MBA留学日乗 2001年11月     | 前月へ |  | 翌月へ |  | ホームへ |


11月1日(木)    ケベック・シティ

午前中、モントリオールのカジノをちょいとのぞいた後、車で二時間強かけて一路ケベックシティへ。ケベックシティは近代的なビルが立ち並ぶモントリオールとは違い、歴史を感じさせる街である。

まずは市内見物へ向かうはずだったのだが、あまりの寒さに観光を断念し、TUCKの二年生から教えてもらっていたクレープ屋へ向かう。男だけでクレープを食うのも何だかなあ、という思いを皆抱きつつも、しかし一口クレープを食べた瞬間そのあまりの美味さに絶賛の嵐。とにかくうまかった。

クレープの後は、ケベック料理のレストランへ。日本円にしてわずか1000円強。しかも美味。

アメリカではとても味わえぬようなおいしい料理(今回食べたのはケベック料理とクレープだけだが)の数々。アメリカではお目にかかれないおしゃれな人々。そしてアメリカでは滅多に出会えない美人。ケベック、素晴らしい街だ。

ワールドシリーズを部屋で見ているうちにそのまま眠ってしまった。


11月2日(金)    ハノーバーへ

昨日の寒さが嘘のような暖かい一日。

朝食を昨日のクレープ屋でとった後、街の中心部にある城砦を見物して、ハノーバーへの帰途につく。1時過ぎに現地を出て、ハノーバーに着いたのは午後5時過ぎ。

その後、ゴルフのドライビングレンジへ行き、さらに夜はアイスホッケーの練習に参加した。隣人I氏宅で軽く飲んで久しぶりにSachemの我が家で床についたのは午前5時をまわっていた。


11月3日(土)    レバノンでスザンヌ・ベガ

なぜかレバノンにスザンヌ・ベガがやって来た。こんな田舎街になぜ?ガソリンスタンドで「スザンヌ・ベガ コンサート」のポスターを目にした時は、こことは違うどこか別のレバノンのことかと思ったほどだ。コンサートが行われたのは"Lebanon Opera House"。名前は立派だが、市役所の一階にあるしけたホールである(この街の規模を考えれば立派なホールだけど)。

僕は高校時代よりスザンヌ・ベガが好きであり、今年9月に出た最新アルバム以外のアルバムはすべて持っている(いや、持っていた。渡米時にすべて処分したのだった)。こんな僥倖を見逃す手はない、と当日券ねらいで会場に行ってみた。

当然のように当日券は残っていた。しかも$25の安さである。しかも最前列である。演奏中に屁をこいたらスザンヌ・ベガに叱られそうなほどの距離だ。スピーカーを通した声と、彼女の肉声と、両方とが聞こえる距離である。

コンサートは実に素晴らしかった。

最前列でスザンヌ・ベガの歌う姿を見ながら考えていた。高校時代、僕はいつも彼女のアルバム"Solitude Standing"をウォークマンで聞きながら自転車で駅まで走っていた。僕は17歳、彼女は28歳。今、31歳になった僕は、どういうわけかアメリカはニューハンプシャー州レバノン市なる田舎町で、42歳のスザンヌ・ベガのコンサートを聴いている。当時高校生だった僕は、結婚をし、一人の子供を持つ大人であり、そしてMBA一年生という当時と変わらぬ学生の身分でもある。当時時代の寵児だった彼女は、今では5年に一枚程度のアルバムしか出さない寡作の、しかし確固たる名声を抱くアーチストとなっている。

あれから随分長い時間が流れたのだ、と思う。随分遠いところまで来た、とも思う。ステージの上の彼女にとっては知ったことではあるまいが、客席の最前列で彼女の歌声を聞きながら僕はそんなことを思っていた。そして、一瞬にして思索を14年の彼方へと送ることのできる音楽の力を今さらながら偉大だと思った。

 

(そういえば、今日もひとしきり前座の兄ちゃんが演奏を行っていました。プロフィールに曰く、「彼はスタンフォード大学のバレー部の主将としてチームを全国ベスト4に導く活躍をした後、プロのビーチバレーの選手として活躍。現在は高校生にSATその他の統一試験を教えています。」、、、、誰だお前!!)


11月4日(日)    またボストンへ

朝8時半にハノーバーを出て車でボストンへ向かう。某戦略系コンサルファームが開くボストン近辺の学校(Harvard、MIT、TUCK)を対象としたブリーフィングに参加するためだ。昼食を挟んでプレゼン、質疑応答と三時間強。内容はともかく、会場のクーラーが強烈で、引き始めの風邪が悪化してしまった。

せっかくボストンまで行ったのに、特に買い物などもせずトンボ帰り。それでもハノーバーに着いたのはすっかり夜である。自宅でPCをピックアップしてそのまま学校でのスタディグループに参加する。

たった5日間しかないタームブレークはあっという間に過ぎ去った。明日からFall Term Bが始まる。ブレークに入る前は、少しでも先に予習をして貯金を作っておこうかなどと考えんでもなかったが、結局のところ予習はほとんど手付かず。よってこうして前日に明け方までアサインメントと格闘するはめに陥っている。相変わらず計画性がないというか刹那的というか。それでも最終的にはちゃんと帳尻はあっているんだから、これはこれでタイムマネジメントは一応できてるんじゃないか、と思ってみたりもするが、もちろんこういうのはタイムマネジメントとは呼びません。


11月5日(月)    秋学期Bスタート(ですます調)

秋学期Bが始まりました。TUCKにおける二年間で最もハードとされる一年生の秋学期のなかでも、秋学期Aよりもハードであるといわれています。初日から早速激しいアサインメントの嵐に翻弄されました。いかにハードとはいえ、一応人間の私としては一日3時間くらいは睡眠を確保したいところです。そうするとリーディングのスピードが遅い私はなかなか最後まで読みきれません。いきおい予習のクオリティを落とさざるをえず、やや不安を抱きつつ授業に挑むことになります。今日は見事にMacro Economicsでコールドコールをされました。予習が不十分であることもさりながら、教授の質問の意味がまったく掴めず文字どおりフリーズしました。最悪です。

授業後、教授に「さっきは質問の意味が分らなかったんだが、どういう質問だったのか」と恥をしのんで聞いてみました。教授は、「英語ができないのは分ったので、次回から挽回のチャンスを与えるべくがんがん君を指名してあげるよ。コールドコールは私が君にしてあげられる最高のサポートだから」と真面目な顔で言いくさりました。思わず、「サンキュー」と言ってしまいました。他に答えようがないですよね。

これまた恥をしのんで書くと、授業中の私は寡黙な日本人そのものであります。何を話しているか分らなくなった時などはもういかんともしがたく、ただ黙っているしかありません。しかしながら、おそらくは試験の点数だけはそこそこいい点を取っているようでもあります。ある科目などは学年で上位数人の中に入っていました(もちろんstrong backgroundのある学生はクラス自体を取っていませんが)。しかし、これは寡黙で試験の点数も悪いよりもある意味始末におえません。「それだけ分っているならなぜ授業中に発言してクラスメートに貢献しないのだ」というロジックになるわけです。貢献しようにもあんた、という感じなのですが。今現在の自分のシチュエーションは、留学前にこうはなりたくないな、と思っていた状況にかなり近いな、とふと気づきました。クラスでは静か、点数はいい、貢献度低し。ちょっとブルーな秋学期Bのスタートですが、気合を入れていきましょう!

