MBA留学日乗 2002年3月 | ホームへ | | 前月へ | | 翌月へ |
3月1日(金) 壮行試合
午後1時から午後11時まで、ぶっとおしでプロジェクトのミーティングをする。夕食はインド料理のデリバリーを取って食べたので、10時間ほとんどスタディルームを出ることがなかった。明日がペーパーの提出期限なのである。ここ数日6人のメンバーそれぞれで各パートを分担して書き、それを持ち寄ってさらにディスカッションをしてまた直し、、、ということを繰り返しているのだが、それにしても自分のライティング能力の低さに結構嫌気がさしてきた。論文を書く大学院生の中に小学生が一人混じって懸命に作文をしているようなものだ。どう見ても僕が分担したパートは表現の幅が狭くて稚拙だし、言いたいことを正しく伝えられているかも怪しい。それでなくてもここのところ「英語力変動の波」のボトムにきているので、この10時間のミーティングは、まさにブルーになるきっかけに満ち満ちているのだ。
ミーティング終了後急いでリンクへ向かい、ホッケーの日本人二年生壮行試合に参加する。一年生・二年生それぞれ7名ずつの参加。さらに何人かの人々が観戦に来てくれていた。試合の方はBチーム選手三人を抱える二年生チームに対し、全員トライポッドの一年生が圧倒的不利の下馬評。しかし我々一年生はここ数日の間、何とか試合の形にするべく入念な戦術会議・メール会議・ポンドホッケー練習(天候不良で中止)・オープンスティック参加・リンク貸切練習、、、と、「アホですかあなたがたは?何しにここに来てるんですか?」と言われてもやむをえぬほどの準備を連日重ねてきたのである。僕も入念に練習した成果を示すべくゴーリーの防具を付けてリンクへ。
しかし試合開始直後から二年生三人組がスピードに乗ってがんがんディフェンスを切り裂いてくる。一年生も皆打ち合わせたとおりのフォーメーションで必死に守るが、こちらがリズムを掴む前にあっさり股の下を割られて先取点を取られてしまった。さらに第一ピリオドに立て続けに二点を取られた。あれだけ練習したのにやはり大敗か?という嫌な雰囲気も漂い始めたが、インターバルの打ち合わせを挟んで一年生チームの動きがかなり改善。第二ピリオドには「ポンドの鬼」T内氏がゴールを決め大騒ぎ(しかし、その後二点を取られる)。
それにしても我ながら一年生チームの気合の入り様は凄かった。「ダブってチェックに行くな!」「フリーにさせるな、行け!」飛び交う怒号。テクニックのなさは気合でカバーする、と言わんばかりのスライディングの連発。パックと関係のないところで相手オフェンスをラフプレーで攻撃し、ペナルティボックスにぶち込まれるOさん。両足が激しくつってベンチに下がり、その後も尚プレーするKさん。なぜか折られる二年生Wさんのスティック。。。。
第三ピリオドに入ってT内氏、T氏が一点ずつゲットし3−5に。このまま行けるかと一瞬思わせたがその後一点を返され結局昨日のBチームの試合と同じ3−6のスコアで一年生の敗戦となった。試合終了のブザーが鳴った瞬間に半分くらいの一年生選手が氷上に倒れこんでいた。
敗れはしたが、初めて練習試合をした時に二年生チームに15点以上(カウント不能)取られたことを思い出すと、素晴らしい向上ぶりだ。それにしても楽しい試合だった。やはり真剣勝負は面白い。そして、TUCKに来ていなければ決してしていなかっただろうホッケーの楽しさを再認識したのだった。
試合後は二年生Kさん宅に移動して午前一時過ぎから打ち上げ。帰宅したのは午前3時半。それから少しプロジェクトの作業をして寝たのは午前5時であった。
【試合後の集合写真。白のジャージが二年生、緑が一年生(左)】 【一年生チームのベンチ前にて(右)】
3月2日(土) プロジェクトの一日
午前9時から始めて午後11時までプロジェクトミーティング。途中夕方二時間の夕食休憩を挟んで正味12時間ミーティングをしていたことになる。何とか午後5時の締め切りにマーケットサーベイの結果をEメールで提出。さらにあさってから始まるプレゼンのパワーポイントのスライドを相当程度作ることができた。他のどのグループのメンバーに聞いても我がグループほど時間を費やしているところはないようである。中には相当いい加減にミーティングを済ませているところもある由。他のグループのペーパーを見る機会もないので何とも言えないが、我々の成果物のクオリティはかなり高いのではないだろうか、とできあがった資料を読み返しながらあらためて思う。もっともライティングにおける僕の貢献度は極めて低いのだが。
長い持間ミーティングをしているとさすがにちょっと頭が朦朧としてくることがある。気付くと思考が完全に停止している。今日、そんな状況に陥った時、なぜだか突然あらためて思った。「フィル、異常に鼻高いな。。。マリーマーガレット、目が本当に青いな。。。パトリック、肌が黒いな。。。」だから何だというわけではなく、とにかくただそう、つくづくそう思ったのである。鼻が高い、目が青い、肌が黒い、そういえば彼らは自分とは人種が違うんだよなあ、ガイジンなんだよなあ、と。
3月3日(日) 雛祭りだがやはりプロジェクト
昨日レポートを提出したプロジェクトはようやくひとつの大きな山を越した感がある。今日はプレゼンテーションスライドのプラッシュアップとチーム内でのリハーサル。プレゼン自体もパワーポイントを作るのも好きなので、昨日までのライティング&ディスカッション漬けに比べるとぐっと気が楽になった。
午前11時から作業を開始し、プレゼンリハーサルをやって今後の作業を確認して解散したのが午後5時前。6時間作業をしていたのだから決して短くはないのだが、ここのところ一日10時間以上作業をする日がつづいていたので「今日は随分あっさりと終わったなあ」というのが実感である。このことに限らず、慣れというのは怖いもんだ。
終了後嫁さんに頼まれていた買い物を済ませて帰宅すると、娘がひな祭りの日に雛人形を割ったといって嫁さんご立腹。風邪でここのところ家にこもりっきりなので娘もストレスがたまっているのだろう。今日、同じプロジェクトチームのKさん宅で開催されたひな祭りパーティーにも風邪のため参加できなかったらしい。
3月4日(月) ドレスリハーサルでやはりプロジェクト
今日は午後四時から午後六時までプロジェクトの"Dress Rehearsal"。スーツ姿で行うかなり本格的なリハーサルである。午前11時に集合してリハーサル前まできっちりスライドの修正と練習を繰り返した。最初に通しでプレゼンをやった時は規定の30分を7分もオーバーしていたのだが、その後の努力でリハーサル直前には28分台まで短縮。しかし、リハーサルでは皆少し緊張していたのか随分時間が延びてしまい結局32分もかかってしまった。
ちなみにこの日のリハーサルのためにMIT Sloan SchoolとColumbia Business Schoolからそれぞれコミュニケーション専門の教授が来ていた。我々のプレゼンを評価してくれたのはMITの教授。また、同時間内にアサインされた2グループがお互いのプレゼンを見て"Peer Feedback"をする、というものもある。それぞれのフィードバックを聞いていて思ったのだが、やはり日本人に比べると直截的な表現を好むと思われるアメリカ人でさえ、個人の評価というセンシティブな分野では結構持ってまわった言い回しをするもののようだ。"I might suggest...."とか"Maybe, you could change...."とか"You did great job! Just a couple of things, but...."とか微妙にストレートな言い回しを避けている。この辺微妙な言い回しを知らないがために、"You should change....."とか"I think your ........was not effective."などと言おうものなら、「あの日本人は何てダイレクトな物言いをする奴だ」と思われるだろう。婉曲な表現方法を好むはずの日本人がダイレクトな表現を多用してしまうというこの「ジャパニーズ・パラドックス」、結構日常の色んな場面で多発している気がする。
リハーサル後皆でビデオを見る。僕のプレゼンは相変わらず発音が分かりにくい。何とかならんもんかな、これは。
学校を出ようと家に電話をしたところ(今日から嫁さんに車で送ってもらうことにしたので、呼ばないと帰れないのだ)、同じプロジェクトのKさんの奥さんと娘さんがちょうど我が家に遊びに来ている。そのままKさんに家まで送ってもらってWest Lebanonのイタリアンレストランで両家一緒に食事をした。椅子に並んで座った我が家の娘とKさん家のEちゃんは、年も近く背格好も髪型も似ており、何だか姉妹のようだった。最初は椅子の上で飛び跳ねていた二人も、レストランを出る頃には仲良く寝てしまった。
3月5日(火) プロジェクトプレゼンに思うこと
昨日同様午後4時から始まるプレゼンテーションに備えて午前10時からプロジェクトチームでミーティングをする。今日は教授の前で成績評価のためのプレゼンをする"Graded Presentation"である。昨日のリハーサルで色々ともらったアイデアをすべて織り込んで六時間の間にスライドをかなりブラッシュアップすることができた。二度ほど通しで練習をしてみたが、明らかに昨日よりもロジックが分かりやすい。皆慣れてきたせいでプレゼンの出来もなかなかだ。よしよし、結構よくなったぞ、というある種の昂揚をもってスーツ姿で会場である教室へ向かう。
