MBA留学日乗 20022     | ホームへ |      | 前月へ |  | 翌月へ |  


2月1日(金)     鍋パーティー

早いもので一月も既に終わってしまった。こないだ始まったと思った2002年は既に12分の1が経過したのか、と毎年抱くほとんど意味のない感慨をひとしきり暦の前に立ち、思う。

同級生T氏の友人がサンフランシスコからはるばるハノーバーまでやってきたというので、隣人I氏の奥さん(隣人I氏本人は所用でNYに行っており不参加)と四人で鍋パーティーをする。

そろそろ鍋に中にうどんも入り、フィニッシュに向かおうか、という夜中11時過ぎ頃、突然「ドーン!」という爆発音とともにまたも停電、である。窓の外を見るとセイチャム一帯が暗闇に沈んでいる。電力供給などインフラ面では日本の方がずっと安定感があるが、安定感云々以前に毎回停電の際に爆発音がする、というこちらの停電のミステリアスさに謎は深まるばかりである。停電から約一時間後、暖房も切れて部屋の中がそろそろ冷え込んできたな、という頃ようやく停電から復旧した。電気の明かりというもののありがたさを実感するのはこういう時だ。

停電と相前後して、昨年一緒に勉強していた、そして一年間受験を繰り延べたAさんよりKelloggに合格したとのメールが入る。本当に嬉しい。おめでとう!!


2月2日(土)    ふたたびボストンへ

一昨日と同じボストンのホテルで他のコンサルティングファームのディナー。一昨日と違い今日は前後に特に用事があるわけでもなく、インタビューすらなく、ディナー自体採用と直結するものでもなく、しかして片道二時間強かかることには変わりなく、正直なかなか気が乗らなかったのであるが何とか重い腰を上げて家を出る。いざ車に乗り込もうとしたところが、おとといの雪がそのまま車の上で凍結して氷と化しており、なかなか削り落とせない。必要最低限の氷だけを落として、天井・ボンネットその他には雪を張り付けたままボストンへ向かった。ニューハンプシャーでは決して珍しくもない姿の愛車であったが、ボストンの街中に入るとさすがにそんな車は一台もいない。信号待ちの間に道行く通行人から車の上の雪とニューハンプシャーのナンバープレートを見比べて笑われる。「へっ、田舎者めが」とでも言いたげな奴らの優越感に満ちた視線。醜悪なり。

ディナーの味は、まあ普通。ボストン界隈にある学校の数も限られるため、同じテーブルに座った学生は皆何らかの形で面識のある人々ばかりであった。復路はTUCKの同級生二名を乗せ、結局往復四時間強かけて深夜にハノーバーまで帰り着いた。

明け方まで予習。コーポレートファイナンスの宿題で初めて訳のわからぬ問題にぶちあたる。散々考えても分らないものは分らず、教授に「これどうやるの?こんなやり方であってる?」とメールだけ書いて寝ることにした。


2月3日(日)    Super Bowl Sunday

「スーパーボウルサンデーにスタディグループなんてやってられないよ。明日の授業は全然たいしたことないから、今日はパスしよう」とショーン。「明日のコーポレートファイナンスは難しいんだから、スタディグループは必要でしょ。ところでスーパーボールってそんなにすごいの?」とソニア(ブラジル出身)。「僕もスーパーボールは見たいので、やるならその前に30分から一時間くらいで短めにやろうよ。」と僕。「僕はスーパーボウルは絶対見る。でもその前なら何時でもOKなので連絡くれ。そんなことより、とにかく内定がほしいんだよ」とケニオン。-----以上、スーパーボールを前にメールで交わされた会話(途中だいぶ割愛)。なぜか、今日はアシシュ(インド出身)は出てこず。

最後にケニオンが、「ショーン= Champion of understatement、ソニア=Dedicated team player、ヒロシ=Financial whiz-kid、アシシュ: =The Timekeeper、ケニオン="Give me the damn job, you know you want me"」という人物評をなぜかひとくさりしてみせ、「よし、今日はなしにしよう!」と言ってメール会議はお開きになった。僕に対する評価が正当なものではない、over valuingなものであることは言うまでもない。もはやそれに対して「勘違いするな。僕はファイナンスはできないんだから」という訂正は面倒くさいのでいちいち入れなくなったが。

さて、スーパーボウルである。あれよあれよという間にスーパーボウルにまでコマを進めてしまった我が地元ニューイングランド・ペイトリオッツを応援しようと、今日はWhittemore寮のラウンジに大画面が設置されている。自宅のテレビでマライアキャリーのアメリカ国歌を聞いてから車で会場に向かった。多数の学生がビール片手にその前に陣取っている。試合の方は、圧倒的不利の予想を覆してペイトリオッツが前半をリードして折り返す。しかし、ラムズの攻撃陣(特にオフェンスライン。何であんなに強いの?)はやはり素晴らしく、4Qに入って1本、そして終了1分30秒前にさらに1本TDを返されて、ついに同点。延長か、と思われた最後の1分30秒。しかし、ペイトリオッツ攻撃陣はそこで完璧なドライブを繰り出し、最後は試合終了間際に劇的な「サヨナラ」フィールドゴールを決めて優勝してしまった。歓喜の声に包まれるWhittemore寮。

6時過ぎから始まり終了したのは10時半。しかし、アメリカに来た最初の年に実にいいものを見せてもらった。それにしてもこのスーパーボウル、けた違いのスポーツイベントである。オープニングはマライアキャリー、ハーフタイムはU2。この番組のためだけの特別CMを各社が競い、その制作費も桁違い。日本でもこういったスポーツイベントを、と代理店などは色々と考えているのだろうが、、、野球、サッカー、ラグビー、格闘技、、、、ちょっと思いつかない。高校野球?


2月4日(月)    再渡米日決定

なかなかビザが下りず、飛行機のチケットもなかなか抑えられず、いつまでたっても決定しないかに見えた嫁さんと娘の再渡米の日にちが2/8(金)に決定した。今週末、もうあっという間である。五ヶ月以上一人で暮らしてきたこの家に家族が再び一緒に暮らす、というイメージがなかなか沸かないのだが、なにはともあれ嬉しいことであることに変わりはない。家族がやってくるまでに、色々と家の中なども整理しておかねばまずい。まずは台所に所狭しと並んだビール・ワインの空き缶空き瓶を処分せねば(下写真参照)。

【一人暮らしの間にこつこつ収集した(?)缶と瓶の山。何となく捨てがたし。】

隣人I氏宅に日本からアプリカントの方が泊まりに来ており、何人かで集まって軽くビールなどを飲む。日付が変わってから帰宅して予習を再開する。気が付いたらまた午前四時になってしまった。


2月5日(火)    エレクティブ

気が付けば冬学期も既に半分が過ぎ、春学期に履修するエレクティブ(選択科目)の申し込みの案内が届いた。TUCKの今年のカリキュラムでは冬学期まではすべてコア(必修)科目の履修が義務づけられており、選択科目を取れるのは次の春学期が初めてとなる。選択する科目は金曜日までに申請しなければならないため、今日はストラテジーのライトアップの途中で何度も各教科の内容を説明した資料とにらめっこをしていた。

春学期では、必修科目を含めて3.5単位〜4.5単位を履修するように求められている。必修となっているのは、Operations Management(いわゆる「オペレーション」あるいは「生産管理」)、Strategic Analysis of Technology(いわゆる「テクノロジー」)の二科目。それにほとんどの学生が選択するという(そしてTUCKの全授業の中で最もワークロードがきついといわれる)Managerial Accounting(いわゆる「管理会計」)を加えると、もう既に3単位となり、あとは0.5〜1.5単位しか残っていない。しかし、資料を見ていると「これも取りたい」「あれも面白そうだ」などと目移りして、なかなか決められたものではない。

