MBA留学日乗 20018     | 前月へ |    | ホームへ |


8月1日(水)    

午後より歯医者へ出かけ、奥歯の治療を受ける。

自宅にては、段ボール箱に荷物の梱包作業、挨拶状の作成、そして合間に息抜きとして「阪神タイガースの正体」(井上章一)を読んだり、等々である。

野球部の餞別として'85年のタイガース優勝ビデオと共にいただいた本である。タイガースファンとしては、非常に面白い。息抜きなどしている場合ではない、ということは重々承知しつつ、しかし。


8月2日(木)    蔵書とCD

気がつけば離日まであと一週間なのである。

午後から二俣川の免許試験場へ出かけ、国際免許の発行と英文無事故・無違反証明書の申請を行う。これがあるのとないのとでは、自動車保険料が随分違うということであり、なかなか馬鹿にならない。

 

夕方には、我が家のすべての蔵書・CDの類が、段ボール箱に詰められてBook-Offへと送られていった。1000冊を優に超える本と300枚強のCD。よくこんなに読んだな、集めたな、と梱包しながら感心したほどのボリュームである。それぞれに思い入れはあり、正直未練がないわけではないのだが、置いておく場所もないし、また何となくこういったものを捨てきれないでいるということは過去に拘泥していることの象徴であるような気がして、思いきって必要最低限のものを除いてすべて処分した。

ほとんど意味のないこだわりなのだろうが。

再び同じだけの量の本とCDが我が家の書架に収まった時、自分は今とは違う自分になっているのであろうし、この国は今とは違うカタチになっているのであろう、と思う。

青臭い、書生的な感慨なりき。しかし、我向後二年間はまごうかたなき書生なり(笑)。


8月3日(金)    予習

午前中、歯医者へ。

その後、銀行口座の解約、海外旅行保険の契約、種々の引き落とし口座の変更、荷物の梱包、等々に忙しく立ち働く。直前になると少し落ち着いて、友人達と飲む時間などもできるのでは、と考えていたがまったくもって甘い見とおしであった。

 

それはそうと、授業の予習をまったくやっていないことに気付く。せめて会計学・統計学・経済学くらいはざっと自習していくつもりであったのだが、参考書類は机の上に積まれたままで一度も開かれていない。

サマースクール組は、このへんの予習はおさおさ怠りなくやっているであろうに、実に心もとない限りである。

少しく不安だ、などといいつつ、実のところたいして不安にも感じておらず「なるようになるだろう」と高をくくっているからこそ、隙間時間を使って勉強しよう、などという殊勝な行動を起こさないのかもしれない。

このへんの性癖は一回痛い目にあわないと治らないのだろうなあ。


8月4日(土)

あさっての引越しに先立ち、とりあえず引越しの役に立たない二歳の娘が嫁さんの実家に先に出かけていった(といっても一人で出かけたわけではないが)。うきうきした風情で「ばいばーい」と手を振って行かれると、複雑なものがある。

午後にはデジカメやら、安価で良質な日本の衣料品(要はユニクロか)などを買い出しに出かける。夜は知人宅にもらわれていく洗濯機・テレビ・電子レンジなどを次々に運び出す。合間に荷造り作業。

それだけで、何だかどえらく疲れた一日。

 

渡米が近づき、友人が相次いで「頑張ってこいよ」の電話をくれた。ありがたし。本来ならこちらから連絡すべきものを。


8月5日(日)

日本で処分していく冷蔵庫・ソファ等の大物家具等の運び出し作業。筋肉痛。

段ボールと空白が増えていく。そして、家の中にたしかにあった生活臭が急速に消えていく。


8月6日(月)    引越し

午前中、夫婦そろって美容院へ行き、散髪をする。

午後、嫁さんの実家へ向けて引越しである。きびきびとした動きの兄ちゃんたちがあっという間にすべての荷物を運び出して行き、一時間強で、家はもとの箱になってしまった。話し声が壁に反響し、やけに響く。

