MBA留学日乗 20019     | 前月へ |    | ホームへ |


9月1日(土)    コリアン・パーティー

早くも9月に入った。と同時に秋がやってきたようである。夜はしんしんと冷え込み、ウィンドブレーカーを着ていても外に立っているのがつらいほどだ。

いまだ完全に生活のセットアップが完了していない我が家は、今日もウォルマートなどでテレビ・ビデオ・本棚・アイロン台など大物をいくつも買い込んできた。車の中はモノであふれかえり、トランクは開けたままで後ろも見えぬほどである。

貧乏学生の僕にとってテレビなどはぜいたく品である。必要なし!と当初思っていたが、やはり娘の大好きな「しまじろう」のビデオや当地の幼児番組を見せてやれないのもかわいそうだし、何よりこちらのテレビはキャプション(字幕)がつくので英語上達にはうってつけではないか、と自分に言い訳をして、結局買うことにしたのである。

 

夜はSachem Villageの韓国人デ・サク宅前の広場で、韓国人学生主催のコリアンバーベキューパーティーである。毎日ホットドックやハンバーガーばかり食べて味蕾が破壊されつつある僕の舌にとって、つかの間の慈雨である。やはりアジアンフードはうまい。

さまざまな国籍の一年生・二年生に、これからビジネス・スクールを受けるアメリカ人も何人か参加しており、楽しい宴であった。こうなると流れ的に次は「ジャパニーズフードパーティー」でお返しせねばなるまい。

ちなみに、Tuckの今年の一年生のうち純粋な韓国人は2人だけ(韓国銀行からの派遣一名・私費一名)。しかし、コリアンアメリカンが8名おり、彼らを含めると韓国勢一大勢力である(日本人は12名なのでそれ以上だが)。
コリアンアメリカンの一人、ポールがNYの自宅から今度レーザーカラオケの機械をハノーバーに持ち込むことが分かり、カラオケパーティーをする話で盛り上がったが、果たしてワークロードのピークと就職活動のピークとが重なる秋学期にカラオケパーティーをするような余裕があるのかどうかについては、誰もあえて言及しないのだった。


9月2日(日)    焼肉パーティー

同級生Kさん夫妻宅で、日本人一年生が主体の焼肉パーティー。山の中の一軒家で、裏庭はピッチングウェッジの練習ができるほどの広さ。空は抜けるような青空。食事はこの近辺の店では味わうことのできないほどの美味。あまりに心地よく、正午過ぎからビールを飲み始めて最終的には9時頃まで長居してしまう。

10時から明日のスタディグループの予習を開始し、終了したのは午前二時過ぎ。しかし、きっとまだましな方なのだろう。

 

最近嫁さんがホームページを作り始めたが、それ以来一台の日本語環境ノートPCを二人で奪い合う(というほどのもんでもないが)状況になっていた。その問題は、学校指定のThink Padに無事日本語環境をインストールしたことで解決したが、また新たな問題が発生している。「ネタかぶり」である。
深夜二時過ぎ、予習を終えて「さて書くか」と思い、一応嫁さんのHPをチェックしてみると、「書こうと思っていたことが先に書かれている。。。」ということがままある。今日は、使おうと思っていたデジカメ写真が先に使われていた。

いっそ嫁に先を越されぬよう、予習よりもHP作成を優先しようかとも思ったが、それじゃ本末顛倒なり。


9月3日(月)   Labor Day

休日である。Labor Dayとは勤労感謝の日、ということか。

昼は、同じクラスのマイクを我が家へ昼食にご招待。嫁さんが作った日本風のトンカツ+味噌汁+白いご飯+ふりかけを食わせる。「おいしいおいしい」と食べていたが、本当においしいと感じたかどうかは謎。マイクはスコットランド系の母親とロシア系の父親を持つ東海岸出身の礼儀正しい好青年。花の鉢植えを持って登場した。いわゆるステレオタイプの「アメリカ人」のイメージとはほど遠いが、日本人としてはやっぱりこういうタイプの方が好きだなあ。

夕方五時からはスタディグループミーティング。相変わらず、ちょっとネイティブ同士が話し始めると、ついていけない。まあ、耳がなれるまでのしばらくの間はしようがあるまい。何か別の方法でのコントリビューションができないかを常に意識することにし、あまり英語ができないことは気にしすぎないようにしよう、と思う(現実逃避か?)。今日もディスカッションの勢いをぶちぶち断ち切って、「こういうアイデアはどうアルか?私それいい思うアルよ」などと断片的な発言を繰り出した。ひとたび僕がしゃべりだすと、チームの勢い(会話のテンポ)が半減する(笑)。(申し訳ないねえ。半年ほど我慢してくれ)

夜は、ダートマスメディカルスクールの博士課程に在籍中の日本人SさんとTUCKの同級生T氏を我が家に招待し、カツカレーとビールで夕食。僕自身久しぶりのカレーであった。
明日から始まるMBA本番を前に、まさに「最後の晩餐」である。色々な方面から「一年目はとにかく大変だ」と聞かされているが、いったい具体的にどの程度大変なのか、いまだもって見当がついていない。実はそれほど大変ではないんじゃないか、などと舐めたこともふと思ったりする。まあ、しかしやっぱり大変なのだろう、特に僕のような英語の不自由な輩にとっては。

