MBA留学日乗 2002年4月 | ホームへ | | 前月へ | | 翌月へ |
4月1日(月) 凡庸な一日としての今日
4月になった。散り始めた桜の花びらが新緑と交じり合っている。靄がかかったような透明度の低い空気を生ぬるい風が緩慢にかきまぜる。アスファルトに散った砂交じりの花びらがつむじ風に円を描く。入社式を終えたばかりの新社会人が身に馴染まぬスーツ姿で新しい仲間達と闊歩している。彼らとすれ違いながら、新しい年度の始まりを意識し、爛熟を迎えそしてやがて過ぎ行く春に対して何かしら悲しみにも似た感慨を思う。。。。というのは日本でのお話。
ここでは何も変わりはしない。いつもと同じ風景、いつもと同じ人々、である。日本では「年度の初日」という特別な位置付けを与えられた4月1日であるが、ここでは極めてありふれた、凡庸な一日なのだった。日本ではあんなに尊重されている彼が米国では邪険に扱われているのを見ていると何だか没落貴族を見ているような気がする。お盆もそうだ。
今週末は事情によりまったく予習ができそうにないため、えらい勢いで予習を飛ばしている。先々の予習をしていると、「おお俺はもうこんなに進んだぞ」と何だか嬉しくなりさらに勢いがついてくるのであるが、それもたまにやるからいいのであって、あんまりしょっちゅうはやりたくはない。
夜、一旦嫁さんに学校まで車で迎えに来てもらい、帰宅して夕食。すぐに学校に取って返してブラッドとIさんとManagerial Accountingのスタディグループ。今日は一時間ほどであっさり終了した。誰も早口な人間はいないのだが、結果としていつも作業は早く終わる。しかし、確認すべきポイントはすべて確認できているし、すべての設問についての全員のコンセンサスも最終的に取れているのだ。こんなに作業していて楽しいグループは初めてだ。これはとにかく”Chemistry”としか言いようがない。
秋・冬学期の強制的に割り当てられたグループから、今学期は自由にグループが組めるようになった。この両者のストレスの違い・作業効率の違いを体感することも学校側の狙いなのであろうか。
4月2日(火) ひたすらモデリング
昨日Managerial Accountingのスタディグループを褒めすぎたせいだろうか、今日のProfessional Decision Modelingのスタディグループは対照的に9時間のロングランミーティングとなり非常に疲れた。ちなみに、このクラスのグループは、ジム(アメリカ)・マルティン(アルゼンチン)・ペドロ(メキシコ)の三人と組んでいる。
週末に計8時間もかけて組み上げた自信作のシミュレーションモデルを持って昼食後のミーティングに挑んだのであるが、ジムからあっさりとプログラムの問題点を指摘される。僕のモデルでも概ね正しい解は出るのだが、理論的に100%正しい解を導こうと思えば微分積分の関数を使わないとできないはずだ、と言う。言われてみればたしかにその通り。でもそれって相当手間がかかるんじゃないか、と思ったが既にジムはプログラムを組み上げていた。13時間もかかったらしい。詳細に検証してみたが、すごいモデルだ。とても今の自分には組めんなこれは、と思う。
しかし、あまりにも精緻に組みすぎて最後になってにっちもさっちもいかない状況になってしまった。通常2000シミュレーションをわずか1分弱でやってしまう優れもののシミュレーションソフト”Crystal Ball”が、ひいひい言いながら1時間40分もかかっている。しまいには「あんたのモデルは重過ぎるから辛い。上級版を買いなさい。このサイトで買え!」とシミュレーションソフトに怒られる始末。たまらず教授に助けを求めると、ジムの説明をひととおり聞いた教授、「よくそこまでやったね。でも、そこまで精緻なものは求めてないんだよね」と一言。結果的には僕のモデルで充分であったらしい。しかし、「本来ならばこの関数を使うべきところをコストベネフィットを考えればこの程度で充分であろう」などという高度な判断を下したわけではなく、ただジムのような詳細なモデルは思いつかなかっただけであるからして、やはり今回のモデリング、ジムに「完敗」であったと言う他ない。
驚いたのはこのジム、前職ではほとんどエクセルは使ったこともなかったらしいことだ(ちなみに彼はウェストポイント(陸軍士官学校)卒の陸軍大尉)。TUCKに来てから必死で修得したとか。
最終的に9時間弱かかってようやくミーティングは終了した。ひとつの授業の準備に17時間。Shankよりこっちの方がよっぽどハードです。
そのままホッケーの練習に参加し、時計の針が12時をまわってから明日の予習を再開する。
4月3日(水) 壮行試合再戦
先月はじめに日本人二年生ホッケー選手を送るための壮行試合を行ったのだが、せっかくまだリンクが開いているのでもう一回やろう、ということになり本日再戦の日を迎えたのであった。前回ゴーリーをやった僕は今回はフィールドプレーヤーへ。そして同級生の本職ゴーリーであるローを助っ人として招聘した。圧倒的に実力に勝る二年生チームに対し万全の備えで挑む。
試合は前回と違って接戦に。第一ピリオド終了時で0−1。第二ピリオドには僕の「へなちょこゴール」が決まって1−2でピリオド終了まで経過。「これはひょっとするとひょっとするかも」と皆気合が入るも、最後にスタミナが切れたのか、それとも集中力が切れたのか、はたまた二年生がやっと本気を出したのか、試合終了近くに一気に三点を連取されて1−5で敗れてしまった。実は一年生チームに5点ハンデを加算した上で負けた方がリンク代を払う、という賭けをしていたので、送られる側の二年生がリンク代を払うことになってしまったのであるが、しかし正味の試合では得点上またも完敗。結局最後まで二年生には勝てずじまいだったのだ。ああ、悔しい。
試合後は応援に来てくれた同級生や奥様方も交えて氷上で記念撮影。さらにメインストリートの店に移動して皆でビールを飲む。一時半に帰宅してから予習を再開し、終了した時には既に四時をまわっていた。
来週の火曜日でリンクはシーズンオフに入る。しかし、アメリカでも西海外などではオールシーズンで開いているスケートリンクが多いらしいし、東京近郊でも僕の知るスケートリンクはほとんどオールシーズンだった。なのに寒冷地であるはずの当地の方がスケートをできる時期がずっと短いという矛盾。おそらく、人工的な環境でスケートが発達した日本(東京近郊)や米西海岸と違って、ここでは「スケートは自然の環境の中で楽しむもの」というそもそもの認識の違いがあるのだろう。水が凍らないはずの夏にスケートをするなんてなんだかおかしいよ、という感じだろうか。
それにしても今シーズンいったい合計何回ホッケーをやったのだろうか。もはやホッケーは生活のリズムの一部になってしまっており、これからそれがない生活に入ることが信じられないほどである。我々にホッケーを手ほどきしてくれた二年生選手達に感謝。試合後、控え室で着替えながらプレーを振り返る会話、そういう何気ないシーンこそ何年も後になっても思いだすのかもしれない、などと感じた。さて、来年入学してくる一年生の人々もホッケーをやってくれるといいのだけど。
4月4日(木) TUCK Gives
おとといから"TUCK Gives"と題するチャリティオークションが学校で開かれている。教授が作るディナー招待、教授による料理教室、スキーのうまい生徒によるスキーレッスン、Shankのコールドコール拒否権(もちろんShank教授の出品)、などなどから普通の品々まで実にさまざまなものが出品されている。来週火曜日までやっているので、僕もとあるものに申し込むべく検討中。
