MBA留学日乗 2002年1月 | ホームへ | | 前月へ | | 翌月へ |
1月1日(火) 元旦
年が明けた。「ゆく年くる年」を見ながら、皆で新年のご挨拶。その後、嫁さんのお母さんと明け方までワインを飲む。昼前に起き出して、雑煮を食べ日本酒を飲んだらあっという間に酔っ払ってしまい、気が付いたら六時間も爆睡していた。外は既に夕闇である。そんなふうにして元旦のほとんどは夢の中で過ぎていった。
今回の日本滞在では、こんなにリラックスしていていいのだろうか、というぐらいのんびりと羽を伸ばさせてもらった。嫁さんの実家ではほとんどお酒を飲んでいるか寝ているかのどちらかだった気がする。相変わらずの呑み助&ねぼ助ぶりで両実家には申し訳なかったけれど、これはこれで実に合目的な、貴重な10日間だった。
明日にはハノーバーに戻る。10日離れるとハノーバーの雪景色も恋しく思えるものだ。
昨年、ほとんど脈絡のない戯言につきあっていただいた皆さん、ありがとうございました。今年も一年宜しくお願いいたします。
1月2日(水) 帰米
昼前に八王子を出て成田へ向かう。多摩センターの駅まで義母に送ってもらったのだが、娘は例によって「ばいばーい」と感慨もクソもない見送りようだ。成田空港では、今後ジャパンナイトなどのイベントで使うための日の丸鉢巻、ホッケーのヘルメットに貼るための日の丸ステッカーなどを購入。本当はホッケー日本代表ユニホームを買いたかったのだが、今のレベルで代表ユニホームを着てプレーすると日本のアイスホッケーのイメージを汚しそうなので、とりあえずステッカーだけで我慢することにした(充分汚すことになるという話もあるが)。
成田空港でばったり会った同級生Tさんと一緒に飛行機に乗り込む。飛行機の中では、隣のアジア系アメリカ人がずっと映画を見ながら声をあげて爆笑しており、「うるせーな、眠れねーだろうが」と思っていたが、後で自分も同じ映画を見て不覚にも爆笑してしまった(題名は知らないがMr.ビーンの出ている映画)。NY郊外のニューアーク空港での乗り換えでは、靴を脱がされ、脱いだ靴をX線にかけられる。
ボストン・ローガン空港からはローガン空港・ハノーバー間の定期バス"Dartmouth Coach"でハノーバーまで帰る。いつも数人しか乗っておらず勝手に収支計算をして、「この会社つぶれるんじゃないか」などと心配していたのだが、今日は帰省帰りのダートマスの学生で満員だった。ボストンでは積もっていなかった雪がインターステートを北上するにつれて少しずつ増えていく。そしてハノーバーに着いた時にはすっかり見慣れた雪景色に変わっていた(それでも僕が日本に帰っていた10日強の間一度も雪は降っていなかったらしい)。
さて、思いもよらぬ満員でタクシーを呼ぶのも一苦労だな、と思いつつバスを降りると、何と隣人I氏の姿が。今日帰ることを知って車で迎えにきてくれた、とのこと。深夜12時をまわっていたのでピックアップをお願いするのも悪いな、と思っていたのだけど、本当に助かった。ありがとうございました。
雪が降っていなくてもやっぱりハノーバーは寒い。空中で消えずにしばし漂う白い息に、ああ帰ってきたなあ、と思う。ちなみに帰った時の気温は華氏17度=摂氏マイナス8度だった。久しぶりのハノーバー、久しぶりの我が家は、懐かしかった。すっかりホームタウンである。
八王子を出てから正味27時間の長旅である。最後は未明からコロラドにスキーに出かける、という隣人I氏を半ば無理やり誘ってビールを飲んだ。
1月3日(木) 日本からの小包
見事に昼夜逆転。時差ボケというよりも単なる昼夜逆転である。つまり帰国した当日に寝すぎてしまったのだ。
あたりが暗くなってから起きだして、外へ買い物に出かけようとしたところ、ドアの前にコロンと白い箱が転がっている。見ると日本からの小包である。診断士実習仲間のTさんが救援物資を送ってくれたのだった。箱を開けると、カップラーメン・カップワンタン・菜箸セット・七味入れ・扇子・お手玉・おはじき・ハム太郎のおもちゃ、などなど出てくる出てくる。ああ、ありがたやありがたや。Tさん、本当にありがとうございます。
しかし、家人がいないとなると家の前にそのまま転がしておくアメリカの郵便のアバウトさは何とかならんか。このあたりは治安がいいからいいようなものの、都市によってはそのまま盗まれることもしょっちゅうらしい。盗まれる前にちゃんと受け取らぬ方が悪い、ということなのだろう。たとえ治安が良くても雪が降ったらどうする気だ。ビニールくらいかぶせようとか思わんか?シカにワンタン食われたらどうしてくれる。
テレビでローズボウルを見ながらのんびりする。そういえば今日まで「三が日」なんだよな。
1月4日(金) イチローフィギュアを見て思うこと
冬学期のテキスト類などが書店で売り出されたのでそれを買いに行く。店内は学生でこったがえしている。交わされる挨拶は"Welcome back to the hell!" "Welcome back to the nightmare!"等々。正直、自分も来週から始まる冬学期を前に気が重いところがあるのは否めない。誰から強制されたわけでもなく、自分で決断し、そしてそれ相応の努力をつぎ込んで今ここにいるにも関わらず、その本分たる勉学の再開を前にして気が重い、というこの矛盾。いったい何なのだろうか、とおかしく思う。まあ、それだけ人間は矛盾した生き物だ、ということですね。(いや、こうやって安易に思考を切断しているようではいけません)
例によってウェストレバノンにある"Price Chopper"に買い物に行ったところ、レジ前の陳列スペースに「イチローフィギュア」を発見。そのあまりの似てなさぶりに、思わず「似てねー!」と日本語で叫んでしまったほどだが、それはともかく。
陳列されていたレジ前の12フェイスのうち、カル・リプケンの2フェイス以外の実に10フェイスをすべてイチローフィギュアが占めていた。これは、よほどイチローフィギュアだけを大量に仕入れたのに違いない、とその裏を見ると、さにあらず。イチローフィギュアの裏には、しっかりマーク・マグワイア、ノーマ・ガルシアパーラ、ペドロ・マルチネスなどなどのフィギュアが隠れている。つまり、数ある大物メジャーリーガーのフィギュアの中で、イチローフィギュアがもっとも消費者を引き付けるはず、と"Price Chopper"の売り場担当に判断されたのに違いなかった。イチロー、すげえな、お前、とまたも思う。