マンションのちびっこ達、ママさんたちにエントランス前で見送られて我が家を出た。最後はマンション前で記念写真を撮ってもらった。

娘が生まれてから二年間で嫁さんがマンション内に築きあげた「ママさんネットワーク」。ここでも人に恵まれたな、と実感した次第。

夫婦揃って疲労困憊の中、電車に揺られて八王子の嫁さんの実家へ移動する。我が家の荷物で実家は溢れかえっている。本当に申し訳なく思う。


8月7日(火)     食事会

引越し等で疲れきっており、昼前まで寝ていた。

霞ヶ関ビル岩井診療所で予防接種の証明書をもらう。一連の予防接種には健康保険がきかず、しめて3万2千円ナリ。ひー!高すぎるぞ、おい。

シティ・バンクで口座を開設し、トラベラーズ・チェックを作り、歯医者で最後の歯の治療を受ける。

再び八王子へ戻り、夕食。今日は、嫁さんの実家で最後のお食事会をしてくれたのだった。何くれとなく気を使ってもらい、感謝の念しかない。


8月8日(水)     渡米前日

夕方、成田エキスプレスで成田のホテルに入る。実家の両親が出発前日は前泊してゆっくり晩飯でも食おう、と誘ってくれたのであった。

夕食をとった後、ラウンジ、そして部屋で飲む。皆が寝た後も、父親と二人部屋で飲んだ。久しぶりに色々と話をした。


8月9日(木)     渡米の日

いよいよ渡米の日である。

嫁さんの実家の家族も空港まで見送りに来てくれ、何だか照れくさくなるような大人数の見送りを受けて、飛行機に乗りこんだ。

成田からボストンまで、途中ニューヨークのJFK空港での乗り継ぎも含めて計16時間の長旅である。
二歳の娘が機内でずっと大人しくしているとも思えず、戦々恐々としていた。「泣きわめき」も一・二度はあるのではないか、と。が、実際は近くの座席の黒人の女の子とバービー人形で遊んでいたりして、幸いにも覚悟していたような事態には陥らずに済んだ。それでも、ほとんど眠れなかったが。

 

今回生まれて初めて足を踏み入れた米国の地。これから、最短でも来夏のサマーインターンまでは米国に滞在するわけである。しかし、実際のところ、今回がそれほど長い滞在なのだという実感はまるでないのだった。なんというか、まるで一週間かそころの小旅行のために来たような気がしているのだ。

その一方で、矛盾するようであるが、これから始まる二年間のビジネス・スクール生活を控え、プレッシャーを確かに感じているのも事実である。

MBAのハードなカリキュラムを無事こなしていけるのか。優秀な人間の集まるTUCKで、落ちこぼれることなくやっていけるのか。自分の英語力で果たして戦えるのか。。。
言葉にするとしたら、そのような言葉になるであろう不安を、明確なものではないにしても、漠とした澱のようなかたちで心の底で感じている。

ようやく待ち望んだMBA生活が始まる、という高揚と期待感。そして、一方では確かに存在するプレッシャー。

 

しかし、長旅を終えてボストンのホテルの入った時には、もうあまりにも疲れきっており、期待もプレッシャーもなく、あるのはただ一刻も早くベッドに入りたい、ということだけであった。

記念すべき米国滞在一日目は、こんな一日だった。


8月10日(金)    衝撃のあばら家

ボストンからバスに揺られてハノーバーの隣町であるレバノンに入る。ダートマス大学はハノーバーにあるのだが、僕が住むのはレバノンなのであった。

レンタカーを借り、不動産屋へ。今日電話をすると伝えてあったのに、何度電話をかけても留守電だったため、住所から探し当てて直接出向いていったのだ。
ちゃっかり在宅していやがった。「在宅」。つまり、不動産屋といっても普通の民家である。

おばはんが裸足で(何で裸足なんだよ)路上に出てきて、「はい鍵」と渡す。あとは勝手に探し当てていけ、というスタイル。

 

よく分からない地図を頼りにアパートを探し当てたのだが、これが衝撃的なボロさであった。だいたい、ドアがベニヤ板に毛の生えたようなドアなのだ。さらに、どう見ても建物が傾いている(入口の階段の下に隙間が空いているので一目瞭然)。ビー玉を置くと転がるとかいうレベルではない。部屋を歩いていて体がふらつく。床が波打っている感じである。
また、家じゅうほこりだらけであり、くもの巣もあちこちにあり、虫がいっぱい死んでおり、えもいえぬ芳香(笑)が漂っており、窓はほとんどすべて壊れており、ドアの一部は建てつけが悪くうまく開かない。

まさに「あばら家」。

部屋に入った瞬間、夫婦揃って、「こ、これは。。。」と言ったきり、絶句であった(笑)。

とてもベッドを運び込んで眠れるような状態ではなく、とりあえずモールで大掃除用具一式を買いこんで家に放り込み、今日もホテルに泊まったのだった。ホテルの部屋もどこも空いておらず、7軒目でようやく空きが見つかりチェックインしたのは夜12時前。

慣れない環境であちこち連れまわされ、ぐずる娘が不憫でならぬ。

 

時間に追われ、大学の担当者の下見と写真だけで一年間の契約を結んだことを激しく後悔する。既に契約書にはサインはしているものの、解約に向けて交渉をすることにした。

 

家族揃って相当ブルーになった現地での生活のスタートである。これはかなり鍛えられそうではあるが。


8月11日(土)    とりあえず入居

朝早くから部屋の大掃除を敢行する。床にカーペットを敷き、キッチンにビニールシートを敷き、汚れた床を覆い隠していく。

とりあえず寝場所だけは確保せねば、と家具屋に出向き、"FUTON"なるものを購入(要はソファベッド)。何とか"FUTON"のフレームを組みたて、3日連続のホテル生活は回避できた。

とりあえずあばら家での生活が始まることになった。


8月12日(日)    近隣の住人

ハノーバー・レバノンなどを含むアッパーバレー地区は、リタイアした老人など比較的裕福な住人が多いそうであるが、我々一家の住むアパートメントのエリアは、相対的にはやや低所得層に属する人々が住んでいるようだ。