どれだけワークロードが大変であっても、自分が借金までこさえて、家族を巻き込んでまで、はるばるここへやってきた所期の目的だけは忘れないようにしよう、と思う。なぜ、わざわざ会社を辞めたのか。なぜ、日本じゃなくてアメリカのMBAを選んだのか。なぜ、そこまでのリスクを取る価値があると判断したのか。そのことを忘れてただ機械的にワークロードをこなすようになったら、自分はおしまいだ。
毎日のワークロードでアップアップしていたとしても、徹夜が数日つづいたとしても、今の自分が、一年前の自分が「行きたい」と強く願った場所に存在しており、勉強しているということを常に意識しようと思う。仕事もせず、単なるぷータローとして勉強だけしていればいい、この状況の幸福さを意識しようと思う。

二年後など指呼の間だ。いい加減に過ごしていたら、はるかなる退行の果ての自分が、英語だけ中途半端にうまくなった自分が、勘違いをし、ふやけた笑いを浮かべ、MBAという虚ろな学位だけを持って帰国することになってしまうことは火を見るより明らかだ。そんなわけには絶対にいかない。

少し気負いすぎかとも思う。しかし、MBA一年目のスタートを前に思うことである。


9月4日(火)    Fall Termスタート

いよいよMBAプログラムスタートである。少し早めに教室に行って座っていたのだが、定刻の8:30間際になって次々と教室に入ってくる連中は、どう見ても他のクラスの人間ばかり。いきなり教室を間違えているという間抜けなスタートであった。

一時間目はLeading Organization、ビデオを見せられるが、会話のスピードが早すぎて細かい内容をほとんど掴めない。クラスのディスカッション内容などは「そんなことを議論して実社会で本当に役立つのか?」と疑問に思うようなものばかりなのだが、英語ができない人間は、それに対してきちんと反論することもできない。今後苦労しそうな科目だな、と早くも初日で痛感した。

二時間目はDecision Science。一時間目とは打って変わって簡単な内容。まだ初日だから、なんとも言えないが。
大学生の頃は、「楽勝科目」などと呼んで好んで履修していた種のものに思えるが、借金して高い授業料をつぎこんでいる立場としては、このまま終わられたのではたまったものではない(大学時代も高い授業料を親が払ってくれていたのだが)。今後の展開に期待するとしよう。

ちなみに、先日送られてきたFall Termの請求書の「学費」の金額は、$10,090。年間の金額はこれを三倍したものになる。先日授業のコマ数でこれを割ってみたところ、1コマあたり9000円弱であった。これを思うだけで居眠りなどできないのは当然である。

 

一旦帰宅して昼食を取ってから午後はひたすら図書館で明日の予習。再び自宅で夕食を取ってから学校に戻り、午後7:30からスタディ・グループ。10時前に帰宅して、明日の予習のつづき。おそらくこういう日々がこれからずっと続くのであろう。慣れてしまえば、これはこれで悪くないのかもしれない。しかし、慣れてない我が身には実に疲れるスケジュールである。


9月5日(水)    スカンク

昨日、アパートの前の駐車場に車を停めて、アパートに向かって歩いていると、何やらもぞもぞと動く物体が目に入った。猫か、と思って何気なく近づいてみたが、猫ではない。思わず我が目を疑ったが、どこからどう見ても、「スカンク」である。

「まじですか。。。?何でうちのアパートの前にスカンクが?」呆然としてしばし眺めていた。隣のアパートの壁ぎわをくんくんとかぎまわっていたスカンクは(鼻が利くのか?スカンクのくせに)、僕の存在に気づいた瞬間、ぴくっと体を震わせ、後ずさりしながら茂みの中に消えていった。

誰かのペットか?しかし、スカンクなどという我々人間から見ればそれこそ百害あって一利なしの動物を好き好んでペットにする輩がいるだろうか。それともこのへんには野生のスカンクが生息しているのだろうか?

恐るべしアメリカ。てゆーか、恐るべしうちのアパート。

そのアパート(あばら家)とも今日でお別れだ。明日の朝一番で引越しである。そんなわけで今日は極めて忙しい一日であった(特に嫁さんが)。


9月6日(木)    引越し

一ヶ月弱暮らしたLebanonの我が家からSachem Villageの新居への引越しの日である。

散々悪態をついてきたあばら家であるが、一ヶ月も住んでいると、リビングやトイレの絶妙な傾きや、いわく言いがたい香りなどにさえ密かなる愛着が湧きはじめてもいた。スカンクもいるし。しかし、引越し前日に「トイレの排水が詰まって逆流する事件」が起こり、かすかに芽生え始めていた愛着もふっとんだのである。たとえて言うならば、最初は嫌な女だな、と思っていた女性に「案外かわいいところもあるやんけ」とほのかな好意を抱き始めていた矢先に、いきなり飲み屋で膝の上にゲロされて、「やっぱり勘弁してくれ」というところであろうか(だいぶ違う)。

あばら家から登校し、昼過ぎに授業を終えて帰宅する先はSachem Villageである。青空の下の白い外壁がまぶしい。

勉強部屋が独立している。周囲の環境が安全である。家の前と後ろに芝生がある。部屋がきれい。熱いお湯が出る。トイレが溢れない。子供の遊び場所がある。学校に近い。家賃が安い。リスがたくさんいる。変なおいにーがしない。。。。最高だ。ビバ、セイチャム!