が。。。。結果の教授の評価はイマイチ。「うーん。プロダクト自体が曖昧模糊としていてハードなプロジェクトなのはよく理解しているけど、これではVC(ベンチャーキャピタリスト)にとっては面白くないんじゃないかな。何をピッチしているのかよく分からないし、VCは何に投資すればいいのかよく分からないと思う」。
原因は明白。我々はVCにピッチする気などさらさらないのだ。VCに投資してもらいたい、などまったく考えていないのだ。それどころか、現状のプロダクトは投資対象としてはまだまだ不適である、との結論に達した。だからこそビジネスプランの作成を最終的に放擲してマーケット調査に特化した。VCにはその前提で我々の分析に対してプロの目から見たコメントをもらいたい、と考えていた。そして教授もそれを理解していると考えていた。が、そうではなかったらしい。
今日我々を評価したのはアントレのホバース教授。彼はほぼコンテンツだけに集中して評価しているようである。他の教室ではコミュニケーション論のマンター教授などが採点している。彼女は逆にコミュニケーションスキルだけを見ている。仮にマンター教授が我々の評価者であったら評価は180度違ったものになったはず。結果から言うと今日の作業はすべて見当違いな方向に向かって全力で走っていたことになる。評価が運に左右されてしまうというこの点は、このプロジェクトのある限界であるかもしれない。来年からはコンテンツを見る教授とコミュニケーションスキルを見る教授とそれぞれ一名ずつ評価につけるよう、そして必要であればアントレの教授も増やすよう、早速提案をすることにする。
プレゼン後は、直前まで「我々はなかなかだ」という雰囲気に支配されていただけに何とも表現しがたいミーティングとなった。マリーマーガレットは自分のプレゼンの出来が悪かったと落ち込んでいる。「ホバースは我々のプレゼンにポジティブなコメントはひとつも言わなかったでしょ。私のオープニングも最悪だったし(実際はどちらもそんなことはない)」。何とか彼女を皆でなだめる。僕はこういう時、言葉が相手の心に伝わっていないな、という感じを抱いてもどかしくなる。日本語でこういうシーンに出会った時の僕が、キャラクターや明るさで場をなごませるタイプなのではなく、何とか言葉で相手の心をほぐそうと考えるタイプなので尚更だ。英語で相手の心をほぐす?そんなことは今の僕にとってはホッケーでハットトリックをするほど困難なことだ。「全然悪くなかったよ。君のプレゼンの出来自体は本当に良かったよ」とか「あと二日しかないんだから、最後までこのチームで楽しもう」とか、シンプルな言葉で言うのが精一杯。最後はKさんやフィルの言葉でだいぶ元気を取り戻した彼女であったが、僕は結局気のきいたことは言えずじまいであった。情けない。
今日のプレゼンが終わったらあさってのVCへの最終プレゼンまでほとんど作業は発生しない予定だったのだが、帰宅して個人作業、そして明日もチームミーティングをすることになった。
プレゼン後、2nd Roundの"Smile&Dial"で5人の合格者に「おめでとう」電話をかける。夜参加したトライポッドホッケーの練習試合では何度も決定的なシュートチャンスを逸した。帰宅すると嫁さんが明日のポットラックパーティー(持ち寄りパーティー)の唐揚げの下ごしらえで悪戦苦闘中。それを少し手伝った後、プレゼン資料の修正に取り掛かる。
そんな一日。何はともあれプレゼンもあと一回を残すのみ。
3月6日(水) プロジェクトパーティー
久しぶりの雪だった。雪の中を車で走っていると気持ちが浮き立ってくる。しかし、一旦積もった雪も深夜には既にだらしなく溶け始めてしまった。今日聞いた話では、今年は120年の観測史上もっとも暖冬であったらしい。
今日はプロジェクトメンバーの家族全員でKさん宅に集まっての”Celebration Party”の日である。当初の予定では、ミーティングもなくお気楽な一日になっているはずだったこの日にセットしたのである。既に二回行ったプレゼンを相手を変えてもう一度やるだけになっているはずだったのだ。しかし、実際にはプレゼン内容の大幅見直しなどをするために今日もミーティングをしている我々なのである。
パーティは午後5時からの予定だったのだが昼過ぎに始めたミーティングが結局午後7時までかかってしまい、だいぶ遅れてのスタートとなってしまった。しかしお陰でプレゼンの方は一日で修正したとは思えないほどの方向転換作業を無事終えることができた。最後の三日でプレゼンの順番を含めコンテンツをここまでがらっと変えたグループは他にはあるまい。お陰でまた話す内容を覚えるのが一苦労であるが。
ところで僕の発音の悪さについてはここで何度か言及しているのであるが、今日のミーティングで極めつけの事例があった。僕が「このスライドの後にbar chartを持ってきた方がいいよ」と言ったところ、マリーマーガレットがびっくりした顔で、”What!”と振り返ったのだ。何でBar chartを挿入するくらいでそんなに驚くのか?「今なんて言ったの?」「だからバーチャートをここに。。。」と言ったところで彼女大笑い。どうやらここで"Bull Shit"を挿入しよう、と聞こえたらしい。そんなものを入れたら。。まあ、それはそれで面白いかもしらんけど、大変だろ。しかし"Bar chart"が"Bull shit"に聞こえるか、普通?それにしても発音の悪さもここまでくると立派なものだ。明日、プレゼンで間違っても"Bull Shit"と認識されないように気をつけよう。
パーティは実に楽しかった。ラオの奥さん、パトリックの奥さん(来月出産予定)と娘、フィルの奥さんと息子&娘も参加。Kさんが「プロジェクトチームに乾杯」と言うと、すかさず「それを支えていたガールズにもね」と突っ込みが入る。たしかにここ一週間どのメンバーもほとんど家族をほったらかしだったのである。感謝です。感謝しつつ、また奥さん方が持ち寄ってくれた各国料理を夜遅くまで楽しんだ。Kさん宅リビングで白人・黒人・アジア系の子供達が一緒になって遊んでいる光景を見るのは、その中に自分の娘がいるのを見るのは、別に特別なことなんかではありはしないのだけれど、何か特別な気持ちにさせられた。妻はこういう光景を毎日のように目にしているのだろうが、僕はなかなかそういう機会はないのである。国籍の違う友人がたくさんいたことを大きくなった娘はきっと覚えていないんだろうな、と思う。
皆が帰ってしまった後も、「帰りたくない」「Eちゃんのママがまだ遊んでていいって言ったもん」と娘は泣いて駄々をこねた。
3月7日(木) プロジェクト終了 そして友あり遠方より来る
午前11時からプロジェクトの最後のイベント、ベンチャーキャピタルプレゼンを行った。我々のプレゼンを聞くためにはるばるハノーバーまで来てくれたのはT'68(「TUCKの1968年卒業生」の意)の年配の男性とT'97の若い男性、それに卒業生ではない女性の三名のベンチャーキャピタリスト。会場は通常スタディルームとして使用されているやや小さめの部屋で、その中に3名のVC、我々6名のプロジェクトメンバー、さらにクライアントの教授1名の計10名が押し込まれていた。これだけ会場が狭いと、もう所謂「プレゼン」というよりもミーティングと言った方が正しい。大会場のように大仰に声を張り上げるでもなく、皆淡々としゃべっていくのでかえってやりづらかった。しかし、プレゼン自体は直前に大手術を施したとは思えないほどの良い出来であった、と思う。クライアントからも「予想していたよりもずっと良いプレゼンだった。ありがとう」と感謝の言葉をもらう。
今回のVCプレゼンは非常に有用なものだった。彼らのコメントは大概的を射ていたし、参考になる意見ばかりであった。プレゼンをする前までは正直面倒くさい気もしないことはなかったのだが、最後にVCプレゼンができて良かったと思う。彼らからの最後のコメントは、「こんなにdiversifiedされたグループは初めて見た。その中で意見をまとめるだけでもハードワークだったと思う」というもの。
昨年末からスタートし、最後の一週間は特に集中的にディスカッションと作業を繰り返したプロジェクトもようやく終わった。最後は本当にメンバー全員披露困憊の体であったが、がゆえに終わった後の充実感も非常に大きかった。自分の英語力のなさなど足りないものを明確に認識させられた過程でもあった。
夜は、ロンドンビジネススクール(LBS)の友人Oさんがハノーバーまでやってくる。10月22日付の日乗にて裸でアビーロードを歩く姿を披露してくれた人物である。もともと友人であったT氏、及び今回が初の対面となるT内氏を誘って我が家で歓迎鍋パーティーをする。
3月8日(金) ハノーバーの暮らし体験ツアー
はるばるロンドンからやってきたOさんにハノーバーの暮らしを満喫してもらうべく事前に準備したコースを忙しく回った一日であった。
昼前にまずはダートマススキーウェイに行き、ここのところの陽気でコンディションのかなり悪くなってきたゲレンデでスキーをする。その後大学に移動してTUCKの校舎内を案内。そしてステーキ等の肉料理をメインとするレストラン”Jessy's”にて悪名高いアメリカ料理を試食してもらう。さらに大学所有のアイスアリーナにてECAC(東海岸大学体育協会)のアイスホッケープレイオフ一回戦ダートマス大学対コルゲート大学戦を観戦。第三ピリオドの途中2−2の同点の時点で時間になったので後ろ髪引かれつつ会場を後にし(最終的には勝ったらしい)、いつも練習をしているカンピオン・リンクへ。今日は有志でリンクを借り切ってのホッケーの練習試合の日であり、同級生から用具一式を借りてOさんに体験参加してもらったのだ。最後は我が家で少しビールを飲む。