我が家の上の部屋には、2歳から7歳までの四人兄弟を持つ一家が住んでいる。(両親ともに100kgを超えているのではないか。旦那の方は上半身刺青だらけでプロレスラーのバンバンビガロそっくり。ちょっとこわい)斜め上には、1歳のかわいい女の子を持つブラジル人ジュリオ夫妻。
そして、向かいのアパートメントには、中国から来たダートマスのコンピュータサイエンスPhD(博士)学生。故郷ではさぞかしエリートなのだろう。

彼らと話していて感じるのは、皆このあばら家にさほど不満も覚えていないのね、ということだ。我々日本人は、皆清潔な家に住んでいるため、甘やかされているのだろうか。いや、何もサッシ窓の遮音のしっかりした新しい家に住みたい、というわけではなく、ただ床の平らな家に住みたいだけなのだが。

少し考えてしまった。

 

モールで買って来たダイニングテーブル・勉強机を組みたてていたら夜中であった。


8月13日(月)    それでもオリエンテーションは始まる

連日ばたばたと立ち働いていたが、まだまだセットアップは完了しない。それでも、オリエンテーションは今日から始まるのだった。

今日から始まるのは、インターナショナルオリエンテーションであり、外国人留学生向けのものである。出席者は14人。日本5人、ロシア4人、ペルー2人、インド1人、イスラエル1人、アルゼンチン1人、である。基本的にはアメリカでの生活になじみのない人間を対象としているプログラムであるからして、つまり英語が不得手な学生が集まっているはずなのだが、「不得手」というのにも色々とレベルがあるもんですなあ、という感をもたされた。
僕などから見れば、彼らのほとんどは発音に若干のなまりはあれど、アメリカ人とほとんど変わりのない英語をしゃべっているように思えるのである。

6時過ぎにオリエンテーション終了後、モールへの買い出し、コインランドリーでの洗濯、明日の宿題、などをやっていると気がついたら午前2時過ぎであった。明日は7時半から開始である。


8月14日(火)    野茂対イチロー

夜、メディカルスクール・エンジニアリングスクールなどダートマス大学の他学部に来ている日本人が集まって、レッドソックス対マリナーズの試合をテレビ観戦する企画があるというので、Tuckの同級生Tさんと一緒に参加させてもらった。我が家族も一緒である。

特大のスクリーンで野茂とイチローの対決を見ながら、当地での生活について色々と情報をもらう。娘も皆に遊んでもらって、ご機嫌である。

実に久しぶりの息抜きであった。


8月15日(水)    車

相変わらず、授業でのフリーディスカッションでは苦戦がつづく。たまにプログラムに入るプレゼンは、自由に自分のペースでしゃべらせてもらえるため、実に嬉しい。

午後フリー時間ができたので、ようやく銀行口座を開設。ひきつづき、近辺のディーラーをまわり、車を物色した。一軒目の日産ディーラーでは、程度の悪い車を高く売りつけようとするでぶちんセールスマンに閉口する。

中古車市場がけた外れに大きいアメリカでも、ここニューハンプシャー州の市場は小さいようで、程度が良くて安価なものはほとんどない。たまに出てきてもあっという間に売れてしまうようである(昨日もホンダシビックの6年落ちの$7,000の中古車の価格交渉を始めた瞬間に先に商談していたおっさんに売れてしまった)。日本車であれば、ミッドサイズの走行距離5万キロの車でもまず$10,000は下らない。

結局本日二軒目のホンダのディーラーでシビックの二年間のリース契約を結ぶことにした。

 

その後モールで厚めの布団などを購入して帰宅。昼間はさすがに暑いが、朝は8月とは思えないほど冷え込むのだった。ここ数日震えながら目覚めていたのだが、これで安心して眠れる。

 

家の件の交渉はなかなかハード。しかし、引き続き継続中である。

 

8月10日の日記を読んで、心配した何人かの方からありがたい励ましのメールをいただきました。ばたばたしており、返事を書けなくてすいません。感謝しています。


8月16日(木)    高速道路でエンコ

授業が終わってから、車探しをしている日本人とイスラエル人の同級生をディーラーまで送っていく。彼らが商談をしている間、少し買い物をしようと高速道路を走っていたところ、車が突然ノッキングをし始め、間もなくスローダウンしてウンともスンともいわなくなった。

しかたなく路肩に停めるが、出口まではまだ相当の距離があるし、緊急用電話などという便利なものはない。もちろん携帯電話などという文明の利器は持っていない。路肩に停めた車のすぐ脇を猛スピードで車がかすめていく。

さて、どうしたもんか、と思案にくれたが、やはりどうしようもなく、出口に向かっててくてく歩きはじめたところで、品のいいおっさんの乗った車が「どうしたんだ?」と停まってくれた。訳を話したところ、レッカー業者のところまで乗せていってくれる。

両腕いっぱいに刺青をしたレッカー業者のおっさんが、手際良く車をトラックに載せ、レンタカー業者まで運んでいったが、業者は既に営業時間が終了した後であった。やむをえず車だけ駐車場に置いて、レッカー車に乗って帰宅した。

まだ明るいうちだったから良かったものの、夜だったら大変なところだ。こんなおんぼろ車を貸しているレンタカー会社にも頭にきたが、親切に停まってくれたおっさんには感謝である。

 