家の前から見上げた夜空は今まで見たことのないような、満天の星であった。

 

スカンク追記:
スタディグループのビルに「こないだスカンク見た」と言ったところ、「あ、そ」という反応。何でもアメリカには掃いて捨てるほど野生のスカンクが居るらしいです。街中にもけっこう居るとか。知らんかった。。。「奴らを刺激するなよ」と至極もっともな忠告をくれたビル。しかし、誰しも一生に一度くらいは、スカンクの屁のにおいをかいでみたいと思うのではないでしょうか(そうか?)。次に彼らと邂逅した時に、「刺激したい=屁をこかせたい」という衝動を抑えきれる自信がありません。


9月7日(金)    ボストンへ

第一週が終了した。金曜日は一週間の終了を祝い、どこかしこで大小さまざまなパーティーが行われているようであるが、僕は今週は不参加である。明日早朝の便で日本に帰国をする嫁さんと娘をボストンまで送っていくためだ。
嫁さんは、引越し翌日にもうこの家を出なければならないことが残念でならないようである。

慌しく荷造りと諸々の打ち合わせを済ませ18:00過ぎハノーバーを出発、高速道路をひたすら走って20:30過ぎにボストンの空港近くのホテルに着いた。一ヶ月前に日本からやって来た時に泊まったホテルである。このホテルの一階には日本食レストランが入っているのであるが、一月前にここで食事をした時には「こんなもんが日本食と呼べるか」と嘆かわしい思いで食したものであった。が、今回は実においしく、極めて満足していただいてしまった。これもまた食事のまずい土地に住んでいることのプラスの効果といえなくもない。

明日は5時起き。しかし、娘は興奮してしまいなかなか寝付いてくれなかった。そういえば君の寝る環境も短い間でころころ変わったもんなあ。


9月8日(土)    家族帰国

三時間程度の睡眠でホテルをチェックアウトし(ホテルに泊まった意味があるのか、という気もするが)、空港へ向かう。ボストンからJFK行きのデルタ航空はターミナルEから出発なのだが、なかなかそのターミナルEまでたどり着けず、チェックインした時にはもう出発時刻7:30まであと30分程度に迫っていた。

慌しくしばしの別れの挨拶をする。やはり何とも寂しいものだ。娘は「ばいばい」と怪訝そうな顔で手を振っている。

次に家族がやってくるのは12月半ば。その時には既にハードな秋学期も終了しており、僕はだいぶMBA学生生活にも慣れており、当地には時に零下20度を下回るという冬が訪れており、自宅のまわりもすっかり雪景色に変わっているはずだ。

この三ヶ月間が正念場である。英語力も飛躍的に向上させないと話にならない。

 

二人を見送った後、居眠りしないようラジオをボリュームいっぱいにかけてハノーバーまで帰る。
昼前にたどり着いた家の中はがらんとしていた。今までは勉強している最中に、散々娘の「遊んで」攻撃に悩まされていただけに、その落差が際立つ。何かぽっかり空洞が空いたようだ。

夕方から月曜日の授業のアサインメントをやり始めた。もう午前4時前である。ちょっとやばい。時間かかりすぎだろ。


9月9日(日)    隣人Iさんのバースデイ

昼は日本人同級生でランチを取りながらサマーインターンに関する情報交換。帰宅後明日の予習をし、夜はスタディグループ。夜7時半から始めたスタディグループミーティングは11時過ぎまでかかった。なかなかさくさくとはいかない。

一旦帰宅して夜12時前後から同級生Sさん宅でIさんの誕生日祝いを三人でやる。Iさんは、Sachemで同じDuplex(二軒で一棟の住宅)に隣あわせで住んでいるのである。奥さんが冬まで来ないため、にわか独身生活を送っているところまで僕と境遇が同じなのだった。Iさんは「東大卒、経済産業省派遣のキャリア官僚」、という肩書とはほど遠いキャラの持ち主だ。彼と会って僕自身の官僚に対するイメージはかなり塗り替えられてしまった(「Sachemに引越しが決まった」と言ったら、「Congratulation!」と言ってくれたペルー人が、「実は隣はIさんなんだ」と言った瞬間、爆笑して「Oh! it's pity!」と言ったことからもそのキャラが伺い知れよう)。
そういえばSさんも東大卒都銀派遣というイメージとはかなりかけ離れている。要は二人とも人間的に面白い人々である。

家の作り、調度品などすべてがゴージャスなSさん宅。日本では昨今実感することのできなくなった「貧富の差」を実感できることもMBA留学のひとつの魅力かもしれない(笑)。1時半頃Sさん宅を辞し、帰宅してさらに明日の予習をする。


9月10日(月)    二週目

二週目の月曜日。生活のリズムというものがようやく分かり始めてきた。次に何をすべきか分からず、手探りで進んでいる時期に比べると、明らかに精神的には楽になった。ただし、英語力の貧弱さからくる圧倒的な予習時間の多さとそれがもたらす睡眠不足は、肉体的には疲労を蓄積させていく。時間に迫られると、てきめんにこの日乗で書く内容がいい加減になってしまう。文章も適当、内容もおざなりだ。土曜日に頑張ります。