さて、明日から金・土・日の三日間の予定でフィラデルフィアのウォートンスクールで開かれるビジネススクール対抗初心者ホッケートーナメント大会(Aチームの大会は毎年TUCKで開かれる)に参加する。そのため今週末はまったく勉強ができそうにない。したがって週はじめから予習を飛ばしに飛ばしてはいたのだが、結局余裕を持って大会に向かえるほどには至らなかった。というわけで明日も朝早いのに遅くまでモデリングと格闘中なのである。一応万が一時間が出来た時のためにパソコンやケースなども持っていくつもりではあるが、まず勉強する時間などあるまい。
フィラデルフィアは一度も行ったことがないので非常に楽しみだ。予選リーグを勝ち抜ければ三試合に出れるので何とかして一点は取りたいところである。
そういえば、日付が既に変わっているということは、誕生日を迎えてまたひとつ年をとったということなのだった。32歳。こうやって文字で書いてみるとその字面自体の持つ成熟感のようなものに圧倒される。32歳。
4月5日(金) チーズステーキ杯 @ 〜バースデー・ゴール〜
午前四時過ぎまで勉強をして何とか多少の目途をつけて就寝。そして7時半には起床して同級生のOさん・T内氏と車に相乗りしてフィラデルフィアに向かう。ウォートンスクール主催のホッケー大会「チーズステーキ杯」に出場するためだ。8時過ぎにニューハンプシャー州の自宅を出てから、バーモント州→マサチューセッツ州→コネチカット州→ニューヨーク州→ニュージャージー州→ペンシルバニア州、とひたすらインターステートを南下すること7時間でフィラデルフィアへ到着。フィリーの第一印象は「都会」「黒人比率多し」「町並みやや汚し」。
都心の渋滞を抜けてそのままトーナメント会場となるリンクへ直行。着替えてすぐに試合である。
今回のトーナメント、各ビジネススクールの初心者レベルのチームを集めた大会であるが、そもそも初心者だけでチームを組めるほどホッケー選手を抱えたスクールはそれほど多くないようで、参加チームはTUCK2チーム、ウォートン2チーム、イェール2チーム、コロンビア1チームの計7チーム。僕はTUCKの”チーム2”での参加だ。
まずTUCK1対ウォートン2との試合を観戦。試合はウォートン2に二点を先取されたTUCK1が後半二点を取り返し、結局ドローであった。そして引き続いて我々TUCK2対YALE1の試合だ。個人的に他の学校のチームと対戦するのはこれが初めてであり、なかなか緊張感がある。
試合が始まってもイェールの選手にはあまり上手い印象は受けなかったのだが、ゴーリーがスーパーセーブを連発。こちらが攻めあぐねているうちに気が付いたら0−2になっている。右のウィングで出た僕も二度ほどゴール前「どフリー」でパックをもらったにも関わらず、一度はへなちょこゴールをゴーリーに止められ、一度はもたもたしているうちにディフェンスにプッシュされてパックを奪われた。
第3ピリオドに入っても相変わらずゴール前でがちゃがちゃやっていると、右から味方センターが絶妙のセンタリングを流してきた。目の前にディフェンスが二人いたものの、とりあえず深く考えることなく思い切りスティックを振る。そのまま勢い余って転倒。倒れる前にパックがうまいことディフェンスの間を抜けてくれたのは見えたのだが、立ち上がってみるとついでにゴーリーの股間も抜けていたらしく、味方選手が大喜びしている。スタンドの”TUCK1”の選手達の歓声。駆け寄ってくるベンチの選手。ヘルメットを叩く手洗い祝福。何だか癖になりそうな一瞬だった。しかし肝心の試合は結局その後一点を追加されて1−3の敗戦に終わってしまった。
夜はウォートンの事務局が用意してくれたアイリッシュパブでのパーティに参加。ところで、この大会の名称「チーズステーキ杯(Cheese Steak Chalice)」であるが、フィラデルフィアの名物であるところのチーズステーキに由来している。といってもファミレスにあるチーズハンバーグのようなものではなく、ホットドッグ用のパンにスライスしたビーフと溶かしたチーズを挟んだだけの代物である。会場のパブにもそのチーズステーキが山ほど積んであるので早速食してみた。。。
まずい。。。。信じられないほどまずい。ほとんど味付けをしていない牛肉がやたらボリュームたくさん入っており、一方でチーズはほんの少ししか入っていない。それでも一応ゲストの礼儀として(?)無理やり一本分完食した。その一方で、T内氏はそのチーズステーキを「うまいっすね、これ」と嬉しそうに食っている。男である。僕も細かい味にはあまりこだわらない方であるが、彼に比べるとかなり繊細な味覚を持っているらしい。(ちなみに「本当の」名物のチーズステーキはもっとうまいらしい)
その後ひとしきりビールを飲み他の料理などを食べていると、「これからチーズステーキ早食いコンテストを始めます」とのアナウンスあり。この大会のもうひとつのメインイベントだ。NYのホットドッグ大食い選手権の優勝者を毎年輩出している国の人間としては負けるわけにはいかないでしょう、と意味不明と会話を交わしながら急いでチーズステーキを掴んでOさんと二人で参加する。テーブルについた参加選手は全部で20人弱(うち半分がTUCK)。「GO!」の合図とともに一斉に食べ始める。細かくちぎって口に押し込んでいくが、肉がかさばってなかなか飲み込めない。早食いなのに、圧倒的なまずさが嚥下の邪魔をする。やや吐きそうになりながらも何とか飲み込んでいく。途中まで先頭グループにいたようだったが、最後に対面のTUCK生に一気に引き離された。と思ったらYALEの学生が何やら歓声を上げている。死角にいたYALEの選手がトップで食べきったらしかった。残念。最後の状況を見るとどうやら僕は4−5位にはつけていたようだった。
敗因は、勝負の前に一本チーズステーキを食べ、ビールも飲み、すでに腹いっぱいになってしまっていたことだ。このへんをきちんとセーブして、なおかつ肉&パン分離分割方式をとれば、来年は充分優勝も狙えるはず、と手ごたえを感じたチーズステーキ早食いコンテストであった。
4月6日(土) チーズステーキ杯 A 〜予選敗退〜
たっぷり睡眠を取っての予選二日目。TUCK1は昨日我々が敗れたYALE1に5−0で圧勝。そして我々TUCK2はウォートン2と対戦した。今日はチーム全体としての調子が良く、試合開始早々から二点を連取する。しかしその後敵も追い上げ第三ピリオドには3−3の同点に。そして僕ともう一人の味方選手がペナルティボックスに入って3人対5人のパワープレーになっている時にあっさりゴールを割られて逆転負けを喫してしまった。個人的にも今日は良いところなく、反省の多い試合だった。結局TUCK1は明日の決勝へ進出。我々TUCK2は予選敗退となり、明日はスタンドから応援することになった。
夕食は今日も食費を浮かせるためにウォートンの学生が用意してくれたアイリッシュパブのビュッフェにて。
ウォートンの学生と話していると、ウォートンのホッケーチームには約120名の部員がいるらしい。正確には分からないがTUCKには150-200名はいるだろうか。しかし、全学生数がウォートンの1500人に対してTUCKは400人強しかいないのだ。それを考えるとTUCKのホッケー狂ぶりはやはり異常だろう。毎年「3チーム目を出してもいいか?」とTUCKが打診をするらしいのだが、好きなだけチームを出させると大会が「TUCKトーナメント」になってしまうので2チームに限定させてもらっている、とのこと。ごもっとも。