イチローを始めとして、よくよく見ると実はこのところ世界レベルで活躍するスケールが大きい日本人連中が増えているようだ。中田英寿(ちょいと調子を落としているが)、高橋尚子、坂本龍一、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを指揮した小澤征爾、中村修二を始めとするエンジニア、科学者連中、等々。日本人全般が閉塞感とか何とか言っている間に、こういった連中はどんどん世界でその地歩を固めている。これらの連中、実は語学はさほどできない、らしい。それぞれ使用している外国語は、相当ブロークンである、らしい。しかし、当たり前のことだが、彼らの活躍するフィールドと語学の流暢さは関係ない(もちろんタクト振るにも研究するにも言葉は必要だが、何も流暢である必要はない)。そして恥ずることなく、彼らはブロークンな言語を使用し、その分野の超一流の連中をもうならせる仕事を繰り出していく。彼らは、いわゆる一般的日本人とは違うメンタリティを持っているようである。例えば大企業の中にサラリーマンとして組み込まれた瞬間に機能不全でも起こしそうなメンタリティだ。そのメンタリティと、超一流の才能と、超一流の努力がなければ、彼らはあの場所にはいなかったのだろう。
彼らの活躍を見るにつけ、才能の乏しき自分は、今後もとことん努力せねばなるまい、とことん積極的に攻めねばなるまい、と思うのだった。秋学期を通じても改めて実感させられたことでもあるが、カミソリのごとき切れ味を生まれつき備えたる天才というのはいるものである。そして、僕は、悲しいかなそうではない。否、自分も天才だ、と思うことは勝手だが、そうではない、と認識することもまた重要である。そして、そう認識することすなわち「負け」では決してない。天才でない自分が天才である彼らに勝つ方法とは何か。「努力」、そして少し違ったアプローチ、しかあるまい。努力は全然格好悪くない。努力してる奴はめちゃくちゃ格好いい。
などなど、色々考えさせてくれたイチローフィギュアであるが、結局買わなかった。9ドル99セント、高いんだもん。
1月5日(土) 風邪
日本から帰って来るのと同時にひいた風邪がなかなか治らない。普段の体調なら当然皆を誘って飲みたいところをひたすら自重し、ビールも飲まずおとなしく風邪薬を飲んで毎日予習もせずに一日10時間前後も寝ているのだが、なかなか喉・鼻が治らない。どうも他の人々のサイトを見ていても、皆日本から帰ってくると同時に風邪をひいていらっしゃるご様子。気候の急激な変化・B-Schoolでの気が張った状態及び故郷でのイベント満載の日々からの一気の脱力・飛行機での毛布一枚の睡眠、などが重なって皆風邪をお召しになってしまうんでしょうねえ。
さて、あさってから本番再開のため明日にはさすがに予習をせねばならない。それまでには何とか風邪は全快といきたいところなのだが。
1月6日(日) ポンドホッケーと停電
「池がいい感じで凍ったようなのでポンドホッケーをやりませんか」という二年生Wさんからのお誘いがあり、早速参加してきた。いつまでも風邪を引きずっているのでいっそのこと運動でもしたらよくなるのでは、という荒療治に出たのだが、結果、風邪の方は可もなく不可もなく。
朝十時に大学所有のカントリークラブ近くにある池に向かうと、大きめの池が見事に凍っており、既に何十人もの人が池の上を滑っていた。スケート靴をはいて脛当てをし、スティックを持っていざ池の上へ。スケートリンクとはもちろん比ぶべきもないが、思ったよりも綺麗な氷の表面で滑りやすい。なんと言ってもアウトドアで滑る爽快感はまた格別である。氷の上を押す乳母車のソリ版みたいなものもあり、乳飲み子などが、父親に押されてガーッと音をたてながら滑っていく様はなかなか圧巻である。風邪ひかないだろうか、と余計な心配をしてみたりするが、皆当たり前のように乳幼児を氷上に連れて来ていた。また、例によって犬も氷上を走り回っている。足の裏には肉球しかないはずの犬がなぜか氷の上で滑らないということを発見。謎である。
結局二時間強も休みなしでミニゲームをやって、くたくたに疲れきった。しかし、これは癖になりそうだ。
【こんな小さな子供がたくさんホッケーをやっていました。こりゃうまくなるわけだ】
ポンドホッケーで疲れきったため、夜11時に早めに床に就いたところ、午前二時頃、突然「ピピピピー!バチン!」という音が聞こえて目が覚めた。点けていたはずの勉強部屋の電気が消えている。どうやら停電のようだ。ためしにセントラルヒーティングのダイヤルをいじってみるがこれも止まっている。電話で問い合わせようにも電話も通じない。「いざとなれば、緊急時の事務所まで車で行くか」と窓の外を見たところ、ものすごい雪である。ここ10日間以上降っていなかった分を取り戻すかのように、数時間で膝近くまで積もっており、とても車を出せるような状態ではなかった。セイチャムにある街路灯もすべて消え、暗闇の中にしんしんと雪が降り積もっていく。雪明かりというのは以外に明るいんだな、などと思いつつ、とりあえずもうこれは復旧を待つしかない、とあきらめてまた寝た。
結局停電は30分程度で復旧したのだが、これが長い間続いたりしたらえらいことになるな、とやや恐怖を感じた厳冬の地での停電体験であった。
1月7日(月) 冬学期スタート
冬学期初日は、いきなりのどか雪で始まった。皆、早朝から自宅前の雪かきに精を出している。隣のDuplexのブラッド一家は、奥さん・息子も一緒に家族総出で雪かきである。我が家はまだ一人暮らしのため、手が足りず、結局車を出せるような状況になるまで30分近くもかかってしまった。
冬学期初日の授業はCorporate FinanceとMarketing。いきなりどっさりとアサインメントを出され、早くも全力疾走である。年末年始、日本で思い切りリラックスしてちんたら歩いていたら、いきなり足元のベルトコンベアが高速で回りはじめたようなものだ。しかも、想像していたよりも1.5倍くらい速い。足が空回りしているような感じである。どうもおかしい。こんなにワークロードが多く感じるのは、まだ勘が戻っていないせいだと思いたい。しかし、どうも忙しくなると詮無いことを考えてしまうようで、「ああ、一週間ちょっと前は鬼怒川で猿軍団を見てたのにな」「一週間前は娘と遊んでたのになあ」「あんな貴重な機会を何でもっと楽しまなかったんだろう」などと、気がつくと日本での記憶を反芻していたりして、いやはや情けない。子供ですか?