今はこうしてやる気まんまんな自分であるが、実際に春学期が始まるともうあっという間に青息吐息になり、限度いっぱいまで履修した自分の選択を恨むのだろうな、などと思いつつ、しかしそのことはとりあえず今はあまり考えないようにしよう、とも思うのだった。「どれにしようかな」と履修する科目を悩んでいる過程、どこか縁日で夜店を冷やかして歩いているような、そんな楽しみにも似ている。


2月6日(水)    ポンドホッケー

ちょうど一ヶ月前に書いたポンドホッケー、その後まったく登場しないがいったいどうなったのか、気になってしようがないので説明してほしい、という方はいらっしゃらないとは思いますが一応念のため説明すると、その後ずっと滑走不能な状況がつづいていたのでした。いつもスキーに行った帰りや、何か用がある時などにポンドホッケーの池(その名を"Occum Pond"という)をまわって確認してくるのであるが、滑走できる状態になっていない。当初思っていたよりもこのお池様かなり繊細なようで、気温が高くても「氷が緩んで危険」だとのたまうし、気温が低くても雪など降ってしまうと「除雪が間に合わず無理」だとおっしゃる。この一ヶ月、「氷が緩んでいる」と「除雪ができない」を交互に繰り返してずっとクローズされたままであった。ポンドホッケーを偏愛する同級生のT内氏などは、毎日Occum Pondを管理するクラブのウェブサイトをチェックしては、「ポンドはまだできないんですかね」と落胆甚だしく、見ていて気の毒なほどであった。

ここ数日最低気温が零下10度を下回る日がつづいており、そろそろできるのではないかと、午前中の授業が終わって家に帰る途中にOccum Pondに寄ってみると、何と氷上に除雪車が出て雪をどかし始めている。早速T内氏にメールでご報告すると、「まじっすか!行きましょう!」と勢い込んだ返事。早速午後から出かけることにした。

午後三時過ぎから滑り始めたのだが、この日を待ちかねた地元の人々が続々とやってきて池の上は大盛況であった。たまたまプレーしていた地元のおっちゃん、兄ちゃん、子供たちと一緒にミニゲームなどをやった。それにしてもおっちゃんも子供もうますぎる。結局日没の午後5時半までずっと滑りつづけた。ところで、格好つけて地元の人達同様にエルボーパッドもすね当てもしないでやっていたら、最後に転んでひじを強打し、強烈に腫れてしまった。次回からはちゃんとガードをつけてやることにしよう。


2月7日(木)      プロジェクトとボウリング

午後のプロジェクトのミーティングでは、意見が割れた。我々のプロジェクトは一応アントレ系のプロジェクトなのであるが、自分たちでビジネスアイデアを創造する通常のアントレとは少し趣を異にする。ダートマス大学の心理学の教授が開発した教育用ツールをもとに彼らが事業を起こす手助けをする、いわばアントレのサポート、なのである。しかし、ここにきて肝心のプロダクトのクオリティ自体に対する疑念が我々メンバーの間に芽生えはじめていた。これではビジネスプランなど書くどころの騒ぎではないのではないか、そもそももう時間がないではないか(今月末までに仕上げねばならない)、このままいったら結局中途半端に終わってしまうのではないか。。。。

このままビジネスプランを書こう、という案と、いやそれはもう諦めてマーケティングサーベイに特化しよう、という案(今まで知らなかったのだが、そういう選択肢もありらしい)とに意見が分かれた。僕はそもそもアントレプロジェクトを選んだのは、「ビジネスプランを書く」という得がたい経験をするためであり、当然前者の意見。日本人Kさん(アメリカ生活20年、コロンビア卒、日本語と英語が同じくらい流暢、というか本人曰く英語の方が得意)も同意見。しかし、なんと他の四人が後者の意見をとったため、結局ビジネスプランは諦めることになった。残念至極ではあるが、あちらが多数派なのだからしようがない。あれだけ論陣を張っていたKさんも一旦多数決を取ってしまうと、もうあっさりしたものである。というわけで、方向転換をしたプロジェクトはマーケティングサーベイを深く掘り下げる方向に向かって進むことに相成った。

ミーティングが終了したのは6時前。既に暗くなっていたのだが、それからまたポンドホッケー。

さらにハノーバーから車で10分程度走ったWhite River Junctionなる場所にあるボウリング場で開かれたTUCKのボウリング大会に参加する。TUCKの学生・パートナー・教授等総勢100名以上でボウリング場を貸し切ってのどえらい規模の大会だったが、といって何がどうオーガナイズされているわけでもなく、上位者を表彰するでもなく、ただひたすら勝手に投げていただけであるところが、いかにもアメリカらしい。日本であれば、絶対に幹事は賞品など用意して表彰式などをとり行うところであるのだが。

ところでこっちでボウリングをしたのは初めてだったが、なかなか興味深かった。"COSMIC BOWLING"と題する特別な趣向らしいのだが、会場はミラーボールと電飾で飾り立て、DJが何やらしゃべっており、大音量で音楽が流れているなど完全にディスコのノリ。ビールなども売り子が各レーンをまわって売りに来る。日本ではアルコールを飲みながらボウリングができるところに行ったことがないが、なかなかこれはよかった。お陰でロシア人同級生はすっかり酔っ払ってしまい、ボウルを頭の上から投げるなど大騒ぎして退場してしまったが。

結果の方は2ゲームやっていずれも100点をすれすれ超えるレベル、という体たらく。しかし、これでも同じレーンでやった6人の中ではいずれもトップスコアである。日本人以外の人々はどうもあまりボウリングがうまくないようで。

さらにボウリングには参加しなかったT内さんのブキャナン寮の部屋に押しかけてビールを飲み、部屋に帰ったのは午前1時半。それからプロジェクトの作業をしていたら、やっぱり今日も午前4時だった。

いよいよ明日は妻と娘が日本からやって来る日である。ついに独身生活も今日で終了、だ。明日からはまたまったく違った生活が始まるのだろう。この四ヶ月の別居生活、正直厳しい部分もあったけれど、経験できて良かったと思う。家族一緒の留学生活と独り身での留学生活の双方を体験できることは貴重であるし、離れて暮らして初めて分る家族のありがたみ、のようなものも実感できた。さて、明日からどのような生活が始まりますか。


2月8日(金)     家族再渡米

昼過ぎからプロジェクトのクライアントとのミーティング。なぎら健壱そっくりのアメリカ人が、新たにクライアント先の”CEO”として登場する。しかしこのなぎら健壱、なかなかの人物で、心理学教授というアカデミアの住人と我々学生との間に立ってうまく議論を進めていく。彼が入ったおかげで随分とスムーズにものごとが進むようになった気がする。

午後8:09ボストン・ローガン空港着のアメリカン航空機で妻と娘が五ヶ月ぶりに日本からやってきた。久しぶり(というほどでもないが)の再会に感動の抱擁でもあるかと思っていたのだが、まったくもってしてさにあらず。妻がちょうど日本人の若者に「アメリカにおける公衆電話のかけかた」を質問されて困っていたらしく、「あ、ちょうど良かった。教えてあげて」が再会第一声であった。娘の第一声は、いつの間にか自分の横でお兄ちゃんに電話のかけかたを説明している僕に気付いての、「あれ?これパパだ」。

インターステートを二時間走り、午後11時前にはセイチャムに到着。娘は家に入るなり、「パパ、台所はどこ?」。いったい台所で何をするつもりか、と思ったら、夏に買っていたおもちゃのキッチンセットで早速ままごとをしたかったらしい。電子レンジに入れた熱々のアイスクリームなる珍妙なものを深夜に食すはめになった。