あまりにハードな秋学期B初日にショックを受けたあまり、今日は珍しく「ですます調」で書いてみました。


11月6日(火)    秋学期B二日目(再び だである調)

Macro Economicsの授業ではお約束どおり教授の「最高のサポート」であるコールドコールを二日連続で頂戴した。幸い今日は質問の内容がクリアに聞き取れたので、回答できた。(と書くと、まるで英語さえ分ればすべて答えられる、とでも言わんばかりの筆致ですが、そんなわきゃありません。日本語でも分らない時は分かりません。)

夕方に、明日からスタートするCapital Marketの授業に備えて、ファイナンスバックグラウンドのTさんを日本人学生4人で取り囲んで一時間ほど簡単なレクチャーをしてもらった。実に分りやすい説明なり。

ちなみに明日のアサインメントはDecision ScienceのEXCELモデル作成と、Capital Marketの二冊のテキスト(該当個所計約150ページ)とハンドアウトのリーディング。さらにあさってのMacro Economicsの授業までに小説仕立ての本一冊を丸々読んで設問に答えなければならないため、これも読み始める。さらにもうひとつ、明日は某社のOn Campusインタビューも受けるため、そのストラテジーもある程度準備しなければならない。

さすがにオーバーフロー気味であり、今日のホッケーの練習は断腸の思いで断念した。

 

昨日は気まぐれで「ですます調」にしてみたが、今日は再び「だ・である調」に戻した。随分同じことを書くにもトーンが違うことに気がついた。「です・ます調」の文章にはどこか語りかける調子があり、読者を目の前に置いて書いているような感じを受ける。一方、「だ・である調」の文章には、あくまで個人の日記をたまたまweb上に載せているだけであって、読者の存在は一義的には想定していないかのような、自己完結型の意識が垣間見える。自分が読者として他のHPを読むとき、「です・ます調」の方がやはり話者(「です・ます調」では"筆者"よりも"話者"と呼んだほうがふさわしいような気がします)をより近しく感じるし、このページの所期の目的を鑑みるに「です・ます調」の方がやはりふさわしいような気もする。

うーん。まあ、どうでもいいのだが、膨大な英語のリーディングからの現実逃避に、ひとしきりそんなことを考えてしまったのだった。


11月7日(水)    今日の私(ある忙しい一日)

8:00過ぎ       起床。授業は8:30からだがすっかりぎりぎりまで寝ている習慣ができてしまった。昨日は
             四時に就寝したので睡眠約四時間。

8:15         家を出る。学校の駐車場までは車で5分弱。しかし、駐車場から教室まで長い階段を
             上らねばならず、さらに5分を要する。授業開始前にダイニングでコーヒーを買って
             から教室入り。

8:30−11:45   授業。今日はCapital MarketsとDecision Science。 Capital Marketsはコールドコールを
             がんがんされるので、教室内が何ともいえぬ緊張感に包まれている。僕は今日はコールド
             コールはなし。その場で明日の授業開始時に四名のメンバーでモーニングブリーフィングを
             するよう言い渡される。DecSciでは手を上げたが当ててもらえず。

12:00−13:00  午後からインタビューがあるため一旦帰宅してスーツに着替えようと思ったが、ワイシャツに
             アイロンをかけていないことを思い出し、メインストリートにあるGAPへ立ち寄り、ワイシャツを
             二枚購入。急いで帰宅し、スーツに着替え、ボストンで買った最後のぺヤングソース焼きそばを
             かきこむ。うまい。またボストンまで買いに行こう、と決意しつつ再び学校へ。

13:00−14:30  日本人TUCK一年生のリクルーティングに来た某社の説明会に参加。もらった会社案内を
             眺めていて超超美人社員が載っているのを見つけ、動きが一瞬止まる。説明会終了後
             思わず色んな学生に写真を見せてまわる。

14:30−15:00  図書館に移動。席を確保し、明日のモーニングブリーフィングを共にアサインされたほかの
             三名のメンバーとメールでやり取り。

15:00−15:30  校内のスタディルームで某社のリクルーターとインタビュー。久しぶりに日本語でビジネス
             トークをしたので、嬉しくてついしゃべリ過ぎる。言いたいことが言えるって素晴らしい。

15:30−16:00  図書館に戻り、インターネットで明日のブリーフィングに使えそうなサイトをブラウジング。

16:00−16:30  ブリーフィングのメンバーと打ち合わせ。皆しっかり準備してきたので、色々と有用なアイ
             デアが出る。一方僕は正味15分ほどしか準備していないため、明らかに見劣り。流れ
             的に資料のまとめは僕がやるよ、と言ったが、プレゼン自体はやはりアメリカ人がやる
             ことに。

16:30−17:00  Capital Marketsのレビューセッション。二年生のティーチングアシスタントが説明してくれる
             のだが、早口で、しかも慣れぬターミノロジーばかりでありまったく意味が分らず。
             わけの分らぬ説明を聞いているうちにだんだん腹が立ってきて、途中で退出。

17:00−19:30  ようやく図書館で明日のアサインメント(マクロエコノミクス&Capital Markets)の予習を開始。
             マクロエコノミクスは一冊本を読んでいかねばならないのだが、ほとんど読んでいない。
             遅々として進まず。

19:30−20:30  スタディグループミーティング。

20:30−22:15  図書館で明日の予習のつづき。Capital Marketの宿題を何とか終わらせる。

22:15−22:30  ブキャナン寮のT内さんをピックアップして我が家へ。スーツを着替え、ホッケー用具をピック
             アップしてスケートリンクへ向かう。

22:30−24:30  TUCK日本人でリンクを貸しきってのホッケーの試合。ファイナンス系の「Bankers」とコンサル
             その他の「Consultants+α」の対決。僕は「コンサルタンツ+α」に所属。初めてゴーリーなど
             もやり楽しかったのだが、試合終了間際に右足がつって氷上で転げまわる失態を演じる。
             日頃の運動不足を痛感。ちなみに今日は日本人だけで15名前後の参加があった。