ところで、今日からスタディグループが新しくなった。新しいチームメイトはアメリカ人男性二人、ブラジル人女性一人、インド人男性一人。最初に一応それぞれの自己紹介をしたのだが、ブラジル人女性は、「前のグループでは、お互いを尊敬するという雰囲気がまったくなくて、一部私の発言を無視するようなメンバーもいて本当に辛かった。だから、新しいグループに期待しているの」と言っていた。やはりそういうグループもあるのね。そして、アメリカ人男性曰く。「僕は糖尿病の持病があるので、最初にお願いをしておきたい。もし僕の様子がおかしくなったら、何か糖分の入っているもの、コーラなどを飲ませてほしい。万が一昏睡状態に陥ったら、、、、とにかくできるだけ早く救急車を呼んでほしい」。
1月8日(火) TSURUBEI
冬学期がスタートして二日目となり、何とかマインドセットが勉学モードに戻った。昨日に比べると随分スムーズにケースが読めるようになったように思うのだが、やはりこういうのは肉体的な環境変化に対して少々タイムラグがあるものなのかもしれない。
ホッケーのトライポッドチームのジャージが出来上がった、という連絡をもらい、ジャージを受け取りに行く。ジャージの背中にはそれぞれニックネームがプリントされているのだが、一年生のそれは二年生部員が決める、という慣わしになっているらしい。そしてそれはジャージが出来上がってくるまで秘密なのだった。いったいどんな名前になっているのか、とわくわくしながら受け取り場所へ向かったところ、二年生から「これだよ」と渡されたジャージの背中には、「94」の背番号と共に「TSURUBEI」(鶴瓶)の文字が。。。
大昔、妻と付き合い始めた頃、妻がまだ僕のことを紹介していない友人に対して僕のことを説明するのに、「笑福亭鶴瓶に似てる」と言っていたことを思い出した。自分の中では全然似ていないと思っていたのだが。しかし、こんなことを書くと、僕を見たことがない人の頭の中では、すっかりオーバーオール着てアフロヘアーの鶴瓶(古い)そっくりの僕が出来上がってしまうかもしれないので、一応念のため申し沿えておきますと、鶴瓶よりもむしろサッカーの中田に似てます(Tさんには「中田はないでしょう」と否定されたけど)。中田1と鶴瓶9(随分多いな)をブレンドした感じでしょうか。
中田x0.1+鶴瓶X0.9=僕 (中田-鶴瓶パリティ)
すなわちこれを展開すると、
中田=僕x10-鶴瓶x9、という式が成り立ちます。中田の構成要素も案外単純だ。
。。。やっぱりマインドセットまだ戻ってないようです。ちなみにT内さんのジャージには、「NAMPA MAN」の文字。
1月9日(水) 「こうすれば受かるMBA」
同級生Tさんと作業をしていたホームページ「こうすれば受かるMBA」の更新作業がようやく一段落し、公開にこぎつけることができた。このホームページは現在TUCKの二年生であるEさんが入学前に立ち上げたものであり、MBA受験者の間では実に有名なサイトであります。このサイトができるまでは、受験生が手に出来る情報は実に限られていた。書籍としてはアルク社から出ている黄色い本などがあったが、この本は十年近くも前に出版されたものであり、情報の劣化が甚だしかった。また、一部の予備校がホームページで公開している受験体験記なども(僕自身某予備校のために書いたが)、当然視点には相当な偏りがあった。その点、Eさんの立ち上げたこのホームページ上にある情報は、直近の受験者が最新の情報を何らの利害関係のない視点から記述してあるので、非常に貴重なものであり、画期的だったのである。僕も受験の各プロセスにおいて本当に参考にさせてもらいました。
それにしてもTさんの音頭取り以降、実に30人以上のClass of 2003の人々が協力を約束してくれ、かつ皆相当忙しいはずのビジネススクール最初の学期中にこれだけの情報を書いてくれたというのは、本当に素晴らしいことだと思う。ボランティアの力、というものを感じた企画だった。(といいつつ、肝心の自分自身の原稿がまだ出来上がっていないのでした。早く書かねば)
今年のアプリカントの方にとっては、やや遅きに失した情報かもしれませんが、是非ご一読ください。
1月10日(木) 第一週終了
冬学期最初の一週間終了。初日の月曜日に受けた衝撃はその後和らぎ、何とかうまく滑り出せた気がする。スタディグループのメンバーに恵まれたこと、ある程度その中で貢献できたことも精神的には非常に楽にしてくれた。もっとも最後のマーケティングの授業では、話を聞いていない時にコールドコールされてボロボロだったが。(うまい具合に当たるんだな、そういう時に限って)
授業後、マーケティングの教授にマーケットアトラクティブネスの捉え方について色々と質問したところ、「自動車業界か。興味深いね。君の元職場にいる人々がマーケティングアトラクティブネスをどう捉えているのか聞いてみてくれるとすごく嬉しいんだけどなあ」と言われ、成り行き上"Sure, I'll try it"と答えざるをえなかった。そんなわけで、元同僚・上司の皆様、その際はなにとぞご協力をお願い申し上げます!
ちなみにこの教授はベルギー出身、コーポレートファイナンスの教授はスペイン出身である。外国語を駆使して海外のビジネススクールで教える彼らは本当に尊敬に値すると思う。彼らのように言葉の問題なくディスカッションができるようになるのはいつのことか。
冬学期からはプロジェクトが入るのとアメリカ人の就職活動が始まるため、金曜日が休みになり週休三日制になる。これは大きな違いである。授業がある日で見ると、5日→4日と20%減少しただけなのだが、休日ベースで見ると2日→3日で50%の増である。しかも日曜日は翌日のクラスのためのスタディグループがあるので、純粋な休日という意味では1日→2日と100%増だ。この違いは大きい。これもプロジェクトのワークがどれだけ入ってくるかによってだいぶ違ってくるが。
夜、同級生Iさんご夫妻のお宅へお邪魔してお好み焼きをご馳走になってしまった。そういえば秋学期Bの時も第一週の終わりにIさん宅で晩御飯をご馳走になったのでした。
1月11日(金) 日本食
午前中、プロジェクトメンバーで集まって打ち合わせをするが、なかなかタフなスケジュールであることを一同再確認することになった。午後は昨日にひきつづきIさん夫妻宅へお邪魔し、中国生まれの四人で四角いテーブルを囲んで行うゲームに興ずる。実に久しぶりにやったのだが、学生時代明けても暮れてもこればっかりやっていたことを思い出す。何て非生産的で自堕落な生活であったことだろうか、と今思い出すだに「ああ、もったいない」という気持ちがまず浮かぶ。といいつつアメリカまで来てまたやってしまったのだが。
夜は元同じセクションであった日本人のTさんご夫妻宅にカナダ人のデビッド、スペイン人のラファと一緒に食事にお呼ばれ。天ぷら・寿司(絶品)・枝豆・そら豆等などの日本食をお腹がはちきれんばかりにご馳走になり、かつ「久保田」「菊水」など当地ではついぞお目にかかったことのない日本酒をいただいた。当夜のメインゲストであるはずのデビッドとラファよりも、むしろ日本人の僕の方が感動してしまったような気がする。
Tさん夫妻は、ハノーバーに来るまではご主人は都銀のNY支店で、奥さんは投資銀行のNYオフィスで働いており、奥さんは現在も同じ投資銀行にて在宅勤務形態で働いている。つまり二人とも英語が非常に美しい。ひそかにライバルと目していたT家の11ヶ月の息子が既に寝てしまっていたため、残念ながら今宵も僕が最も英語のできない存在であった。
それにしてもおいしい食事をご馳走様でした。何だか週末は食事をご馳走になりまくっている気がする。明日は日本人の新年会。
1月12日(土) 新年会
昼から図書館で月曜日の予習。そして夕方からは二年生Kさん宅で行われたTUCK日本人の新年会に参加する。今回は新潟の国際大学MBAから交換留学で来ている日本人学生一家とインド人学生も参加。パートナー、ちびっこも参加して例によってにぎやかな宴だった。
