMさんと、神宮球場のヤクルト対阪神戦を観戦する。

三塁側内野席最上段、そこから見下ろす、すり鉢状のスタンドに囲まれたグラウンドは、実に気持ちのいい眺め
であった。

しかし、試合の方は眺めとは対照的に最低な内容。
石井一久の前に手も足も出ず、12三振、わずかニ安打で、0−3の完敗であった。スコアボードのメンバー表を
見ているだけで切なくなるくらい力の差が歴然であった。

「こんなんで勝てるはずないよ!ほら、この回も点取られるよ!俺分かるもん!」と意味不明の悪態をつきまくり、
「矢野じゃダメだよ!馬鹿なんだもん!」と、キャッチャーの矢野批判を繰り返した挙句に、7回裏に憤然と席を
蹴って帰っていったおっさん(タイガーススタジャン着用)。

「せっかく応援に来たのに、点とれないの?」とお父さんを見上げる子供(タイガースうちわ購入)。

そして、悄然と帰宅の途につく、我々おっさん二人(タイガースメガホン持参)。

嗚呼、かくも報われぬか、タイガースファン!

打席に入る広沢(背番号31)にかけられた、「頼むぞー掛布ー!!」の野次が、今日一番のナイスプレーであった。

 

しかし、離日前最後に、と見に行ったこの試合もある意味、タイガースらしいといえばらしい試合である。
二年後、生まれ変わったように打ちまくっているであろう猛虎打線を信じつつ。


6月24日(日)    「戦艦大和ノ最期」

嫁さんの大学時代の友人が自宅に遊びにきた。夫妻で遊びにくる予定だったが、ご主人は仕事の都合で
来れず。夕食は子供も連れて近くの「ラーメン博物館」でとった。

 

吉田満著「戦艦大和ノ最期」を読む。なかなか、入手できず、Amazon.co.jpで、一ヶ月強待たされてようやく入手
したのであった。

著者の吉田満は、東大法学部学徒動員士官の海軍少尉、「大和」に乗り組んだ当時、22歳であった。
(戦後、日銀重役)
まずこの22歳の若者が書いた文章の、漢文の素養に裏打ちされた美しき文語体に驚かされる。

読みながら、何度か泣いた。

特に、臼淵大尉の以下の言葉は痛烈である。

「進歩のないものは決して勝たない  負けて目ざめることが最上の道だ
日本は進歩ということを軽んじ過ぎた  私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた
敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか  今目覚めずしていつ救われるか  
俺たちはその先導になるのだ   日本の新生にさきがけて散る  まさに本望じゃないか」

学徒動員組と海軍兵学校組との間の「何のために我々は死ぬのか」という論争と殴り合いを収束したという
上の言葉を吐いた臼淵大尉は、当時弱冠21歳である。21歳、今日の21歳の誰がこのような言葉を吐けるか。

日本はたしかに敗れて目覚めた。しかし、その後よりタチの悪い慢心に浸りきった挙句に、現在はすっかり日本人
としての自信と矜持を喪ってしまっている。
また、彼が書いた「私的な潔癖や徳義」にこだわる日本人の姿は既にない。あるのは、「モラルが低い」と世界中
で指弾されても、それを恥としない低道徳の国である。

通勤電車の中で涙した。自分も含め、「申し訳ない」と思った。

 

「戦艦大和ノ最期」は、決して戦争賛美の文学などではない。日本人であれば、否国籍に関係なく、あまねく
読まねばならぬ記録文学作品としての金字塔である。


6月25日(月)   親知らず抜歯

夕方、一本目の親知らずを抜く。45分間と当初予想していたよりも短い時間で抜けたが、グリグリガリガリと、
気持ちのいいもんではない。

あーズキズキ痛む。

 

昼休みに携帯電話をドコモ・ショップに持っていったが、修理には4万円かかるし、機種入れ替えをしたとしても
あと一ヶ月で解約することになるので、その場で解約することとした。

「うーん、すっかり濡れてしまってますねえ」と(水に濡れるとバッテリーの裏側にピンクの印が出るらしい)ドコモ
ショップのお姉さんが、携帯を念入りに調べ始めるのを見て、「それはゲロ吐いた時にトイレに落とした」とはとても
言えず、ただ黙って眺めるばかりであった。

メモリーデータはすべて、藻屑と消える。


6月26日(火)     「感謝の念」

親知らずを抜いた跡から、一日だらだらと血が滲み、つい気になってしまう。気がつくと、舌の先端で糸で縫って
ひきつれた箇所をなぞっていたりする。
こんな小さなものが気になるのだから、人間の体というのは実に繊細なものだ、と妙な感心をする。

 

Fedexで学校のローンの申請書を送付。帰宅後は、VISAの申請書類を作成。
遅々としているようで、やはり少しずつ準備は進んでいるのである。残るは「家の処分と手配」という大物だ。

昨日友人Tさんより、「アメリカ暮らしですぐに役立つ常識集」という本をいただいた。
今日は、嫁さんの友人より現地で使える変圧器をいただき、会社の先輩よりアメリカ仕様の電話機をいただいた。

本当にありがたい限りだ。最近つくづく思うのは、周りの人々のお陰で自分は生かされている、ということである。

MBA友の会のHPの受験体験記で、僕はMBA受験を通じて得たものは、「大切な友人」と「感謝の念」である、
と書いた。上司・同僚・親・兄弟・友人・知人・そして家族、、、、この身は何と多くの人に支えられていること
だろう、と思う。

「感謝の念」はやはりひとつの、困難に立ち向かう強烈なパワーの源だ。僕にとって、「借金の存在」と同じくらい
強烈なパワーの源だ。

必ずご恩はお返しします。

 