ところで宿泊は都心のシェラトンに泊まっているのであるが、宿泊代を浮かせるためにツインルームに四人が押し込まれている。僕の部屋は一年生アメリカ人2人、二年生アメリカ人1人との同宿。エキストラベッドなどもなく、同じベッドを二人でシェアすることになる。最初は何だかぞっとしないな、と思っていたのであるが、二日間同じ褥に寝るとなると否応なく色々と話すことになる。普段話す機会のなかった二年生とかなり仲良くなることができたので、これも悪くないかもしれない。
4月7日(日) チーズステーキ杯 B 〜9時間ドライブで現実へ〜
午前中少し早めにチェックアウトしてウォートンスクールを訪問し、キャンパス内をぶらぶらする。随分とTUCKとは違う雰囲気だ。何だか日本の母校を彷彿とさせるキャンパスだった。今回のごく短い訪問でウォートンから受けた印象。「無機的」「ベージュ色」「おばちゃん冷たい」「リスがTUCKのよりでかい」。
その後、今大会の最終戦であるTUCK1とコロンビアとの決勝戦をスタンドで応援。日本人二年生Iさん、Wさんが1点ずつゲットするなど終始押し気味に試合を進めていたTUCK1だったが、何と試合終了二秒前にコロンビアの捨て身の攻撃に同点に追いつかれる。一瞬何とも嫌なムードが流れたが、オーバータイム(延長戦)に入ってすぐ一年生のマイクが「サヨナラゴール」を決めて劇的な優勝となった。昨年につづいてのTUCKチームの連覇だ。
試合後優勝の余韻に浸るのもそこそこにハノーバーへ向けて出発。行きと逆方向へ、途中買い物も挟みつつひたすら北上する。結局帰宅したのは午後11時。午後7時スタートのShankのスタディグループはとっくに終わってしまっていた。
帰宅して久しぶりに開いたPCには67件のメール。中に同級生から何件かの”Happy Birthday”メールあり。そしてしばらく更新が滞っていたこのHPのカウンタもくるくる回っている。申し訳ないです。
この三日間、他の学校のホッケー選手と話す機会もできたし、まぐれで得点もできたし、初めてフィラデルフィアの町を見ることもできたし、大満足のチーズステーキ杯であった。のであるが、9時間のドライブを経て戻った自宅で「今週の予習がまったくできていない」という現実に否応なく引き戻される。さて、ハードな一週間になりそうである。
4月8日(月) シーズン最後のホッケー
週末予習をまったくしなかったツケはやはり大きく、週始めから早くも疲弊しきっている。とてもアサインメントを早めにこなすどころではなく、かなり遅れながら必死についていっている状況だ。今週末もかなり忙しそうなので、完全にリカバリーするまでには二週間以上かかりそうである。もちろん自業自得。
そんな中、今日もホッケーに参加する。セイチャムの脇にあるCampion Rinkがついに今日シーズン最終営業日を迎えたため、「予習が忙しくて」とは言っていられなかったのだ。しかしさすがに週末のフィラデルフィア行きが皆響いているらしく、わずか14人の参加であった。シーズン最後の氷を味わいながら滑る。「もうあと5分しかないぞ」などと言いながら、最後の力を振り絞ってプレーしていたのだが、リンクの従業員が最終日だからとサービスしてくれているのか、いつもはすぐに出てくる整氷車がいつまでも出てこない。結局一時間近くも延長してくれ、お陰で全員へとへとに疲れきってしまった。これがTUCKで最後のホッケーとなる二年生選手は皆さすがに感慨深げ。
帰宅後、ホッケーで打った首筋を氷で冷やしながら予習のつづきを開始。ホッケー用具の洗濯をしながら遅くまで予習をする、というこのリズムも来シーズンまでお預けだ。
4月9日(火) 秋学期を思い出す一日
「毎週火曜日はモデリングの日」となりつつある。しかし先週のような長時間ミーティングを毎週やっていたのでは他の予習に悪影響を及ぼしてしまうので、今日は何としてもミーティングを短めに切り上げるべく気合を入れて臨む。個人的にも相当時間をつぎ込んで周到なモデルを組んでいたので、今回はかなり貢献できた。しかし、ディスカッションは非常に効率良く進んだものの、いざシミュレーションを走らせる段になって色々と原因不明のエラーが発生。トラブルシュートに頭を悩ませているうちに、結局今週もミーティングに7時間を費やしてしまった。しかも最終的に完成に至らず自宅にて持ち帰りシミュレーション、ということで嫁さん運転のセントラの助手席でぐったりして帰宅。
帰宅後、シミュレーションにつづいてようやくオペレーションのケース(スタインウェイとヤマハのオペレーションなど)とテクノロジーのリーディング(知的財産権関連)を開始。しかし、時間的にすべてをこなすわけにはとてもいかず、どこかで睡眠時間確保と予習のクオリティの折り合いをつけなければいけない状況だ。今週はかなりアサインメントに押しまくられている感じなのであるが、こうして予習→スタディグループ→予習と休みなくこなしていると昨年秋学期の生活を思い出す。秋学期は四六時中こんなペースの生活だったのだった。
昨日プロジェクトメンバーのパトリックに赤ん坊が誕生したとのこと。その名も”パトリックJr”。小さなTUCKコミュニティであるが、ジュニア誕生の知らせは本当に頻繁にメーリングリスト上で見ることができる。在校期間中の学生一人当たり出生率などの統計があれば当校はビジネススクール内でもトップにランクされるのではなかろうか。何はともあれ、おめでとうパトリック。
4月10日(水) スキルの定着と劣化のはざま
モデリングは我がグループは相当はまっていると思っていたところ、何とT氏とOさんの入っているグループは今朝の5時過ぎまでモデル作成をしていたとのこと。この課目を履修しているどの学生に聞いても例外なく皆「大変だ」「こんなに大変だなんて知らなかった。失敗した」などと言う。
しかし、大変なだけあってさすがに得るところのものは大きく、少なくともEXCELとシミュレーションテクニックだけはいっぱしのものになりそうだ。これは卒業後の仕事ですぐ使えそうだな、というスキルも多いのだが、それも得たスキルをこれから卒業までの間に劣化させない、という前提つき。既に秋学期の統計の知識などが劣化しつつあることを考えると、今後はいかに一旦得た知識・スキルを長く定着させるか、少なくとも実用に耐えうるスピードで参照できるようにそれらをまとめておくか、ということにも気を配らねばなるまい、と思う。
しかしながら、どんなに我々が気をつけようとも、MBAで学んだフレームワーク・知識・スキルなどというものは外部の環境変化のゆえに、あるいは「忘却」というヒトの脳のそれ自体重要である働きのゆえに、劣化していく。一旦得た知識に拘泥していてはかえって逆効果になることもあるので、このあたり心して気をつけねばならないし、知識の活用とうまくバランスを取らねばならない。しからば何をよりどころとして長期的にバリューを出していくのか、、、、おそらく、、、いや、サマーインターンなどを通じてもう少しじっくり考えてみようと思う。
夜は同級生Oさん宅にお呼ばれして夕食をご馳走になる。明け方までモデリングと格闘していたOさんの目は明らかに赤く、うちの娘に「目、赤いね」と指摘されるほどだったが、奥様と二人で鉄火丼などの日本食を調理してくれた。感謝感激。