夜、11時頃から実に久々のホッケーをする。ひさしぶりでとにかく体力がきつい(新年会の後だったせいもあるが)。全般的な筋力・持久力向上の必要性を痛感する。まったくもって体にキレが感じられない。
ところで日本から荷物が郵送されてきたのだが、今回はドアの前に転がしておくのではなく、不在通知がドアの間に挟まっていた。実は現在我が家のドアの前には、先日の雪が屋根から大量に落ちたものがそのまま半ば氷と化している。また屋根には何本もつららが下がっており、いつそれが落ちてきてもおかしくない。したがってさすがのいい加減なアメリカ人も「今日は家の前に転がしておくとまずい」と判断したらしい。意外に常識あるのね。
1月13日(日) スタディグループとプロジェクト
午後5時からスタディグループのミーティングを開始。一時間ほどコーポレートファイナンスのケースについてディスカッションしたところで、プロジェクトのミーティングのためにスタディグループを抜ける。
実は昨年まではプロジェクトがある冬学期についてはプロジェクトチームがそのままスタディグループとしてワークしていたのだが、今年からプロジェクトチームとは別にスタディグループをアサインする、という新しい試みを学校側が始めた。「プロジェクトチームですべてのクラスの準備をするとなると、どうしても多様性に欠けてしまうきらいがある」、というのが理由らしい。そのため、今日のようなバッティングはどうしても起こってしまう。こちらの都合でスタディグループの時間をずらすと今度は別の誰かがバッティングする、というようなことになる。これはこの新しい試みの難点とは言えるけれども、総じて僕はプロジェクトとは別にスタディグループが存在する現状に満足している。一緒に作業する相手の組み合わせが変わるというのは、なかなか気分が変わって宜しい。プロジェクトのミーティングが終わってスタディグループに戻った時には、既にそちらのミーティングは終わっており、メンバーのケニオンが、最終結果を僕に伝えるために残ってくれていた。
ところで、ここまでのところコーポレートファイナンスでグループに貢献できているところが、かえって不安でもある。ファイナンス素人の僕が貢献できるということは、それだけグループ内にファイナンスが得意な人間がいない、ということの証左でもあるのだ。実際、メンバー5人中元エンジニアが3人、元マーケティング1人、元メーカー1人。T内さんの新しいグループのメンバーなど、ほとんど全員がファイナンス出身だというのに、我がグループ、ちょっと心もとないところでもある。しかし、正直居心地は極めていい。(秋学期のスタディグループもビル・T内さんと三人で作業している時は居心地は良かったのだが。。。それでも「スーパースター」ビルに色んな面で頼りすぎていた気がして今になって反省している)
ところで、会社を辞める時に送別会でいただいた電子辞書を僕はこれまで死ぬほどこき使ってきたのであるが、先日ついに電池が切れた。よって、近所で単4電池(こっちでは単4はAAA、単3はAA、と言うらしい)を買ってきて入れ替えたのだが、うんともすんとも言わない。アメリカの電池は何か規格でも違うのだろうか。正直、ボキャ貧の私が電子辞書を奪われるとなると、これはかなり辛い。どなたか日米電池事情(?)に詳しい方、ご指南してくれませんか。
1月14日(月) 学内リーグ
今日から始まったIntramural(学内) Hockey Leagueの試合に参加する。学部生チーム・寮チーム・メディカルスクールチーム・ビジネススクールチーム・教職員チームなどなどダートマス大学のさまざまなチームが一同に会して行うリーグ戦である。我がTUCK Cチーム(チーム名はどういうわけか"Team Britney Spears")の緒戦の相手は、どう見ても我々よりも10歳以上若いアングラ学生チームであった。試合前の練習を見ていると、相手チームはユニホームも揃っていないし、まともに滑ることもできないメンバーもぽつぽついるようだ。これは楽勝だな、となめてかかっていたところ、数人の経験者と思しき選手にひっかきまわされ、0−3で完敗してしまった。
ところで、Team Britney Spears内のメールでこんなサイトがまわっていた。勉強中に図書館で見ていたら女子学生に変な顔で見られたが、なかなか面白いです。
さて、明日はTUCKの1st Roundの合格発表日とのこと。四月に行われる合格者を集めたイベント"Admitted Students Weekend"の準備などもそろそろ始まったようだ。合格発表待ちの人々にとってはとにかく気が気じゃないことでしょう。1st Roundに出願している知人の皆さん、良い結果が出たら是非ともメールで教えてください。
1月15日(火) ストラテジーの授業
昨日からストラテジー(正式名称はGlobal and Competitive Strategy)の授業が始まり、今日はその二回目の授業があった。非常に珍しいスタイルなのであるが、どうやら二名の女性教授が入れ替わり教えるようである。彼女達はそれを"Innovative"なスタイルである、と称していたが、単に混乱を招くだけのような気がする。昨日は、HPによるCompaq買収、今日はサーカスのストラテジーをクラスで取り扱った。題材はともかく、教授のディスカッションの取り回しがまったくもってつまらない。シラバスを見て期待していた授業だけに、正直ちょっと失望が大きい。明日のケースは任天堂とセガのアメリカにおける16ビットゲーム機競争(古い)。今後素晴らしい授業を展開してこの失望感を払拭してくれることを期待しつつ、ケースの準備をした。任天堂のCEOは同じヒロシだし、コールドコールの可能性は十二分にあり。
1月16日(水) スタディグループと合格発表
簡単だと思って取り組み始めたコーポレートファイナンスのホームワークであるが、午後一時前から始めて午後七時のスタディグループ開始前に完全に終わらせることができなかった(もちろんその間に多少は他のこともしていたのだが)。たった紙っぺら一枚のアサインメントだが、細かいassumptionが山のようにあり、それをどうバリュエーションに反映するかでかなり頭を悩ませた。
インド人のアシシュが風邪で寝込んでしまったため、スタディグループはアメリカ人のケニオンとショーン、そしてブラジル人のソニアと四人で行う。ショーン、いきなり「いやあ、キリントンなかなか雪がいっぱいあって良かったよ」と言いながら登場した。「キリントン?スキーしてきたわけ?」「そうだよ」
キリントンというのはハノーバーからほど近くにある米国東海岸有数の一大スキーリゾートである。ほど近いとは言っても、片道40分はかかるはずだ。たいしたもんである。しかし、ショーン、やはりホームワークはまったくやってきていなかった。かと思うとソニアは、一生懸命作成してきたSpread Sheetのデータがなぜかすべて消えてしまい、悲鳴をあげている。
結局、深夜12時過ぎまでホワイトボードとEXCELを行ったり来たりしながら、ずっと考え方の説明をするはめになった。絶対頼る相手を間違えているよ君たち。しかし、説明しているうちにちょっとしたコメントから新しい計算前提を見つけたりして、最終的には当初自力で作成していたものとはだいぶ違ったものが出来上がった。これがスタディグループの効用なんだろうな。
ところで、昨日から1st Roundの合格発表があり、スタディグループをやっている最中に、二人の知人から相次いで「合格した」メールが入った。本当によかった、と思う。おめでとうございます。ハノーバーで心待ちにしています。
1月17日(木) Tuck Talent Show