いよいよ家族三人によるアメリカ暮らしの再開だ。明日は、娘を雪の上で遊ばせてやろう。


2月9日(土)    穏やかな休日

今日はいつもポンドホッケーをやっているOccum Pondで、"Occum Pond Party"が開かれる日であり子供達が多数集まるというので、是非娘を連れていきたかったのだが、肝心の娘がまださすがに時差ぼけのようであった。未明から起きだしてままごとをした挙句、朝10時に再び眠った後は夕方になるまで揺すっても何をしても起きなかった。ようやく夕方5時頃になって起きてきたので既に人もまばらになった池に連れていく。まだ何人かの子供は氷の滑り台などで滑っていたが、初めて見る凍った池に娘はしり込みしてしまい、「手が冷たいよ」などと文句を言っている。とてもアクティブに遊ぶどころではなかった。池の近くにはそり遊びができる程好い丘もあるため、今度は明るいうちに連れていくとしよう。

スーパーで買い物をして帰宅。妻が台所で夕食の支度をしている間、娘を膝の上に抱いて「お母さんといっしょ」のビデオを見る。あっという間に娘は膝の上で眠ってしまい、僕も気がついたら娘を抱いたままうとうとしている。

穏やかな休日。

なんとなくのんびり過ごしているうちに時間はあっという間に過ぎていく。独身学生生活とは生活のリズムが完全に異なるため、なかなか慣れるまで時間がかかりそうだ。しかし、きちんとメリハリをつけないとどちらも中途半端に終わりそうである。とりあえず、勉強は図書館などで遅くなっても集中してやることにし、自宅にいる時は家族との時間を優先することにしよう。早速夕食後学校に出かけ、午前1時過ぎまでスタディルームで勉強。

(掲示板消える)
掲示板の書き込み件数がGeocitiesの規定の100件を超え、明らかにレスポンスが遅くなってきていたので、過去ログの作成にトライしました。Geocitiesにメールで問い合わせたところ「バックアップの作成はこのページに記載されたとおりにやってください」との返事。言われたとおりバックアップを作成し、掲示板の過去の書き込みを消去し、リンクを張りなおし、さてチェック。。。したところ過去の書き込みが表示されないではないか!Geocitiesから指示された方法は通常のゲストブックには有効であるものの、どうやらツリー形式の掲示板には有効でない方法だったらしい。ショック、である。過去の掲示板もそれはそれ、色々と思い出もあろうというものを。うっかり過去の書き込みを消してしまった皆さん、すいません。どなたか消してしまった掲示板の書き込みを復活させる方法を知っている方いませんか?


2月10日(日)     踏んだり蹴ったりの一日

娘が熱を出した。急激な環境変化によるものだろうか、寒さと乾燥した空気のせいだろうか、どうも頬っぺたが赤いと思い熱を計ったところ、やはり熱がある。気にはなったが、スタディグループもあるためとりあえず娘を妻に任せて学校へ。

スタディグループを終えて午後9時頃学校を出ると外は雨が降っている。「こういう天気の日は除雪が完璧でない場所は路面がつるつるに滑って危険なので気をつけるように」と二年生からメールが入っていたので、注意して徐行運転で帰宅。したところ、娘は39度2分まで熱が上がったとのことである。その上トイレの排水管がまたもや詰まって水が逆流している。トイレの処理をしているうちに寝ていた娘がぐずり出す。

今日のホッケーは僕がアレンジしていたので本来ならば出なければいけなかったのであるが、さすがにこの状態で娘を放ってホッケーをするわけにもいかず、その旨連絡しに行こうと近くのホッケーリンクへ向かう。駐車場に車を停めよう、と空いたスペースを見つけ減速したその瞬間、スケートリンクのようにつるつるに凍った路面で完全にコントロールを失う。ハンドルもまったくきかず、見る見るうちに近づいてきた駐車中のホンダCRVにゴツン。勢い余って隣のスバルレガシーにもゴツン。さらに氷の上をつるーっと滑ったレガシーが隣のフォルクスワーゲンジェッタにドスン。。。。最悪。。。三台の玉突きであった。僕の後に駐車場に入ってきた二年生Eさんの車もコントロールを失い、くるくる回っている。

CRVは日本人二年生のWさんの車である。レガシーとジェッタは我々の前にプレーしていた地元チームのメンバーの車であった。着替え中のロッカールームに入っていって、「大変申し訳ないが、レガシーとジェッタに乗って来た人はこの中にいますか?ぶつけてしまったんだ」と声をかける。そして、ぶつけた状況、損傷の程度、保険会社の名前、今後の連絡方法を説明した。当てられた車の持ち主のおじさんとおばさんは、「正直に言いにきてくれたことが何より嬉しいよ。あなたはTUCKでしょう。TUCKの学生はGood Guyが多いので、そうだと思ったよ。本当にありがとう」と、なぜか最後に握手をして僕をロッカーから送り出した。不幸中の幸いは、ほとんど停車寸前だったため、バンパーが多少へこんだ程度の損傷で済んだことと、人を巻き込まなかったこと、ではある。

「まったく何て一日だ」と頭を抱えながら帰宅したところ、娘はさらに39度6分まで熱が上がっていた。救急外来に連れて行ったほうが良いか、と大学病院に電話したところ、とりあえず明日の朝まで様子を見なさい、とのこと。指示されたとおりの処方をし、明日の朝まで様子を見ることにする。

今晩ハノーバーに来るはずだった合格者のIさんも、この天気でバスが動かずボストンで足止めだとか。

明日の朝の娘の様子次第では学校を休んで病院に連れていくことにしよう。まったく、踏んだり蹴ったりの一日であった。


2月11日(月)     娘の風邪は快方へ

明け方に娘の熱は40度3分まで上昇した。朝一番で大学病院(ダートマス・ヒッチコック・メディカル・センター)の小児科へ電話をしたものの、午前中の予約は既に一杯。しかたなく午後二時に予約を入れる。

昼休みに帰宅して、妻と娘を大学病院へ連れていく。帰りの足の問題もあるし診察に付き添いたいところであったが、午後はマーケティングのシミュレーションゲームもあり、そのまま学校へ向かう。シミュレーションゲームが終了して夕方帰宅すると、解熱剤を処方された娘の具合は既にだいぶ良くなっており、熱も37度台まで下がっていた。どうやらただの風邪であったらしく、ほっと一安心だ。それにしても、小さな体で尋常でない高熱に必死に抵抗する娘を見ているのは非常に辛いものがあった。願わくばこれを限りにしたいものだ。

夜はホッケーの学内リーグの試合をキャンセル。しかし、キャンパスビジットに来ていたIさんの歓迎会には参加する。


2月12日(火)     マークストラトな一日

昨日から三日間の予定で始まったマーケティングのシミュレーションゲーム、"マークストラト(MARKSTRAT)"の一日。フランスのビジネススクールINSEADの教授が開発したこのマークストラトというゲーム、とある家電製品のR&Dから、プライシング、ターゲティング、宣伝広告、販売員の配置、などなどのマーケティング戦略を包括的にシミュレーションしていくものである。各スタディグループがそのまま仮想の会社となり、5チームで最終利益とそれに基づく株価を競う。マーケティングの成績の25%はこのゲームの結果で占められている。昨日1年目のシミュレーションを行い、今日の午前中に2年目の、午後に3年目と4年目のシミュレーションを行った。

僕はソニアと二人で新商品開発&マーケティング担当。残りの三人が既存商品のマーケティング担当。しかし、既存商品にマーケティング予算を使い切ってしまい、新商品までほとんど予算がまわってこない。我々が出した開発スペックとそれに基づく開発コストが高すぎたため、「そんなに新商品に予算を使うわけにはいかない。今はとにかく既存商品で勝負だろう」ということで、最初二年間は既存商品のマーケティングに注力。しかし、大幅にスペックを下げた安物新商品を売り出したライバル会社に市場を荒らされ、あっという間にシェアは急降下。株価も5社中最下位に沈んでしまった。遅まきながら当社も多少スペックのましな安物を開発して4年目に市場に投入したが、どうせ他社も同時期に新商品を投入しているはずなので、4年目のシェアも低下しているはず。5年目にシェアを挽回すべく、我々新商品マーケティング組は現在渾身のスペックの大型商品を開発しているところである。