今日は大学近くのパブで先日のチーズステーキ杯の祝勝会があったのだが、結局午後11時過ぎまでOさん宅にお邪魔してしまったので、そちらはスキップ。
4月11日(木) ASWスタート
TUCKの合格者を世界じゅうから集めたイベントである”ASW(Admitted Student Weekend)”が今日から日曜日までの予定でスタートした。200名の合格者及び100名弱のパートナーが一斉に集まる。それぞれ在校生の家に分泊することになるのであるが、TUCKの学生は二学年合わせてもわずか400名強。つまりほとんど全学生総出で宿泊場所を提供するかたちになるわけである。この四日間、各種パーティー、サンプル授業、学校案内、ハウジング案内、ファイナンシャルエイド案内、当地での生活・パートナーのキャリアなどに関するパネルディスカッション、インターナショナルランチなど等々イベントが目白押し。すべて在校生による企画・運営なので、文字通り学校上げての一大イベントだ。
我が家に三泊四日滞在するのはビジェイとサンギータのインド系アメリカ人夫妻。6時に授業を終えて帰宅するとちょうど彼らも我が家に到着したところであった。26歳のビジェイはMITを卒業後、西海岸でスタートアップの立ち上げに参加し、IPOの後同社を退職して後はTUCKに入学するのを待つばかり、である。実は事前に事務局からもらった情報には「MIT Class of 92」と書かれてあったので、「16歳でMITを卒業した天才か?」と驚愕していたのだが、「Class of 96」の誤植であったことが分かりとりあえず安心(?)。それでも飛び級しての20歳での卒業だからまあかなりの秀才ですわな。
「敵の土俵で勝負する」というチャレンジ精神からか(?)妻はドライカレーのディナーでインド系の彼らを歓待。その後、彼らは「オープンマイク(要はカラオケ)」、「パブナイト(要は飲み屋での飲み会)」、「レイトナイト(要は学生の家に流れての飲み会)」、と果てしなくつづく最初のTUCKの夜へと出かけていった。しかし、僕は「オープンマイク」にちょっとだけ顔を出して、明日のモデリングのスタディグループの準備をするために帰宅する。
4月12日(金) なぜかモデリング
休日である。空はこの上なき快晴。自宅から学校に向かう車の窓から家の前にデッキチェアを出して本を読む住人、ジョギングする人々、芝生の上に寝転がる若者、ソフトボールの試合で声を嗄らすアングラ女子学生、などなど、春の好天を満喫する人々の姿が見える。しかしながら我がチームは今日もスタディルームにこもってモデリングなのであった。火曜日に毎回遅くまではまるのはいい加減やめよう、休日をつぶしてでも早めの終わらせてしまおう、というわけだ。そのために僕は前夜から明け方まで自分のモデルを作成していったのだが、ジムは何と朝8時までずっとやっていたらしい。
作業は午後1時からスタートし、ある程度の目途がついて解散したのは結局午後7時過ぎであった。残りは僕が夜作業して皆に送ることに。お陰で午後7時まで行われていた合格者と在校生の交流のための"Tuck Tails"には残念ながら出られず。
というわけで午後7時過ぎに学校を出て帰宅したのであるが、この時間でも外はまだまだ明るい。帰宅後、子供と一緒にお外でひと遊びできるような明るさである。今週はじめからサマータイムに入ったためだ。10月末にサマータイムが終了した時には隣人I氏と共に一時間早く登校するというおとぼけぶりを演じた僕であるが、今回は一週間も前から準備万端整えていた。(サマータイムに入った瞬間はアメリカ人と一緒にホテルに宿泊していたため、彼らが手馴れた様子で室内の目覚まし時計や自分の腕時計の時間を黙々と調整していくのを興味深く眺めていた。)
時計の調整などいちいち面倒くさいし、サマータイム突入と共に失う空白の一時間を何となく惜しくも思っていたのだが、こうしてみると夕方のこの明るさはなかなか悪くない。帰宅後、漆黒のガラス窓を前に飲むビールと明るい窓外を眺めながら飲むビールとでは、味も酔いも心の豊かさも何もかも違うのは当然である。
で、ビールを飲んで心豊かになってから再びモデリング。
4月13日(土) International Food Festival
昨日とうってかわってあいにくの雨になった。ASWの参加者達を対象とした”International Food Festival”の会場も屋外からホール内へと変更になる。TUCK日本人学生は今回もジャパニーズテーブルを出展。パートナー及び学生の方々がそれぞれ自慢の料理を持ち寄ってテーブルの上にはかなりゴージャスな和食が揃っていた。ASWの参加者が来る前に自分達で食べてしまいたいくらいだったが、「在校生は遠慮するように」とのお達しが出たので指をくわえてサーブ。合間にブラジルテーブルのリキュール、チリテーブル・フランステーブルのワイン、ペルーテーブルのカクテルなどもっぱらアルコールを摂取。
ジャパニーズテーブルは今回もあっという間に売り切れてしまった。前回につづき日本食に対する高い需要を実感する。それにしても秋のInternational Food Festivalでも思ったことだが、どの国の料理も本当にうまいのだ。味付け絶妙、素材良し。なぜアメリカ人にはこういったうまい料理を作れないのだろうか、と思う。もともとはうまい料理を食していた国の移民であったものも多かったはずなのに、なぜ「アメリカ人」になると、あんなにも不味い料理を作り、そしてそれを「うまい」と認識できるのだろうか。入植期につづく大開拓時代に、保存食やありあわせの食材で作った料理しか口にできない時代が百年以上もつづき、その間に「食の喜悦」を国民全体として封印したのだろうか。国民全体として舌の味蕾の機能が退化しているのだろうか。その反動として何でも自由に食することができる時代になっても、かつて食せなかったアイスクリームやお菓子ばかり食べて国民全体でぶくぶくと太り始めたのだろうか。何と悲しい食の歴史を持つ国よ。。。などと勝手な同情の念を禁じえないInternational Food Festivalであった。
その後日本から来た合格者の方にセイチャムの我が家の案内し、同級生Kさん宅にて開かれた日本人合格者と在校生との懇親会に参加する。日本人合格者4人+パートナー(他校MBA)1人+日系人合格者1人。在校生+その家族の参加者は20名強。うちの娘を含めて子供も5人おり、今日も賑やかな会となる。
個人的には現在のTUCK日本人、日本人だけで固まりすぎるでもなく、かといってバラバラでもなく、絶妙なバランスを取っていて良いのではないか、と思う。
4月14日(日) 野球グラブ
再び快晴の一日。家の裏庭の日陰部分にしつこく残っていた雪もついにすべて溶けてしまい、9月にこの家にやってきた時の状態に戻った。半年近く雪に覆われていた芝生であるが、雪が溶けて再び顔を除かせてみると、光合成などできなかったはずの奴らが随分と青いことに驚く。ここ数日の好天のお陰でその青さが一気に深まってきた。眩いばかりの一面の芝生を見ていると、たしかに夏が近いことを思う。
昼過ぎ、三泊四日で我が家に宿泊していたビジェイとサンギータの夫婦が車で帰っていった。初日は寝起きのため不機嫌極まりない顔で彼らを出迎えた娘も最後はだいぶなついていたようだ。それにしても人柄の良い、気持ちのいい夫婦だった。また夏以降のハノーバーでの彼らとの再会が楽しみなり。