日本で受験勉強をしていた時の必携アイテム「リポD」で気合を入れられないのが辛いところだ。


9月11日(火)     史上最悪のテロ

一時間目のアカウンティングの授業が終わり次の教室に向けてぞろぞろと移動していると、人だかりができていた。皆、教室のスクリーンに大写しにされたニュース画面に見入っている。もうもうと黒煙を上げて燃える高層ビル。何だこれは。ビル火事か?「テロリストが飛行機でニューヨークとペンタゴンに突っ込んだらしい」隣の学生の言葉に耳を疑った。

普段、ExcelのSpreadsheetが写されている教室のスクリーンには、黒煙を上げるWorld Trade Centerとペンタゴンの映像が交互に写しだされていた。時折、嘆声と「Jesus!」というつぶやきが聞こえる以外は静まりかえっていた教室が、やがてWorld Trade Center(WTC)のひとつが崩壊すると、何とも表現しがたい、抑制された悲鳴に包まれた。堅牢な摩天楼があんなに簡単に崩れるものか。これは現実の世界なのか。

二時間目の授業はそのまま中止。TUCKの校舎じゅうのテレビがニュースを流し、皆各教室や廊下の床に座り込んでニュース映像に見入っていた。時々、机をこぶしで叩く音が聞こえる。「兄がWTC #2にいるんだ」という声が聞こえる。多くの学生がニューヨークやペンタゴンに家族や友人がいる。ついこの間まであのビルで働いていた学生もいる。

やがて、Blood Donationに関する案内や、WTCで働いているTuck卒業生のリスト、今後の学校としての対応(スケジュール変更、家族・友人が当地に居る学生へのサポート、教会での礼拝、カウンセラーによるケア、同居家族を含めた集まりの案内)など、数多くのメールが全TUCK生宛てのアドレスに流れてきた。

午後一番で日本人同級生のT氏、Oさんと一緒に病院に献血に行ったが、既に献血室は長蛇の列で、やむをえずWaiting Listに名前とメールアドレスを記入して帰ってきた。

夜のスタディグループミーティングは、友人が何人かWTCで働いているメンバーが「とてもそんな気分ではない」と言い出し、皆同意してキャンセルとなった。

 

人間にはどこか悪魔的な側面があり、カタストロフに直面するとアドレナリンが分泌されるようなところすらある。火事を見るとかけつけてしまったり、台風が来るとわくわくしたり。誰も、その時はその事象に付随する悲劇の存在を意識していない。

テロリストなる人種は、政治的信条や宗教的ドグマの名に寄りかかって、人間という動物の持つ悪魔的側面を、カタストロフを好む側面を極大まで肥大させた醜悪なる人種だ。この惨劇を世界のどこかでニュースで見ながら、惨劇を惨劇としてしかと認識しながら祝杯を上げている連中が確かにいるのだ。

ただボストンから西海岸へ旅行する、あるいは出張するはずだった乗客を、恐怖に陥れた挙句に、愛するものたちと何ら別れの儀式をさせることもなく一瞬にして葬り去ったことに対する良心的呵責は「政治的信条」で完全に拭い去られている。いつものように出勤していつものように仕事をしているオフィスで突然殺された父・母・夫・妻たちの持っていた生活に対する良心的呵責は、「宗教的ドグマ」で拭い去られている。そして、彼らはその映像を見ながら祝杯を上げることができる人種なのだ。

今日のことは一生忘れられないであろう。

 

(本日のニュース映像でコメンテーターから「これは21世紀のパールハーバーだ!」「It's another Pearl Harbor!」という言葉を何度も聞いた。本当に100回以上は聞いた。冗談じゃない。一緒にするな)


9月12日(水)   The Day After

授業は再開された。しかし、学校じゅうが沈鬱な空気に支配されている。廊下のテレビが一日じゅうCNNを写しつづけている。本当は、とてもじゃないが誰もが勉強なんかする気分ではない。教室も空席が目立つ。

スタディグループミーティングも、今日はビルとT内氏と三人で行った。ミーティングが終わった後、教室の画面でCNNを見た。崩壊寸前のWTCから自宅の留守番電話に妻にあてたメッセージを残した人がおり、"hopefully, see you.......later.... I love you."で終わる彼のメッセージが流れていた。犠牲者名簿の中には、二歳の女の子の名前もあった。今日一日、自宅で予習の合間にニュースを見ながら何度泣いたか分からない。昼間に何度も繰り返し見た映像なのに、深夜の教室の中でまた涙が止まらなくなった。


9月13日(木)

学校のスケジュールは今日から通常のものに戻る。

午前中の授業が終わってから、午後1時から7時すぎまで図書館で休憩なしで予習。15分で夕食を取り、7時半から10時までスタディグループ。帰宅して10時半から予習のつづきをし、はや深夜一時。でもまだリーディングが終わらない。なぜだ?