午後、マーケティングの授業の一環でコルゲートという会社の副社長のスピーチを聞く。日本市場にはあまり進出していないが、この会社家庭用製品の分野では相当プレゼンスの高い会社らしい(こういう、アメリカでは圧倒的に知名度があるが、他の国ではそれほどでもない会社というのは厄介だ。「コルゲートの○○(商品名)がさあ」などと言われても、こっちは分らん。アメリカ人は、まず「この会社は海外では無名なのではないか」という発想はしないらしい。「コルゲート?日本ではほとんど誰も知らないよ」と言うと結構驚く)。歯ブラシのマーケティングに関してのプレゼンテーションだったのだが、途中から退屈になって不覚にも寝てしまった。
ところで、この副社長氏、「子供の間での人気に合わせて製品に使うキャラクターは随時変えていくことが大事です。例えば最近”ハリーポッター”を導入しました。また、これまで使用していた”ミッキーマウス”に変えて、日本の有名なキャラクター”Yu-gi-o”を導入しました。誰か"Yu-gi-o"は知ってますか?」と言う。隣のブラジル人から「知ってる?」と聞かれたがまったく分らず、「そんなの知らないなあ。たぶん何かの間違いじゃないかな」と答えてしまったが、後で考えると「遊戯王」のことだったらしい。発音が変なんだよ、おっさん。それにしても、アメリカの子供たちが「ミッキーマウス」よりも「遊戯王」とは。
夜は"TUCK Talent Show"を見る。どうせ学生たちの一発芸大会だろうと思っていたら、なかなか凝ったつくりのビデオなどもあり、楽しませてくれた。一番面白かったのは、仲良しの副学長が他の大学の学長として転出してしまうことを知って衝撃を受けたエコノミクスのバーナード教授が、新しいパートナーを探してまわる趣向のビデオ。それにしても、予習やインタビューで忙しい中、いつの間にこんなビデオの撮影や編集をしていたのか、と感心させられる。
先日TUCKにキャンパスビジットに来てお会いしたHさんより合格した、との連絡あり。
1月18日(金) 四連休初日
月曜日はマーチン・ルーサー・キング・デーでお休みのため、金曜日から月曜日まで4連休である。信じられない。
昨夜遅くベッドに横たわってヘッドフォンで音楽を聴いていたらそのまま眠っていたらしく、ふと時計を見るともう正午前であった。さすがに無意識のうちにヘッドフォンは外していたようで、床にごろんと転がっている。
急いでシャワーを浴びて、プロジェクトのクライアントとのミーティングに行く。今回のプロジェクト、なにはともあれ指導教官の指導のもとでビジネスプランの作成を一通り経験できるということは本当にありがたいことだ。内容如何はともかく、それだけでもやる甲斐は200%あるだろう。しかし、内容の方に目を向けると、あとたった40日の間でどれほどのアウトプットが出せるだろうか、という不安もまたある。何でもいいから出せばいい、というもんでもあるまい。最後は一応投資家の前でプレゼンをすることになるらしいので、お寒い内容のプレゼンが続出するようでは、それこそTUCKのReputationに関わる。
ミーティング後はWest Lebanonのモールで買い物をする。"Wal Mart"で、さっき一緒にプロジェクトのミーティングをしていた中国人のナイスガイ、ラオとばったり。ラオの奥さんはようやく最近こっちに来れたそうで、寮を出てセイチャムに移ってきたばかりである。早速奥さんを紹介してもらった。そういえば隣人I氏も今晩、奥さんがボストンに着くとのことで、夕方には既にボストンに出迎えに向かったようであった。ラオといい、I氏といい、僕と同じ境遇にあった連中の奥さんが続々とやってきているのを見ると、正直うらやましい。ちなみに当方はビザが手間取っているようでまだ渡米日は確定していない。
モールで買い物をしていて思うのだが、アメリカのスーパーマーケットのオペレーションというのはなかなか優れている。将来のキャリアと多少関わることから小売は結構注意深く見ているのだが、スーパー、特に食品スーパーはちょっとしたものである。製造業、サービス業などのクオリティは日本のそれと比べるのもおこがましいほど低劣と言わざるをえないが、小売だけは誉めてやってもいいでしょう。エクスプレスチェック、セルフレジスター、イートインなど、最近日本で話題になったようなものは、ほとんどのスーパーで見られる。また、生鮮二品(鮮魚コーナーが壊滅状態なので、「生鮮三品」とは言えない)の陳列もたいしたものだ。僕のよく行く"Price Chopper"では、天井に鏡を張ってすさまじいばかりの量感陳列をした野菜コーナーで、新鮮さを演出するために定期的に噴霧器で霧を吹きかけるのだが、その時に雷の効果音がを入れて夕立が来たような演出をしたいた。
もっとも、売り場面積に比して店員の数が圧倒的に少なく、ちょっとした質問をするのも大変であるとか、店員の態度がそもそもなっていないとか、床に落ちた衣類に気づいても担当以外の店員は拾おうともしないとか、前出し陳列など誰もしていないので奥の方まで手をつっこんで取らないといけないとか、サービスの面では色々と問題も多いのであるが(こうやって書き出して思ったが、結構問題多いね)、それでも、まだまだ学べるところはありそうだ。
今日は実は同級生Tさん夫妻宅の11ヶ月の息子K君のベビーシッターを頼まれていた。このK君、生まれ持った風格と落ち着いた所作から我々の間では「部長」と呼ばれ敬われているのであるが、何とその「部長」が今日発熱されてしまったということでベビーシッターは中止になってしまった。楽しみにしていたので、ちょっと残念である。
1月19日(土) ダートマススキーウェイ
朝8時過ぎに同級生T内さん、Mさんと待ち合わせてダートマス大学所有のスキー場、”ダートマススキーウェイ”に向かう。大学から車で約20分の距離にあるスキー場である。もともとそれほどスキーが好きなわけでもなく、ここ三年ほどはスキーなどしたこともない僕にとっては、それこそ「猫に小判」状態であるが、スキー・スノボ好きの連中にとってはここの環境はたまらない、らしい。ちなみに、ダートマススキーウェイのシーズンパスは$140(学生価格)で、1シーズン滑り放題である。
久しぶりのスキーのため、なかなか勘がつかめなかったが、がらがらのゲレンデで眼下に街を見下ろしながら滑っていくのは本当に気持ちよかった。リフト待ちの列もほとんどなし。それでも昨日・一昨日もここに来たT内さんによると今日は随分と混んでいたとのことである。
【ダートマススキーウェイ】
夜はTさんの中学時代からの友人がシカゴからハノーバーに遊びに来たというので、彼を囲んで我が家で鍋パーティをする。Tさんがボストンで買いこんできたアンコウやタラなどの食材は久しぶりの「鍋」の味であり、本当にうまかった。
最後はトランプで負けた主賓が、罰ゲームとして我が家の裏庭の雪にダイブしてハノーバーの雪を堪能していった。
【ハノーバーの雪を全身で味わう主賓(左)と勢いよく飛び込むT内氏(右・元水泳選手)】
1月20日(日) 渡米延期
今日も朝からスキーに行く約束をしていたのだが、約束の時間に起きてみると二日酔いのためか少々頭が痛い。スキーはキャンセルして昼過ぎまで寝ていた。昼過ぎに目覚めると頭はすっかり元どおり。そして窓の外は快晴である。家で勉強を始めたが、窓外の晴天を見ているうちに何だかもったいなくなり、結局一人でスキーに出かけて三本だけ滑って帰ってきた。
今日から隣人I氏宅に奥様がやってきた。四ヶ月にわたってつづいたI氏と僕の独身生活もこれにて終了である。夜は今日来たばかりだというのに、早速奥様の手料理をご馳走になってしまった。あとはうちの嫁さんと娘の渡米であるが、こちらは先週内にビザが下りなかったため、渡米予定日を1月25日から2月1日に延ばすことになってしまったのである。さて、今週中には無事にビザが下りることやら。
夜、ホッケー。
1月21日(月) FTランキング
イギリスのFinancial Timesの2002年ビジネススクールランキングが発表になり、Deanから全学生宛てにメールが流れてきた。TUCKは昨年よりふたつ順位を上げて11位となったとのこと(米国内9位)。昨年のWall Street Journalの1位、Forbesの4位につづき、まあまあの評価でよかったと言えるんじゃないか、今後も益々頑張ってまいりましょう----そんな主旨のメールだった。