24:30−5:00   帰宅して、ホッケー用具の洗濯などをしつつ、明日のブリーフィングの準備とリーディング
             アサインメントのつづきをやる。午前四時になっても隣人I氏宅から物音が聞こえる。
             お隣もまだ勉強しているのだろう。

5:00過ぎ      シャワーを浴びてようやく就寝。明日は少し早めに行ってブリーフィングの打ち合わせをする
             ため、いつもと違って7時起床。二時間弱しか寝られないが、寝坊するとシャレにならないの
             で、「二時間後には起きるんだぞ」と自分に言い聞かせてから目を閉じる。おそらく数秒後
             には失神。zzzzzz。


11月8日(木)    慢性的睡眠不足

Capital Marketsのモーニングブリーフィングは、きちんとオーガナイズされていたので、教授からもクラスメートからもなかなか好評であった。先日アメリカ人はあまりプレゼンがうまくない、と書いたが今日プレゼンをしたクラスメートは本当に上手であった。ちなみに二時間目のMacro Economicsでは日本人のTさんがモーニングブリーフィングをやった。Tさんも昨日は二時間程度しか寝ていないとのこと。

今タームが始まってから、睡眠時間は多くて四時間、少なければ昨日のように二時間。何となく、それでも大丈夫なようになってきてはいるが、やはり生産性は落ちているような気がする。今日は昼間に一旦帰宅して二時間ほど仮眠をとったため、午後はだいぶ頭がすっきりして勉強に集中することができた。やはり睡眠は必要だ。

さて、色々書きたいことはありますが、今日はこれにてご勘弁。予習に戻ります。


11月9日(金)    一週間の終わり

何とか一週間目が終了した。帰宅後、ゴルフの練習ラウンドへ向かう。やはり当地でゴルフをするにはあまりにも寒いこの時期、他にプレーしている人間はひとりもいない。しかもよく見るとグリーンに穴が開いていない。しかたなくホールのない4ホールで、穴に見立てたボールに狙いを定めつつ、練習ラウンドをまわったのだった。今年のゴルフはいよいよこれでプレーし収め、ということになりそうだ。

ゴルフ後は、一旦自宅で仮眠したあと、大学所有のホッケーリンクでダートマス大学対ブラウン大学のホッケーの試合を観戦。試合は、第三ピリオドに突き放したダートマスが6−3で見事ブラウンを破った。

ホッケーの後は、同級生のIさん夫妻宅で鍋料理をご馳走になった。


11月10日(土)   Thayer School

ダートマス大学にThayer School of Engineering (セイヤースクール)という工学系のスクールがある。ThayerとTUCKは校舎がすぐそばに建っており、両校舎の間にある図書館を共用している(そのため、この図書館はビジネス系の蔵書とエンジニアリング系の蔵書が充実しているという、極めて珍しい図書館となっている)。

今日はそのThayerの修士一年生課程在籍中のIさん宅で、夕食をご馳走になった。一緒にお邪魔していたのはThayerに今月から行くことになっているSさん。といってもSさんは既に日本で博士号を取得しているため、Thayerでは「ポスト・ドクター」という身分で自分でも研究しつつ博士・修士課程や学部生の研究を指導していくという役割を担うらしい。ちょろっと研究の話をしてもらったが、全然分らなかった(笑)。

Sさんも僕も今は家族の渡米を一人で待つ身。やさしい奥さんとかわいい娘さんに囲まれたIさんの姿が何ともまぶしくうつったのでした。おいしい食事、ありがとうございました。

【TUCKの向かいに建つThayer Schoolの校舎】


11月11日(日)    その日暮らし

明日から二週間目が始まる。最近その日暮らしがすっかり身についており、先のスケジュールなど確認することもないのだが、今日は何気なく次の一週間の各授業のアサインメントを全部確認してみた。しかし、あまりに量が多いのと内容が難しそうなのとで(秋学期Aと違って、僕にとってはシラバスの項目を読んでも何のことやら分らないものが多し)途中で気分が悪くなり、やっぱり先のことを考えるのはやめにした。

ちなみに秋学期Bで履修中の科目は、以下の5科目である。

・Capital Markets(いわゆる”ファイナンス”)
・Global Economics for Managers II(いわゆる”マクロ経済”)
・Decision Science(いわゆる”EXCEL教室”←違う)
・Management Communication(いわゆる”プレゼンセミナー”←だいぶ近い)
・Entrepreneurship(読んで字のごとくアントレ。しかし、何と二回しか授業はない)

こうして並べて見ると、何でたかがこの5科目でこんなに苦労しているのか?という疑問を抱くが、科目数とワークロードは全然関係ないんですね。これが。この中で、僕にとって最もなじみが薄いのは、"Capital Markets"だ。ファイナンスなんて今までやったこともないので、毎日子供のように無邪気にアサインメントに取り組んでいます。「へー。そうなんだー」とか思いながら(笑)。

そんな僕にとっては、ファイナンス系の日本人同級生たちがいとも簡単に(ほとんどテキストなど読むこともなく)、このアサインメントをこなしていくのを見るのは実に驚愕に値することである。あまつさえ「授業内容が分かっていることばかりで退屈」などと言うのを聞くに至っては、もう彼らは別世界の人としか思えない。(ちなみに今年のTUCK日本人一年生は、都銀3名、長信銀1名、投資銀行1名、ファンドマネジャー1名の計6名もの別世界の人がいらっしゃいます)。

何とかその日暮らしながらも、彼らにくっついていくことにしよう。


11月12日(月)    冬支度

深夜三時。外は華氏14度である。摂氏にするとマイナス10度ということのようだ。寒いわけだ。今日の昼間にちらついた雪は、気温が低いためだろう、まるで発泡スチロールの粉末のようにはっきりとした固体の外見を主張したまま、土の上にしばらく横たわっていた。地面に降りるとすぐに意気地なく液体に変わっていく見慣れた東京の雪とはまるで違う存在のようである。

ここ一週間ほどであっという間に寒くなった。街全体も冬支度が慌しくなってきた。雪かきスコップ、地面の凍結を削る道具、車のフロントガラスの凍結を削る道具、などが店先に並んでいる。自動車ディーラーやタイヤ屋は、スノータイヤへの交換需要で盛り上がっている。「ダウンジャケットやスノーブーツはもう買ったか?」という会話がしょっちゅう学生間で交わされている。ちなみに僕はまだほとんど冬支度を終えていない。本格的に雪が降る前に完了させるべく、急がねば。