今日のスタディグループでは、Decision ScienceのケースについてのビルのSpreadsheetの出来栄えに驚愕させられた。アメリカ人はEXCELは大してできない、なんて言っていたのは誰だ。これまで仕事で散々EXCELは使ってきたつもりであったが、自分がやっていたシミュレーションが子供だましに思えてくる。この分野はかなり貢献できる部分ではないか、と踏んでいただけにショックがでかい。


9月14日(金)     National Day of Prayer

ひどい一週間が終わった。勉学の方も疲労困憊である。

今日は"National Day of Prayer"であり、全米各地でさまざまな集まりが催されていた。TUCKでも、正午前にDean以下全員が校舎前に集合し、鐘の音に合わせて黙祷をする。

一日胸にパープルの喪章を付けて過ごす。

 

一週間のカリキュラムが終わった金曜日の午後と、土曜日の午前中だけが、やっとのんびりできる時間である。土曜日の夕方からはまた日曜日のスタディグループに向けて予習をしなければならない。

そのつかの間のフリータイムである金曜日の夜、隣のIさん宅にビールを持ち寄り同級生四人で飲む。


9月15日(土)   一年生歓迎会

日本人二年生が我々一年生の歓迎会を開いてくれた。二年生は14人の大所帯。これに一年生12人と、それぞれの配偶者・子供が加わるので、会場となったKさん宅は大変である。しかし、さすがは3ベッド2バスルームの「豪邸」。苦もなく30数人の人間を収容していた(ちなみにその豪邸で独身Kさんは一人暮らし)。

二年生も皆気さくな、楽しい付き合いのできそうな人々ばかりである。

あっという間に楽しい時間は過ぎさり、また夜は再び勉学に勤しむ。結局就寝はまた午前四時。


9月16日(日)

昼過ぎまで寝ていた。

モールに買い物に行き、コインランドリーで洗濯し、そして夜のスタディグループに向けて予習。Micro Economicsのリーディングは、とてもじゃないが読みきれるような量ではない(ちなみにケースが1つとリーディングがテキストと参考資料含めて百数ページ。さらにいくつかのwebページを見ろとの指示あり)。リーディングは取捨選択して重要度の高そうなものだけを読んでいく。ほとんど全部「捨」の方であるが。

夜は7時半からスタディグループミーティング。

(最近更新がやや滞り気味ですいません。三日分ためていたら風邪でもひいたかと心配した(日本ではしょっちゅう風邪をひいていたもので)父親と嫁さんから電話がかかってきました。体調は万全なのですが、いかんせん時間が少のうございます。)


9月17日(月)     ウォームコール

今日の授業は、Micro EconomicsとStatistics。

夜は、Leading Organizationの教授とスタディ・グループのメンバーで大学近くのチャイニーズレストランでディナー。その場で、「次回の授業では必ずあなたを指名するわ」と宣言されてしまった。

授業中突然教授から指名されることを「コールドコール」と言う。逆に事前に指名することが分かっているものを「ウォームコール」と言う。今回のご指名は、この「ウォームコール」に該当するものだ。ありがたい限り(笑)。

そうはいっても、Leading Organizationは、履修中(Statistics/Micro Economics/Accounting/Decision Science)の科目の中では唯一数字をまったく扱わない科目であり、したがってすべては英語での概念的議論をもとに進められており、正直苦手である。議論がある程度進んでから指名されると厳しいので、さくっと最初に手を上げて当ててもらうことにしよう。次回の授業は水曜日である。


9月18日(火)     Resume Workshop

午後、日本人一年生を対象として学校のCareer Service Office主催の「Resume Workshop」に参加する。まだ入学したばかりなのではあるが、もう来年のサマーインターンに向けての就職活動は始まってしまっているのだった。日本人のスケジュールは就職協定に縛られているアメリカ人のそれよりも早いため、連中とはスケジュールが合わずなかなか大変である(アメリカ人の就職活動ピーク時にはワークロードを軽減するなど学校も便宜を図ってくれるが、日本人のピークなどは知ったことではなく、カリキュラムもまたピークなのだ。)。

そのWorkshopに出ていたら予習をする時間がなくなってしまった。今午前3時。でもまだまだ終わらん。寝れん。


9月19日(水)      肩すかし

本日の授業、5−6回手を上げて指名されたのはAccountingの1回だけ。アメリカ人と違い、こちとらそうそう挙手して発言できることがあるわけではないのだが。一回別の人間が指名されて議論が流れていくと、もうはるかかなたに取り残されてしまい、「あれ?何を話してんだこいつら?」という状況になること多し。そうなると再び発言できそうな内容を見つけるまでかなり時間がかかってしまう。そういえばウォームコールの予告を受けたLeading Organizationの教授も今日は指名してくれなかった。

少しずつではあるが、ここのところリスニング力は改善しつつあるような気もする。しかし、まだ全然話にならないレベルだが。どうしても一回頭の中で日本語訳をしてしまう癖が直らない。当然そんなことをしていてはスピードについていけない。これを直すためには、英語で考える訓練をしなきゃいかん。日本語で夢を見ているようじゃ駄目なのだろうが、夢の中でしゃべっている言葉どころか登場人物も場面設定さえもやっぱり日本なんだよなあ。