ところで、夜、風呂上りの娘をタオルで拭いていると、ドアをドンドン叩く奴がいる。「何奴か?」と思っていると、「Police Officer」の声。「二階の方で叫び声が聞こえたらしいので来たんだが、何か変わったことはなかったか?」と言う。一瞬二階のバンバンビガロが何かやらかしたか、と思ったが、幸い通報者の勘違いのようであった。

このへんのエリアは極めて治安が良く、日々の生活でもそのことを実感していたが(駐車中の車の窓が全開で中にバッグが置いている、などということもよくあり。深夜にウォークマンを聞きながら女性が一人でジョギングしているのも既に数回見た。どちらも今の東京では危険なのでは?)、さすがに警察官にドアをドンドンやられると、「やはりここはアメリカぞかし」という感あり。


8月17日(金)    オリエンテーション終了

午前中、レンタカー会社の人間を呼んで、昨日のてんまつを話したところ、原因はガス欠だったと言う。「そんな馬鹿なことはない。昨日はたしかに4分の1のところを示していた。もしガス欠だとしたらインジケーターが壊れているんだ。インジケーターが壊れているのはそちらのミスであってこちらの問題ではない」と言い張るが、「インジケータには問題なかった」と言いやがる。
その場で確認したインジケーターはたしかに「E」を示している。その後ガソリンを入れると車はちゃんと走った。こうなると、こちらとしてはどうにも証明しようがない。

挙句の果ては、「アメリカではだいたい4分の1までガソリンが減ったら皆ガソリンを入れる。アメリカのインジケータはあんたが考えているほど正確じゃないんだ」と開き直りやがった。そんなアホな(笑)。

それでも、色々と文句を言っていると、しぶしぶ20ドル弱のディスカウントを提示してきた。これではレッカー代にも足りないが。

 

家の方は、結局不動産屋が意外にもあっさりと中途解約に合意してくれた。しかも違約金も必要なし、という好条件である。Tuckの事務局のエイミー(美人)に聞いたところによると、不動産屋は我々夫婦のことを「何ていい連中なんだ!」と言っていたとのこと。しかし、文句を言われこそすれ、そんなことを言われる覚えはまったくないのだけどなあ(単なる皮肉だったりして)。

とにかく、あとは新しい住居を見つけることのみ。大学のハウジング・オフィスに日参して、カウンター越しにひたすら訴える日々である。

 

本日でインターナショナルオリエンテーションも終了。夕方は、家族も呼んでのパーティである。アメリカのサービスの質は低いが、Tuckの人間は、とにかくSupportiveでFirendlyである。

我々一家がテーブルで一緒になったのは、ガーナ出身の一家。ロシアでエンジニアリングの修士を取り、アメリカで7年エンジニアとして働いたというダンナのパトリックは、非常に優秀そうである。うちの娘は、初めて間近に接するパトリックの顔の黒さに少しびびっていたが、最後はだいぶなついていた。


8月18日(土)    リースの審査はねられる

午前中、カーディーラーへ出向くが、ホンダシビックのリースの承認が下りなかったとのこと。やはり、僕がプー太郎であることを銀行がよしとしなかったらしい。セールスマンは、「無職でもTUCKの学生だといえば、このあたりでは何の問題もないですよ」と言いきっていただけに申し訳なさそうである。

結局、代替策として、日産セントラ(サニー)の中古車を購入することに。リースがうまくいかなったので、特別に安くしてくれることになった。

私費留学生の皆さん、リースははねられることがありますので気をつけましょう。

 

午後は日本人同級生の買い物につきあって、トラックを借りてモールを回る。

そして夜は、同期の日本人学生の家で一年生と二年生の一部が集まってパーティーである。優秀かつ魅力的な学生達なり。おにぎり、味噌汁などをご馳走になり、夜中の12過ぎまで長居してしまった。


8月19日(日)

腕がひりひりするような熱さ。しかし空気が乾燥しており、木陰には心地良い風が吹いている。午前中は娘を連れて公園の木陰で遊ぶ。

午後大学の近くで二年間使用するIBMのThink Padをピックアップする。日本にいる間に半分のデポジットを払っており、残りは現物と引き換えに、ということになっていたので残額を払おうとすると、「あなたのはもう全部もらっていますよ」とのこと。聞くと、関係のない学生にうっかりチャージしてしまったらしい。

最近ようやく何事もすんなりことが運ばないことに慣れてきた。この点、日本という国は本当にたいしたものである。


8月20日(月)     Pre Enrollment Program

今日からPre Enrollment Programのスタートである。ファイナンス・統計などにFocusしたいわば「補習」的なプログラムだ。

先週のインターナショナルオリエンテーションと違い、出席者の大半がアメリカ人。つまり、教授のトークは極めて「ナチュラル」なスピードで繰り広げられる。すなわち僕にとっては、かなり厳しいということである。

問題の内容等はあまりたいしたことないのであるが、細かい指示がよく聞き取れなかったりするのだ。日本語なら楽勝の内容なのだが。。。などということを、よく考えると去年の今頃も友人に言っていたような気がする。「GMATなんか日本語で書いてあれば満点だよな」などと。

ええ、そうですとも。そんなことは単なる言い訳に他なりません。アメリカに英語でMBAを取りに来ておきながら、今更何言ってけつかんねん、ということです。頑張りましょう。