盛りだくさんの一日ではあったが、今回ハノーバー案内プランを作っていてあらためてここは観光すべきスポットに乏しい場所だな、という感を強くした。先日Oさんが訪れたバルセロナでは友人がサグラダファミリアやら何とかビーチやら、と色々と観光に連れていったらしい。翻ってハノーバー。基本的にスキー&ホッケー、だけである。そんな何もないこの町が好きなのだけど。
3月9日(土) ボウリングなど
昼過ぎからOさんを連れて同級生T氏、同じくIさんと一緒にWhite River Junction(地名)にあるボウリング場へ(Hanoverを含むUpper Valley界隈においては数少ない貴重な娯楽施設)。二時間で四ゲームをこなす。最初の二ゲームはゲーム代をかけていたのだが、四人のスコアは120−150にて争われていた。それが三ゲーム目で恥ずかしい罰ゲームが加わった途端皆の真剣身が俄然増し、スコアは一気に30点ほども上昇する。何とかここまで罰ゲームを免れていた僕も四ゲーム目でついに右手の握力が尽き、直前の180点台から90点台まで得点が急降下。最下位として恥ずかしい罰ゲームをくらう羽目になった(三ゲーム目の罰ゲームはT氏)。
夜は新潟国際大学から交換留学で来ており間もなく日本に帰るKさん一家の送別会に揃って参加し、OさんをTUCK日本人学生に紹介する。持ちよりパーティだったので妻は午後からバタバタと料理を作って大変そうであった。
さらに我が家で夜遅くまでゲームなどをして遊び、最後にボウリングの罰ゲームを敢行して終了。
それにしても今日は暖かい一日であった。昼間は摂氏15度以上はあったらしく、セイチャムのサッカーグラウンドを数ヶ月間覆っていた白い雪も今日であらかた消えてしまった。昨日は何とか滑れたスキーウェイもこの陽気では雪が溶けてしまったことだろう。冬の寒さが緩んでいくにつれ、凍結していた川面が少しずつ再び本来の川の姿に戻っていく。道端に寄せられた雪がどんどん溶けて路上を濡らしていく。日本では春の訪れを前にして決して感じたことのない感情なのだけど、何だか衰えゆく何かを見ているようで悲しくなるのだった。
3月10日(日) 友帰り再び静かなハノーバー
三泊四日でハノーバーに滞在していたOさんが今日の昼過ぎのDartmouth Coachに乗ってロンドンに向けて帰っていった。最後にハノーバーの街で奥さんに土産を買っているものと思っていたら、何と僕の妻と娘に対する土産であったらしく、バスに乗り際に渡された。娘大喜び。
ところで、これまでも色んな学校に通う友人の話を聞きつつ思い、そして今回OさんからLBS事情を色々と聞きつつもつくづく思ったのであるが、一口にビジネススクール・MBAといっても学校それぞれにまったく特色が違うものである。授業のスタイル、成績評価システム、成績評価の厳しさなどカリキュラムに関することから日本人学生間の関係に至るまで、学校ごとに千差万別のようである。
授業のスタイルについてはTUCKのようにコールドコールを学生に浴びせる学校も(もちろん教授ごとに違いはあれど平均論として)あれば、まったくコールドコールをしない学校もある。その両者間での授業中の緊張感はまったく異なるだろう。成績評価についてはクラスパーティシペーションが20%の学校もあればそれが80%を占める学校もある。当然その両者間では授業の準備の仕方、授業中の姿勢もまったく異なる。成績評価の厳しさもTUCKのようによほどのことがないとFailを取ることはない学校もあれば、クラスの10%の学生は相対評価の結果として否応なくFailを付けられる学校もある。この両者間におけるプレッシャーのかかり度合など比べ物になるまい。コミュニティについてもTUCKのように付き合いの濃い学校から希薄な学校まで様々だ。これは個人の嗜好によって明確に合う合わないが分かれそうだ。日本人内の付き合いに関しても、昨日のように一・二年生通じた学生・奥さん・子供が一同に会してパーティーをすることはTUCKでは珍しくないことだが、LBSでは(少なくともこれまでのところ)想像できないことであるらしい。
どちらが良くてどちらが悪いということではない。単純に違いがある、ということだ。そしてその違いは決して小さくはないはずなのだが、その違いは学校の外に対してはそれほど伝わってこない。ランキングを正確に把握している受験生は多かれど、学校による特色の違いを正確に把握している受験生は少なそうだ。少なくとも僕はその違いをほとんど分かっていなかった。結果としてすべて自分の嗜好にうまく合った(コールドコールは少ない方が良い、という「チキン」的意見はあれど)学校に現在いるので良かったようなものであるが、これは詳細なリサーチの結果なるべくしてなったものではなく、単なる僥倖によるもの、と言った方が良さそうである。しかし、この情報の非対称性は何とか解決できそうでもある。
件のOさん、既に学校は春休みなのかと思いきや、まだまだ学期中であり、月曜日の朝7時にヒースローに到着したその足で9時開始の授業に向かうとのこと。何ともタフだ。
Spring Breakに入って同級生達が続々と帰国や海外旅行などでハノーバーを離れていっているのだが、今日Oさんもいなくなって我が家の周囲もすっかり静かになってしまった。我々は休暇中もカナダに短い旅行に行く以外はハノーバーに留まる少数派の家族なのである。
夜はホッケーの練習に参加。たった7人の参加者だったが、Aチームのエリックがコーチに来てくれて75分間みっちり基礎練習を繰り返した。基礎体力に決定的に欠ける僕は途中であまりのきつさに吐き気を催すほどであったが、非常に勉強になった練習だった。
3月11日(月) TUCK生ホームページ一挙紹介
午後からスタディルームにこもって「TUCK日本人ガイド」の編集作業に没頭。遅れに遅れていた作業も今日でようやく目途がついたので近々合格者に案内できそうだ。
夜はまたもホッケーの練習に参加。Spring Breakで皆すっかりハノーバーにいなくなってしまったためここのところ参加者が少なく、今夜もたった8名の参加者で試合形式をひたすら行った。披露困憊するも、連日の練習で確実にスキルが上がっているのを感じる。
ところで、あまり巷間知られていないことだと思いますが、実は現在在校中の日本人TUCK生にはホームページを持っている人間が多い。今日はそれらを一挙紹介させていただきます。
まずは現在二年生のYさんのホームページ"From Quechee"。Quecheeというのはバーモント州にあるYさんご夫妻(奥様も何とTUCKの二年生)が住んでいる町の名前である。「Tuckの日本人たち」のコーナーは現二年生の特徴をそれぞれひとことコメントで評していて興味深い。そのうち一年生評も追加されると書いてあるので皆何を書かれるかと戦々恐々としていたが「やっぱり学年が違うと難しい」と諦めとも取れるコメントが年末に聞かれたのでほっと胸を撫で下ろしているところ。「日々つれづれ」は毎日更新され、非常に機知に富む内容。
次は同じく現在二年生のU-Kunパパによる"U-Kun's Homepage"。パパと間もなく三歳になる息子のU-kunとの触れ合いを描く「父子日記」は秀逸。U-kunの毎日もさることながら二年生の選択科目の様子も手にとるようにわかって実に面白い。最近は娘がU-kunと遊ぶ機会も増えたことから、「あのパーティはU-kunパパによっていったいどのように描かれるのだろうか」という別の楽しみもある。パパは毎日学校に行っているはずなのにどうやってU-kunの日々をつづっているのだろうか、と疑問に思っていたがパパ不在の場合は奥様に事後に入念な取材をされていることが判明。
次は一年生のポン友T内氏による"Tuck School of Business at Dartmouth留学日記"。毎日更新される「留学日記」の記述の80%はホッケーの話題で占められており、この男はいったい何をしにここに来たのか?という疑問を読者の胸に喚起させずにはおかない。彼の留学がホッケー留学と呼ばれる所以である。(本人ちゃんと勉強もしています。念のため)
最後は同じく一年生生田さんによる"A Day In The Life of MBA"。 今年に入って開設されたホームページ。「留学日記」はやはり毎日更新されている。「留学」日記なのになぜか音楽ネタと食材ネタが多いところが、音楽通・食通の生田さんらしいところである。
当日乗も含めて5人の日本人在校生がホームページを持っているビジネススクールというのはおそらく他にはないのではなかろうか。これらの日記を読み比べるとTUCKというひとつの学校における学生の生活が重層的にイメージできてなかなか面白いかもしれない。尚、まだまだ他の学生にもホームページを作るべく現在けしかけ中である。ところで、この5つのホームページ、いずれもほとんど毎日日記が更新されている。この更新頻度の高さもMBA界随一。TUCKの学生がたまたま皆マメなのか、それともTUCKのワークロードが毎日更新を可能にするほど実のところは楽なのか、それは謎である。
おまけ:来年入学予定のIさんが既にお持ちのホームページ、"MBA修行日記"。本人の日記と育児日記があるが、これまた毎日更新されている。やっぱりTUCK生になる人はマメなのか?