彼らを見送った後、家族三人で窓を全開にした車でモールに向かい、ウォルマートで野球のグラブとボールを購入。間もなくダートマスの大学内でソフトボール大会が始まるのだが、日本から愛用のグラブを持ってきていなかったためだ。8月の渡米時には勉学に必要なもの以外については極力持ってくることを我慢していたのである。今思えば、必要以上に「勉強しに行くのだから(遊び道具は必要ない)」「借金しての私費留学なんだから(そんな余裕はない)」という、気負い、あるいは悲壮感に近いようなものを抱いていたように思う。ちなみにウォルマートで購入したローリングスのオールラウンド用グラブのお値段は$29とかなり安い。
ところでこちらには野球のボールは基本的に硬球しかない。しかし、今日ボールを物色していると、柔らかめのボールも一応商品として存在するようである。見た目は皮を縫い合わせたもので硬球と同じなのだが、触ってみると柔らかいのだ。「RIF(Reduced Injury Factor)Level」でLevel1からLevel5まであり、数字が小さいほど柔らかい。Level1になると相当ふにゃふにゃしており、日本の軟球よりもずっと柔らかいのである。これなら気軽に野球ができそうなものであるが、まだ草野球をしているシーンを目撃したことは一度もないのだった。
来週、セイチャムの同級生とキャッチボールすることを楽しみに早速グラブの手入れをする。
図書館で勉強後、夜はManagerial Accountingのスタディグループ。学期最初は余裕をかましていたが、だんだん難しくなってきたぞ。
4月15日(月) 好天に恵まれた、しかし忙しい一日
今日のManagerial Accountingの授業は予習が完璧でなかったこともあって途中からついていけなくなった。事前に与えられた6題の質問の1−4問目まではよかったが、5問目以降は完全にShank教授の論点を見失う。前職では「管理会計屋」と呼んでもいい仕事を8年間もしてきたくせにこれではまずかろう、と午後は気合を入れて明日の同課目の予習をする。あっという間に5時間が経過して夕方六時に。しかして納得のいく解答にはまだまだほど遠い。
そのまま図書館で勉強することも考えたがどうにも気分を変えたくなり、嫁さんに迎えに来てもらって自宅で夕食を取る。夕食の準備ができるまでのわずかな間に家の前を娘と散歩する。気持ちの良い好天に緑の芝生、そして耳には絶えず小鳥のさえずり、最高の気分だ。しかし、ほんの少しだけ心の奥底に明日以降の予習に関するプレッシャーが澱のように存在していて、隣の家の子供と娘を遊ばせつつも、それがどこかで気になっている。
夜はManagerial Accountingのスタディグループ。今日も充実したグループミーティングだったが、我々は「正解」に近いところに居る、という実感はなかなか得られず。それだけリアルなビジネスに近いケースだということか。
帰宅してから明日以降のアサインメントに取り組むが、遅々として進まず。今学期はかなりの同級生が青息吐息である。もちろん履修している選択科目にもよるのだが、ほとんどが再びアサインメントに追いまくられる日々を送っているようだ。まるで入学直後の秋学期を思わせる忙しさである。今週のアサインメントのスケジュールを見ると、明日・あさっては実にハードな二日間になりそうである。ああ、週末が恋しい。いつものことであるが、今週は特にその度合いが強い。
午前三時。景気つけにビールを一本空けた。
4月16日(火) これは夏なのか?
暑い。一気にTシャツ・短パン・サンダル姿の学生が増えてきた。図書館のいつものお気に入りの自習机は午後日が射さない場所にあるので人気が高く、あっという間に埋まってしまう。しかたなく空いている方の机に座って勉強していると、間もなくブラインドの隙間から日差しが差し込んできて、気が付くと蒸し風呂状態になっているのである。ついこの間まで雪が降っていたように思うのだが、春はすっ飛ばして一気に夏がやって来たようだ。
午後、オペレーションのチームシミュレーション向けのスタディグループとモデリングのグループとを掛け持ち。3時から4時までモデリング、ちょっと抜けて4時から6時までオペレーション、再び戻って6時から8時までモデリング。
オペレーションでは4人のアメリカ人と組んでいるのだが、今日のミーティングまでに僕だけがSpreadsheetを組んできていた。3人はケースを一読したのみ。1人は読んですらいない。従ってミーティングの最初は一方的に僕のモデルを説明することになったのだが、そのうち3人が色々と意見を言い出して議論が盛り上がる。さらに黙々とケースを呼んでいた最後の一人が参戦して喧喧囂囂の議論へ。そして、その時には僕は一歩退いていたりするわけだ。というか、その議論のスピードに圧倒されているわけである。これまでグループを組んだアメリカ人(ビル、ジムなど)は特に真面目な連中が多かったが、これが一般的なアメリカ人学生達のスタイルなのかもしれない。根が怠惰な僕も、使用言語が日本語であれば、昨晩遅くまでスプレッドシートなど作ったりせずにさっさと寝ただろうし、ミーティング前に10分でケースを読んでいただろう。しかし、同じ立場で議論したらほとんど貢献する場を見つけられない以上、やはりこうやって他の部分で貢献するしかないのだ。
モデリングはこれまでに比べれば非常にあっさりと終了した。先週金曜日にモデルをほぼ組み上げていたので、今日はバグの修正(に4時間もかかったのだが)とレポート作成に費やしたのみ。これも金曜日に自宅で午前四時までかかってモデルを作って皆に送っていたので、感謝されて気分を良くして帰宅。しかし、まだまだアサインメントはあるのだった。
あまりの好天に我慢ができなくなったのか、当初のスケジュールを変更して急遽明日の夕方にダートマス大学の学内ソフトボール大会の初戦が行われることになった。これに出場するために予習のスケジュールもやや前倒しに調整。そして新品のグラブもオイルをたっぷり塗って形を調整。久しぶりのソフトボール、楽しみだ。
スポーツといえばオペレーションのチームメイトのうちの二人が「これから水球やりに行くんだけど来ないか?ゴーリーが足りないんだよね」と言っていた。「水球?まさか!やったこともないよ。」と答えていると、もう一人が、「何時から?あまりうまくないんだけど、行こうかなあ。みんな結構レベル高いの?」などと言っている。水球ってそんなにメジャーなスポーツなのか?
4月17日(水) ソフトボール完敗
午前中のオペレーションの授業ではチーム対抗のシミュレーションゲームを実施。このゲーム、ロウソク製造会社のオペレーションをシミュレーションするという至極簡単なものだ(Thayer SchoolのIさんに聞いたところ、先方も同じ日に同じゲームをしたらしい)。毎月始めに教授が発表する商品別オーダー数に応じて、何を・いつ・どの程度作るかを決定し、最終的な利益額を競う。BGMとしてピアノ曲が流れる中でのなかなか楽しいゲームだった。時間の経過を計算して、「8ケ月目まででシミュレーションが終了するはず」と読んでその時点で利益が最大になるよう生産計画を組んでいたのだが、ゲームは7ヶ月目であっさり終了。結果は、13チーム中4位だった。残念。ちなみに日本人はMさんのいるチームが優勝、T内氏のいるチームは3位、と皆上位に食い込んでいた。やはり日本人はオペレーションが得意なのか?