 

深夜。雨である。
軒を叩く雨の音が、尋常ならざるうるささである。昼間などはかみさんは、「ああ、雷が鳴ってる」と思ったらしい。
バラックかよ、おい。


8月21日(火)      引越し先決定

朝、嫁さんの叫び声で目覚める。あまりあることではない(笑)。大学のハウジングオフィスからのメールを読んだらしい。

現在のぼろ家を出ていくことを決心して以降、大学所有の住宅("Sachem Village(セイチャム ビレッジ)"という)への入居を目指して、大学のハウジングオフィスに日参&メール攻撃をしかけていたのだが、ここしばらくハウジングオフィスの責任者であるドナが不在で、なかなか要領を得ない対応がつづいていた。

そして、ようやく今日バカンスから帰ってきたドナから「やはり空きはありません」というつれないメールが届いたわけである。

 

いきなり凹む目覚めではあったが、昼休みに直接ドナと話をしようと気を取りなおし、とにかく学校へ向かう。

そもそも僕は5月にSachemに申し込んでいた。そして、6月に「抽選に外れました。でもウェイティング・リストにのせておきます」という案内がきたのである。しかし、先週ハウジングオフィスでウェイトリストのハードコピーを見せてもらったが、どこにも僕の名前は載っていなかった。明らかに先方のうっかりミスである。ドナの部下も、「やっちゃったわね。でも、私じゃないのよ。ドナが忘れたのよ。私知らないから」と言ったものだ。

そして、昼休み。
思いきり戦闘態勢でハウジングオフィスのドアを開けた僕は、満面に笑みを浮かべたドナに出迎えられた。「たった今、キャンセルがでたのよ。よかったわね。入居する?」。入居するに決まっている。

拍子抜けだったが、あっさりと引越し先が決定した。考えられうる限りベストなソリューションである。現在のあばら家$750/月に対してSachem Village$575/月。近隣の相場から言えば半分近い賃料だ。しかも住環境、家の質(きれいさ)、学校へのアクセス、すべてにおいて優っているのだから、文句のつけようがない。

入居が秋学期本番開始後の9月初旬まで不可能なのはあまり好ましくないが、もちろんそんなぜいたくは言うつもりもありませぬ。

 

夕方、ディーラーにて中古車納車。これまた$5,500の破格の値段である(海外送金口座登録がまだ出来ていない僕はキャッシュで払えないためここでもひと悶着あったのだが、とりあえず今週中に持ってくるから、ということで無事納車)。

ちょうど、同期の某さんがホンダCRVの納車に来ていた。これから買い物にいくという彼を見送っていると、公道へ出る前の道でなぜかおもむろにバック。真後ろにはディーラーのセールスマンの乗った車。「Hey!!!Hey!!!」という悲痛な叫び声とクラクションの音。。。ガツン!哀れセールスマン氏の車のボンネットは折れ曲がってしまったが、同期某さんは気付かなかったのか、そのまま走り去っていった。

「あーあ。きっとシフトに慣れてなくて、後ろに車がいるのにも気付かなかったんだね。しょうがない」とセールスマン氏。
いい奴だな、あんた。


8月22日(水)     自動車保険

昼休みを利用して、保険会社へ出向き自動車保険の契約をする。一年間で$870の保険料。

日本と違ってアメリカでは一般にディーラーが保険代理店業務を行なわないため、納車してから実際に保険契約を結ぶまでの間にタイムラグが発生する。すなわち、保険会社へ向かうまでの間は無保険だったりするわけだ(僕の場合は、その点に懸念を表明したら、どういうわけかサインもしていないのに既に保険に加入していることにしてくれた。もっとも、契約書もないのにいざというとき本当に保険金を払ってくれたかどうかは謎である)。

保険契約書にサインをしにいく途中に人をはねでもしたら、それこそシャレにもならない。もはやMBA留学どころの話ではなくなるので、他の国からの留学生たちも、無保険で保険会社へと向かうドライブは、かなり緊張していた。

 

嫁さんが主として日本の知人への近況報告用にホームページを立ち上げた。写真などをふんだんに取りこんで、ずいぶん生意気な凝ったつくりのホームページになっているようである。まっしろな牛乳のようなHPを持つ僕としては、何となく悔しい。
(ちなみに嫁さんのHPでは我が家は随分小綺麗なアパートに見えます。デジカメ写真のマジックを感じます)


8月23日(木)    車の登録とパーティー

本日も昼休みを利用して車の登録へ。こちらの車の登録はディーラーが封印業務を行なう日本と違い、各自が役所へ出向いて勝手に行なうスタイルだ。(それにしても、保険代理店もやらない、登録代行もしない、ではこっちのディーラーは付帯収益取れまへんなあ)

LebanonのCity Hallで車を登録したい旨告げると、おばちゃんが奥へ行ってごそごそとナンバープレートを引っ張り出し、「はい。あんたのプレートね」と渡してくれた。その場で支払いをして、それで完了である。登録料は$70強。