3月12日(火) 散髪 そしてホッケー
年末以来実に二ヵ月半ぶりに散髪に行ってきた。いつも行っているファッション小売店"JC Penny"内のヘアサロンである。通常はほとんど全体をバリカンで刈られ15分程度で終わるのだが、今日のおばさんは珍しくほとんどハサミを使用して"Nice hair! I love it!"とか言いながら40分もカットしてくれた。(ところでバリカンというのはもともと"Bariquand"というフランス語であり、こっちでは"Clippers"と言うらしい。元はといえばフランスのメーカー名から来ているらしいので、まあバンドエイドやホッチキスなどと同じ類ですな。)このおばさん13歳と19歳の息子がいるらしいのだが、上の息子が来週二十歳になるらしい。「子供なんてあっという間に成長するわよ。今の娘さんは一番子育てが楽しい時なんだから楽しみなさい」とか。おばさんに日本では子供が二十歳になると盛大に祝うんだと教えてあげる。「大人になったお祝いをするわけですよ」と言うと、「なるほど。日本では二十歳になると子供はもう親を頼っちゃいけないのね。」と納得。うん、まあ実際そうでもないのだけれど。。。(個人的にはとっとと取りやめるべきだと思う自治体主催の成人式なるくだらぬ税金の無駄遣いに思いが至ったが、うまく説明できそうにないので言及せず。)ちなみにおばさんの下の息子の学校は一クラスわずか8名らしい。僕が卒業した高校は一クラス60名だった、と言ったら鏡の中で目を丸くしていた。
40分をかけて出来上がったヘアスタイルは坊主一歩手前。しかし、なかなか気に入っている。
夜は三日連続のホッケーの練習であったが、残念ながら今日は今ひとつ。まだまだ修行が足りません。
ところで、先日ワイヤレスカードを購入して以来、Sachemの我が書斎が実に快適なネット環境になっている。住人の知らぬ間にSachemの一部が大学のワイヤレスネットワークでカバーされていたらしいのだ。それまで最速で50.6Kbps、調子が悪いと10Kbpsを下回ることもあったダイヤルアップ接続では大学のLANサーバにアクセスすることもままならなかった。「LANサーバにこの資料をアップしたので読め!」というメールが教授から来るたびに学校まで車で行かねばならなかったのであるが、今では常時11Mbpsの高速接続である。ああ、幸せ。しかし、$179のこの買い物を事後報告してしまったため、嫁さんのご機嫌を損ねてしまった。ジャパニーズビジネスマンの基礎の基である「ホウ・レン・ソウ」の「ソウ」を怠ったがためである。しかも僕からこの話を聞いた同じSachemの住人ラオがE-Bayで同じカードを半額近い値段で競り落としてしまったことは、嫁さんには内緒である。
3月13日(水) DHMCへ
明け方に娘が激しく咳き込んだ挙句にゲロを数回吐いて大騒ぎ。あまりに咳き込みすぎると吐きそうになることがあるものだが、実際にその状況に陥っている様は初めて見た。ソファの上にちょこんと座って咳き込んでいる娘を見ると、「こんなに小さかったっけ?」と思ってしまう。いつもよりも小さく儚げに見える。咳とゲロを繰り返しながらも、娘の顔は終始きょとんとした感じで泣くでもなく落ち着いていた。それがまた何やら痛々しい。
昼からIさんと約束していたスキーはキャンセルし、ダートマス・ヒッチコック・メディカルセンター(DHMC)へ娘を連れて行く。DHMCは設備も新しく採光のための窓があちこちにあり、明るい雰囲気で素晴らしい病院である。医療レベルも名門ダートマス医学部が運営するだけあってかなり高いらしい。この病院がすぐ近くにある、というだけで何か安心感のようなものさえ感じる。電話で予約ができるので待たされることもないし、対応も極めて親切。病院というよりもこぎれいなショッピンセンターのような趣もあり、日本の大病院とはまるで違う。診察の結果はたいしたことはないとのことで一安心。抗生物質をもらって帰ってきた。
大きな旅行などはしないまでもスキー・スケート・短めのカナダ旅行程度はしようと考えていた春休みであるが、娘の体調がなかなかよくならず、何だかこのまま過ぎ去ってしまいそうな勢いである。夜は同じハノーバー居残り組のSさん宅で軽くパーティの予定だったのだが、今度は僕自身の体調まで悪くなってきたので、キャンセルして寝てしまった。そういえば家族三人とも同じような咳をしているなあ。
3月14日(木) 一日じゅう家におりて候
体調すぐれず。夕方用事のついでにあたりを一時間程度ドライブしたのが本日唯一の外出。妻と娘はそれすらなく一日じゅう家にいる。娘の体調も昨日よりはだいぶよくなりつつあるようだが、まだまだ。
ハノーバーはすっかり春の陽気になってしまい、家のまわりは雪を見つけるのも難しいくらいである。ドライブついでに寄ったダートマススキーウェイはほとんど地面が露出してしまっており、二基あるリフトのうち一基は休止状態。しばらく見ていたがスキーヤーの姿は一組の親子連れがジャリジャリとシャーベット状の雪を跳ね飛ばしながら滑ってくるのを見たのみであった。ポンドホッケーの聖地Occum Pondもすっかり岸に近いあたりはもとの池の姿に戻っている。いよいよ冬は終わってしまったようだ。
夜、二年生Wさんからレークプラシッド(ハノーバーから車で二時間半)で行われるECACホッケープレイオフ決勝トーナメントの試合観戦のお誘いがあるも、体調不良のため辞退。これに勝って明日の準決勝を何とか見に行ければ、と思っていたが残念ながら1−2で敗退してしまった。
それにしても一日じゅう家にいると何だか時間を無駄にしてしまったような気がして気分的に落ち着かない。冬休みに日本で購入していたカルロス・ゴーンの「ルネッサンス」をようやく読んだ。
3月15日(金) テニスなど
いずれも現在奥さんがアメリカを離れているのでハノーバー独身生活を満喫しての不遇をかこっている同級生の「やもめコンビ」SさんとIさんのテニスに同道した。嫁さんはテニスシューズがないということで今日は僕だけの参加。話には聞いていたが大学所有の室内テニスコートは並のテニスクラブでは敵わぬほどの充実した設備で感動することしきり。これで90分3ドルはあまりにも安すぎる。片道5分のアクセスといい、スポーツ用品の圧倒的な安さといい、当地のスポーツ環境は本当に恵まれている。
プレーの方は元テニス部であった嫁さんとは違って僕のは振り回すだけの「野球テニス」なのだが、久しぶりの”滑らない””地に足の着いた”スポーツで実に楽しかった。また明日の夕方も予約する。
娘はラケットを両手に抱えて投げられたボールに向かってぶん!と振り回したり(動きが1秒遅いのだが)、ボールガールをやったりと、なかなかテニスに対して興味しんしん。今から始めれば伊達公子も夢ではあるまい。もっとも君はまだ何にだってなれるんだよなあ。ビジネスという狭い範疇の中でたいした違いもありはしないのに右に進むか左に進むか頭を悩ましているパパとは大違いだ。
ところでスポーツといえば、4月にDarden School (University of Virginiaのビジネススクール)で行われるB−School対抗ソフトボール大会に出場する予定だった我がTUCKチームは人数が揃わないためにどうやら参加を取りやめるらしい。グラブを物色するなどすっかりやる気満々だっただけに残念至極。「まだ諦めるな!足りない分は俺がリクルートするよ!」と取りまとめ役の二年生にメールを送ったが、実際のところアテなどありゃしません。
3月16日(土) バーニーの星条旗
ウォルマートで一本17ドル也のテニスラケットを二本購入して今日もテニスに参加させてもらった。しかし、娘がいるとなかなか自由に打つわけにもいかず交代で子守りをする。時々SさんとIさんにも子守りを強いてしまった。「パパとママとどっちが好き?」というSさんの声につづいて「ママ!」という娘の声が聞こえる。「そういう時は『どっちも好き』て答えるんだよ。どっちが好き?」とSさん。「んー、ママ!」と娘。
ところで娘は最近「バーニー」というこっちのキャラクターのビデオに夢中である。バーニーは紫色の怪獣のぬいぐるみで、日本でいえばガチャピン的存在にあたるのだが、デザインの投げやりさといい、色遣いのどぎつさといい、どうにもこうにもアメリカらしいキャラである。しかし見慣れるとそれはそれでかわいく見えるらしく、我々がテレビで映画を見ているそばで娘が「バーニー見る!バーニー見る!」「ちょっとだけバーニー見てからねんねする!」と大騒ぎ。いったい一日何回見てるんだ。しまいにはバーニー見たさに号泣する始末。
娘が夢中のこのビデオ、バーニーが大劇場で公開録画をやった時のものなのであるが、歌の語尾などを娘が早くも覚えてはじめていて一緒に声に出して発音したりしている。早くも英語力で娘に追い抜かれるのではないか、と危惧する瞬間だ。
ところで、このビデオの終了間際にバーニーが「I love America!」と叫ぶと同時に一斉に会場の親子連れが星条旗の小旗を降り始めて歌いだすシーンがある。会場は星条旗一色だ。無邪気に旗を振る子供達。911以降は色んな番組で嫌というほど見た光景なのだが、このビデオは数年前に作られたものである。