さて。
もともとこの日乗はMBA日記っぽくない(まだ始まっていないのだから当たり前か)のではあるが、最近さらに
MBA色が薄れ、「飲み会日記」と化しているのではないか、というナイスなご指摘を今日いただいた(笑)。

しかも、これからさらに「飲み会日記」ぶりはその度を強めそうな気配である。7月13日の最終出社日に向けて
怒涛の送別会が予定されており、このあいだ手帳で数えてみたら(既に終了したものを含め)実に19件もあった。

しかし、本当にありがたい限りです。忙しい中を幹事をやっていただいている方、時間を割いて来ていた
だく方、本当に感謝しています。その恩に報いるべく、まずは超短期的に報いるべく、ガツンといい飲みっぷり
を見せる所存です。

と、いうわけで、「飲み会日記」はあと二週間強つづきます。その後は急速に「MBA色」を強めていくと予想され
ます(たぶん)ので、どうかご容赦ください。


6月27日(水)

大口取引先某社を訪問し、お世話になっている方に退職の件をご報告申し上げた。「送別会をしよう」と言って
いただき、その場で日程を決める。ありがたい限りである。

「これから退職日まで、この案件でいい仕事をしてくれたらトロ、悪ければ鰯しか食わせないからね」と。

何としても、最後の「いい仕事」をして、トロを食うべし。

 

帰社して、デスクで仕事をしていると、某先輩がやってきて、「ちょっと」と呼ぶ。
「申し訳ないけど、ハッシーの送別会に出られなくなったので、挨拶に来た」と言う。詳しく聞くと、「陰嚢外腫瘍」が
見つかったので、入院して手術するとのこと。

驚いた。

送別会でじっくり話ができないのは残念なれど、そんなことよりも。
何としても、手術が無事成功することを祈っています。


6月28日(木)    避難訓練

霞ヶ関ビル岩井診療所ではしかの予防接種を受ける。
「お酒と運動は控えてくださいね」と言われて、思い出した。今日は会社の入っているビルの合同避難訓練が
あるのだった。

避難訓練、これすなわち一階の避難所まで非常階段を使って降りていく、ということである。
ちなみに僕の部署があるのは、17階。もう立派な運動だ。

しかし、出社してみると同じ課の同僚たちが一計をめぐらし、午前中のミーティングを午後一番に移動させていた。
会議時間は午後一時から二時、会議室は地下一階。一方、避難訓練は二時開始、避難場所は一階。
すなわち、地下一階から一階までワンフロアを上がれば済むわけである。策士ナリ。

ところが、一安心したのもつかの間であった。20階にいる某部長さんから、「午後イチでちょっと知恵貸してくれん
か」と電話があったのだ。嫌な予感がしたが、20階に赴く。
そして、予想どおり、ミーティングはきっちり二時までつづいたのであった。
「ミーティングこのままやりましょうか」という提案は、
「何言ってるんだ。避難訓練は大事だ!」という一言であえなく却下。

本来の17階+3階をてくてくと歩いて降りる。膝が笑う。

各社の点呼を取る消防署員が、「マッキンゼーだけ来てません」と言っているのが、なんとなくおかしかった。

 

TUCKのMBA Program Officeからメールあり。
「現地での家は見つかった?万が一見つからなかった時のために、教室にベッドを入れておいた方がよければ
言ってね」

。。。。。アメリカンジョーク??。。。笑うところなのか?

とりあえず笑っていいのかどうか分からなかったため、そこは黙殺し、「苦戦しているから、何かあったら紹介して」
とメールを送ったところ、早速二件物件を紹介してくれた。
素晴らしいサービスである。しかし、なぜ急に?どうして今まではほったらかしだったの?

謎はあるものの、早速家主と交渉開始である。

 

自宅マンションは、色々と考えた結果、やはり売却ではなく賃貸に方向転換することにした。


6月29日(金)     元同僚たちと

3−4年前に同じ課で仕事をしていた三人が壮行会をしてくれることになった。
現在、別の課に異動しているK君、税理士の勉強をしながら某外資コンピューターメーカーに転職したY君、
国内でMBAを取得したのち某ビジネス誌の記者に転じたO嬢、である。

皆スキルが高く、実に楽しく仕事ができた。また四人とも年齢が近かったこともあり、仕事が終わった後などに
しょっちゅう飲みにでかけていたのだった。記憶をなくしたことも数知れず。

今日は、なぜか高田馬場の「ニュー浅草」で、学生サークルに囲まれながら飲む。昔話などをしながら涙を流して
笑う。

O嬢は残念ながら仕事が終わらずに参加できず、三人で終電がなくなるまで飲んだ。


6月30日(土)    テニス部壮行会

テニス部といっても僕がテニスをしていたわけではない。嫁さんの高校時代のテニス部の同級生が、我々夫婦
の壮行会を開いてくれたのだった。
娘を嫁さんの両親に預かってもらって、夫婦で参加する。

会場は原宿のお洒落なイタメシ屋。昨夜の学生のイッキコールで話もできない「ニュー浅草」との落差、甚大である。

男性陣とはすべて初対面ではあったが、終電がなくなるまで楽しくワインを飲んだ。
しかし、こうして見るとやはり共学の学校ってのはいいなあ、などと、男子校出身者としては、つくづく思うのである。

 

今日でついに6月も終わり。あと一ヶ月で渡米である。大丈夫なのか?という感なきにしもあらずであるが、
とりあえず、遅れ馳せながらAccountingの予習を開始した。


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