こんなに寒くなっても、まだリスは冬眠していないようだ。動くスピードが夏場に比べて格段に落ちてはいるが、まだ枯葉の上をもぞもぞと活動している。シカもまたしかり(。。すいません。。)。最近Sachem内でシカの姿を何度か見かけるのだが、先日我が家の裏にある倉庫をごそごそとあさっていたのには驚いた。この倉庫の中なら暖かそうだ、とでも思ったのだろうか。厳冬の季節、奴らはいったいどこで過ごしているのだろう。どんなに睡眠不足とはいえ、暖かい布団の上で寝られる自分は、凍った土の上で眠るリスやシカよりよほど幸せに違いない、と思いつつ、野生動物と自分の境遇を比べる発想自体がそもそも大人のそれとしてはかなりきているような気がするのだった。


11月13日(火)     Decision Science

昼休みにTUCK生御用達のホッケー用具屋に走ってスケートのブレードの研磨とこれまで身長に比して長すぎたスティックのカットをしてもらった。ぴかぴかになった靴を見ていると、一刻も早くプレーしてみたくなるのは、小学生と同じである。新しいグローブを買ってもらった翌日、風邪気味なのに野球の練習に出かけていったのと何ら変わりはない。

しかし、明日のCapital Marketsの予習とDecision Scienceのホームワークが全然終わらない。最後の最後まで悩んでいたのだが、結局今日もホッケーはやめることにした。

それにしても今回のDecision Scienceのホームワークは異常に労力を要する。与えられた与件からExcelのモデルを組んで、SolverやSolver Tableなどを使って最適解を見つけ、求められたグラフを作成する---たったそれだけのことなのだが、どうモデルを組むべきか考えるのに相当時間を要するし、グラフも相当面倒くさい。深夜の12時頃、校舎の中で疲れきった顔をした同級生たちと「DecSci Suck!!」などと言いながらすれ違う。しかし、いつもは語学力の違いから「相対的に」余裕をかましているアメリカ人もこれだけは英語力もくそもなく、うんうん唸っているのはある意味痛快だったりもする。


11月14日(水)     秋学期Aの成績

秋学期Aの成績が返ってきた。Bとの通期で成績を付けるGeneral Managementを除く、Accounting、Statistics、Organizational Behavior Micro Economicsの四科目である。「成績が出たので、このアドレスにアクセスして見なさい」というメールが届くスタイルでああった。結果は、あまりにも予想どおり。成績を見る前に紙に自分の予想を書き出してみたのだが、四科目とも自分の予想そのままであり、面白くも何ともなかった。

TUCKの成績は、上から順に
  H   (Honors)
  S+  (Satisfactory plus)
  S   (Satisfactory)
  LP  (Low Pass)
  F   (Fail)
の五段階評価である。しかしながら、Fがつくことは実際には何か特別な事情でもない限りありえないようである。また、LPがつくこともほとんどないようだ(1クラスで多くても数人とか)。LPを二年間で6つ超取ると卒業できないらしいが、そんなことは「よっぽど頑張らないと」無理らしい。したがって、皆上三つのグレードを取ることになる。Grading Policyはかなり優しいといえるだろう。

こちらに来て驚いたのは、アメリカ人学生が異常なほど成績に執着することである。ちょっとでもテストの点数が低かった日には、死にそうな顔でぐちぐち言っていたりする。僕などから見ると、何も良い成績を取りたくてビジネススクールに来たわけでもあるまいに、と思うのだが。

何となく、「日本=受験戦争の国=点取り虫多し=成績に執着」という常識、「アメリカ=自由でのびのびした教育の国=点数よりも個性重視=成績には執着しない」という常識をぼんやりながらも持っていたのだが、これはことB−Schoolに来る学生に関しては誤った常識だったようである。

最初は成績を公開しようかとも思いましたが、Hを四つもらったことを自慢しているように見えそうなのでやめました(←もちろん冗談です)。

 

夜11:30から12:30まで、また日本人学生でホッケーの練習試合をする。一年生12名中7名、二年生14名中8名が参加と今宵も高い参加率だった。


11月15日(木)     娘の成長

日本に電話をかけて実家にいる嫁さんと少し話をした。遠く離れていることが嘘のようにくっきりと声が聞こえる。娘の声が受話器の向こう側で聞こえる。「ほら、パパアメリカからだよ。もしもしって出てごらん」と嫁さんに言われるのだが、機嫌が悪いらしく、「いやー!パパアメリカにいない!」などと叫んでいる。二ヶ月ちょっと前に別れた時にはこんなにはっきりと発音できなかったはずだったのに、と思う。あんなことをした、こんなことをした、という話を嫁さんから聞くと、どれも僕の頭の中にある娘の姿からは想像もできないようなことばかりだ。あっという間に成長していく娘と、数ヶ月も離れて暮らすことは、やはり正直辛い。普段勉強の忙しさにかまけてほとんど忘れているのだが、ふとしたことで猛烈に会いたくなる。一年という単位で家族と離れて暮らす南極越冬隊員などは、本当に辛かろうと思う。空白の時間の後、再会してその間の時間を補えばいい、というほど単純なものでもない。空白の時間はやはり永遠に空白のままなのだ。その間の娘の成長を僕は目の前で見られない。

それでも、わずか数ヶ月の空白の後に会える自分は幸せだ、とも思う。最近、テロや飛行機事故が当たり前のように報道されつづける日常生活の中では、特に強くそう思う。家族が一緒に暮らせるという当たり前の生活が何と素晴らしいものであるか。どれだけありがたく、何物にも変えがたいものであるか。何に感謝してよいのか分らないが、感謝している。そして、その当たり前だけど素晴らしい日常を奪われた人々がここ数ヶ月の間にかくも多く存在することに、憤りとやりきれぬ思いを抱く。

明日、Capital Marketsの試験。そして、日本に関するプレゼン。既に時計の針は深夜なのに、思考はあちこちを走りまわり、なかなか勉強に手がつけられない。


11月16日(金)     Thanks God It's Friday!