日本でガチャピンが同じことをやったらすぐに政治問題に結び付けて大騒ぎする輩がいるだろう。社会がアメリカなどよりずっと成熟した英・仏でこれをやっても観衆が白けてついてこないのではないか。これに観衆がついてくる国というのは帝国主義・旧東側国家・建国後間もない若い国家などごく限られているのではないか、と思う。現在の所謂「先進国」の中ではアメリカという国は実に稀なる未成熟な国家だといえるかもしれない。
まともな愛国心教育のできぬ日本の現状をあらためて異常だと認識すると共に、無邪気に星条旗を振る親子連れの姿にもまた違和感を覚えるのだった。申し訳ないが、彼らの姿を見ていると「衆愚」という言葉が浮かぶ。一握りの指導者層にとってはこの国はやり易かろうな、とも思う。こんなこと、バーニーのビデオを見て思うべきことでないことは言うまでもないが。
3月17日(日) フリータイム
夕方資料をプリントアウトするために学校へ。ついでに娘を連れていって二人で手をつないでTUCKの校舎内を探検する。春休みの校舎はがらんとしていて図書館内で一年生一人・二年生一人と会ったのみ。最初は勢い込んで駆け出していった娘も特に何が起こるわけでもない校舎探検に最後は飽きてしまったようだった。
今日ものんびりと過ごした一日である。明日受けに行く運転免許試験のためのマニュアル通読を嫁さんとソファに並んで座ってしていたり、眠くなって寝てしまったり。こんなのんびりした一日を過ごしていていいのだろうか。この春季休暇、正味で二週間強もあるのである。冬季休暇も同じく二週間。夏季休暇に至っては15週間にもなる(ほとんどの学生はサマーインターンをするため実質的には休みは短くなるが、これもインターン等をしない派遣留学生の場合はまるまる休みになる)。ここに来る前の僕の頭の中では「MBA=目がまわるほど忙しい」というイメージがあり、一般的にもそう思われている節がありそうである。しかし、実際のところ前職でこんなにまとまった休暇を取ったことはなかった。学期中でこそ忙しいが、それは仕事をしていれば当たり前のこと。しかも以前にも書いたかもしれないが現下の状況は所詮学生、失敗したところで何がどうなるわけでもなく、いわばノープレッシャーである。
一年制となるとまた違うのだろうが、少なくとも二年制のMBAでは世間で思われているほど四六時中「くそ忙しい」ということはない。だからこそ、このサラリーマンにはなかなか得られない長いフリータイムを有効に活用することで二年間の価値を何倍にも高めることができそうだ。卒業したら過ごせぬであろう家族一緒の時間をひたすら過ごすも良し、新しいビジネスを始めるも良し、フリータイムもすべて勉強に費やすも良し。私?秘密です。
娘の状況もほとんど快復。家族全員の体調が快方に向かい、どうやら休暇後半にはカナダ旅行くらいは行けそうな様子になってきた。
3月18日(月) サイト開設一周年と運転免許取得
そういえばこのサイトは昨年3月18日に開設したのであって、今日はサイト開設からちょうど一周年という記念すべき日(というほどのもんでもないが)なのであった。一年の間に自分の身の周りには様々な変化が起こったし、このHPがきっかけで色々な人から連絡をもらった。色々な人と出会うこともできた。一年間の自分の身のまわりの変化は当時既に予期されていたことばかりだったが、サイトに関わる経験はほとんどが予期していたものを超えていたと思う。そもそもこんなにアクセスが増えるなんて想像もしていなかった。僕の知人ネットワークだけではこんなにアクセスが増えるわけもないので、どこかでまだ見知らぬ人が見てくれているわけである。サイト開設から一年たっても、今だにそのインターネットの基本概念たる言わば当たり前の事柄に対して、何か不思議な、ある興奮を覚えずにはいられない。
そんな記念すべきこの日にこちらでは嬉しいことに雪が降った。どうやらまだ冬は終わっていなかったらしい。そして雪の中を一家揃って運転免許証を取りにハノーバーから60マイル離れたNH州の州都であるConcord市へ行ってきた。NH州では定住後二ヶ月以内に州のライセンスに切り替えなければいけない決まりになっているのだが、渡米後8ヶ月以上(そんなにたつのか!)もたつのにまだ国際運転免許証をそのまま使っていたのである(ちなみにTUCKジャパニーズの中には二年間国際免許を使いつづける決意を固めたツワモノもいる)。同じく8ヶ月国際運転免許証を使いつづけた同級生のIさんも現地Concordで落ち合う。こちらではビール一本買うにもIDを提示しなければならないので、かさばる国際免許を毎回提示するのは非常に面倒臭かった。これを忘れたためにビール購入を諦めたことも二度三度。そんなわけでNH州の運転免許を取得することについては、これでようやく生活の立ち上げがすべて完了するのか、という何やら感慨めいた思いもないではない。
さて、筆記試験は極めてあっさりしたものだった。20問の四択問題を各自が個室に入って受ける。時間は無制限だ。まずは娘を嫁さんに預けて僕が個室に入ると既に四人が小さなテーブルを囲んで問題と格闘中。問題は「片側一車線の道路で向こうから救急車が走ってきたらどうしますか?」「人を轢いたらどうしますか?」などなど至極常識的なものばかり。「あほくさ」と思いながら解いていると周囲のおっさんとお姉ちゃんは髪をかきむしらんばかりに頭を抱えてため息をついている。アメリカ人、何を悩んでいるのか謎である。後から入ってきたおっさんが芯のない鉛筆を見て、「おいおい!運転免許事務所は鉛筆を買う金もないんだってよ。誰か寄付してやってくれよ!」と言っても皆黙殺だ(僕は微苦笑)。
そんなわけであっさりと終わった筆記試験だが、実技試験は非常に手間取った。指定された場所に持ち込んだ車をまわして試験官がやってくるのを待ち、試験官を乗せて10分弱公道を走るシステムなのだが、この試験官が僕の前に並んだ二台の車をこなすのに一時間以上かけている。しかも、12時になると同時に列に並んだ受験者を尻目に自分の車に乗りこむとどうやら昼食を取りに出かけやがった。結局待つこと一時間半、ようやく試験官がやって来る。待っている間に後ろに何台も車に並ばれた妻は、「順番から言うと私が二番なのだから当然つづけて試験してくれるんでしょうね」という問いかけがあっさり「NO」と却下され怒り心頭に発している。怒る妻を尻目に「まあ、しようがないだろ」と、とっとと自分の試験を始めようとした僕であったが、おっさんに「国際運転免許証だけじゃなくて日本国内の免許証もないと駄目だ。今日持ってきてないならまた別の日に出直してきてくれ」と言われ、「何だと!そんなことどこにも書いてねえだろうが!」と怒り心頭。結局家に置いてきたつもりの日本の運転免許証がなぜか財布の中に入っていて無事試験を受けることはできたのではあった(この時僕がFで始まる四文字言葉をおっさんに向かって発したと妻は言い張る。しかし多分そんな下品な言葉は言っていない)。
最終的になんやかんやですべての手続きを終了するのに四時間強もかかってしまった(一人で受けたIさんは二時間強で終わっていたが)。しかし無事我々夫婦もIさんも免許は取得し、これで晴れて生活のセットアップが完了したわけだ。
雪の積もったインターステートを走って帰宅。明日からさっそくダートマススキーウェイに行く約束をした。ところで雪が降ってスキーができそうなのはいいのだが、ケベックから帰ってくる途中の同級生から雪道でスリップして事故ってしまったとの連絡があった。幸い事故はたいしたことがなくて一安心。しかし、家族の体調も快復したのであさってからケベックに行くつもりだったのだが、この道路状況ではカナダ旅行を取りやめるかどうかも検討中である。スキーの楽しみとケベックへの旅、これトレードオフ也。
3月19日(火) 久々の冠雪とスキー
昨日の雪は今朝まで断続的に降り続き、家のまわりを久々の白一色に変えた。やっぱりこうでなくては。というわけで早速朝一番で我が家とIさんとでダートマススキーウェイに向かう。しかし、なんとクローズ。ここのところの陽気でゲレンデの雪がかなり消えてしまったスキーウェイでは、今週の土曜日23日までスキー場をクローズすると決定してしまったとのこと。WEBサイトには「イースターのEgg Hunt(何かよう知らんけどタマゴを隠してみんなで探すらしいんです)のイベントがある23日まで、もしくは雪のコンディションが改善するまでスキー場をクローズします」と書いてある。どう見ても「雪のコンディション」は充分改善していると思うけどな。しかし一旦23日までの休暇を予定してしまったLazyなアメリカ人に雪が降ったからといって仕事に出て来いという方が無理というものであったか。今日は特に悪態をつくでもなく粛々と退散する。
午後から家族を家に残してIさんと二人で別のスキー場へ出かけた。ハノーバーから車で30分ほどのバーモント州内にあるAscutney Mountainというかなりマイナーなスキー場である。半日券で$25と近隣でもっとも安いスキー場だったのでここを選んだのだが、なかなか良かった。ゲレンデはなかなか距離が長くて楽しめたし、マイナーなスキー場のためかスキーヤーの姿もほとんどおらず周りを気にせず滑ったり転んだりすることができた。リフト待ちも結局一回もなし。そして雪はほとんど新雪なのである。