夕方のモデリングの授業では、これまで散々我々を苦しめてきた石油精製会社のバリュエーションを実際に行ったコンサルティング会社のパートナーがゲストとして登場。切れ者っぽい雰囲気を漂わす彼は、なかなか興味深いコメントを述べてくれた。「皆さんも実際にシミュレーションをしてみてその結果がどんなに広く分布するかが理解できたでしょう。10% percentileから90% percentileではとてつもない金額の開きがあります。そして外部のちょっとした環境で実際のNPVにもそれだけ開きが出てきます。でも、現実の専門家はもちろんそんなレンジを提示することはしません。『あなたの会社の価値は○○○億円。ザッツオール!』です。なぜか?レンジを示したら専門家たる所以がなくなるからです(笑)。」なかなか好感の持てる物言いだ。----しかしこのパートナー氏、どうにもナヨっぽい。黒板に文字を書く際に、あたかも若旦那が着物の袂をくるくる回しながら走るかのように、両手をくるくる回しながら駆け寄っていった。おかまか?
授業が終了した瞬間、ドアが開いて教授の子供達(三歳前後の女の子と五歳前後の男の子)が登場。一目散に彼に駆け寄って首に抱きついていたのは実に微笑ましい光景であった。
授業終了後は車を走らせて6時過ぎから行われた学内ソフトボール大会の試合に参加する。しかし試合の方は何と0−16という信じられないスコアで三回コールド負けする。ちなみにこちらのソフトボール、日本のそれとはかなり違う。使用するボールは単なる「でかい硬球」であり、全然「ソフト」ではない。ピッチャーはファストピッチどころか、それぞれ味方の選手が「打たせるために」打ちごろの球を投げてくれる(ホームラン競争のピッチャーみたいなものだ)。バッティングはベンチにいる全員がオーダーを組み(ちなみに僕の打順は14番!)、守備は全員が一回ずつ交代で守り、外野はレフトとセンターの間に「ミドル」と呼ばれるポジションが存在する。何だそりゃ。
しかし、味方の選手が打ちごろの球を投げてくれたのにも関わらず「零封」されるとは、TUCK−Aチーム、かなり危機的である(そもそもまともに「打ちごろの球」を投げられないのがまずやばい)。かくいう僕も一回だけ回ってきた打順でつい力んでセンターフライを打ち上げてしまった。あまりにも皆が一発を狙ってポップフライばかり打ち上げるので、「俺達のチーム名は、”TUCK POP UPs”で決まりだな」と自虐的なギャグに一同で爆笑する始末である。あっという間に試合が終わったのでかえって欲求不満がたまり、試合終了後に相手チームも含めて何人かで暗くなるまでフリーバッティングに汗を流したのだった。
そんなこんなでなかなか充実した一日だったのだが、腹立たしいことがひとつ。先日アドミッションから「日本人のアプリカントがインタビューにやって来るのでホストしてくれないか」と頼まれていたので朝少し早めに学校に行ったのだが、本人の姿が見えず。しばらく待っても来ないので、予定していた授業見学は中止にして授業に向かった。午前中の授業終了後、ランチに案内しようとアドミッションオフィスに行ってみると、担当者が苦い顔で「彼女はキャンセルだって」と言う。インタビューの時間になっても現れないので、まさかと思って携帯電話に電話をしてみたら東京で本人が出て、「実は行けなくなった」と言ったという。しかし、キャンパスビジットのためには、担当者も色々とアレンジをしているし、インタビュアーもレジュメを読んで質問を用意している。前夜は日本人学生のMLにメールを流して「良かったらランチを一緒して色々と話をしてください」と頼み、何人かの人はダイニングにそのつもりで来てくれていた。アドミッションによるとこんなドタキャンは滅多にないとのこと。休暇がとれなくてか、失念してか、あるいは他校に合格してか、いずれにせよキャンセルするのはご自由だが、MBA合格よりも重要な社会人としての、否、人としての常識くらいは持って欲しい、と少し頭に来た一件であった。同じ日本人としても甚だ残念。
4月18日(木) トヨタ生産方式
テクノロジー・オペレーションいずれの授業もなかなか面白かった。テクノロジーではナノテク関連で投資すべき分野・会社をディスカッションするというケース、オペレーションではトヨタ生産方式のケースを扱う。
オペレーションのケースでは、KAIZEN、KANBAN、ANDON、JIDOKA、HEIJUNKA、などの日本語が英語で説明されており、教授がそれに補足説明を付け加えるたびに学生達が一生懸命メモを取っていた。何となく微笑ましい。JIDOKAは通常「自動化」として使われることが多いのだが、トヨタでは「自働化」であり、このニンベンがあるかないかの違いが非常に重要なのだ、、、などと説明しようかと思ったが、これはうまく説明できそうになかったのでやめておいた。
トヨタ・GM提携に関する有名なエピソード---生産性が低くGMが閉鎖した工場をトヨタが引き取ってレイオフした従業員を全員呼び戻しトヨタ生産方式を導入した途端、北米の全工場で生産性・収益性ともにNo1の工場に生まれ変わった---を教授が説明すると、クラスメートからため息が漏れる。
それにしても、驚いたのはアメリカ人学生にかなり見当違いな発言をする連中が多いこと。普段、ファイナンス系やストラテジー系の授業では、「こいつ、あったまいいなあ」と驚かされるような発言をするI−Bank、コンサル出身の学生でさえ、今日は初歩的なことを分かっていない発言を繰りかえしている。「モノづくり」から徹底的に乖離してしまった彼らのメンタリティを実感する。内心「違うんだよ」とイライラし、つい普段しない貧乏ゆすりをしながら手を上げていたら隣に座ったアメリカ人学生に「まあまあ」とばかりに肩を叩かれた。
しかし、何度かした僕の発言も、言いたかったことの70%くらいしか正しく表現できなかったかもしれない。
留学して改めて強く思うことだが、トヨタに限らず日本の製造業は我が国の誇りである。さまざまなケースで登場する日本のメーカーはあまねく優れた従業員を有し、アメリカ企業には真似できぬ高い生産性で、良質な製品を低コスト・低価格で提供している。フェアな競争の中で、工夫と徹底した改善努力でその優位性を確保している。トヨタ・ホンダ・ヤマハ・ソニー・任天堂・キャノン・富士フィルム・・・金融の勝負に完全に敗れ去った今も、我が国のメーカーは世界のトップを走りつづける。
残念なのは、今回のトヨタのケースもアメリカ工場を舞台にしてすべてが語られていることだ。これまで扱った日本企業のケースはすべて米国内での取材に基づく米国内の戦略について扱っていた。まるでGM日本法人を取材してGMの世界戦略について議論するようなものである。冬学期に扱った任天堂やホンダのケースなどは明らかにその問題点がディスカッションを浅くしていた。きちんと日本本国の事例を取材してもらいたいものであるが、それを補うのも日本人学生に期待される役割なのかもしれない。
個人的には、トヨタ出身の人、特に工場で働いたことがある人に是非ビジネススクールに来てもらいたい、と思う。きっと同級生はその学生のすべての発言を聞き漏らすまいとすることだろう。