朝イチのManagement Communicationの授業で日本についてプレゼン。「敬語」と「ためぐち」の違いを中心に、目上のものを敬う日本のカルチャーについて説明する。笑いも取れたので、よしとしよう。

午後は、Capital Marketsのクイズ(試験)。あまり良い出来でもなかったが、まあこんなもんだろう。この試験をもって今週も終了である。試験後は、Stell Hallで行われる"Tuck Tail"と呼ばれる定例のパーティーに参加する。家族も含めて皆で集まってビールでも飲みながらお話しましょう、というパーティーだ。中華料理屋で食事した後、自宅に一旦帰って一時間弱仮眠。そして、夜11時からのアイスホッケーの試合へ。この試合に引き分け以上であればトライポッド内のリーグ戦の優勝決定戦に出られる、という試合だったため、チーム内もこの上なく盛り上がっていたのだが、残念ながら試合は0−3で完敗してしまい結局三位決定戦にまわることとなった。

ホッケーの後は、メインストリートで会った韓国人同級生二人とTさんとパブで軽く飲み、最後はWhittemore寮でビリヤードをして一週間をしめくくった。

帰宅したのは午前5時過ぎである。平日は、今週のカリキュラムが終わったら思いっきり寝て睡眠不足を解消するぞ、と心に決めているのだが、実際に金曜日になってみると、開放感から疲れも忘れて遊び呆けてしまう。いつものことだ。


11月17日(土)    ケースインタビュー

コンサルティング会社のインタビューでは「ケースインタビュー」なる独特の形式がとられることが多い。「これこれの問題を抱える会社からコンサルティングの依頼があった場合、どういう点を改善すべきか」といった問題から「山手線で一日にある傘の忘れ物は何本か」「○○市でガソリンスタンドは何軒必要か」といった問題まで、さまざまなケースが出題される。しかし、僕をはじめ同級生の誰もケースインタビューをこれまでに受けたことがない。ということで、一度皆で集まってケースインタビューの練習会をやろう、ということになった。また、コンサルティング会社でフルタイム・サマーインターンで働いたことのなる三人の二年生にお願いしたところ、インタビュアー役として休日をつぶしてまで来てくれた。何とかサポートしてやろう、という上級生ばかりで、とにかく感謝である。

三時間ほど、実際にモックインタビューなどをしてロジックの組み立て方をシミュレーションする。まさに頭の体操、という感じでやっていて非常に楽しかった。

 

その後は同級生Nさん夫妻宅で、打ち上げ。Oさんが当地の食材を活用してスープとだしから作り上げた手作りラーメンを賞味する。鶏を丸々一羽使ってスープを作り、チャーシューや煮玉子なども手作りした本格的な一品である。信じられないほど美味だった。

【Oさん手作りのしょうゆラーメン。】


11月18日(日)    メール

夜9時から始まったスタディグループは12時を過ぎても終わらず。結局Capital Marketsについては共通の解に辿り着くことなく、このへんでやめとくか、という感じで終了した。いまひとつ自信が持てない部分だけに明日コールドコールされないことを祈るばかりだが、まあこういうのに限って世の中とはうまいこと当てられるように出来ているものである。そのつもりで準備しておこう。

 

最近さまざまな方からメールをいただくことが増えてきました。先日はオスロ在住の方とバンコク在住の方からメールをちょうだいしました。遠く離れた、行った事もないような場所からメールをいただくと、ああインターネットで世界はつながっているんだな、このサイトは世界に向けて発信しているんだな、と今さらながら実感します。そしてやはり、こうしたメールは何よりもサイト更新のモチベーションにもなります。

最近は、今年のビジネススクール出願のプロセスが佳境に入ってきたことから、受験生の方からのメールも多く頂戴します。昨年の今ごろは、私もGMATの点数が足踏みをつづけ、またTOEFLでさえ満足のいく点数が出ず、さらにそれらの勉強をしつつもエッセーの作成はつづけねばならず、一方で嵩みつづける予備校代から預金も底をつきはじめる、という状況で本当に精神的に辛かった思いがあります。限られた情報の中で右顧左眄することの非効率さはよく理解しているつもりですので、受験生の方からいただく質問には何を置いても返事をすることを心がけてはいますが、時として数日を要することもあります。しかし、ちゃんとポストイットで「どこそこの誰それさんに返事」と勉強部屋の机の脇に貼っていますので、どうかしばしお待ちください。そして、これからもどうぞ気軽にメールを送ってください。


11月19日(月)    順応

今週は木曜日からサンクスギビング休暇に入るため、三日間しか授業がない。それだけで随分と気が楽なもんだ。

この頃だいぶ日々の生活に慣れてきたのを感じる。言い換えるとだいぶ楽に感じるようになってきた。睡眠時間の短さもアサインメントの多さも、毎日繰り返されるとさすがに慣れてくるものだ。慣れてくるに従って、授業をようやく楽しく感じるようになってきた。特にMacro EconomicsとCapital Marketsは、大学で国文学を専攻した僕にとっては今までまともには触れたことのなかった分野だけに勉強していても楽しい。今まで、基本的な概念すらよく分らずに聞きかじりの知識だけで経済問題について語ったりしていたことを恥ずかしく思ったりもする。

しかし秋学期Bが始まってまだ二週間と一日しかたっていないのだが、どちらの科目も既にテキストを2−3センチほども進んでしまった。わずか7−8回の授業でここまで進んでたこと、20日前にはまったく知らなかった知識がまがりなりにも頭に入って授業を楽しめていること、それはすごいことだ。MBAの授業は、とかくネガティブな文脈で使われることの多い「詰め込み教育」そのものである。(正確に言えば、プレゼンなどを通じてアウトプットも出させるという意味で、「詰め込み&吐き出し」教育とも言える。)毎日のリーディングの量を見ると悪態のひとつもつきたくなるものだけど、こうして考えてみるに詰め込み教育も悪くないかもしれない、と思う。

それにしても人間はかくも置かれた環境に順応するものなんだ、と実感する。アップサイドの順応を「成長」、ダウンサイドの順応を「堕落」と呼ぶのだとすると、成長も堕落も同じくらい容易に起こりうるのだろう。もちろん、どんなに高いレベルに置かれたとしても僕が決してイチローにはなれないように、アップサイドの順応にも限界値はあるけれど、それでも各個人それぞれの限界は意外と各人が考えるよりも遠いところにあるのかもしれない。

以上、単純に「短い睡眠時間でも活動している自分」「最近授業を楽しんでいる自分」をふと発見して、思った事でした。


11月20日(火)    順応その2

午前中の授業終了後、昼食を取りながらケースインタビューのシミュレーションなどをする。その後は図書館で明日のCapital MarketsとMacro Economicsの予習。合間に午後3時頃と9時頃にそれぞれ30分ほど、机に突っ伏して仮眠をとる。夢を見る。

近頃ようやく夢の内容が英語になったようだ。もっとも、目が覚めて思い返すとほとんど意味をなしていないことがらをひたすらしゃべっている夢であることが多い。スタディグループでCapital Marketsについて説明しているシーンなどを切り取ってきたような夢ばかりで、いつもストーリー性はゼロだ。まだまだ英語は僕にとって意味を伴う言語ではないようではあるが、それでも少しずつ少しずつ順応しつつあるようではある。