ところで当初予定していた明日からのカナダ・ケベック旅行は結局中止することにした。今後数日当地では零下15度前後まで冷え込むとの予報が出ており、その中の観光ではとても今の娘(寒さ嫌い)が黙って観光に同行するとは思えなかったためである。もっと気候の良い秋に行くことにする。そんなわけで明日もまたスキー。
そういえば今日冬学期の成績がウェブ上でオープンになっていた。どうやら僕の持っていた事前の期待は過度なものであったらしく、一部期待していた「超良く出来ました」がついていなくてややがっかり。良い成績を取ったからといって何がどうなるわけでもなかろう、またそのためにここに来ているわけでもあるまい、と思ったところでやはり成績が良いと喜んでしまったり悪いとがっかりしてしまったりするところが何とも子供じみていて格好悪い。こういうメンタリティの輩はそもそも起業家とは遠い存在なのではないか、などとふと思った。そもそも真の起業家はビジネススクールなどに来て「起業論」などを他人から教えてもらおうなどとは思わんのではないか、などとも。
なんてことを考えていたら友人川野氏の記事が日経NETに掲載されていた。Haasに来た日本人起業家に関する話である。読んで思う。西海岸のスクールはやはりこういう環境は格段に恵まれているのだろう、西海岸のビジネススクールには「起業論を学ぶ」ためではなく、起業のためのネットワークを作るために将来の起業家が集うインセンティブが東海岸のそれとは比較にならないほどあるのかもしれぬ、と。TUCKについて学業・環境・人すべての面でほぼ全面的に満足している現在ではあるが、こういう人々と直に触れ合える機会が少ないという点は、欠点であると言える。と認識すると同時に、自分自身早くも東海岸のスクールの視野でものを考えつつあるのではないか、西海岸では・欧州では・あるいはアジアでは状況はまったく違うかもしれぬ、と働かせるべき想像力が少し欠如しているのではないか、と少し反省する。
3月20日(水) 大雪の中スキー
大雪の中スキー、である。何となく良さそうな響きもするが、かなり辛かった。ここのところ今年のハノーバーの冬はたいしたことがないだの、もう少しぴりっとしてほしいだのと奴を小馬鹿にしたような発言を繰り返していたのでバチが当たったのかもしれぬ。
今日でかけたスキー場はOKEMO Mountain Resortなるスキー場。昨日のAscutneyに比べるとかなりメジャーなスキー場であるらしい。同じプロジェクトのチームメイトだったKさんの奥さんと娘のEちゃんと共に昼過ぎからOKEMOに向かう。Kさんは風邪を召したとかで家で留守番だ。
家を出たあたりから雪がちらついていたので「もっと降ってくれ」などと心で念じていたら一時間ほどのドライブで現地についた頃には見事なまでの大雪になってしまった。少し滑ってみたが、雪が私の細い目にも入ってくるので数十秒と滑れない。視界が悪くゲレンデの凹凸などまったく認識できないため、何度も足を取られて腹からダイブする羽目になる。途中道を間違えて超上級者コースに迷いんでしまう。などなど散々な目にあい、這うようにしてふもとまでたどり着いた。ふもとで会った娘は洟水をたらしながら泣いている。どうやらスキーデビューをしたらしかった。
僕のスキー板はダートマス大学のレンタル品のため大量に同じモデルがダートマス生に使用されている。それらを混同せぬよう、板の上に借主の名前を書いたガムテープが貼ってある。しかし、滑り終えて駐車場まで抱えていったスキー板の上のガムテープには”Shelly”の文字。シェリー?。。。。まあ、今日は視界が悪かったから取り違えるてもやむをえないな。ということでそのままシェリーの板を持って帰った。
帰り道は吹雪である。車のお尻がズリズリと滑って何度か肝を冷やした。スノータイヤ四本でローギヤであっても滑る時は滑るのだ。三車線が白線が消えていつの間にか二車線になってしまった高速道路の上をローギヤのまま走って、まさに這うようにしてハノーバーに帰り着いた。当地の冬、あまり馬鹿にしてはいけません。
3月21日(木) ブルジョアスポーツ
昨日あれだけ降った雪は僕が朝(といっても11時半だが)起きたときにはもうかなり溶けてしまっていた。昨日の大雪はいったい何だったのか。。。まったくだらしがない。
今日もスキーに行く予定であったのだが、やんごとなき事情(=寝坊)により取りやめて結局近場で雪遊びをすることに。雪はじっとりと湿っていて重く、雪だるまづくりや危険な雪球づくりには最適だったが、スキーにはあまり適していないようだった。そのせいかソリ遊びのメッカとなっている丘に行っても他にソリ遊びをする人々の姿は見えず。
こっちに来た当初「冷たいからね!」と雪に近づこうともしなかった娘が地面に座り込んで雪遊びに興じるようになったのがこの春休みの最大の収穫といえるかもしれない。来年の娘のスキー本格デビューのために、買い物ついでにWest Lebanonにある専門店「ゴルフ&スキー」を覗いて子供用スキー用品を物色。しかし、その値段の高さにちょっとブルーになる。
アメリカの生活物価の安さは生活者としては実にありがたく、外部者としては実に羨ましいところである。食料品・衣料品・家具などの物価は概ね日本よりもかなり安い。またスポーツに関するコスト(用品代・設備使用料・アクセスのための時間コスト)も総じて桁違いに安い。しかしスキーだけは別である。スキー板・ウェアの値段は日本とほとんど変わらないかむしろ高いようにも思える。リフト代もOKEMOで休日一日券が$59(約7,700円)、Ascutneyで同じく$49(約6,400円)とかなり高い(我々はNH州住民特別割引半日$19、学生割引$25をそれぞれ利用)。その他の生活物価の安さと一般的アメリカ人の平均収入を考えるとスキーにかかる相対的コストは単純な為替換算よりもさらに高くなるはずだ。アメリカにおけるアルペンスキーは日本におけるそれよりもずっとブルジョアジーなスポーツだと言えるかもしれない。そういえばゲレンデの人種構成は街中の人種構成とは違うような気もする。貧乏私費学生一家の我々が子供にまでマイスキーを、なんていうのはちょっと調子に乗りすぎだろうか?
3月22日(金) サマーインターンつれづれ
太陽が昇っても零下5度を下回る久しぶりの冷え込みの中を親子三人でダートマススキーウェイに出かけた。さすがのスキーウェイもここのところの積雪を目のあたりにして予定よりも一日再オープンを早めたのだった。妻と僕のどちらかが娘とロッジで遊んでいる間にもう一方が滑る、これを何度か繰り返す。今朝方にも雪が降ったお陰でコースはかなりの部分がパウダースノーに覆われていて絶好のコンディションであった。午後三時までスキーを満喫。娘とのお絵かき&絵本タイムも満喫。抜けるような青空、舞う雪煙。全身を覆った快い疲労感もあいまって何か家族の幸福を感じる穏やかな春休みの一日だった。
さて、来週火曜日から春学期が始まり、四月・五月とふたつの月が過ぎればもう一年目は終了である。留学中の濃密な時間が過ぎるのが速いことなど最初から分かっていたことであるが、それにしても速い、と思う。目まぐるしく時間が過ぎていくこの間に、銀行の預金残高もやはり素晴らしいスピードで減りつづけていた。しかし、何とか一年目終了までは持ってくれそうな見通しが立ってきたようだ。もちろん緊縮財政を堅持するという前提は変えられないのであるが。二年間の資金計画を考える上で欠かすことのできない、そして最大の不確定要素であったサマーインターンも何とか希望の会社にて働くことができることに決まった。MBA学生にとってサマーインターンはいくつかの意味を持っている。@卒業後のフルタイムの仕事を得るためのアピールの場、A一年目のコア科目で学んだ理論の実地での応用の場、B二年目の学費・生活費を稼ぐための場、などなど。個人の置かれた状況によって重要度は異なるだろうが、僕の場合、あまり格好つけずにありていに言えばBが極めて重要な位置付けを持っている。つづいて@、最後にA、だろうか。もちろん順番づけすることにはあまり意味はなく、すべてが重要なのではあるが、やはりサマーが見つからなければ留学を継続するのはどう考えても不可能だという事実は最も重要なファクターだった。
日本人のMBA学生数は限られているので、もしもあなたが日本において職探しをするのであれば供給過少の現状ではあまり苦労をすることもないでしょう---よく語られることである。僕もそう聞かされてきたし多少はそう信じていたのかもしれないが、少なくとも今年に関しては事情が異なっていたようだ。素晴らしく優秀な友人でもほんの少しの運と縁に恵まれずサマーの職探しに苦労している人は多かった。最後はやはり運と縁、なのだけれど。
夜、日本人二年生Oさんより第二子がDHMCで誕生したとのメールあり。何よりも嬉しい知らせだった。おめでとうございます!