こんなことはアメリカに住みなれた人間から見れば珍しくもなんともないのだろうが、初のアメリカ生活である僕からすれば、こんな取るに足らないようなことひとつであっても、「ほほう。そうくるか。ほー、それでもう終わりですか。」と興味深くてしかたがないのであった。

 

授業終了後、スティーブ・ウィリアムスそっくりのビルから借りたショートフィルム「おはぎ(Bean Cake)」のビデオを寮のテレビを借りて同級生と観る。松田聖子の娘が出ている例の奴である。たしかに、アメリカ人がこれを撮った、ということは驚きなり。

夜は、Sachem Villageで、Pre-Enrollment Program主体のバーベキュー・パーティー。小さな子供が10人以上いて、大騒ぎであった。

パーティーで知り合ったブラジル人のビル(またビルか)曰く。
「いやあ、Tuckのローンってありがたいよ。金利低いもんね。たった7−8%だろ。ブラジルで借りようかと思ったけど年利100%超えてるからね」

。。。当ローン、小生も借りておりますが、金利の高さにぶーぶー言っております。

ブラジルの通貨レアルの対ドル価値がこの半年で急落したため、預金をドル転するタイミングを逸してしまい、このままではとても二年間の生活費をまかなえそうにない、と頭を悩ませているビル。
今更ながら、5−6円の為替の変動で一喜一憂している我々は、世界でも極めて稀なる経済大国の国民なのだ、ということを思う。


8月24日(金)    Pre-enrollment Program終了

本日でPre-enrollment Programが終了。正直、中盤以降はかなり退屈になっていた。

昼休み、Financial Aid Officeに行ったり、Health Care Officeに言ったりしている間に今日も時間がなくなり、食堂で5分で昼食を取っていると、先週のインターナショナルオリエンテーションに一緒に参加していたインド人のビシャールがランチにやって来た。現在Pre-enrollに出ているんだ、と言うと、「ホワーーーイ!!」とホールじゅうに響き渡る声で聞かれる。この時、一時半。

プログラム終了後、食堂の前を通りかかると、皿の上に大きなケーキを載せてにこにこしながら歩いているビシャールが見えた。「いいねー。ティータイム?」と声をかけると、「いや。さっきディナー食った」と言う。まだ5時である。「どうもアメリカナイズされてきたみたいで、胃が大きくなったみたいなんだ」つい先週アメリカの料理のボリュームを批判していたくせに、人の順応力というのは恐ろしいものだ。近頃気がついたら一日一回はハンバーガーを食い、一日一本はコーラを飲んでいる我が身を振りかえり、順応もほどほどにせねば、と誓うのであった。
肝心の英語の方はなかなか順応してくれないのであるが。


8月25日(土)    リス

久しぶりの休日。

ディーラーへ出向き、登録時インスペクションをし、大学へ。お気づきかと思いますが、このHPのトップページに掲載したTuckの写真を撮りに行ったのです。

娘には、「リスさんと遊びに行こうね」と言って一緒に連れていったのだが、肝心のリスは昼間の暑さのため、皆穴の中に入ってシエスタをしているようで、会えずじまいあった。
大学構内には実にリスが多い。気をつけないとこれは轢いてしまうな、と思いながら走っていると、哀れ既に轢かれて「リス煎餅」と化した仏さんがTuckの前の路上に横たわっていらっしゃった。心の中で合掌。

夜は、最後にハノーバー入りした同級生と一緒に大学の近くの店で夕食。


8月26日(日)     環境保護後進国

明日から全一年生が参加してのオリエンテーションが始まる。そして、その次の週からいよいよ秋学期本番が始まるわけである。二年間のMBA生活の中でも、格段にハードとされる秋学期。

今日行なわれたRegistrationで列の前後に並んだ学生と話していても、迫りくる秋学期のワークロードに慄きつつも、皆一様に入れこんでいる。

 

さて、今日種々の受付をしていてもそうであったのだが、アメリカの冷房のかけかたは異常なほどである。外はTシャツ・短パンで過ごせる陽気なのに、部屋の中は冷房のかけすぎで、長袖やトレーナーがかかせない。スーパーマーケットなどの冷房もはっきり言って異常である。娘を連れて行く時は、「防寒対策」をしていかないと、大変だ。

アホですか?「適度」という言葉を知らんのですか、あなたがたは?

これは、夏の冷房に限ったことでなく、冬の暖房も当地の日本人に言わせると、「やりすぎ」だそうである。
アメリカ人の一人あたりエネルギー消費量は、ずば抜けているが(石油消費量換算:米国8.01トン/人、独4.23、日4.08、英3.86)、単に無駄使いしてるだけじゃないか、と思うと実に腹立たしい限り。

燃費の悪い車、過剰な冷暖房、リサイクル意識の低さ、、、ここはまぎれもない環境保護後進国だ。

(しかし、教室の中で我々が長袖シャツで鼻をずるずるいわせている中で、アメリカ人(特に白人)がノースリーブで平然としているのを見ると、やはり「人種が違う」、と思わざるをえないのだった。)


8月27日(月)     スタディグループ決定

今日からオリエンテーションが始まった。これからしばらく付き合うことになるスタディ・グループのメンバーが発表になる。

我がグループは全部で5人。アメリカ人3名、日本人2名である。同じスタディ・グループに同じ国のインターナショナル・スチューデントが所属することは原則ないと聞いていたので、驚きの結果であった。