夜は同級生Tさん夫妻宅にお邪魔して夕食をご馳走になる。Tさん夫妻とは旦那同士、妻同士が同じ年。子連れ私費留学、という境遇も同じ。妻同士が漢字まで同じ名前(これは結構ややこしい)。ついでに妻の妹もそれぞれ同じ名前。。。と何かと共通点が多い。話が盛り上がって、ついつい長居をしてしまい気が付いたらもう午前様。夜遅くまでお邪魔して迷惑おかけしました。どうもご馳走様でした。
その後、アルゼンチン人同級生のバースデーパーティに参加するつもりだったが、「ラテンだから遅くまでやっているはず」という勝手なアサンプションを持っていたパーティーもさすがに終わってしまっていた。
4月19日(金) 合格者来訪
現在東海岸のビジネススクールを歴訪している日本のキャリアカウンセリング会社(正しい表現だろうか?)の方がTUCKを訪問されたので、昼過ぎに30分程度面談。具体的な話というよりも、今後のキャリアの展望にからんだ雑談と、「卒業後も宜しくお願いします」的な面談である。MBA友の会のトラキチ仲間Mさん経由で連絡いただいた今回の訪問については、TUCKのキャリアサービスオフィスのベッキー女史(スザンヌ・べガファン)に諸々のセッティングを頼んでいたのであるだが、カウンセラーの方曰く「こんなに担当者が良くしてくれる学校は初めて経験した」とのこと。たしかに彼女の脇には、TUCKグッズと飲み物とお菓子の山が。
その後はロンドンからはるばるキャンパスビジットに来られた合格者のF氏を出迎えにダートマスコーチの停留場へと向かう。KelloggとTUCKの両方から合格をもらってどちらに進学すべきかで悩んでいるとのことで、前日はエバンストン(ケロッグの町)を訪問してからのハノーバー入りであった。車でざっとキャンパス周辺を案内して、さらに校舎の設備をひととおり案内、たまたま中庭にビア樽を出して飲んでいた同級生に混じって少しビールを飲んで、セイチャムへ。受験生・合格者などが来ると車に乗せてキャンパス周辺を案内することが多いのだが、そのたびに客観的に「ええ環境やなあ」と思う。自然に溢れ、緑多く、治安は良く、レンガ造りの建物は美しく、そして人は親切。TUCKの校舎もこじんまりとしている中にも風格があり、青空と芝生と見事に調和している。ひとつひとつ案内しつつ、改めて思う、「ええ環境やなあ」と。幸せな御仁である。
夜は、日本人学生有志と中華料理屋で歓迎ディナー。さらに同級生Sさん宅(通称”バーS”)に移動してビールなど飲みながら雑談。我々は彼が迷っているTUCKとKelloggの双方を知悉しているわけではないので、相対比較しての無責任なコメントをすることはできない。したがって、基本的にTUCK生の視点から見たTUCKのアドバンテージ・ディスアドバンテージを中心としてコメントする。そのはずが、気が付いたらいつの間にかいつもと同じ学生間の馬鹿話に移行。それも含めてTUCK生がどういう生活を送っているかの雰囲気を知るには有用ではないか、と自分たちを納得させる。
Sさん宅を辞した後、車を停めていたはずのメインストリートに戻ってみると車がない。実は停めていた場所を勘違いしていたのだが、一瞬「盗まれたか?それともレッカーか?」と慌てる。当然車に鍵などかけていないし。路上で頭を抱えていると、たまたま歩いていたカップルが寄ってきて「何かあったの?」と尋ねてくる。T氏が「ハノーバーで車を盗まれるなんてありえるかな」と聞くと、彼女の方が言下に「それはないでしょう」と一言。そうだよな。疑ってごめん、ハノーバー市民。
4月20日(土) ロングミーティング
昨夜我が家に泊まられたF氏は、昼過ぎのダートマスコーチに乗ってロンドンへ向けて帰っていった。在校生としてはTUCKに来てくれれば嬉しいが、あとは本人が満足できる決断ができればそれで良いでしょう。
スタディグループはないはずの土曜日なのに、今日は朝の9時からモデリングのミーティング(お陰で誘われていたゴルフには行けず)。来週水曜日の最終授業に向けての準備である。あっさり終わる予定がモデルのバグなども見つかり、また授業で行うネゴシエーションの準備などをしているうちに気が付いたら夕方四時過ぎまでかかってしまった。おそらく他のグループは、前日に数時間の準備をしてネゴシエーションに向かうはず。それに対し我がグループは、すべての考えられるアサンプションの相違点に定量的な裏付けを出すべくシミュレーションを行うため、べらぼうに時間がかかる。僕はともすれば楽な方に流れるため、ジムやマルティンの妥協しない姿勢には学ぶところが非常に多いが、それでも正直、多少はうんざりしていたり。ちなみにマルティンはアルゼンチン人なのであるが、僕の「ラテン系」に対するステレオティピカルな見方を根底から覆してくれた。非常に緻密、ハードワーカー、そして数学にべらぼうに強い。一方同じグループのペドロはメキシコ人の元会計士なのだが、「腹が減ってもうモノを考えられないよー」と騒ぐなど(僕の考える)典型的「ラテン系」だ。
妻に迎えに来てもらった後、セイチャムで開かれていた同級生フランシスコ(エクアドル人)の息子の誕生日パーティーに参加。TUCKのラテンコミュニティが参加者のほとんどを占める何とも楽しい雰囲気のパーティーだった。空は快晴。こんな快晴の一日を無為にスタディルームで過ごしちまったか、と少し虚しくなる。しばらくするとマルティンが疲労困憊した体で参加。と思ったらいきなり「ところで例の石油の輸送キャパシティの件だけど。。。」と話し始める彼は、やはり僕の思う「ラテン系」とは少し違う。
4月21日(日) 「切なさ」と無縁の涼しい一日に
明け方六時まで管理会計の予習をしていたので、昼過ぎまでぐっすりと眠る。何度か娘に「起きなさーい」と催促されてようやく午後1時過ぎになって起きだした。娘に「いつもゴロゴロしている父親像」を植え付けてしまう前にこの夜型の生活リズムを何とかせねば、とは思っているのだが、なかなかうまくいきません。
その後はウェストレバノンのモールへ買い物へ。こうして三人でゆっくりと買い物をしていると、渡米したばかりの頃に店内で感じた「異邦人感」がまったく消えてしまっていることに気付く。店員や客に「かわいいねえ」などと「いじられ」、喜んで応じている娘。どこに何が売っているか、まるで独身時代に毎晩通ったコンビニのように熟知しているKマートやウォルマート。ここはもはや我が家にとって「外国」ではなくなりつつある。
ところでここ数日の夏のような暑さから一転して今日は非常に涼しかった。校舎を歩いていてもここ数日感じていた「切なさ」のようなものを今日は感じなかった。そう、ここのところの暑さの中で学校にいると、なぜか時々ぼんやりとした「切なさ」を感じていたのだ。いったい何なのだろうか、と思いつづけてようやく合点がいった。真夏のような暑さの中で学校にいると、昨年の夏にこっちに来たばかりの頃の記憶を何とはなしに思い出すのだ。初めてのアメリカ、慌しい生活立ち上げ、間もなく始まるワークロード、家族への責任、などなどを目の前にし、三十過ぎのおっさんにしてやはりどこか緊張し、プレッシャーを感じ、気負うところがあったのだろう。当時と同じような気温・雰囲気の中で校舎内にいると、アメリカに来たばかりの頃の記憶が無意識下で思い出されるのだと思う。逆に言うと、「夏の暑さ」という触媒なしに切なさを感じない今は、その種の昂揚のようなものを抱いていないということになるのやもしれず、それは決して一概に悪いこととばかりも言えないとはいえ、修学の限界収穫率を維持しつづけるためには何かしら自分で自分を鼓舞しつづける必要があるのだとも思う。