とにかく時間がない。朝食・昼食・夕食いずれも5分で完食。今日は図書館の中で白目をむいて眠りに落ちかけている自分を何度も発見した(笑)。傍からは、奇妙な瞑想をしているアジア人だと思われてるかもしれない。
洗濯機が今日家に配送されてきたが、これでコインランドリー往復の時間が節約できるのが嬉しい。


9月20日(木)     クラブフェア

本日は「クラブフェア」と称して、TUCKの各クラブへの登録会が行われた。日本の大学の新歓シーズンのように各クラブがテーブルを出して一年生の登録を受け付けている(華やかさにおいてはくらぶべきもないが)。

ビールを片手に各テーブルをまわりながら登録したのは、コンサルティングクラブ、アントレクラブ、アジア&パシフィッククラブ、インターナショナルクラブ、アイスホッケークラブ、スキークラブ、ゴルフクラブ、あとキャンパスビジット学生のホスト役(クラブではないが)。この登録クラブの多さを見ただけでも、幽霊部員になることは明らかであるが、別に僕だけがきわだって多くのクラブに登録したわけではありません。色々と顔を出してみたのち、最終的にはこのうち1−2個のクラブにしか顔を出さなくなるのでしょう。

さて、もう午前二時半なのだが、予習はまだまだこれからだ。といいつつ現実逃避にHPの更新をしてしまう私。


9月21日(金)     金曜日の夜

一週間の終わりの金曜日だというのに午後にLeading Organizationの特別講義があり。映画「12人の怒れる男たち」を見て、意思決定プロセスについて議論させる、というものである。映画自体好きな映画なので楽しめたが、こういう議論は大学院レベルでするものとは正直思えないのだが。

映画にひきつづき行われた教授主催のピザパーティーで、睡眠時間の話になった。僕が一日平均3−4時間しか寝ていないというと、ロシア人のバレリーは、「僕もそんなもんかな」という反応。しかも彼は金曜日の夜だというのに「もうそろそろ失礼してStatsの予習をやりたいんだ。」と言う。一方インド人のビシャールは、一日平均8−10時間は寝ているという。「良いStrategyを教えてあげるよ。土日に一週間分の予習を全部やるんだよ。そうしたら平日はスタディグループに出るだけで夜は早く寝られるだろ?」。。。そんな芸当が出来たらとっくにしとるっちゅうねん。人生いろいろなり。

 

夜は、日本人学生3人(I氏・T氏・同じスタディグループのT内氏)とWest Lebanonのドライビングレンジ(打ちっぱなし)に出かけ、一週間分のストレスを乗せて玉を打ちまくる。さらに今週も隣家のI氏宅にて四人で飲んだ。飲みながらやっていることは秘密である(「寒い」と言われるので)が、積み重なった睡眠不足と金曜の夜の開放感とアルコールで、今宵も抱腹絶倒ぶりは相当なものであった。


9月22日(土)    MBA関連ホームページ

睡眠三時間半で、大学所有のゴルフコースのプラクティスホール(4ホール)に出かける。大学所有のゴルフコースは現在改修中で一部しか使用できないため、無料なのだ(ちなみに通常の状態でも料金は10数ドルしかかからないらしい)。同行したのは奥様一名を含めた日本人5名。実際にラウンドするのは初めてであったが、わずか4ホールで20オーバーというすばらしさであった。

 

現在Business School在学中の方のホームページを見るのがすっかり日課になっている。ちなみに現在僕が定期的に見ているのは、UCバークレーの川野さん、IESEラバンバ氏、Case Western Reserveの大貫さん、パデューのMasaさん、USCの藤森さん、インディアナの石野さん、といった皆さんのホームページ(ちなみにB-Schoolではないですが、ダートマスメディカルスクールの杉井さんのページもいつもチェックしています)。

これらのホームページの日記を見て、僕はいつも笑ったり、力をもらったり、しんみりしたりしているわけだ。エネルギッシュに活動している人、僕と同様に英語に苦しんでいる人、毎晩数時間の睡眠で頑張っている人、奥さんや彼女と離れて暮らしている人。。。元々友人だった人もいれば、ホームページがきっかけで知り合った人や、まったく面識のない人もいる。

これらのホームページを僕は今あたりまえのように見ているわけだが、わずか10年前にはこの種のホームページはほとんど存在しなかったわけであり、現在受けている恩恵を考えるとインターネットという技術の偉大さをを思わずにはいられない。
遠く離れた人に近況を伝えるために、かつての人々はどれだけ大変な思いをしただろうか。今僕は何十の絵葉書を書くかわりにこのホームページに向かっている(もちろん書簡にはまた格別の良さがありますので、時間が可能ならば書くつもりでありますが)。
ほとんど伝わってこない情報の中で、遠く離れた人の安否をきづかいながら、かつてはどれだけ多くの人が「便りのないのは良い便り」という言葉だけをよりどころにしていただろうか。今僕はこれらの人々と遠く離れて暮らしているのに、何となく同じ時間を共有しているような気分にさえなる。

当然他の数多の事象と同じく、インターネットの発達による影響もコインの裏表、光と陰を持っている。しかし、この光の部分のありがたさをしみじみ実感している今日この頃である。特に嫁さんと子供が帰国してからは。
(お世話になっているホームページ作者の皆さん、今後もよろしくお願いします)

 