3月23日(土) 再び賑やかなハノーバー
春学期の開始が近づいて続々と学生たちが帰ってき、ハノーバーは再び通常の賑わいを取り戻しつつある。今日は夕方からセイチャム内のUnit 11/12でTUCKパートナーズのポットラックパーティー。セイチャムのUnit 11/12はTUCKが長年契約しているDuplexであり、主にパートナークラブ主催の様々な催しに使われている。室内には子供専用のプレールームもあり、パートナーが集まる場としては最適だろう。今日はその会場で奥様方ご自慢の料理を持ち寄ってのパーティーなのだった。
話していると皆、「Hometownに帰っていた」「カリブでダイビングしてきた」「欧州各国を旅行してきた」「フロリダでのんびりしてきた」などそれぞれSpring Breakを満喫していたようで、我が家のようにずっとハノーバーでのんびりしていたという話は誰からも聞かなかった。
パーティーにつづいて久しぶりにホッケーの練習に参加。4月9日にはいつも利用している”Campion Rink”がシーズンオフに入ってしまうので、残されたホッケーシーズンももう本当にわずかなのである。
ところで娘は以前ホッケー観戦に連れて行ってからホッケーが大のお気に入りになってしまったようだ。僕がホッケーの準備をしていると、嬉しそうに「パパ、ホッケー行くの?一緒に行っていい?」と寄ってくる。「駄目だよ。もうお外暗いでしょう」と言うと、「ふーん」と不満そう。「パパ、ビューーーン!(氷の上を滑る音)ドドーーーン!!(フェンス際でタックルする音)ってやるの?」「そしたらみんなで『ウィーウェー、ウィーウェー、ロッキュー!(試合中フェイスオフまでの間に流れていたQueenの曲)』って歌うの?」と質問攻めだ。「そうだよ」と答えてやると、実に羨ましそうな顔になって、「お外が明るくなったら一緒にホッケー行ってもいい?」。外が明るいうちはホッケーはやらないんだがな。
ホッケー後は隣人I氏宅にお邪魔して数人でビールなどを飲んだ。
授業がないことを除けば普段の日常にほぼ戻ってきた。留学生活という二年間の非日常における日常。貴重な日常生活である。いよいよ二年生の卒業まであと二ヶ月ほどになってきたこともあり、毎日大切に過ごさなければなあ、と改めて思う。と同時に仲の良かった二年生達がいなくなってしまうことに対する寂しさもひしひしと感じつつあり。
3月24日(日) Eカラパーティ
同級生T内氏、Iさん、メディカルスクールPhD課程のSさんの「俄か」も含めた独身三人組を自宅にご招待して夕食。Sさんにお貸ししていたあるものを返していただくついでにせっかくなので夕食も、ならば日頃お世話になっている方の中でも独身の方々についでにご一緒してもらって、ということになったのだった。
夕食後、早速当日返却していただいたばかりの品を使っての軽い宴に突入する。隣人I氏夫妻にも参加してもらう。風邪をひいているIさんと我々夫婦は咳込みながらも参加。あっという間に数時間が経過してしまうのは、日本のカラオケボックスでの時間と一緒である。違うのは、インターフォンで部屋の延長をする必要がないこと。そのため参加者全員が疲れ果てて「もういいや」というコンセンサスができるまで宴がつづいてしまうことだった。久しぶりのEカラを堪能させていただいた。
3月25日(月) 「怖い」教授
今日は春学期のレジストレーションの日である。昼過ぎに学校へ出かけてコースパケットを受け取ってきた。久しぶりに会う学生と校舎の廊下などですれ違うたびに「休みはどうだった?」という話をするので、なかなかに時間がかかる。
大学近くの本屋で教科書を買おうと立ち寄ってみたが、結局僕が履修したいと思っている科目には指定の教科書が一冊もないことが判明し、手ぶらで帰ってきた。テキストはけっこう値が張るものが多いので毎学期テキスト代も馬鹿にならないのだが、今学期はその点ではありがたい。しかし実は選択科目はまだ申し込んだ課目が取れるかどうか最終的に確定していないのである。TUCKは小規模な学校なので申し込んだ課目を取れないというようなことはまずないとは聞いているものの、落ち着かない。
ところで僕が履修する予定でいる課目のひとつにManagerial Accountingという課目がある。管理会計だ。一年生のほとんどが履修する、いわば「準必修課目」になっているのだが、同級生達のこの課目の登録を見ていると結構面白い。この課目を教える教授はShank教授とSansing教授と二名いるのだが、このうちのShank教授というのがTUCKでもっとも授業が「厳しい」とされる教授なのだ。生半可な予習でコールドコールされた日には90分間つるしあげられるらしい、一回当たりの予習は7−8時間は必要らしい、など色々な話が伝わってくる。
意外だったのが、アメリカ人学生に「Shankは怖いから嫌だ。Sansingにする」と臆面もなく言う連中が多いことである。こういう行為に対しては「恥ずかしい」という認識はないのかもしれない。自分のキャリアにより必要な課目の方に時間を割きたいから、とか何とか理由をつければいいものを、「怖い」ではミもフタもあるまい。
よく言われる日本的価値観の中で「恥」の概念というものがある。人前で恥をかくことを何よりも恐れるのが武士道に基づく日本人の価値観である、我が体面・家の体面を保つためであれば死をも選んだのが武士道である、と。しかし、こっちに来て感じたのはアメリカ人も日本人と同様に人前で恥をかくことを極端に嫌う、ということだ。コールドコールに備えて必死に予習をするのも何よりも同級生の面前で恥をかくことを恐れるがためである。しかし、「Shankは怖いから回避する」と言い切ってしまうことは、それほど恥ずかしいことではないらしい。なかなか彼らと話していて面白かった。
さてこのManagerial Accounting、僕が選んだのはShank教授である。単なる怖いもの見たさかもしれないが、やはりそこまで言われる授業は一度受けてみたい。そして日本人同級生の大半が同じくShank派だ。これが示すものは日本人学生の勇敢さか、優秀さか、はたまたリスクに対する鈍感さか。
3月26日(火) 春学期スタート
春学期が始まった。早くもMBA一年目最後の学期だ。
今日の授業はManagerial Accountingのみ。件のShank教授の授業であるが、前評判ほど「厳しい」授業ではなかった。やはり噂は尾ひれがつくものであるか。コールドコールされた学生が90分間の授業の間じゅう前に出ずっぱりとなって自分の解答を説明する、というのはたしかにその通りだったが、Shank教授の態度は一貫して何とかして正答に辿りつかせようと一生懸命生徒を鼓舞する、といった感じ。
「変動費って何だ?みんな正確に定義できているか?変動するコスト、そのとおり。じゃあ、いったい何に対して変動するんだ?正確に定義してみてくれ」
「Revenue」
「違ーう!もっと正確に言ってくれ。売上じゃないだろ。君が商品の価格を上げたとする。売上も上がるかもしれない。でも変動費は上がるか?」
「上がらないですね」
「だろ!じゃあ何に対して変動するんだ?」
「Volumeか」
「そうだ、Unit salesに対して変動するんだよ!漫然と売上に変動するなんて考えてちゃ駄目だ。もっと正確に定義しなさい」
当たり前の話である。管理会計のテキストを読めば必ず書いてあるし、語るに1ページも必要としない話だ。しかし、彼がエネルギッシュに説明してくれると、この当たり前の話についつい引き込まれる。どうやらこの教授、「当たり前の話をエキサイティングな話に変える」類稀な才能があるらしい。(しかし、知人のE崎さんに似てるんだよなあ。。)
ちなみにこの授業は「会計」であるにも関わらず教科書を一切使用しない。レクチャーはまったくなく、100%Shank教授が書いたケースを使用するケーススタディである。財務会計であればこれは問題であるが(財務会計で100%ケースをやると「仕訳ができないままMBA取得」という恐ろしい結末にもなりかねない、らしい)、管理会計ならばこの方が自分には合っている気がする。これもまたこの教授の授業を取る理由のひとつか。
ケースと言えば、これまでに履修した各課目は、一部課目を除いてほとんどTUCKオリジナルのケースは使用してこなかった。ほとんどがHBSのケースなのである。他のトップスクールのケースを使用する機会もほとんどないことを考えるとHBSのケースのビジネススクール業界におけるシェアは圧倒的だと言えよう。なぜTUCKを含むHBS以外のスクールではケースを書かないのか。HBSに比べインセンティブが働かないしくみであるらしい。学校側はあまり拘っていなさそうだが、何とはなしに残念なことではある。書き手・事例ともに良質のものを持っているだろうに。しかし、今学期に入ってManagerial AccountingやOperations ManagementなどTUCKオリジナルのケースを扱う授業が増えた。その途端に、”スキーリゾートの収益計算”や”West Lebanonのマクドナルドとバーガーキングのオペレーションの違い”など、いかにも「TUCKっぽい」トピックが出てきたのには思わず笑ってしまった。
さて、今日から始まる二ヶ月の春学期。気合を入れて勉学に勤しむ所存である。さらに勉学以外の部分でも頑張らねば。
(ところで昨日の日乗はまるで、「Shankを取らぬは臆病」とも取られかねぬ記述であったが、そういうわけではありません。「Shansing教授のスタイル(レクチャー半分・ケース半分)が自分には合っているから彼の授業を取る」という合理的な選択も当然あり、そういう学生もいますので、念のため。)
3月27日(水) 履修科目決定
午前中Operations Management、夕方Professional Decision Modelingの初授業。Operations Managementはコア課目なので否応なくこの教授があてがわれる。看板教授でない教授に当たってしまったので内心残念に思っていたのだが、その密かな失望を裏切ってなかなか良い授業であった。オペレーションはサービス経済化の進んだ現在においてもやはり組織の基本。正しい知識があればもっと早くボトルネックを発見でき状況を改善できただろうに、というようなことにならぬためにもしっかり勉強しておきたい。Professional Decision Modelingは選択課目なのであるが、これはやや当初の予想していたものとは違う内容であることが判明した(ついでに教授の英語が早口で聞き取りにくいことも判明)。このまま履修するか他の課目に変更するかしばらく悩んだももの、結局今日締め切りの最終申請を変更せずそのまま履修することにする。