ところで全7年間の業績で競われるこのシミュレーション、慣れるに従い時間が短くなり、1年目は二時間、2〜5年目は1.5時間、6〜7年目は1時間で行われる。この時間、すべてを仔細に検討するにはあまりにも短い。つまり相当テンションを上げてディスカッション&意思決定をすることになる。つまり、皆かなり早口。なかなかきついです、正直言って(笑)。

さて、明日の5−7年目の結果はどうなりますか。一発逆転はあるのか、乞うご期待。

マークストラトを終えて帰宅すると、娘が何だかぐずっている。36度台まで熱は下がっていたはずなのだが、はかってみると再び39度台まで上昇している。なかなかあっさり下がらない。薬は結構強いので、今日は薬を飲ませずのそのまま寝せることに。


2月13日(水)      マークストラト沈没

今日もまたマークストラトな一日であったが、我がチームの業績は5年目から7年目の間も低迷しつづけ、結局株価は5チーム中最下位に終わった。スタート時点の株価とほとんど変わらず、である。キャッシュを稼げないため、バジェットが増えず、つまり商品開発費・広告宣伝費・営業経費を抑制せざるをえず、したがって商品も売れず、結果としてキャッシュが入ってこない、という典型的な悪循環に陥っていた。しかし、最後の三年間は我々新商品開発チームの意見をかなり取り入れたマーケティングプランで戦った結果がこれだったので、内心少し責任も感じている。最後の方は時間との戦いもどんどん加速し、どんな打つ手も結果につながらず、部屋の中は何とも言えぬ険悪な雰囲気に包まれていた。一方、業績の良いチームは極めて和やかにゲームは進んでいたという。このあたりは実際の企業における社内の雰囲気と同じであろう。それにしても、最下位になると結構悔しいものだ。

マークストラト終了後、久しぶりにポンドホッケーへ。中腰で少しプレーしたらもう腰が痛くなり、背筋をはじめとした筋力アップの必要性を痛感。早速帰宅して筋トレをする。

娘の熱は再び平熱へ戻った。どうやら本当に快復したか。


2月14日(木)      パッとしないバレンタインデー

日にちを書き込んで思い出したが、そういえば今日はバレンタインデーであった。当地でもバレンタインデーなるものはなかなか大層なイベントのようである。日本のバレンタインデーの盛り上がりはあくまでも商魂たくましいお菓子メーカーの某社が仕掛けたもので、欧米ではまったく商業主義とは無縁の聖なる日である、としたり顔の誰かが言っていた気がするのだが、どうしてどうしてスーパーでは一ヶ月も前からバレンタインデーのPOPも賑やかにディスプレイしており、全然日本と変わるところはない。日本との違いは一方的に女性が男性に贈るものでもない、ということくらいか。先日TUCKから全学生のメールボックスに”Happy Valentine”とメッセージのついたお菓子が配られていたので食してみたところが信じられないくらいまずかった。。。何をやろうとした結果のあの味付けなのか、いったいぜんたいどんな味覚をもった人間が揃えばああいうお菓子に商品化のゴーサインが出されるのか、さっぱりわからない。もっともそういう食べ物はこちらには山ほどあるが。

娘はまたも熱が上がったり下がったり。夕方以降は何とか微熱の範囲内にとどまっているものの、極めてご機嫌が悪く起きているときはずっとぐずっている。そして、一日のほとんどをベッドの中で眠って過ごしている。もともとおしゃべりでよく笑う娘なので、このぐずり具合は気になる。早く普段の調子に戻った娘と外で遊びたいものだ。

今日から実は四連休なのである。明日は学校でチャイニーズニューイヤーパーティーも行われる。明日はまた"Grad Student Skate Day"でもあり、大学院生の家族にはスケート靴を無料で貸してくれる日でもある。この四連休は、家族三人でスキーに行ったりスケートをしたりソリ遊びをしたり、、、と思っていたのだが、今週末は大人しく家の中にいる他なさそうだ。

昼に修理工場で修理の見積もりをとった。何と2600ドル。5000ドルで買った車にこの修理は如何にも高い。保険ですべてカバーされそうになく、非常に憂鬱になる。

そんなこんなでまったくもってパッとしないバレンタインデー。夜から学校に出かけて遅くまでプロジェクトの資料づくりに精を出した。


2月15日(金)       チャイニーズ・ニューイヤーパーティー

午前中、プロジェクトのミーティング。その後図書館で勉強し、夕方からTUCKのホールで開かれた中国の旧正月を祝うチャイニーズ・ニューイヤーパーティーに参加する。娘の風邪の具合がまだ完全には良くなっていないため、妻子は自宅に置いて一人での参加である。TUCKのアジア・パシフィッククラブが主催するこのパーティ、子供達によるドラゴンダンスや中華料理、はたまた麻雀コーナーなどもある一大イベントである。しかしちょっと遅れて行ったところ、既に料理の前には長蛇の列。少し並んでみたが、まったく前に進む気配がないのであきらめてもっぱらビールや老酒などを飲んだ。会場には中国風の衣装を来た子供達がたくさんきていた。日本人の子供達も多く集まっていたが、娘はまたもや彼らとの交歓の機会を逸してしまう。

その後、先日誕生日を迎えた同級生Iさんの奥さんをT氏の部屋に呼び出してシャンパンとケーキでサプライズパーティーを敢行。

色々な方にご心配をおかけした娘の風邪ですが、現在のところ何とか熱は下がっています。もう少しで快復するものと思われます。ご心配おかけしました。


2月16日(土)       今度こそ快方へ?

娘の熱はようやく平熱に戻ったようであるが、咳が止まらないようで起きている時は常に辛そうにしている。何だか分らないが咳が出て辛い、ということでとにかく泣く。この辛さから逃れるにはベッドで寝るのしかない、ということをどうやら知っているようで、とにかく寝たがる。起きている時のぐずり様は僕が抱いたところで多少なりとも緩和されないのだが、妻が抱いてやると結構おさまるのはやはりたいしたものだ。すなわち僕がそばに居てもたいした意義はないのでホッケー・スキーなどと外を出歩いていてもいいようなものであるが、なかなか心情的にはそうもいかないようである。

とりあえず昨日今日と熱は収まっているので、もはや娘のこの風邪も末期なのだろう。あとは咳さえ収まってくれれば。

そんなわけで日中にセイチャムビレッジの中をぷらぷらと散歩した以外は一日ほとんど家から出ず、家の中にこもりっぱなしであった。夜急遽まわってきたホッケーのお誘いも人数が揃わなかったということで中止となりがっかり。

明け方までストラテジーのライトアップと格闘するも、なかなか納得いくものは書けず。


2月17日(日)       ひさびさの雪

三時間ほど眠ったところで娘の泣き声に起こされた。妻に言われてロールカーテンを上げて見てみると、外は雪、である。新雪が既に20センチほども積もっていた。本当に久しぶりのまとまった雪である。しかし、先月に降ったさらさらのパウダースノーと違い、今日は気温が高いために雪がべちゃべちゃしている。また再びOccum Pondは除雪できるまでの間クローズされてしまうだろうし、かといってスキー場の雪も決してスキーに適したものではなかろうし、これはまたT内さんが落胆するだろうな、とまず最初に頭に浮かんだのはそのことであった。Occum Pondで本日開かれる予定だった、"Occum Pond TUCK Day"も残念ながら中止である。

家の前を除雪してから家族三人でWest Lebanonのモールへ買い物へ出かける。娘は先週の土曜日以来実に8日ぶりの外出。時折咳き込むものの、何とか機嫌よく買い物についてくてくれて一安心だ。

今日はスタディグループもなく、夕方から自宅でコーポレートファイナンスの予習などをやり、夕食後学校に出かけてストラテジーのライトアップの仕上げと提出をする。

いつの間にかマーケティングのFinal Examが今週の金曜日に迫ってきている。来週の火曜日にコーポレートファイナンスのExam、そして再来週にプロジェクトのプレゼンが終了すれば、冬学期も終了だ。秋学期に比べて明らかに時間の流れが加速してきている。実感としては一週間が過ぎるのが秋学期の三倍くらい速い。毎日のリズムに慣れたこと、ワークロードが実際に軽くなったこと、その双方からくる精神的な余裕、によるものが大きいのだろう。が、こうもあっという間に一学期が過ぎてしまうと、何だか焦る。こんなペースで日々が過ぎてしまって大丈夫か?ちゃんと修得すべきものを修得しているか?