ちなみに現在午前5時過ぎ、学校のスタディルームでの統計学の宿題の合間にこれを書いている。統計が終われば経済学が待っている。今日は徹夜になりそうだ。


9月23日(日)      就職活動

昼食は大学近くのチャイニーズレストラン"Panda House"でTUCKの日本人学生(一年生6名・二年生4名)と取る。不足気味の野菜を補うためにベジタブルチャーハンなどを注文するが、焼け石に水か。

今日の昼食会は、二年生が我々一年生の就職活動(特にさしあたってのサマーインターン就職活動)について、色々とアドバイスをくれるためにわざわざセットしてくれたのだった。本当にありがたい限り。サポーティブな上級生を見ていてもTUCKのカルチャーの良い面を実感する次第。

それにしてもMBAプログラム自体まだ始まったばかりなのに、もう就職活動である。特に米国経済の減速でサマーのオファーの数を減らしている会社も多く、状況はなかなか厳しい。テロの標的となったWTCに本社のあった投資銀行などは当然サマーどころではないわけで、勢いI-Bank本命の学生も他の業種にも間口を広げることとなろう。
今日の昼食会で、これは気合を入れてかからないといかんな、と感じた。家族を路頭に迷わせるわけにはいかんのである。正直、現下の状況では二年目の学費・生活費の目処すら完全には立っていないのであり、サマージョブの結果いかんは直接的に二年目の勉学生活(というか当校における自分の学籍の存在自体)に影響を及ぼすため、半端でないプレッシャーと気合の入りようだ。

 

昨日、CWR(Weatherhead)の大貫さんのHPについて触れたところ、今日の日記で当HPを紹介していただいていた。何となくテレビを見ていたら突然自分が登場したような感覚。ありがとうございました。(日記上のキャッチボール一往復半でした)


9月24日(月)   結婚記念日

今日は6回目の結婚記念日。でありながら、日本とアメリカに離れている(初めてのことだ)。でありながら、睡眠不足の極みである。何でこんなにやることが多いんだ?全部出来ると本気で思ってるのか?この精神的肉体的苦境を乗り越えること、それ自体に意味があるのか?それとも他の連中はもっと楽々こなしているのか?

たくさんの方からのメールに全然返事を書いておりません。すいません。必ず書きますのでお許しください。できれば週末に、遅くとも秋学期の終わる10月末には(ほんと遅いよ)。


9月25日(火)    ある一日

昼食は某コンサルティングファームのブリーフィングを聞きながらとる。午後は1時半からStatisticsのレビューセッションに参加。そんなこんなで時間がなくなり、超ハイテンションでリーディングをこなして、7時半からのスタディグループに向かう。しかし、スタディルームがすべて埋まっており、メンバー全員流浪の民と化し校舎じゅうをさまよう。結局オープンスペースのソファでディスカッションしていると、ホールで集まっていたTUCKパートナークラブ(基本的には奥様がたの集まり)のメンバーがピザをめぐんでくれた。時間がなくて晩飯を食べていなかったのでありがたい。午後10時半に帰宅して、午前3時過ぎにとりあえず予習終了(クオリティはかなり妥協)。

そんな一日でした。


9月26日(水)    アイスホッケー

夕方からTUCKにふたつある寮のうちのひとつであるブキャナン寮のラウンジで、アイスホッケー用具のセール(中古品セール&新品セール)が行われたので、スタディグループ前に行ってきた(おかげでスタディグループには遅刻)。

TUCK(ダートマス大学全体)はアイスホッケーが「校技」と呼んでいいほど盛んだ。一年生はかなりの人数が、おそらく半分以上がアイスホッケークラブに参加する。といっても経験があるのはごく一握りで、ほとんどは「TUCKに来たんだからアイスホッケーはやらないといかんでしょ」という理由でこれから始めるど素人である(僕もしかり)。TUCKアイスホッケーチームには男性チーム、女性チームの両方があり、それぞれがAチーム(マジ)、Bチーム(ちょっとマジ)、トライポッド(お遊び)の三チームに別れているようである。「トライポッド」というのは三脚のことで、スティックがないと立っているのも辛いような、よちよち滑りの連中のことを指す(笑)。当然僕はトライポッド組である。

今日は中古用具・新品用具取り混ぜて、ヘルメット・防具・ジャージ類一式を購入した。特別ディスカウントはあるものの、しめて$245。

来週から早速練習は始まるようだが、しばらくの間は勉強に忙しく行けそうにない。しかし、雪に閉ざされる冬の間はホッケーとスキーだけが貴重な運動の手段となるので、健康管理のためにも(おやじくさいな)何とかつづけたいと思うのである。


9月27日(木)    ソーシャルセキュリティナンバー

Social Security Officeのおばさんが大学に来て留学生のSocial Security Numberの登録を一括して受け付けてくれるというので、アプリケーションを提出する。「背番号」ってやつですな。私は国民でもない、ただの通りすがりの日本人なのに背番号をしょわされてしまった。

例によっておばさんの事務処理速度ははなはだのろい。長い長い待ち時間の間に隣のペルー人女子学生と話していた。「初めて親元を離れて生活するので本当にカルチャーショックの連続なの」と言う。「じゃあ、毎日家族に会いたくてしょうがないでしょ」と聞いたら涙ぐんでいた。我々のような子持ちのおっさんもいれば、こんなお方もいらっしゃる。頑張れよ、お姉ちゃん、すぐ慣れるから。