アメリカ人は、先日"Bean Cake"を借りたスティーブ・ウィリアムス似のビル(ハーバード出)、ちょっとおばさんぽいポーラ(ペン大出)、金髪で「ビバヒル」のクレアにやや似のリーア(ジョージタウン出)。アメリカ人はたまたま三人ともファイナンス関係のバックグラウンドである。

日本人は、アメリカの大学を出て(そのため、"日本人"としてカウントされていないのかも)、JPモルガン→ゴールドマンサックスで働いていたT内氏、そして僕である。

午前中からいくつかのグループセッションを行なったが、皆、非常に優秀なり。また、5人中3人がパートナーを持っていることから、「ファミリーと過ごすために、最低週に一日はグループワークのない日を作ろう」など、ありがたいルールを決めることができた。これからしばらくは彼らと最も長い時間を過ごすわけだ。

しかし、それにしても、彼らネイティブ・スピーカーの口語的表現を聞き取るのは僕にとって非常に難しいことである。スピーキングも問題大有り、リーディングもしかり、ライティングなど何をかいわんや、であるが、リスニング力のなさは、授業・グループワーク・日常会話すべてに関連するため、極めて緊急性が高い。

 

夜は近隣の町のピザ屋で、家族同伴でいくつかのグループ合同で食事。子供がまたぐずるが、皆子供に対して好意的な連中ばかりであり(同じ年頃の子供を持つ学生が多いこともあるが)、非常に助かる。


8月28日(火)     山登り

午前中のBusiness Ethicsの授業は、昨晩遅くまで二時間もかけてケースを読んだのに、そのケースをまったく使わず肩透かしをくらう。しかし、1ケース(をただ読むだけのため)に二時間もかかるかね、普通。

午後は、「山登り」、である。皆でバスに1時間強揺られ、ニューハンプシャー州を北上し、"Mt.Moosilauke"へ向かう。

山登りの概要については、まったく事前に知らされておらず、「まあ軽く小1時間くらい登れば頂上じゃないか」などと話しながら登り始めてみたら、さにあらず、登頂までに三時間もかかってしまった。山頂の表示を見ると4800フィートもある。植生はすっかり高山植物であり、寒風がびゅーびゅー吹きすさんでいる。まったく、こんな高い山に登るなんて、聞いてないよ、だ。

山頂で震えているのは、水を持ってきていない奴、Tシャツ1枚の奴、革靴の奴(僕のことだ)、などなど準備不足を絵に描いたようなTUCK生とその家族。特に、ちょっとしたハイキング気分で連れてこられて、いきなりこんな山に登らされた奥様方にはお気の毒なことであった。

この実にアバウトな事前インフォメーション、さすがアメリカ、である。

Mt.Moosilauke山頂の荒漠たる風景】(記念すべき写真第1号がこれか?)


8月29日(水)     初のプレゼン

朝、スタディグループのメンバーで早めに集まり、授業前にディスカッションをする。朝一番の"Business Ethics"の授業で、「グループのメンバーそれぞれの"Ethical Dilemma(倫理的ジレンマ)"についてディスカッションし、誰か一人が代表してプレゼンすること"という課題が出ていたのだ。これがなかなか難しく、あまり面白すぎる例を出すと、「それは面白い。おまえプレゼンやれ」となるし(正直申しまして、現下の英語力でぶっつけのプレゼンはきついです)、あまりつまらなすぎると舐められる。ということで、その中庸あたりを狙い「ほどよいカード」を出したつもりであった。しかし、どうしたわけか、アメリカ人にはそのストーリーが面白かったらしく「ヒロシの体験が一番興味深い。プレゼンはこれでいこう」ということに、全員一致(除く私)で決まってしまった。

授業は、挙手した者から順番にプレゼンしていくスタイルである。8時から9時半まで90分間の授業に対し、クラス(約60名)内のグループ数は計12。各プレゼン毎に質疑応答と教授のコメントなどを含めると15分前後はかかっており、とても12グループ全部がプレゼンすることは無理であることは授業が始まってすぐに分かった。とりあえず、挙手をせずに時が過ぎるのを待つ事にする(笑)。

しかし、残り30分くらいになったあたりで、「このまま終わったら朝のディスカッションは無駄になるな」とふと思った。そういえばグループのメンバーの視線(やっぱり手を挙げないのかヒロシ?そうなのかヒロシ?)を感じるぞ。どうせ英語が下手なことはそのうちクラスじゅうにばれるのだから、ここはいっちょ恥をかいとくべきじゃないか。。。そこで急遽方針を変換することにし、手を挙げ始める。残り5分になってようやく教授が指名してくれた。

プレゼンは拙い英語で何とか行なった。とりあえず笑い(つかみ)も入れる。

 

授業が終わったあと、教授が席まで来て、「君のプレゼンには非常にimpressされた。言葉の問題のないアメリカ人でも最初の授業で手をあげて前に出るのは怖いものだ。ましてや君のように英語の問題のある学生にとっては、さぞかし勇気がいっただろう。内容も素晴らしかった。Good Contributionをありがとう」と言ってくれる。