2月18日(月)       深夜まで

久々に12時までスタディグループでコーポレートファイナンスの予習をする。日本語で説明すればあっという間に終わる内容も、いちいちスプレッドシートを見せながらでないとスムーズに伝わらないので、本当にもどかしい。一人だけ水の中を走っているかのようなスピード感の違い。しかし、全体の作業終了が遅くなったのも、そもそも自分のアカウンタビリティ(inイングリッシュ)の問題に負うところも大きいわけで、要領よく説明できる英語力があればもっと短時間で終われたわけで、ある意味では自業自得である。

しかし、お陰で当初行くつもりであったホッケーの試合にも行けなかった。他のグループはさっさと早い時間に終了してしまっていたようだ。こういう時、人間が出来ていない僕はすぐにイライラしてしまうのだった。「何だよ。何できっちり予習して来てないんだよ。俺一人でやってたらもうとっくに終わって家で飯食ってる頃じゃねえか。」などなど。。。しかし、言うまでもないことだが、普段その何倍もお返ししてもらっていることを、こういう時の僕は忘れてしまっている。ケースライトアップではどれだけネイティブのメンバーにおんぶにだっこっであったか、逆に僕が分らない問題の時はどれだけ遅くまで付き合ってもらったか。スタディグループ終了後、肌を刺す冷気の中を駐車場まで歩きながらふと冷静に思い直し、何だか自分の人間の出来てなさ度合が嫌になった。まったく困ったものだ。

逆に今日のホームワークではチームメイト(この科目の宿題は二名一組で提出するのです)のT内氏に世話になりまくり。

昼食後日本人アプリカント二名と会う。知人Yさんからの預かり物、ということで日本酒を一本いただいた。かさばっただろうに、と申し訳なく、しかしありがたい。ありがとうございました。(実は先日ビジットに来たIさんからも日本酒をいただいてしまった。)

昼食は"International Orientation Reunion"と題して、夏のオリエンテーション参加者の同窓会ランチ。。。が、何と14名中3名しか参加せず。同じ時間にエレクティブに関する二年生の説明会がかちあってしまい大部分がそちらに参加していためだが、久々に会った講師スーザンの寂しそうなこと。

以上、今日の日乗は逆時系列でした。


2月19日(火)      氷嚢

夜、ホッケーの学内リーグのプレイオフが行われるため、その前に少し練習しておこうと夕方T内氏を誘ってポンドに出かける。気温がかなり高めであったので果たして滑れる状態になっているかと心配していたのだが、行ってみると既に何人か滑っており、ほっとする。急いで靴をスケートシューズに履き替えて氷の上に乗った。が、氷の表面がやはりかなり緩んでいる。少し滑るとスケートの歯がザクッと音をたてて氷の中に沈む。当然足元のスピードが著しく減速されるので上体だけ前につんのめる形になり、危なくて仕方がない。案の定、滑り始めて1−2分後、ザクッと歯がめりこんだと思ったら、そのまま前につんのめって転倒してしまった。最初に着氷したのは古傷の左膝。その瞬間、全体重が乗った左膝を固い氷の上にしたたか打ちつけてしまい激痛が走る。今日はパックを持ってきていなかったので激しくプレーするわけでなし、よも転ぶこともあるまい、と防具をつけていなかったのが災いした。その後防具をあらためてつけ直して数十分スケーティングの練習をしたのだが、どうにも痛みが激しく肝心の夜のプレイオフの方は欠場となってしまった。本末顛倒とはまさにこのことだ。

氷嚢を作ろうと一旦自宅に帰ったところ、自宅は奥様子供たちでにぎやかな状態。氷嚢を作って膝を冷やしていると、子供たちが「これ何?」「足どうしたの?」とみんな寄ってくる。「これ、氷だよ」「冷たいよーほらー」とひとしきり大騒ぎ。その後、氷嚢で左膝を冷やしながら図書館で予習のつづきをする。

本日のスタディグループはコーポレートファイナンスに特化。昨日とまったく同じ展開で12時までつづいた。

ところで、昼間図書館でエンジニアリングスクール(Thayer School)のIさんと会ってしばらく立ち話をしていた。毎日のようにIさんのウェブサイトをチェックしているのだが、先方は依然としてワークロードが相当ハードなようである。秋には一日1クラス×5日というThayerのスケジュールをうらやましく思っていたものだったが、「何だか気がついたらいつの間にか逆転してしまいましたね」という話になった。何となしに後ろめたい気持ちになりつつ、「これから夜のホッケーの試合に備えてポンドに練習に行くんです」と言って図書館を出たのだが、膝の怪我はこの後ろめたさが原因か。


2月20日(水)     Perfect Symmetry

ようやく保険会社の認証が下りたので、授業終了後修理工場に車を持っていく。ジャスミンというかわいい苗字の一家四人でやっている家族的な修理工場なのだが、受付カウンターに座ったジャスミン母曰く、「ねえねえ知ってる?今日の夜8時2分は、ミリタリータイム(というらしい)では20:02でしょ?今日は2002年の2月20日でしょ?だから、パーフェクトシンメトリー(完璧な対称形)になるのよ。」”20:02、02/20、2002”ということらしい。内心"So, What?"と思いつつ、"Oh! it is! great!"といい加減な相槌ををうつ僕。よくそんなこと思いつくな、と思いながら帰宅すると、スタディグループのケニオンからメールが。「今晩8:02にデジタル時計はパーフェクトシンメトリーになる。。。これは歴史上1001年1月10日10:01以来二度目のことだ。。。」。

こういう話って日本でも言ってるんですかね?

工場まで迎えに来てくれたレンタカー会社の兄ちゃんと話していたところ、彼曰く、「僕も昨年Business Administrationのdegreeを取ったところなんだ」とのこと。ビジネスの学位を取って、なぜレンタカー会社の送迎役をしているのだろうか。そういえば、先日T氏と入ったレストランで注文を聞きに来た女性は、「つい先日MBAを取ったところ」だと言っていたな。アメリカの求人状況はことほどさように厳しいのか。

ところで、修理工場は雪道でスリップしたという車の入庫がひきもきらない状況であった。レンタカー会社の兄ちゃんによると、「この季節はBody ShopとRent a car serviceは稼ぎ時」であるらしい。今年は例年よりも暖冬で雪不足なのであまり忙しくないかと思いきや、こういう年こそ「冷たい雨」がいっぱい降って路面が凍るのでよく事故が起こるのだそうだ。まさに僕の事故ではないか。「何か事故を防ぐために気をつけることとか、効果的なツールとかないのか」と聞いたが、「ゆっくり走ること。祈ること。そして、いい保険に入っておくこと。」だそうだ。

午前四時までスタディルームにこもってプロジェクトの資料づくり。


2月21日(木)       プロジェクトミーティング

午前中プロジェクトのミーティングを三時間行う。今回は、メンバー全員が相当準備してミーティングに臨んだので、かなりスムーズに議論が進み、かなり先が見えてきた。この期に及んでそもそも論に立ち返ったりして、議論が行ったり来たりを繰り返したのだが、それも必要な過程なのだろう。同じ行ったり来たりでも皆が準備不足で挑む会議と違って、フラストレーションはまったく感じなかった。