抽選で外れる可能性はほとんどなさそうなので、今学期の履修科目はコアがOperations Management(オペレーション)とStrategic Analysis of Technology System(IT)、選択課目がManagerial Accounting(管理会計)、前半のみのミニコースのProfessional Decision Modeling(モデリング?)、後半のみのミニコースのLearning from Mistakes(失敗学)の五課目で確定である。失敗学は日本にいた時から興味があって様々な本を読んでいたので、ビジネススクールでどのような事例をもとにどのように教えられるのか興味深々だ。
各クラスの一回目の授業を受けていて、気付いたこと。このクラスは果たして「知的に面白そうか」「卒業後役に立ちそうか」などと考えることと並んで、無意識のうちに「ワークロードが楽か」という軸で授業を見てしまっていること。馬鹿げている、と反省。楽ちんな授業なれば「金返せ」と怒らねばならぬところを。
夜、妻がパートナー仲間との何やらというゲーム大会に出かけていったので娘と二人で留守番(子供のいる他の旦那陣も皆自宅で留守番していたはず)。娘に絵本を読み、合間にケースを読み、しているうちに気が付いたら二人揃ってソファで寝入ってしまっていた。娘はそのままベッドに移動してご就寝。僕は無為に失った時間を取り戻すべくお勉強。しかし、妻は色々と機会を見つけてきて楽しんでいるようで一安心である。この点、妻が社交的な性格で本当に助かっている。現地でのコミュニティに溶け込めずに苦労したりしていたら僕も勉強どころではなかったかもしれない。しかし、日本人・アメリカ人・インターナショナル問わずTUCK学生のパートナーは本当に明るく社交的な人が多いのだ。
ところで春休みの始めからずるずると引きずっていた風邪がなかなか治りきらない。市販の風邪薬タイレノールを買ってきて飲んでいるが、あまり効き目はないようだ。室内が極端に乾燥しているので一旦喉をやられるとかなり長引くことを再確認。しかし学期が始まった今から寝込むわけにもいかないので、気を張って風邪を追い出すしかあるまい。それでも実際のところ、留学してから小さな風邪を何度かひいたものの寝込んだことはまだ一度もないということは、以外とこっちの環境が自分の体に合っているのかもしれないなあ。
3月28日(木) ジャック来ず
昨日と同じ2クラスの授業を受け、明日のShank教授の授業の予習をする。このクラスでは自主的にスタディグループを組むことになっており、ロシア人のブラッドと日本人Iさんと三人で組むこととなった。英語が母国語でない三人で組むとディスカッションのスピードが極めてスローなので非常にコンフォタブルであった。先学期のグループでは早口ネイティブ二人&超早口インド英語に耳を翻弄されたので、たまにはいいでしょう、こういうのも。
二回目の授業のケースは、おそらく今後のコースを通じた予習レベルに対する教授の期待値を示すためだろう、Shank教授自作の模範解答が事前に配布された。これがハンパでない詳細さである。ブラッドによるとこの模範解答を見て「こりゃついて行けん」とこのクラスをドロップすることを決めた同級生もいたとか。しかし、この模範解答を読んでいても、そのまとまり具合といい、切れ味鋭い分析といい、「さすがプロフェッショナル。いや、大したもんだな」と感心する。得るものが多そうな授業だ。
ところで、来週火曜日に予定されていたジャック・ウェルチのTUCK来校が彼の手術のため5月に延期になったとのこと。ここのところ、氏は出版した書籍のプロモーションのために全米各地のビジネススクールを行脚しているらしい。しかし、たかだか400人強しかいないTUCKに来たところで出版部数にさほど貢献するとも思えないので、学生との触れ合いを求めてか、リタイアした実業家の使命感か、あるいは何か他の単なる売込みとは異なる動機もあってのTUCK来校だったのだろう。いずれにせよ、地理的なハンデをかかえる我が校においては彼ほどの大物の話を直に聞く機会はなかなかないので楽しみにしていたところ、残念ではある。5月には必ず来てくれるようまずは手術の無事成功と術後良好を祈るのみ。
3月29日(金) 勉強以外で慌しい一日
春学期は授業のないはずの金曜日であるが、今週だけは午前中にManagerial Accountingの授業があるのだった。今日も非常に質の高い授業で大いに満足して家路につく。
帰宅後、完全に春の陽気になったセイチャムの中を娘と一緒に散歩していると、Kさん一家が車で到着。さらに続々と家族連れがやって来る。近くの小学校で行う日本文化紹介の打ち合わせをするらしかった。昼寝をしようかと思っていたが子供達が寝室を飛び回っているし、「あれ食えこれ食え」とうるさく(おままごと)、とてもそんな状況ではない。諦めて予習でも、と思ったがこれも子供達の「部屋に入れて」攻撃を受けて断念する。そうこうしているうちに打ち合わせが終了。と同時にそのまま今日誕生日を迎えたKさんの奥さんのサプライズパーティーに移行。今度はまた違う親子連れが続々とやって来る。言語が日本語オンリーから日本語・英語・スペイン語に変わっただけで、また我が家は子供達で大騒ぎに。気が付いたらもう夕方であり、学校で開かれたホッケーのための打ち合わせへとそのまま向かったのだった。
夜は最近奥さんと同居を始めたばかりの同級生Oさん宅にホッケーミーティングのメンバーで大挙して押しかけて貴重な「うなぎ」を賞味させていただいた。突然押しかけた人数なんと子供を含めて10人。それを受け入れてしまったOさん夫婦の懐も深いがうなぎの味も実に美味だった。
Oさん宅を辞した後はホッケーの練習へと参加する。
何やら慌しい一日であった。
3月30日(土) 風邪にてテンション低下
朝9時から同級生とテニスをする。Tさん夫妻はそれぞれ幼少時からテニスをしていたようで、かなりうまい。Iさんも大学時代に怪しいサークルでテニスをしていたらしく、やはりうまい。僕はといえばバックハンドがまったく打てないためすべての球を回り込んでフォアで打とうなどという無茶をしてたびたび失敗する。ラリーをする前にまずバックハンドが打てるようになってほしい、と自分自身に対して思う。
夜はパーティーに家族で参加する予定だったのだが、風邪の調子が芳しくないので(体調が悪いくせにホッケーやテニスなどやっているからだ、と言われそうだが)自宅で静養することにする。暖かい格好をして部屋で勉強しているとどうしてもテンションが低下する。エネルギーはまったく浪費していないはずなのに、何かにエネルギーが吸い取られていくようだ。外を出歩いて活動している方がかえって元気が出るような気がするのはなぜだろうか。
夜のホッケーも自粛してひたすら自宅で静養。妻と娘がパーティに出かけて不在の部屋の中でさらにテンション低下。いったいいつになればこの咳は止まるのか?この尋常ならざる長さ、もしや俺は労咳ではなかろうか、と時代遅れの病を思ってみたりする一日。
3月31日(日) 快晴の日曜日
喉の調子はだいぶ持ち直した。
快晴の日曜日。Tシャツと短パン姿で散歩をする人々・上半身裸で洗車する人々などを見かける。渡米直後、クーラーのほとんどきかないおんぼろレンタカーに家族三人で乗り込んで、生活セットアップのために真夏のハノーバーを走り回った時のことを思い出す。それほど暑い一日だった。セイチャムのグラウンドも木立の陰になって日当たりの悪い場所にわずかに雪を残すのみとなった。つい先日までは少しでも気温が上がると、「ああスキー場の雪が溶ける。ポンドの氷が溶ける。やめてくれー」と気が気ではなかったのだが、さすがにここまで暑いと諦めもつくというもの。ようやく暖かさを楽しめる心境に達して春本番、というところだろうか。
先日TUCKの3rd Roundの合格発表があったのだが、残念ながら日本人合格者はいなかったとのこと。そしてRound全体でも530人の受験者に対してわずか15名の合格者しか出さなかったとのこと、であった。サリーも「こんなに不合格ばかり出すのは本当に辛い」と言う。例年後半のラウンドは合格率が下がるとはいえ、合格率2.8%というのは尋常でない低い数字だ。改めて今年の受験の厳しさを思う。落ちた515名も大半が優秀な受験者であったはずであり、既に入学している我々との差はいったいどこにあったのか、そんなものほとんどありはしないのではないか、とも思う。およそ世の中にある「試験」と呼ばれるもの全般に言えることであるが、いつだって「受かった者と落ちた者の違い」は本質的にはごくわずかであり、しかし結果としてもたらすものの違いはあまりにも大きい。その本質的な差の小ささを思うに、受かった者達はその後の生活においてその責務を充分にまっとうする義務があるのである。それはやはり権利ではなくある種の義務だ。
夜、スタディグループを終え、お隣に住むブラッドと学校から自宅までランデブー走行で帰宅。
横浜市長選で現職の高秀秀信(何で苗字の最後と名前の最初の文字が一緒なんだ?)を破って37歳の前衆院議員の中田ひろしが当選。数年前にあざみ野だかどこかの駅前で彼の演説を聞いて以来、彼を応援していた(名前も中田と僕の合体であるし。もういい?)。中田ひろしは僕の知る限り最も真っ当な政治家である。横浜市民であった僕は、前回の市長選では投票用紙を前に「まともな選択肢がないな。。。」と呆然としたことを覚えている。準備不足でも何でも彼は既存の集票組織に含まれない一般市民にとって実に久方ぶりの「真っ当な選択肢」になったということか。しかし、中田ひろしが横浜市長選に出ているなんてまったく知らなかった。。。アメリカにいてももはや日本のニュースで知らぬものなどあるまい、と思っていたが、スクリーニングにかけられたインターネット経由のニュースだけでは得られないものもあったということか。