仮眠でリフレッシュして、夜はまたホッケー。今日は二年生対一年生の日本人練習マッチを行ったのだが、正確にカウントできないほど点数を取られた(15点以上)。対する一年生チームはわずか3点。ホッケーの方もこれからどの程度順応し、どの程度差を詰められるのか楽しみだ。

午前四時。予習・洗濯・メール終了。さて、サンクスギビング休暇まであと一日。


11月21日(水)    感謝祭休暇

一時間目の経済学の授業で教授の質問の意味を正確に把握できず、質問の主旨とややズレた解答をしてしまう。「解答をする時はよく考えて答えなさい」と皮肉を言われる。ああ、これではクラスメートに俺は馬鹿だと思われているんではないか、と凹むが、それも一瞬のことだ。今日の授業が終われば四日間のサンクスギビング休暇に入るのだ。

二時間目の授業が終わったあと、帰宅して仮眠をとる。1−2時間だけ眠るつもりが、気がついたらもう夜の7時であった。6時間も眠っていたことになる。

夜は二年生Kさんの自宅でパーティー。久しぶりに味わったおでんの味は格別だった。

さて、明日から四連休。様々な予定が目白押しだが、それでも平常の生活に比べると本当に余裕のある四日間だ。これほど開放感に満ち溢れた夜も久々だ。


11月22日(木)   Thanksgiving Dinner

ダートマスのUndergraduateで、だんなさんが法律学を、奥さんが経済学を教えている夫妻の家にお呼ばれしてThanksgiving Dinnerをご馳走になってきた。大学のInternational Officeがアレンジしてくれたのである。ターキーをメインにした料理は、味自体がとりたてておいしいわけでもないのだが、雰囲気が楽しめてなかなかよかった。ちょうど日本のおせち料理みたいなもんだろうか。

一緒に招待されていたのは、経済学のアメリカ人二人、政治学のデンマーク人二人、エンジニアリングのトルコ人、TUCKの中国人、そして僕。教授夫妻の両親も同席していた。感謝祭の由来などを聞きながら食事をしているうちに、いつの間にか「日本はどうすれば復活するか」などという話題になっていた。ひとしきり自分の考えを言わせてもらったが、当初想像していたよりもこちらの人々が日本経済の状況を注視しており、日本の状況についても精通していることに驚かされることが多い。経済学を教えている奥さんは当然として、そのご両親までが日本の状況に詳しいのには驚いた。お年を召した両親からは、1920年代の大恐慌の際の記憶(父親がウォールストリートで働いていたらしい。暴落の翌日窓から飛び降りようとした、とか。。。)や、ロックフェラー家の兄弟とダートマスで学んだ時の思い出など、色々と興味深い話も聞くことが出来た(ここでもまた日本企業がロックフェラーセンターを買収した頃の話題になったのだが)。やはり実際に色んなものをこの目で見てきた老人の話というのは貴重だし、説得力がある。

TUCKの校舎のすぐ裏手、オンキャンパスにあるこの教授夫妻の自宅は、それにしても非常にゴージャスであった。こんな家にいつか住んでみたいものである。

【今日招待された学生たちと(おばさんは教授)】


11月23日(金)     休日二日目

サンクスギビングというのが、クリスマス商戦が始まるひとつの区切りなのだろうか。West Lebanonのモールは完全にクリスマスモード、ラジオから流れる曲はクリスマスソング一色になった。サンクスギビング中は、アメリカ人はほとんど故郷に帰るらしく、またインターナショナルの学生の多くは旅行などに出かけるらしく、Sachem Village内も閑散としている。

今日は寝た。久しぶりに14時間も寝た。午後三時頃に起きだして、たまった掃除・洗濯などをする。洗ったベッドカバーなどを乾燥機にかけようと家を出ると、ちょうど散歩していた女の子から「Moe's Papa!!」と声がかかる。三ヶ月近く会ってないのによく覚えてるねえ。

さて、昨日と今日の半日、のんびり過ごしていたらあっという間にサンクスギビング休暇も半分が過ぎてしまった。週明けのアサインメントが相当ハードなので、そろそろ気合を入れて勉強しなければ、というところである。早速学校に出かけたが、就職活動のメールを書いたり、たまったメールに返事を書いたり、とある企画のHP作成作業をしたりしているうちに、あっという間に深夜になってしまう。

夜、突然自宅に懐かしい顔がやって来た。事情ありてあまりここで詳しく書けないのは残念だが、懐かしく嬉しかった。

さて、気合を入れて頑張るとするか。


11月24日(土)     Eカラパーティ

"Eカラ"という商品がある。タカラから売り出されているテレビにつないでカラオケができる商品である。ダートマスメディカルスクールのS井さんたちがEカラで盛り上がっているという話を聞き、思わずTUCKでも先日購入してしまった。T内さんが日本へ一時帰国した際にあれもこれもと注文を取ってカートリッジ10本を買ってきてもらったのだ。(東京での僕の生態をよくご存知の皆様からは、「アメリカまで行ってまだやっとるか」と笑われそうですが、まったくもってそのとおりです。しかし残念ながら鳥羽一郎の「兄弟船」は売り切れでした。)

今日は、Eカラ購入記念の第一回カラオケパーティを山奥の一軒家、同級生Kさん夫妻宅で開催。メディカルスクールの方々もカートリッジ20本強を持って参加してくれた。合計大人20人強、子供7−8人の大所帯だ。当初キッズソング主体で始まったパーティーもいつの間にか完全におっさんたちに支配され、さらには奥様がたに主導権が移り、はたまた男たちがマイクを奪い返し、などと毀誉褒貶を繰り返しながら夜遅くまで続いていた。午後3時から始まった宴は午後9時をまわってもいつ終わるとも知れず盛り上がっていたため、今日は珍しく途中で退散してしまう。

次のカートリッジを右手に握り締め、歌が終わると同時にマイクを奪い合う大人たち。かたやドクター、こなたMBA(笑)。遠く日本を離れたハノーバーでこんな素敵な光景を演出してくれた日本のカラオケ文化の偉大さに敬意を表するサンクスギビング三日目のイベントでありました。今後二年間、色んな場面で活躍してくれそうです。

(ちなみにこのEカラなる商品。アメリカでもその名も「E-Kara」として販売されているとのことです。)