ちなみに今回のプロジェクトのメンバーは全部で6人である。

フィル:30代半ば。アメリカ人。MIT出身。前職エンジニアリングコンサルタント(そんな職種があることさえ知らなかった)。常ににこやかで、周囲に気を配るナイスガイである。奥さんのモニカはパートナークラブの中心的存在。

パトリック:30代後半。ガーナ出身。ロシアでエンジニアリングの学位、パデューでマスターを取得。前職キャタピラーのエンジニア。穏やかなおっさん。

ラオ:20代半ば?。中国出身。前職経済省の官僚も辞職して留学。このたびようやくビザが下りた奥さんと一緒にセイチャムに引っ越してご近所さんに。これまたにこやかなナイスガイ。奥さんと一緒に図書館で勉強する愛妻家。

Kさん:32歳。日本人。アメリカ在住歴長し。コロンビア出身。商社から派遣。娘と同じ年頃の女の子Eちゃんがいて、我が家とは家族ぐるみの付き合い。奥さんのSさんはパートナークラブのドン。

マリーマーガレット:年齢不詳。アメリカ人。グループ唯一の女性。Vanderbilt出身。前職ITトレーナー。見ようによっては美人であり、ある筋には絶大な人気を誇る。

こうして改めて見ると、実に穏やかな人間が多い。年齢層がTUCKの学生の平均よりもかなり高いために皆良い意味で大人である。スタディグループでは連呼されるFで始まる四文字言葉も、そういえばこのグループでは聞いたことがないのである(笑)。

午後、スタディルームにこもって"TUCK Guide for Japanese"の編集作業と自分の担当部分の原稿書き。その後、エンロン問題に関するパネルディスカッションを聞きに行く。なかなか面白かった。

夜は、少人数でリンクを借り切ってのホッケーの練習。

明日の朝はマーケティングのファイナルの試験なのであるが、その場でケースを読んでのライトアップ、しかもオープンブックということもあり、まったくもって勉強せず。ホッケーから帰って30分ほどテキストを読んだだけであった。改めてテキストを読んで思ったが、この科目に関しては新たに学んだことはほとんどなかった。コア科目なので仕方がないのかもしれないが、診断士試験のマーケティング該当科目あるいは日本で読んでいた本などで完全にカバーされている。よりspecificなトピックを扱うエレクティブで頑張ることにしよう。


2月22日(金)     三時間

午前中9時から12時までマーケティングのFinal Examを受ける。どこで受けてもいいというので、寮生などはLANサーバにアクセスして自室で受けていたようである。が、ダイヤルアップの我が家でそれをやるのはあまりにリスキーなので、図書館のお気に入りの自習机で受けることにした。教室、スタディルーム、図書館、など皆思い思いの場所で試験を受けていた。コーヒーを飲み、サンドイッチなどをつまみながら、いざ試験開始。製薬会社のマーケティング戦略に関する10ページ弱のケースである。ケースライトアップスタイルの試験は、リーディング、ライティングともに圧倒的にスピードに劣る僕にはきついスタイルのはずであるが、今日は内容がとっつきやすかったこともあり、何とか5ページのライトアップを仕上げることができた。前半の時間帯で数量的考察などに不必要に凝ってしまい後半は駆け足になってしまったのだが、そこで駆け足で解答を乱れ打ちしながらふと気がついた。「ああ、書きたいことはあるのに英語で何と書いていいのか分らない!」とスタックすることがなくなっているのである。とりあえず、頭に書きたいことが浮かんだらそのまま書いている。もちろん、文章は稚拙なものではあるけれど、とりあえず英語の文章が出てこない、という段階は過ぎたんだなあと、試験を受けながら感慨にふけってしまった。もっとも後で読み返してみると文法の間違いなどは一杯あったが。

試験後帰宅してファイナンスの勉強などをしようかと思ったものの、あまりに眠かったため一時過ぎから四時過ぎまで昼寝。

その後四時から七時まで開かれていた"Tuck Tails"に親子三人で参加する。隔週で開かれるこの"Tuck Tails"、今日はビジネススクールを集めて行われるスキー大会、"Winter Carnival"の参加者たちも参加していた。娘も久しぶりに参加したTUCKのパーティーで夏に会った学生達に再会。大人たちがアルコール片手にひしめき合いながら声高に談笑するこの「場」に慣れるのにしばしの時間を要していたようであった。

さらに、大学所有のスケートリンク"Thompson Arena"で、アイビーリーグのホッケー、ダートマス大 vs. プリンストン大戦をT氏・T内氏などと観戦する。会場のスタンドは今まで見たことがないほどの超満員。娘が帰りたそうにしたらすぐに帰るつもりだったのだが、意外にもホッケー観戦は彼女のお気に召したようである。楽しそうにパックを追いかけ、隣に座った同じ年頃の白人の女の子とと競うように手拍子をし、バンドの音に合わせて体を揺すり、始終上機嫌だった。試合の方は先行したダートマスだったが、第三ピリオドにプリンストンに追いつかれそのまま延長でも決着がつかず引き分けに終わってしまった。しかし、明日のイェール戦で勝つか引き分ければ実に久しぶりのアイビーリーグ優勝、である。

午前中のマーケティングの試験、午後の昼寝、Tuck Tails、ホッケー観戦、と三時間単位で行動した一日。いずれもあっという間に時間が過ぎていった。中でも最も時間が過ぎるのが速かったのは、もちろん昼寝です。

ホッケー観戦から帰宅した娘、蒲団に入って「今日は楽しかったぁ」と呟いて寝た、らしい。


2月23日(土)     ウィンタースポーツな一日

午前中、いつもポンドホッケーをやっている池の裏山に家族三人で出かける。エンジニアリングスクールのIさんがやっているプロジェクト「スノーシュー」のモニター調査のためである。IさんはTubbsというスノーシューのトップメーカーに主に技術的側面からアドバイスをするプロジェクトをしており、今日はこのTubbsの製品と競合他社の製品を履き比べるというモニターをしたのである。このスノーシューなる製品、単なるかんじきだと思ったら大間違い、それは高機能を詰め込んだものである、らしい。ただし、新雪の上では。。。今日はここ数日の昼間の陽気と夜の冷え込みのおかげで雪はすっかりガリガリのアイスバーンになってしまっており、奴の本来の実力を発揮することはできなかったようである。四種類の製品を履き比べたのだが、実のところあまりよく違いが分らなかった。しかし、Iさんによるとこのスノーシュー業界、これまでTubbsが圧倒的シェアを誇る寡占市場であったそうなのだが、今年から強力なブランド力を誇るサロモンが市場に参入してなかなか大変なことになっているらしい。まさにケースに出てくるような面白そうな業界ではある。

モニター終了後は娘をソリに乗せて遊ばせるつもりが、娘がそのスピードにびびりまくって号泣したために計画は断念。しかたなく親が数本滑ったものの、ガリガリのアイスバーン上に唐突に現れた犬の糞に動揺して転倒してしまった。

その後は池でスケートなど、と思っていたが、これも気温が上がりすぎて滑走できる状態ではなく、またも断念。

さらにその後はWinter Carnivalが行われているダートマススキーウェイに向かう。HBS、Kellogg、Wharton、MITなどなど数多くのビジネススクールが集うこの大会、6人1チームのスラローム競技で競われるのだが、速い連中は相当速いらしい。しかし我々が到着した頃は「本気系」の連中は既にあらかた滑り終えて、レースの主役は「お笑い系」に移っていた(「お笑い系」でもTUCKの中で予選を通過するのは相当大変なのだが)。お笑い系はだいたい派手な仮装で滑ってくるのだが、見ていると何やら地味な、肌色の衣装を来た奴が滑ってくる。近づく。やはり全裸である。彼はゲレンデの凹凸にイチモツを激しく上下にパタつかせながら目の前をあっという間に通りすぎていった。どこの学校の選手かは結局わからなかったが取り合えず最も笑いを取っていた。抜けるような青空の下、ゲレンデを全裸で滑る若人。しかし、どうして人はああいいう場面に遭遇すると本能的に股間を凝視してしまうのだろうか。