ところで、途中で部屋に入ってきた何人か不明の白人女子学生曰く、「みんな、ちょっと聞いて!私もうおなかぺこぺこで待てないの、誰か譲ってくれない?そこ!二番目のあなたの前に入れてくれない?」。言われた学生の方も、「Sure」と譲っている。どういう論理だよ。ちょっと面白かったので、まあいいけど。


9月28日(金)    クラスパーティシペーション

今日は授業がGeneral Managementひとつしかなかった。TUCKの看板教授の一人と言ってもいい、Paul Argenti教授のケースの授業であるが、内容的にかなりLanguage orientedであり、英語力の足りない留学生にとっては厳しい授業と言える(そもそもそういう学生自体が数えるほどしかいないのだが)。コールドコールもがんがんあるので、この授業のためだけに、毎回7−8時間は準備(予習とスタディグループ合わせて)しているが、どれだけ準備していてもディスカッションの流れが聞き取れなければどうしようもない。

今日の授業、90分間で僕が発言したのは、「It could be in "rewards" area」の一言だけ(文脈省略)。クラスパーティシペーション点(授業中にどれだけディスカッションに貢献したかで測る評価)が重視される課目なのだが、これではどうしようもない。何とか残された授業で挽回を図るが。

 

さて、明日はStatisticsのMid-term Exam。午後は、「インターナショナルディナー」と称して各国の留学生がお国の料理を披露するイベントがあり、我々日本人学生もブースを出す予定である。今日は早めに寝て睡眠を取るとしよう。

(先日、パデューのMasaさんのHPで当ページのことを紹介していただいたおかげで、ここ数日カウンタが盛り上がりを見せており、驚きました。Masaさん、ありがとうございました。初めて来た方、まことにもって見栄えのしょぼいHPですいません(笑))


9月29日(土)    最初の試験

午前中、初の試験となるStatisticsのMid-term Examを受ける。内容は、まあこんなもんか、という感じ、個人的には簡単に思えたのだが、試験後アメリカ人学生と話していると、「ネイティブイングリッシュスピーカーでも、けっこうひっかかるようなトリッキーな問題があったから、Internationalの学生は大変だったでしょ?今まであんなひねった表現は一度も出したことがないのに、いきなり試験であれを出すのはアンフェアだと思うわ」とのこと。そんなひねった表現があったなんて気づきもしなかったんですが(笑)。

 

試験後は半日しかない休日を駆け足で満喫する。今週一週間あまりに忙しかったために、皆何かにとり憑かれたかのように活動的である。
昼食をSさん宅でご馳走になったあと、打ちっぱなしへ。その後二年生宅へ向かい夕方からの「インターナショナルディナーフェスティバル」に出す串カツの下ごしらえの手伝い。下ごしらえの済んだ串カツを別の二年生宅へ届けた後、ブキャナン寮でしばし卓球。その後ディナーフェスティバルの会場のセッティングをし、続々やってくる各国学生達にディナーをサーブ。ディナー終了後、本日二度目の打ちっぱなしで軽く練習して、その後ブキャナン寮で行われたパーティーに参加。さらに日付が変わると同時に2○回目の誕生日を迎えた一年生紅一点のT女史の誕生日祝いを我が家の隣のI氏宅で行う。

香港出身の学生に日本古来の"Senda-Mitsuo Game (およびPing Pong Pang Game)"や"Yamanote-Line Game"などを伝授しつつ、終了したのは、午前三時。
今日の午後は、皆疲れているのになぜにそこまで、というほど遊びまくったが、疲れているからこそ一週間に一回くらいは思い切り遊ばないと精神的にバランスが取れないのかもしれない。ちょうど生命の危機にさらされた動物が種の保存の本能から生殖活動が活発になるようなものか(このアナロジー意味不明)

 

ちなみに本日のディナーフェスティバル、日本人学生は家族を含めてほとんど総動員体制であった。供した料理は、おにぎり、つくね、焼きそば、鳥のから揚げ、串カツ、そして日本酒と梅酒。それぞれ60人前程度用意していたのだが、開始一時間強であっという間に売り切れてしまった。他に出店していたのは、ブラジル・ペルー・メキシコ・カナダ・イタリア・韓国の学生達。何だかんだいいつつ、各国とも奥様がたにかなりご協力していただいていたようである。我が日本も奥様がたのご協力なしにはとてもあの料理は出せませんでした。

ありがとうございました、ここのところ貧しい食生活が続いていた小生にとって、今日の料理は心底おいしゅうございました。


9月30日(日)

早くも次の週の予習が始まる。Economicsのケースは予習の時間が足りず消化不良のままスタディグループに参加して、まったく貢献できなかった。英語力の改善も一向に見られず(最近後退しているような気すらする)、かなり危機感を覚える。同じグループのT内氏が完璧な英語を使いこなすだけに、尚更だ。

今週は週末にMid-term三連発。正直一週間先のことなんかあまり考える余裕はないのだが、今週が秋学期のひとつのピークであることは間違いなさそうだ。


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