いや、そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、そこまで僕の英語ってひどかったのか?(ひどかったんだろうな)早く当たり前に発言できるようになりたいものだ。

面白かったのは、僕のプレゼンの内容について、@会社の方針に逆らっても自分の価値観に従うべき(理想論)、A会社の方針に従い、多少のジレンマは我慢すべき(現実論)、の意見を取ったところ、60名中わずか3名しか@の理想論に与しなかったことだ。アメリカ人などは特に理想主義者が多いと思っていたのだが、おそらく全員が実際のビジネス経験を持っているビジネス・スクールならでは、なのだろう。学部生の意見を聞いたらもっと理想主義者が多いのかもしれぬ。

 

午後は、"Day of Service"と銘打ち、老人ホームに行ってのペンキ塗りのボランティアをする。これもまた楽し。


8月30日(木)     バーベキュー

秋学期の教科書一式を購入する。五冊でしめて約300ドル。教科書代も結構バカになりません。

 

今日の夕食は、TUCKの校舎前のスペースでのバーベキューパーティー。
月曜日はスタディグループディナー、火曜日は山小屋でバーベキュー、水曜日は「アラムナイホール(卒業生会館)」でディナー、今日はバーベキュー、明日もジャズバンドが入ってのディナーの後、パブでパーティー。。。と、毎日何かしらイベントが入っている。ほとんどのイベントが家族同伴ウェルカムなので、同級生のパートナーや子供の知り合いも増えてきた。

渡米後、毎日のようにパーティーに出て日本のそれとの違いを感じることは数多くあるが、今日感じたことは、「アメリカ人はやはり沈黙がお嫌い」ということと、「日本人以外はあまり食事に蝿がたかっていても気にしない」ということであった。
ニューハンプシャー州が特別なのか、アメリカ全般でそうなのか分からないが、とにかく当地は蝿が多い。屋外はもとより教室、自宅、コインランドリー、スーパーからレストランに至るまで常に蝿がいる。今日のバーベキューでもパンや食事に蝿が頻繁にとまっているのだが、アメリカ人などは蝿を軽く追い払うとそのまま涼しい顔で食事をトレイに載せて去っていく。
日本で、レストランで食事に蝿がたかっていたり食品スーパーでパンに蝿がたかっているたりすれば、客から「どういう衛生管理をしとんじゃ、われ!」と怒鳴られること必定であろうが、こちらではごく当たり前のこと(のよう)である。そういえば、日本ではすっかる見ることのなくなった「蝿叩き」がWal-martにはたくさん売られていた。

現地生活初日に食事したマクドナルドで、店内を蝿が飛びまわり、床に落ちたキャンディーに蟻がたかっている(のに店員は掃除しようともしない)のを見て、「まったくなんちゅう国じゃ」と怒りにも似た感情を抱いたが、最近その点に関しては完全に慣れてしまった自分に気付く。しかし、この種の順応は、悪いものではない。

【パーティーで歓談した同級生達(の子供)。ちなみに左の女の子のブロンドヘアーは自毛ではなく、僕が持参したヅラである。
大学の図書館前の芝生をこのヅラをかぶって歩いていたら、「Hey!Look at him!」と家族連れの母親に爆笑しながら言われた。なぜヅラだとバレたんだ?】


8月31日(金)    入学式

オリエンテーションも今日で終了、いよいよ週明けからはFall Termが始まる。

今日はオリエンテーションの一環としてTuck Class of 2003の入学式が行われた。しかし、入学式といっても特に格別な感慨があるわけでもない。全世界から学生の家族が集まる一大イベントの卒業式に比べるとまったく重きを置かれていないらしく、実にあっさりしたものだった。こちらも退屈なDeanの話につい舟を漕いでしまったほどだ。

入学式後は、またも校舎前の広場でディナー。犬やら子供やらが入り乱れ、大変な賑わいようである。大学側が用意したジャズバンドの演奏なんざ、誰も聞いちゃいない。(ところで、Tuckには本当に犬が多く出入りしています。犬好きの僕にとっては、たまりません。この、Tuckの持つ"Dog Policy"についてはまた後日詳述します)

今日は主として韓国人留学生たちと盛り上がった。やはり彼らはメンタリティが我々と近く(日本に住んでいた時は一度も感じたことがなかったのだが)、他の国の学生たちよりも打ち解け合うのが早い。くだらん話だが、ギャグセンスも近い。アメリカ人の程度の低いジョークは、我々高度な笑いのセンスを持つ日本人にはまったく笑えないものが多いが、韓国人のジョークには腹を抱えて笑わされる。もちろん、頭脳の方も極めて明晰な連中である。

僕から見た打ち解けやすさ: アメリカ人<インターナショナル(アジア以外)<アジア系(韓国以外)<韓国人

[韓国人同級生の子供たちとたたずむうちの娘(どれでしょう)]

来週月曜日はLabor Dayで休日なので、週末は三連休である。本番開始を前に最後の休日を楽しもうと、さまざまな企画が目白押しである。当然三日とも予定は埋まってしまった。


  | ホームへ |      | 翌月へ |