11月25日(日)    問題児

始まる前は無限にも思えた四日間のThanksgiving休暇は、瞬きしている間に過ぎ去ってしまった。今日からは明日の予習のため、通常モードに復帰である。非日常の生活を送った休日から日常の生活に戻る時は、常に気が重い。おぼろげな記憶の中で、幼稚園の夏休み明けに仮病をつかって幼稚園を休んだ、というかすかな思い出がある。何だか腹が痛いとか何とか言っていたような。。。小学校でも中学校でも日常への復帰はいつも気が重いものだった。齢三十を重ねれば、大人として充分に成熟し、そのような境地とはもはや無縁であるはず、と思っていたが、やはりその思いは変わらないようである。しかし、そもそも現在の留学生活そのものを二年間の長い非日常の生活、二年間の生産的生活からの休暇、だと捉えれば、より大きな転換は二年後にこそやってくるはずなのだ。

どんなにワークロードがきつかろうとも、現在の状況で自分が犯した失敗が誰かに迷惑を及ぼすわけでもない。俸給を削られるわけでもない。言ってみれば極めてノープレッシャーに近い状況なのであり(もちろん将来の責任に対する別の意味でのプレッシャーはものすごくあるが)、それはそれ、働いている時に比べれば数倍気は楽だというものである。こんなある意味で恵まれた状況にいられることは恐らく人生の中でもう二度とあるまい。「学生」という立場に戻ることなど、どう考えてもこれが最後に違いない。そう考えると随分と気が楽になり、やや足取りも軽くスタディグループに出かけた。

 

しかし、最近スタディグループで問題が起こっている。前々から遅刻&スタディグループすっぽかしの常習犯であったポーラ女史が、いよいよグループに出てこなくなってきたのである。出てきたら出てきたで意味不明の不規則発言を繰り返してグループワークの効率を下げるので厄介なのだが、いないといないでこれはまた困る。ケースライトアップなどは、一応全員でコンセンサスを得ながら進めないといけないため、完全な二度手間になることもあるのだ。

今日もポーラはグループワークには出てこなかった。やむをえず彼女を除く四人でケースライトアップをするが、非常に効率的に進みたった二時間で終わってしまった。しかし、火曜日締め切りのかなり重めのケースライトアップが三本もあり、すべて明日じゅうに仕上げねばならない。なかなかもってしてこのまま終わるとは思えない。

僕はだいたい日本ではこういう場合に調整役を買って出る(おせっかいとも言う)のが常だったのだが、こちらでは僕の調整能力は完全にゼロに等しい。しかし、たかだか五名のスタディグループのマネージメントにも苦労するのだから、企業経営などというのが一筋縄でいかぬのは当然のことだ、と学校側の狙いに見事にはまっている自分にやや悔しさも感じつつ、思うのだった。


11月26日(月)     マクロ経済

今日のマクロ経済の授業のテーマは財政政策。前回の金融政策にひきつづき日本の現状がかなり取り上げられたので、がんがん当てられた。「コールドコールが嫌なら手を上げて発言しろ」が我々のグループ内の合言葉なので、手を上げて発言したのだが、それでもその後にコールドコールを二回くらう。他に自主的発言が数回。しかし、「ヒロシ、日本で1905年には何があったのか?」という質問に日露戦争が咄嗟に出てこなかったのは「坂の上の雲」愛読者としてかなり恥ずかしいです。

アメリカに来る前は、「日本はインフレターゲットを設定すべき論」や「さらなる大幅金融緩和をすべき論」が支配的なのかと思っていたのだが、少なくとも授業で語られる限りは極めてモデレートな論調なので、やや驚いてもいる。

それよりも今日実感したこと。やはり自国を戦争で攻撃されたことのない国というのは、戦時経済ひとつとっても語る時のアプローチが違うのだ、ということ。日本は先の大戦の記憶が我々世代にさえあるため、ああいったアプローチには絶対なるまいに。

情けなくも言葉のバリア越しに悪戦苦闘しており、本当にもどかしい限りだけれども、マクロ経済を学ぶことは実に面白い。


11月27日(火)    Forum Project

Tuck Leadership Forum(通称Forum)と呼ばれる一連のプログラムがある。(極めてテーマが曖昧模糊としたプログラムだと個人的には思うのだけど)General ManagerとしてのLeadershipを養成することを一応お題目としたプログラムであり、秋学期AのGeneral Management、秋学期BのManagement Communication(プレゼン・ライティングスキルを含む効果的なコミュニケーションに関する課目)、Entrepreneurial Management(読んで字のごとくアントレ)などを包含するプログラムである。さらにこのForumの中には、冬学期に行われる"Forum Project"なるものが含まれている。4−5名でチームを組んで実際の企業に対してコンサルティングをしたり、アントレのビジネスプランを作ったりするものだ。

このForum Projectのチーム確定の締め切りが来週末に迫ってきたことから、周囲がだいぶ慌しくなってきた。頻繁に"Team Formation"なるミーティング(パーティ?)が開かれ、メーリングリスト上を各自のアイデアをピッチしてメンバーを募集するメールが飛び交っている。僕はこのForumでは是非アントレをやりたいと思っており、アイデアも持っているのだが、なかなかメンバー集めが大変である。ぎりぎりまでリクルーティングを伸ばしていたせいで、結構皆すでにチームが決まっていたりするのだ。さて、今後二週間で何とかメンバーを集めるか、それともさくっとどこかのコンサルプロジェクトにもぐりこむか、乞うご期待。

 

加速度的に日々が転がっていく中で、冬に向かう駆け足は不気味なくらいそのスピードを落としている。朝の車の窓の凍結もここ数日は見られないほど穏やかな天候がつづいている。たぶん、次の駆け足が始まった瞬間に本格的な冬が一気にやってくるのだろう。

夜、久しぶりにホッケー。だいぶ自由に滑れるようになってきたことにふと気づく。しかし、試合の中での動きは全然駄目だ。
ホッケーで汗をかいた後の熱いシャワー。そしてビール。至福の一時なり。今日はこのまま予習はやめて寝てしまおうか。


11月28日(水)    続Forum Project

Forum Projectのミーティングが夜8時から開かれた。自分のアイデアを説明したところ、三人から「面白いね。一緒にやってみてもいいかな」という反応があった。更に、その場に居たアントレの教授にプランについて簡単に説明するが、「今ひとつよく分らないのでFinancial Modelを作ってみてくれ」と言われる。自分でもまったく抜け作もいいところだと思うのだが、この教授がある程度事業のフィージビリティがあると判断してOKを出さない限り、アントレプロジェクトはスタートできないことになっていることに、僕は今日その場で気づいたのだった。締め切りは来週末だが、そんなに悠長なことは言っていられない。今日理解を示してくれた三人も、「このプロジェクトでは苦労しそうだな」と判断すれば、他に流れてしまうだろうし、何よりこの時期には皆ヘッジのために同時並行でプロジェクトを当たっているため、時間との勝負の部分も大きいのだ。