【ウィンターカーニバルの模様(全裸男はシャッター切れず)】

(後記)その後、全裸男はHBSの学生であることが判明。何となく、やっぱり。。。しかも、TUCKの女子学生のいとこであるらしい。

夜は昨日にひきつづきアイスホッケーのダートマス大学vs.イェール大学を観戦。勝つか引き分ければ22年ぶりの優勝が決まるとあって会場はすごい盛り上がりようだ。あっという間に二点を先取されたダートマスが第三ピリオドに二点を返し、同点。このままタイムアップすれば優勝であり、会場は一気にヒートアップする。しかし、その後たてつづけに二点を取られ、2−4で敗れてしまった。嗚呼。

【ホッケー ダートマス対イェール戦の模様】

朝からスノーシュー・ソリ・スキー・ホッケー、とウィンタースポーツ三昧だった一日。もっとも、ほとんど観戦ばかりで運動らしい運動は何もしていないのだが。なにはともあれ、TUCKならではの休日であった。さて、勉強。


2月24日(日)       最後のスタディグループ

今日も抜けるような青空であった。メインストリートを車で走っていると、フロントガラス越しの太陽の熱で汗ばむようであり、思わず運転席の窓を開けた。これがまた心地良いのである。まだ二月だというのにまさかこのまま冬が終わってしまうなんてことはなかろうが、何だか心配になってくる。まだスキーも充分していないし、ホッケーも全然していない(どこが、と思われるかもしれないが、ベンチマークのT内氏に比べればまだまだなのだ)。できればあと数回は大雪が降ってくれて我が家に当地の冬を満喫させてほしい、と窓を開けて車を走らせつつ切に思った。

国際大学から交換留学で来ているKさん一家のRちゃんのバースデーパーティーへ出かける妻と娘を送った後学校へ。

ここのところ、アングラの食堂が気に入って(実際TUCKのそれよりもかなり充実しているし、値段も安い)よく通っているのだが、今日はその食堂で"Double Cheese Burger Deal"なるセットを頼んだ。ダブルチーズバーガーだ。当然頭の中にチーズが二枚、ハンバーガーパテが二枚、の例の奴を思い浮かべて焼きあがりを待っていたら、見事にやられた。「あいよ」とカウンターの上に置かれたテイクアウト用の入れ物の中には、チーズバーガーが二個と山盛りポテト。そういえば、こちらに来て最初の食事で入ったマクドナルドでまったく同じ過ちをしていたのにすっかり忘れていた。もっとも驚くだけ驚いてそのまま食べたのだが。

明日のコーポレートファイナンスとストラテジーの授業で、冬学期の予習が必要な授業はすべて終了。つまり今日が今学期のスタディグループにとっては最後のミーティングなのであった。そして今日はこのグループでの最後をしめくくるにふさわしいダイナミズムを経験できた。

明日のファイナンスのケースは敵対的買収を扱うもの。それぞれのスタディグループがケース内の登場人物の立場に立って10分間のプレゼンを用意しなければならない。しかし、なんというか実にしち面倒くさいケースであり、ミーティングが始まった段階では誰も明確な解を持っている者はいなかった。それぞれ一人で作業した時には説得力のある解が見つけられなかったのである。とりあえず僕のスプレッドシートを元に全員でひとつのPCを覗き込みながら、ああでもないこうでもない、とバリュエーションをいじくり始めた。僕が計算の前提与件を説明し、皆が「それはいいと思うな」「いや、こういう考えもあるんじゃないか」などと意見を述べ、ディスカッションの結果に従い少しずつ前提与件をいじくっていく。そうこうしているうちにバリュエーション結果がだんだん「気持ちのいい」数字に近づいていく。それでも、どうしても分からない一点があった。ケースの中で使われている割引率と我々が計算したWACC(加重平均割引率)があまりにもかけ離れているのである。何気なく「この会社は買収先の資本構成を変えるんじゃないかな。そうするとWACCも当然変わるよなあ」と言ってみたところ、ショーンが「ああ、それだ!」と叫んで、おもむろにPCに向かって計算し始めた。ある前提与件の結果出てきたバリュエーションの金額は見事なくらいに「気持ちいい」数字。

自分ひとりではたぶんこの解を導くことはできなかっただろうし、他のメンバーもまた一人ではできなかったかもしれない。が、全員でディスカッションした結果一人ではできない解答を導くことができた、、、という何だか入学式後に受けるオリエンテーションのような出来すぎた結果である。何はともあれ、良いグループに当たったことに感謝、である。

今学期のスタディグループは実に充実感があった。実は一旦グループ内で得た評価を落とさないために他の科目の予習を犠牲にしてまでファイナンスの予習に取り組んできたのだが、それが二義的な効果も含めて功を奏したのかもしれない。


2月25日(月)      中学生のような

今日はコーポレートファイナンスの最終授業とストラテジーのラス前の授業。コーポレートファイナンスの授業では昨日グループで準備したケースに関するグループプレゼン、である。といっても全部のグループが当たる訳ではなく、ケース中の各役割ごとにアサインされた2グループの中から誰か一人が当てられる。グループとして当たる確率は50%だった。前回の授業で助教授のディエゴ(もちろんファーストネーム)が、「I−Bankに内定が決まった奴を当てるから準備しておくように」と言っていたので、全員マーケ&コンサル志望の当グループは安心していたところ、何とアシシュが当てられた。当たるまいと思っていたのでパワーポイントのスライドはなかり手抜きで「3−7ページ」という指定を思い切り無視して出だしから「2ページのプレゼンで。。。」とやって笑いを誘っていたほどであったが、何とかアシシュの話術で切り抜ける。しかし、僕が当たっていたらああはいくまい。

一方、ストラテジーの授業の質は今日も駄目だった。頻繁に指で髪をかきあげ、"You know"を連発し、金切り声でしゃべる、痩せぎすのおばさん、それだけでもう僕にとっては生理的に駄目なのだが(人を見かけで判断してはいけない)、ディスカッションの取り回しが本当になっていない。生徒の発言に教授がカウンターの質問を浴びせる、それに生徒がまた反論する、そういう展開の時、良い教授というのはひととおり生徒の発言を聞いてみせて、「うん。まあそういう考えもあるが云々」とおもむろに切り返すか、もしくはその発言を体よくかわして言外に「それは本題を外れている」ということを匂わせてくれるもんである。そういうやり取りから授業の流れ・リズムのようなものは生まれる。これがうまい教授の授業というのは、まさに職人芸を見ているように受けていて気持ちいいのだ。しかしこのおばさん、生徒が反論するとヒステリックに"Wait, wait! Let me finish!"と言いやがった。まるで四速にギアを入れたまま低速で走行してノッキングしているような感覚。授業にリズム感など生まれようもない。今日僕がホストしていた日本から来たアプリカントの方も、「あまり教えことにに向いていなさそうですね」と授業中にポツリ。

ストラテジーのケースはホンダについて。授業の最初に「後で日本でのホンダについて知っていることを何でも言ってください」というので、ノートにホンダのディーラーネットワークの成り立ちや、消費者調査によるイメージや、トヨタとの顧客年齢層の違いや、レースへの参加によるエンジンに対する高いブランドイメージや、商品や地域のdiversificationや、、、とノートにメモを書きだして、さて、と一拍置いて手を挙げたところ、一瞬早く挙手したT氏が指された。よし次は、と思ったところ、「はい、では次の話題に移って。。。」。がっくり。