1 University of
Pennsylvania: Wharton
2 Harvard Business School
3 Columbia University GSB
3 Stanford University GSB
3 University of Chicago GSB
6 Insead
6 MIT: Sloan
8 New York University: Stern
9 London Business School
10 Northwestern University: Kellogg
11 Dartmouth College: Tuck
12 Yale School of Management
13 Cornell University: Johnson
14 IMD
15 University of California at Berkeley: Haas
16 University of California at Los Angeles: Anderson
16 University of Virginia: Darden
18 University of Western Ontario: Ivey
19 Duke University: Fuqua
20 University of North Carolina: Kenan-Flagler
在校生としては、やはりランキングは正直言って気になるところである。上がれば気分はいいし、下がれば気分が悪い。ましてやランキングがそのまま自身の評価=報酬や職自体に直結するDeanはじめ学校関係者にとっては、気が気ではないだろう。ランキングを上げるために如何にして教育の質を高めるか、如何に良質の学生を惹き付けるか、如何に良質の教授を招聘するか、如何にキャリアサービスを向上させるか、などに腐心するのは大変望ましいことであり、ランキングの存在が学校のクオリティ向上のための正しいドライブとして働いているといえる。しかし、ランキングを上げるために学校の規模を急激に拡大したり、ドクターコースを増設したりすることは、(特に小規模で協力的なコミュニティ・ゼネラルマネジメント教育を標榜するTUCKの場合)決して正しい努力であるとは言えない。幸いこれまでのところそのような極端な動きは見られないが、”TUCKらしさ”を失うような方向にだけは向かってほしくないと思う。”TUCKらしさ”を守りつつ、ランキングも上げていければ言うことはないが、それが難しい場合に優先すべきは”TUCKらしさ”であってランキングではない、と勝手に思うのだった。
今日で四連休も終了。久々にスタディグループのミーティングをした。
(全然関係ないですが、昨日ダートマススキーウェイで、「凍った鼻から牛乳ー!」と日本語で交互に叫びながらゲレンデを滑り下りていった日本人親娘、あれはいったい誰ですか。)
1月22日(火) グループケースライトアップ
いや長かった。マーケティングのグループケースライトアップである。午後6時半にディスカッションをスタートして終了したのは午前0時半。六時間ぶっつづけで作業していたのである。「マーケのケースなんだからNPV計算なんて必要ないんじゃないか」というチームメイトを、「いや、NPVで裏付けができれば尚説得力があってベターなはず」と説得して計算担当を買って出たのであるが(正直言うと議論&ライティングは苦手なため無理やり計算のパートを入れたようなものだ)、その計算も一時間ほどで終了してしまった。残る五時間は、グラフを作ったりパーセプチュアルマップを作ったり、ライトアップするネイティブのメンバーの横で単発的に意見を言ったり、まあ要はあまりクリティカルな役割を担えなかった。最近英語力も随分と向上したような気がして少しいい気になっていたのであるが、やはりケースライトアップはなかなか貢献の場を見つけにくい。
しかしその分コーポレートファイナンスのケースについては他のメンバー皆時間がなくてやってきていなかったため、貢献することができた。もっとも、もし僕の計算が間違っていたら一蓮托生、全員揃って明日は討ち死に、である。
1月23日(水) Smile & Dial
日本からアプリカントの方がオンキャンパスインタビューに来たので、カフェテリアで色々と話をする。キャンパスビジットはTUCKが二校目とのことだったが、街の雰囲気など実際に行ってみないと分らないものを確認できた点は非常に有意義であったとのこと。昨年の僕はキャンパスビジットをすることなくTUCKに決めた。間もなく退職するがために仕事も休みずらく、またお金もなかったために諦めたのであるが、よく考えるとリスキーなことであったとは思う。たまたま学校・街の雰囲気を至極気に入ったから良かったようなものの。
夕方、"Smile & Dial"と題されたアドミッションオフィスの企画に参加。在校生が手分けして1st Roundの合格者に「おめでとう」電話をかけようというものである。そこで1st Roundの合格者リストを見たのだが、何と日本人の合格者が10人、である。知人だけで4人もいるので今年の1stの日本人合格者は相当多いだろう、とは思ったがここまで多いというのは驚きであった。昨年は全ラウンド合わせて日本人の合格者は20人前後であったので(うち入学者12人)、昨年より多くの合格者が出そうな勢いだ。10人もの合格者が出たということは優秀な日本人出願者がそれだけ多かったということでもあり、嬉しいことはである。一方で、2nd、3rdに出願する予定の友人のことを考えると気持ちは複雑だ。
明日は木曜日であるが、授業はなく午後のStrategyの授業のゲストスピーカーのスピーチだけである。したがって今週は実質二日しか授業がなかったわけで、早くも週末の開放感を味わっている。明日の宿題を気にする必要もない。たまった洗濯物を洗濯機に放り込み、ビールを片手にCOOPで買った柿の種(商品名"HAPI Chili Bits")をつまみながら書いている。これを至上の幸せといわずして何と言おうか、と思いつつ、しかしこんなものは世間一般の幸せランキング的には相当下位にランクされるべきものなのだろう、とも思うのだった。幸せの尺度などというのは、ことほどさように計りにくきものぞかし。
1月24日(木) 踵をあげて走ること
朝早くからダートマススキーウェイに向かったものの、何と雨。ゲレンデにはほとんど人がおらず、上から下まで滑り下りる間に一度も他のスキーヤーに会わなかったくらい空いていたのであるが、何しろこの雨ではリフトに乗っている間もびしょ濡れになるし、ここのところの異常に暖かい天気のおかげでところどころ地面も見え始めてコンディションも悪いし、で二本だけ滑って帰ってきた。
思いのほか早く帰宅したのでおもむろに来週の予習などを開始する。コーポレートファイナンスの授業はバリュエーションのテクニックがひととおり終わって、来週からは楽しみにしていたリアルオプションに入る。時間のプレッシャーのない中でテキストを読むと面白いように理解できる(少なくとも文字の上では)。最近つくづく思うのであるが、やはり秋学期に比べて今学期は相当楽になっているのである。自分自身が周囲の環境になれてきたこともあるし、アメリカ国内でのサマーインターンのインタビューが本格化するこの時期に学校側が配慮してワークロードをやや減らしているということも大きい。平日はさすがに4−5時間しか寝ていないが、それでも秋学期に比べると各段に睡眠時間は増えた。予習のクオリティは逆に多少上がっているにも関わらず、だ。