しかし、いよいよえらいことになってきた。実はあと三週間以内に某診断士資格の更新研修論文を書き上げて日本に送らねばならない。当HPのインタビュー企画もアドミッションのサリーともうアポを取ってしまった。年末のコンサルのインタビューもぼちぼち入り始めたので、いよいよケースの練習などもしておかねばならん。昨年Eさんが作った名HP「こうすれば受かるMBA」の更新作業も同級生Tさんの音頭取りでやっており、2001年版ウェブ作成作業がまだまだ残っている。そうそう、学生の本分たる勉強もしなければならない。あさってはCapital Marketsのミッドタームだった。さてさて。

こんなことばっかり書いていると、あたかも「忙しさ自慢」をしているようで申し訳ない。ただ自分を鼓舞しようとしているだけなので勘弁してください。当日乗の目的としては、@家族・友人・知人への近況報告、A自分自身のための単なる記録、B我が母校TUCKの宣伝、Cアプリカントの方への多少の情報提供、等などさまざまなものが絡み合っていて、それらが日によって出たり入ったりしている。そのいくつかの目的のひとつとしてさらに、自分に対するモチベーションの提供、みたいなもの(うまく言い表せていない気がするが)も実はあって、時としてそういう部分が前面に出てくると、あたかも「どうだ、俺はこんなに忙しいんだ。でも頑張ってんだろ。すげーだろ」みたいなトーンになってしまっているようにも思う。そんなもんは読んでも面白くも何ともなかろうことで、まこと申し訳ないことです。


11月29日(木)    冠雪とスピード違反

朝、ドアを開けると視界が白かった。雪だ。セントラルヒーティングが入っているので、ベッドを出た段階では今日は寒いのか暖かいのか想像がつかない。ドアを開けてみて初めて思いのほか寒いことに気づき、もう一枚トレーナーを着るために戻ることもある。

車の上も家の前の芝生も雪に覆われている。東京であれば、非日常の光景になんとはなしに心浮き立つところだけど、こちらではこれからいよいよ雪が積もり始めるのか、と思うとその一面の白もうらめしい。

 

夜、図書館での勉強を終えて自宅でつづきをしようと暗い夜道を走っていると、突然バックミラーに青い閃光が映った。パトカーである。どうやらスピード制限を超えて走っていたらしい(何もない一本道の下り坂で30マイルというイジメのようなスピード制限なのです)。回転灯のみならず左右のヘッドライトまで交互に明滅させながら追ってくるパトカーのスピードが妙にのろいので、一瞬このままぶっちぎってやろうか、という考えも頭をよぎる。しかし、リスクに対して「話のタネ」以外のリターンがほとんどないことを思い、おとなしく路肩に車を停めることにした。

日産セントラの後ろに停まったパトカー。回転灯をぴかぴかさせているのに加え(日本のとは比較にならないくらい眩しいです。やり過ぎです)、投光器を車の脇に出してカッとこちらを照らす。こっちの車の中は昼間のような明るさである。しかし、ビデオでもセットしているのか、なかなか出てこない。留学前に会った先輩に、「アメリカでパトカーに止められたら出ろと言われるまで絶対外に出ないこと。間違ってもグローブボックスに手を入れたりしないこと。免許証を出せ、と言われても無言でポケットに手を入れたりしないこと。ピストルを出そうとしていると勘違いされて撃たれるかもしれないからね」と忠告を受けていたのを思い出す。それにしても出てこない(実際は眩しくて後ろが見えないのだが)。遅い。一分ほどそのままだったので、いい加減待ちきれずそっとドアを開けたところ、「Do not open the door!!! Stay in the car!!」と大声で怒鳴られた。実は既にパトカーを降りてすぐ近くで動きを監察していたらしい。ただでさえ眩しいのに、さらに大型の懐中電灯で顔を照らされる。

「制限30マイルのところを44マイルで走ってましたよ。何か理由でも?」
「いや、理由なんてないです。ただ気づかなかっただけ」
「運転免許証と登録証を見せてもらえますか」
「もちろん」

グローブボックスをごそごそ探すが、見当たらない。しまった。先週のカラオケパーティの際にビールを買う時に見せて、そのまま家に置きっぱなしだった。

「家に置き忘れました」
「忘れた?ニューハンプシャーの免許証ですか?」
「いえ、国際免許証です」
「いつこっちにきましたか?」
「うーん。8月だったかな?」(しらじらしい)
「三ヶ月以内にニューハンプシャーの免許証に書き換えないといけないのは知ってますね?」
「え?!そうなんですか?知らなかった。。。」(しらじらしい)
「とりあえず記録を問い合わせますので、車から絶対出ないように」

若い警官はそういい残してまた眩しいパトカーの中に戻っていった。スピード違反に免許証不携帯と更新期限切れ(車の登録証を見ればすぐ分る)、さすがに罰金でも取られるか、と覚悟したが、意外にも結論は、「今回は警告だけです。次回から制限速度は守ってください」というものだった。助かった。

ちなみに、上記会話の間、警官は常に最後に"Sir"を付けていた。別れ際には、「Have a safe drive sir!」と一言。傍若無人な投光器の光と彼の丁寧な言葉遣いとのコントラストが印象に残ったスピード違反であった。

今後は制限速度には気をつけるようにしよう。


11月30日(金)     11月終了

Management Communicationの授業は、"Impromptu Presentation"と題してクラス全員で順番に90秒プレゼンテーションを行うものだった。前の人間のプレゼンの最後の言葉をテーマにして次の人間が順番にプレゼンをしていくというスタイルである。僕が指名された時、前の人間が最後に使っていたのは、"living in a dorm"という言葉。あまり良いネタも浮かばなかったので、ついクラスメートT内さんをネタとして使ってしまったが、この授業自体は何だか童心に返ったようで楽しかった。

午後のCapital Marketsの試験で今週も終了。さすがにこの季節になってくると4時過ぎには外は暗くなるし何よりも寒いので、せっかくの一週間の終わりなのに外でスポーツをしようという気も起きやしない。こちらに来た頃はサマータイムだったこともあって、夜9時過ぎまで明るかったことを思い出す。外が明るいのでつい子供も買い物などに連れまわしたりするのだが、気が付けばもう子供は寝る時間だったり。

少し仮眠をとって夜はまたホッケー。少人数でやったため交代要員がおらず、途中で完全にスタミナ切れになってしまった。瞬発力もないが持久力はもっとなくなっている。

ホッケーの後は隣人I氏宅で少しビールを飲み、ほろ酔い気分で朝まで調べ物をする。気が付けば暦は既に12月に変わっている。秋学期最後の月、実質最後の二週間である。


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