しかし、手を挙げたのに当ててくれないからがっかりする、というのも良く考えるとまるで小学生のようで、30過ぎのおっさんの思考としては実に微笑ましいもんだな、と何だかおかしくなる。それをいったら、宿題に追われていること、試験前に缶詰になって勉強すること、テストの点数や成績に一喜一憂すること、、、、それらすべてがまったくもってして30過ぎのおっさん達のやることではないのであるが。

そして明日はコーポレートファイナンスのFinal Examである。まるで中学生の頃の自分がしていたように、夜中に起き出して朝まで今学期に学んだことなどをノートに書き出したりしているのだった。


2月26日(火)       ファイナンスFinal Exam

午前中コーポレートファイナンスのファイナル試験。どうしても解けない問題が一問あり、結局いい加減な解答を書いて出してしまった。とにかくこれで冬学期の試験もすべて終了、あとはプロジェクトの大詰めに向けてMarket Survey Reportの作成とプレゼンの準備をするばかりである。あとはホッケーか。

実は今週の金曜日に日本人二年生対日本人一年生によるホッケーの壮行試合が予定されている。半年前によちよち滑りから始めた我々一年生にホッケーを手ほどきしてくれた二年生に最後の恩返しをするべく、一年生のホッケー選手の間で非常に盛り上がっている。色々と秘策なども練っているのであるが、試合前に敵に漏れると困るので詳細は秘密。

夜、アルゼンチン人の同級生ゴンザロの家に皆でお呼ばれしてアルゼンチン料理をご馳走になる。妻と娘も招待してくれたのだが、娘と一緒に行くには時間が遅かったため一人で参加した。その場にTUCKとUCLAから合格をもらって両校をビジットしに来たというイタリア人学生がいた(偶然昨年同じ状況からTUCKを選んだ学生がT内氏ともう一名おり、彼らの「なぜTUCKを選んだのか」というコメントはなかなか興味深かった)。

彼がいたので、やや客観的にTUCK生達の会話を聞いてみた。「もうこのまま冬は終わるのかな。誰かこの先の予報知ってる?」とある学生。「何だか明日はSnow showerがあるようなこといってたよ」「まじ?!」「それに日曜日はStormがくるらしいな」「うそ!本当に?」------通常、「雪が降る」「大雪が来る」と聞かされた人間の「まじ?!」「うそ!」は、ネガティブなトーンをもってして発せられるのが普通であろうが、TUCK生は満面に笑みを浮かべてその言葉を発するのである。「まじ?!(これでスキー場の雪質が良くなってスキーを楽しめる)」「うそ!本当に?(これで気温が下がってポンドホッケーができる)byT内氏」というわけである。

かくいう僕もまた同じく満面の笑みでもって聞き返していた。日本にいた時は寒さは苦手だといって憚らなかった僕でさえハノーバーにくればそうなるので、誰も心配することはありませぬ。


2月27日(水)       Open Stickとプロジェクト

午前中のストラテジーの授業で今学期の授業もすべて終了。その後昼休みを利用して近くのリンクで行われている”Open Stick”に参加する。”Open Stick”とは近隣のホッケー好きのためにリンクを開放する時間帯のことである。草野球好きが昼間に公園に三々五々集まって適当にチーム分けして試合をしているようなイメージだ。しかし、この草ホッケー好き、皆相当に実力が高い。場をしきっていたのは御年とって75歳の爺さんだったが、実にホッケー歴70年のツワモノだった。90分近くの間2分間ごとに2ラインを交代しながら延々とゲームをつづけるので結構体力的にきつく我々「若人」でもすっかり最後にはへばってしまったのだが、この爺さんは最後まで息が上がっていなかった。何か我々とはまったく違う筋力の使い方をしているようである。

午後はプロジェクトのミーティング。そろそろ締め切りが近づいてきたので、今日は5時間近くぶっ通しでミーティングをする。最終資料の提出まであと二日。そして翌週はプレゼン、である。

ところで今日はTUCKの2nd Roundの合格発表である。非常に仲の良い友人が2ndで受けているので、結果が気になってしかたがない。合格発表後に合格者に対して色々とコンタクトをするために明日アドミッションから日本人合格者のリストをもらうことになっているのだが、今からかなりドキドキしている。


2月28日(木)      2nd Round合格発表 つまりは あれから一年

朝9時から午後までプロジェクトのミーティング。ミーティング中にアドミッションディレクターのサリーからメールが。2nd Roundの日本人合格者リストを送ってくれたのだ。祈るような思いでリストを開くが、友人の名前はそこにはなかった。残念無念。

結局2ndでも10人の日本人合格者が出て、1stの10人と合わせて20人となった。昨年はほとんどの合格者が2ndに固まっていたのでラウンドごとの分布はまったく違うのだが、2ラウンド合計の合格者数は昨年とほぼ同じレベルである。仮に日本人合格者が激減するようなことになれば、我々のパフォーマンスが何がしかの悪影響を与えたのか、などと危惧するところでもあるが、とりあえずそのようなことはなくその点では安心する(実際あまり関係ないのだろうが)。午後、1st・2ndの合格者及び一年生・二年生の在校生で早速メーリングリストを立ち上げた。昨年同様のメーリングリストに非常にお世話になったので、何とか役に立ってくれればよいのであるが、と思っていたところ早速合格者から質問メールが。また、それに対して二年生が丁寧に答えてくれていて、感謝である。

アドミッションディレクターといえば、以前からアナウンスのあった新任アドミッションディレクターのMs. Kristine LacaがTUCKにやってきた。元NikeのStrategic PlanningのDirectorであったとのこと。サリーはしばらく彼女の仕事を手伝った後で、TUCKのAssistant Deanに専念するという。

今日の夕方は"Tuck Tails"があり、さらに「Deanと語ろう」的なイベント、新任アドミッションディレクターの歓迎イベントも用意されていた。先週につづきまた是非親子三人で参加したかったのだが、何と娘がまたもや熱を出してしまった。夕方には多少熱は下がりかけてはいたものの、まだまだ体調は万全には程遠く、残念ながら今回の参加は見送ることにする。

夜はリンクを借り切ってのホッケーの練習。明日の日本人二年生壮行試合に備えての特訓である。僕は急遽ゴーリーをやることになったため、本職ゴーリーのローにゴーリー用具一式を借りて練習に臨む。しかし、ゴーリーなるもの意外に難しいということが判明。頭の中では足元に来たパックを華麗にスティックで弾き返しているイメージなのだが、現実にはスティックが動きが問題外にスローモーだったりして、何度もゴールを割られる。シュートの雨あられを浴びてへとへとになる。最後には少しは慣れたものの、さて明日はどうなることか。ちなみに我々の練習に引き続いて行われたTUCKのBチームの一年生対二年生の試合に出場するローは、僕の汗のたっぷり染み込んで尚且つリンクの冷気で冷え冷えになった防具を嫌な顔ひとつすることなく着ていた。本当は嫌だったろうが、ナイスガイである。練習後は我々もそのまま残って一年生Bチームを応援したものの、奮闘虚しく3−6で二年生に敗れ去った。明日は我々日本人一年生による雪辱戦か?

ところでこの日乗を書き始めてから気が付いたら昨日でちょうど一年だったのである。サリーからメールを受け取る場面からこのホームページは始まったのであった。この一年間多少更新が遅れたことはあれど、一日も欠かさずよく続いたものである。学生時代からノートに日記を書き付けることはしていたが、数日欠けるようなことはしょっちゅうであり、ここまで継続できたことは一度もなかった。紙とインクの日記とHP上の日乗と、いったい何が違うのか。ノートにはないアクセスカウンターなるものの存在。それによるモチベーション。言い換えればプレッシャー(笑)。時々いただくメール。そういったものが更新を後押ししてくれたのだろう、と思う。


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