以前ある年長の知人から、「踵をつけて歩くようになったら自分の成長は止まる。人間はつい楽な方に安住してしまいがちだから、常に踵を上げて走らなければいけないような環境に身を置くように意識しないといけない。」と言われたことがある(特に諭すわけでなく、その人自身で気をつけていること、という感じで言及された)。大学時代、僕は(あるひとつの事柄を除いて)ほとんど踵を下ろして歩いていた。社会人になってからも社会人一年目の戸惑いが過ぎた後は、ふたたび踵を下ろして(何年もの間)歩きつづけてしまった。全速力で走りつづけた秋学期が終わり、今またやや踵が下りつつあることをふと自覚し、彼女から言われた言葉を思い出した。さすがに今の状況が歩いている、とはとてもではないが言えないのだが。
一方で、ある友人からは、僕が留学する際に「頑張れよ。でも俺は相変わらず怠惰にやるよ。堕落した生活には魅力がいっぱいだからな」という正直なメッセージをもらった。これもひとつの考え方であり、生来怠惰な自分にとっては共感できる部分も多し。日本経済への貢献などというマクロな問題意識を振りかざしたり、あるいは個人の価値観の相違を認めずに、「踵を下ろして歩く」価値観を批判するなどということは極めてナンセンスなことだ。
とにもかくにも僕はビジネススクールへ私費留学する、というリアルオプションを選んだ段階で、長期的に「踵を上げて走り」つづけるオプションを選んだわけである。再び「踵を下ろす」オプションを選ぶことは、留学にかかった莫大な投資を回収した上で、かつ何らかの重大な環境変化がない限りありえないだろう。
テキストのリアルオプションの項を読み、楽になった今学期のスケジュールを眺めながらつらつらと思うことであった。
1月25日(金) Dutch Dinner
”Dutch Dinner”と称するディナーが行われた。”Dutch”とは、「割り勘」のこと。そのまんま、「割り勘ディナー」である。TUCKの一・二年生が5名-10名程度の小グループに分かれて(当然家族も一緒に参加)、近隣のレストランでめいめい食事をするのである。我がグループは、一年生3名、二年生3名(うち、一年生女子学生と二年生男子学生は夫婦)の6人でレバノンのチャイニーズレストランで食事をした。いかに小規模のTUCKとはいえ、普段二年生の学生とはそれほど接する機会もないため、こういうディナーは非常に貴重である。今日一緒になった二年生のうち二名は、顔は見たことあれど話をするのはこれが初めてだった。
ディナーにひきつづき、有志でリンクを借り切ってのホッケー。引き続き、6−7名で我が家でビールなどを飲む。
1月26日(土) 推薦状(削除)
この日の日乗は削除いたしました。ある友人から指摘を受け、「なるほど、このような内容のことはホームページに書くべきことではないな」と納得したからです。基本的にこの日乗に書いたことは、後で考えが変わったとしても変更することはありません。修正は誤字脱字だけに限っています。どんなに未熟な感慨であれ、どんなに思索の浅い内容であれ、その当時に自分が感じた事実であることは変わらないからです。たとえば、911のテロなども現在振り返ればかなり違った思いも持っていますが、あれが当時の自分が感じた事実であることは変わらないため、内容を修正することはありません。しかし、今回の内容については、ことが私の知人のプライバシーにも関わることでもあるため、削除することにしました。正直、当初書くにあたっても書くべきことであるかどうか悩みましたが、自分の憤りがあまりにも強かったため、書いてしまいました。彼女に対する、知人であるがゆえの、あるいは境遇が近しいがゆえの、感情移入のなせる冷静な判断の欠如があったやに思います。そのことによって彼女に迷惑をかけてしまったのではないか、と反省しています。心からお詫び申し上げます。そして言いにくいことをあえて指摘してくれた友人T氏、ありがとうございました。感謝します。今回の削除の件、どうかご了承ください。
1月27日(日) わらび座
勉強の合間にYahoo!ニュースを眺めていて(ついついいつもここを覗いてしまうのであるが)、中学生がホームレスを撲殺、という記事を読んだ。図書館で騒いでいたことを注意されたことに腹を立て、後をつけて撲殺したらしい。たまらん。「図書館では他の人が本を読んでいるから邪魔にならないよう静かにする」という当然のマナーすら、命がけで教えねばならないのか。そもそも彼らはこれまで何かをして大人に叱られたことすらなかったのか。叱られた→むかつく→ぶっ殺す、はもはや異常な思考回路でも何でもなく、若い世代に広く浸透しつつある思考回路なのか。こういう連中が続々と成人していく日本の未来はいったいどうなるのか。こういうニュースを繰り返し目にした自分は、日本の図書館で同じ現場に遭遇した場合、いったいどうするのか。「さわらぬ神にたたりなし」とばかりに見て見ぬふりをするのか。
本日のスタディグループはわずか40分で終了。いつものように夕食のイタリアンサブ(この野菜たっぷりのサンドイッチとコーヒーがここ数ヶ月の夕食の定番である)を買いに、帰路"Foodstop"という名のコンビニに寄ったところ、アジア系の若いカップルが買い物をしている。たばこを購入する際に提示したパスポートを見ると日本のものである。思わず声をかけた。
聞くと、彼らは「わらび座」という日本の伝統芸能を主体にしたパフォーマンスグループのメンバーで、ダートマス大学所有のホール"Hopkins Center"で公演をするためにハノーバーに滞在中とのこと。男性の方は和太鼓、女性の方は三味線を担当しているらしい。この"Hopkins Center"、こんな田舎町にあるのがもったいないような、しっかりしたホールである。秋には、ダイアン・リーブス、ウィントン・マルサリス、ユッスー・ンドゥール(今だに見逃したことが悔やまれる!)、なども来ていた。しかもそれらの公演いずれも学生価格の$5で見ることができる。
「橋口さんはこの町で何をされているんですか?」と女性に聞かれ、何気なく「ああ、学生ですよ」と答えたところ、「が!学生!?」と素っ頓狂な声を上げられた。「学生にしちゃ老けてると思ったでしょ」「い、いや、あの、、、」。そう、この年で学生をやっていることの異常さをここにいるとつい忘れてしまうのであるが、彼女のレスポンスの方が極めて自然なことなのである。この年で学生だなんて何ていいご身分かと思われたことだろう。
かなり若いとお見受けするお二人であるが、立派に日本の伝統芸能を伝承し、それを広く世界に伝えるべく異国の地を公演してまわっている。何と頼もしい、と思う。Yahoo!ニュースの事件を見ていた後だっただけに尚更その感を強くしたし、翻っていい年こいて学生をやっている自分はいったい何様なのか、という思いもまた新たにした。
あさっての夜の本公演には必ず見に行く、楽屋に遊びに行く、と約束して別れた。
1月28日(月) サマーインターン就職活動
「サマーのオファーが出る場合は今日の夜8時までに電話がかかってくることになっているから、グループミーティングには少し遅れる」と言って寮の自室にこもっていたスタディグループのメンバーが8時過ぎに沈鬱な表情で表れた。顔を見れば一目瞭然だったのだが、皆一応「どうだった?」と聞いたところ、”FXXK!”という答え。
1月に入って本格化してきたオンキャンパスインタビューにより、ここのところ学校内はざわざわと落ち着かず、悲喜こもごもの表情が交錯している。意中の会社からオファーをもらい、心の底から湧き上がる笑みを抑えきれない者。落選の連続で顔にちびまるこ風の斜線が入り、普段とは人相が変わってしまっている者。寄るとさわると「誰々がどこそこの会社を受けた30人のうちたったひとりオファーをもらったらしい」、そんな話ばかりである。テロ以降の景気の落ち込みで、どこの会社もサマー採用を控えているだけに、皆かなり神経質になっている。
我々日本人の場合は、仮に自分の就職活動がうまくいかなかったとしても沈鬱な表情に表に出すことは極力避ける傾向にあるようだ。が、アメリカ人はそうはいかない。うまく行かない時は、思い切りそれを表情に出す連中が多い。これは我々が小さい頃から受けてきた教育の相違、豊かな感情の発露をどちらかというと大人としては恥ずべきことと捉えるような、他人に心配をかけることを由としないような、文化的価値観の相違によるところが大きいように思う。仲間がインタビューがうまくいかなくて落ち込んでいる場合、”I got an offer!”などと大声で叫ぶことは日本人の価値観としてはいかがなものか、と思うのだが、こちらでは結構喜びを爆発させている奴がいたりして、見ている方が気を遣ってしまうのだ(もちろん、アメリカ人でも気を遣う奴は遣うのだが、社会的に認知された「そんなところで喜ぶのはいかがなものか」度合い、は日本のそれに比べると圧倒的に低いように思える)。
まだしばらくは、このサマーインターン就職活動協奏曲は続きそうだ。私?まだどこからもオファーはもらっておりませんが、表情は極めて恬淡としております。日本人的価値観に誇りを持っているもので。
夜、学内ホッケーリーグで1−9とまたも若僧に大敗を喫す。
1月29日(火) わらび座公演
スタディグループをパスさせてもらい、同級生T氏とHopkins Centerで「わらび座」の公演を見る。1000人以上は収容できると思われるHopkins Centerがほぼ満員となる人気である。公演の内容は、各地の祭りなどを主体にした伝統芸能をたてつづけに見せてくれる、というもの。
隣に座った白人のおっさんは、7年前にハノーバーに来た「鼓童」も見たという。「どうだった?」と聞くと、「もう、言葉もなかったよ。分るだろ?」。僕も日本で鬼太鼓座と鼓童を見た(聴いた)ことがあるが、もうその圧倒的な迫力に全身鳥肌がたち、なぜか涙腺まで刺激されたたことを思い出す。今日のわらび座、決して太鼓だけを前面に出した構成ではなかったが、唄・踊り・太鼓・笛・三味線、がバランスよく配置されており、本当に素晴らしかった。ああ、日本の音だ、なんて特別な、素晴らしい音であることか、と思う。おとといFoodstopで会ったカップルも三味線と太鼓・笛に大活躍であった。最後は満場のスタンディングオベーションに応えて二度のアンコール。周囲のアメリカ人も皆、"Amazing!" "What a nice!" "That's Great!"と賞賛の声を口々に上しながら帰っていった。日本人として誇らしき哉。
それにしても隣のおっさんをはじめ、こんな田舎町に住んでいるこんなにたくさんのアメリカ人が日本の伝統芸能をしっかりとチェックしている、という事実。そしてそれらのアメリカ人に応えるべく全米をまわる彼らの存在。かたやFoodstopで彼らに会わなければせっかくの機会も逃していたであろう自分。
公演後は先日の約束どおりT氏と楽屋にお邪魔し、あらためて彼らに挨拶をする。明日の夜にささやかな宴を開くことを約して別れた。
さて、現在午前四時前。今日はケースの予習に10時間以上も費やしてしまった。明日はマーケティングの授業でデルコンピュータのダイレクトモデル、ストラテジーの授業でウォルマート、のケースを扱う。いずれも非常に興味深い、重要なケースなので本来ならばもっとじっくりと取り組みたいところなのだが、いかんせん時間には限りがある。自分のリーディングの遅さにつくづく嫌気がさすのはこんな時だ。試しに計ってみるとケースの1ページを読むのに約10分もかかっているようである。デルのケースが本分19ページ、ウォルマートのケースが同じく14ページなので、これを読むだけで330分、5時間半はかかる計算になる。さらにテキストのリーディング、内容のまとめ、質問への解答などを準備していくとあっという間に10時間が経過してしまう、というわけだ。しかし、今週も明日で授業は終わりという余裕のあるスケジュール、これで文句を言っていたらバチがあたるというものだ。
1月30日(水) ささやかな宴
早くも今週の授業は終了。ストラテジーは教授のクラス内のディスカッションの取り回しがイマイチどうもオーガナイズされておらず、マーケティングでは教授のタイムマネジメントがなっていないがためにデルのケースは今日はほとんど扱うことすらできず、何とも不満の残る今週最終日であった。ケースの素材はいいのだが。正直この両科目、僕の中での評価はかなり低めである。
夜は、昨日のわらび座の人々を我が家にお呼びしてささやかな宴を設ける。わらび座のメンバー四人、そして当方は僕とT氏の二人。今日来てもらった四人のうち三人は、わらび座の中で生まれ育ったとのこと。つまり両親ともに劇団のメンバーであったということである。まったく育った環境も価値観も違う彼らなれど、何だか昔から知り合いだったような気がするほど気が付いたら自然に接していた。TUCKを卒業して日本に帰ったら、彼らのホームグラウンドのある秋田県田沢湖町に必ずや公演を見に行くべし、と誓う。本当に偶然に彼らに出会った僥倖に感謝、である。人と人との出会いは人生の中で何よりも貴重なものであり、であるからこそつい数日前に知り合った彼らなのに、別れは何とはなしに悲しい。胸がつまる。良い旅を、と願わずにはおれない。
仲の良い友人同士が結婚するという連絡あり。おめでとう!!何で俺がいない間に結婚するんだ、という文句はさておき、幸せな家庭を築いてくれ。結婚式には日本に帰りたいぞ。
1月31日(木) HBS訪問
早朝にハノーバーを出てT氏と共にボストンに向かう。午前中、某コンサルティングファームとのインタビューである。予期していたようなタフな質問はひとつもなく、ほとんどなごやかな雑談に終始した。それが良いのか悪いのかは不明であるが。
午後からはハーバード・ビジネススクール(以下HBS)に移動し、同校一年生の友人U氏のアレンジで授業を見学する。見学したのは、ストラテジーの授業。ちょうど昨日TUCKでストラテジーの授業を受けたばかりなので、色々と比較しながら授業を見た。HBSは、授業の最初に”エアタイム”(一定の時間内に自分の分析を披露すること)を与える学生を教授がウォームコール(授業が始まる前にその人間を呼び、「今日最初は君に当てるから心の準備をしておくように」と言っていた)をしていた。TUCKでは、毎回三名の”ケースコンサルタント”を教授が指名し、彼らのコアの分析からまず授業を始める。それに加えて学生が挙手して意見を述べていき、教授がそれを板書しながらディスカッションの方向性を誘導していく、、、というその後のスタイルはどちらも同じ。しかし、HBSの教授は若手・気鋭の(超テンションの高い・紫色のシャツを着た)教授。一方、TUCKは僕がこれまで受けた中で最低の評価をしているおばさん教授二人組。このサンプル間では、比べるのはちと厳しいものがあった。
たったひとつの限られたサンプルではあるが、今日授業を受けてみて感じたこと。予想外にHBSの授業はフレンドリーな雰囲気の中で進むこと。教授、学生のテンションが異様に高いこと(TUCKの倍のテンションはあるか?歓声の上がる頻度が高い)。エンターテイメント性を相当意識して授業の中に盛り込んでいること。
その他に感じた表層的な事象。HBSはやはり学生数に代表される規模が大きい。建物の数が多い。敷地が広い。カフェテリアの食事がおいしい(完敗)。女性がなぜか華やか。TUCKと違って都会にあるため、きちんとした格好をしている学生が多い(スノーブーツ姿など一人もいない)。
受験生時代もキャンパスビジットをしたことがなかったため、これまでTUCK以外のB−Schoolの授業を受けたことがなかったのだが、他校の授業を受けることは非常に興味深かった。今後も他の学校の授業も受けてみたくなった。
授業後は、HBSの日本人学生数人とお茶した後、雪の降りしきるインターステートをT氏の車で5時間半かけて(往路は二時間弱)ハノーバーまで帰る。帰り着いたセイチャムの我が家は駐車場にこんもりと雪が積もっており、車を入れることもできない状態であった。そのままホッケー道具だけピックアップしてホッケーの練習試合に参加する。