夜はIさん・ブラッドと例によって管理会計のスタディグループ。今日はABC(活動基準原価計算)を扱う。むかーしむかしにやった日商簿記一級の勉強で扱っているはずなのだが、覚えているのはテキストのページに書いてあった「ABC」の文字のフォント、などどうでもよいことばかり。予習していても思い出すのにしばしの時間を要した。スタディグループは今日も効率的にさくさくと進み、一時間半で終了した。一人で予習していても今ひとつすっきりしなかったポイントなども、お陰ですっきり。
帰宅後、テクノロジーのリーディングなどを読んでいて、良く分からない概念に遭遇。英語・日本語のWEBで意味を調べていて、真・コンピュータ用語辞典なるサイトを発見。内容は役に立ったり立たなかったり、検索する言葉によってばらつきが激しいのだが、目についたのは、『コンピュータ用語界の「悪魔の辞典」を目指し』という一文である。アンブロウズ・ビアスの「悪魔の辞典」は、僕が最も好きな書籍のひとつ。早稲田大MBAの教授の書いた「ビジネス版悪魔の辞典」もなかなか傑作で、ビジネスマンとして働いたことのある人にはなかなか面白いはず。
ついでに言うと、ビアスの「アウルクリーク橋の一事件」は、僕が世界短編小説史上の最高傑作であると信じている逸品である。おそらく岩波文庫の「いのちの半ばに」という短編集に入っていたと思いますので、是非読んでみてください。
4月22日(月) 寒の戻りにもほどがある
昼前から雪が降り始めた。ついおとといまで摂氏30度を超える日がつづいていたのに、である。気温は氷点下へ下がり、夜には3センチほどの積雪となる。昨日買ってきて家の前の芝生に並べておいていたデッキチェアは、哀れ雪に覆われてしまった。数日間で30度以上の気温差というのは尋常でない変動ぶりだ。
今年の米国東部は観測史上最高の暖冬であったし、先日はこの地域としては極めて稀なる地震もあった。そしてこの急激な気候の変化である。江戸時代の農民であれば、「すわ天変地異か」とお祓いでもするところだろう。現代であっても、こんな急激な気温の変化は、農作物の生育には極めて悪かろうに。
夜、いつもどおりShank(管理会計)のスタディグループ(このスタディグループなら毎日やってもいい、と思う)。明日の授業のケースは便器製造会社を舞台にした予実差異分析、というもの。実は前職で死ぬほど扱ったテーマである(便器製造の方でなく、予実差異分析の方が)。ディーラーネットワークの収益予測と実績との差異分析を行うのは一種のルーティン業務であった。上司のIさんと一緒に某副社長によく説明に行ったことを思い出し、ちょっと懐かしく、胸がキュンとした(嘘)スタディグループであった。
ところで、このケースの最後に最も経験豊かな便器職人であるジム・セジフィールドが社長に向かって問い掛けるシーンがある。「あんたは、この俺にたくさん便器を作らせたいのか、それとも良質の便器を作らせたいのか、どっちなんだ?」いっぱい作れ、いっぱい。
4月23日(火) ラモス来る
ラモス、といってもカリオカではない。フィリピンの元大統領フィデル・ラモス氏がなぜかTUCKにやって来たので、予習を中断してスピーチを聞きに行った。アキノ、マルコス、エストラダ、アロヨ、とこれでもかとつづく(色んな意味で)濃いかの国の歴代大統領に挟まれて何となく影の薄い印象が否めないラモス氏であるが、見た目のも何だか頼りなげなおっさんである。スピーチも決してうまいとはいえないが、堂々としているのは確か。途中原稿を投げ捨てるなどのパフォーマンスを挟みながら東アジアの自由貿易圏について、国家の安全保障、特に対テロ安全保障について自説を語ってくれた。現大統領のアロヨ氏も米ジョージタウン大卒・経済学博士というインテリだが、ラモス氏もプリンストン大→米陸軍士官学校→イリノイ大MBA→戦略コンサルタントという、まあ、一種のインテリ。フィリピンの政権は、マルコス・エストラダという所謂「庶民派」と、「インテリ派」の間で政権交代を繰り返しているようである。
しかし、本題とは関係なく面白かったことがあった。それは会場のアメリカ人学生達のラモス氏に対する態度である。元「大統領」という肩書はやはり絶対的なものであるのか、皆呼びかけに”Honorable Ramos(ラモス閣下)”を使用するなど妙にしゃちほこばっている。アメリカ人は教授と話す時やプレゼンの時でさえ、皆ポケットに手をつっこんでいるので、「こいつらはポケットに手をつっこむという態度が相手にとって失礼だという感覚がまったくないんだな」と思っていたのであるが、今日質問に立った学生達は誰もポケットに手をつっこんでいない。一度いつもの癖で手をつっこみそうになった学生などは慌てて手を戻したりしている。やはり目上の人の前で取る態度ではないということは分かっているらしい。
夜はモデリングの最後のグループワークで、何とか最後のレポートを仕上げた。半期だけのミニコースであるこの授業は明日で終了し、あさってからは後半のミニコースが始まるのだった。春学期も早くも半分が過ぎたわけだ。
いよいよMBA一年目の終了まで、あと学期半分。
4月24日(水) アルゼンチン
昼休みにアルゼンチン人学生達が行ったパネルにランチを持って参加。その国の簡単な文化紹介のプレゼンにつづいてQ&Aコーナーが設けられているこの種のパネルは各国出身学生達によって頻繁に企画されていて、なかなか興味深い。これまでにも中国・イスラエル・アラブ、などなど、興味深い国・文化に関するパネルが行われている(我々日本人は同種のパネルはやらないものの、週末に「FUJIYAMA NIGHT」と題する日本文化紹介の大イベントが控えている)。今日のアルゼンチンも通貨危機のさなかだけに参加者の関心も非常に高かった。TUCKに来るまでは、マラドーナ・カニージャ・バティ・タンゴ・白人優位、、、、など断片的なキーワードしか頭に浮かばなかったアルゼンチンだが、何人かのアルゼンチン人同級生と付き合ううちにだいぶ同国に対するイメージが豊かになってきたと思う。
アルゼンチンのGDPは日本の6分の1以下、GDP per capita(国民一人当たりGDP)でも日本の半分以下である。このような、国全体の経済力で先進諸国に比べて明らかに見劣りする国を見る時に、どうしても国民自体の優秀さというものを無意識に国の経済力とリンクさせて考えてしまうきらいが、少なくとも僕の中にはある。例えば一人当たりGDPが、アルゼンチンはざっくり日本の半分、ガーナはざっくり10分の1、とした場合、国民一人が生み出す付加価値がそれぞれ半分と10分の1なのだから、これすなわち国民の優秀性もそれぞれ半分と10分の1だろう、というイメージである。言うまでもないことだが、そんなわけはない。そもそもGDPを生み出す要素とは、などマクロ経済的な議論はさておいても、例えば高等教育を受けた層の人間同士を比べた場合、アルゼンチンは、あるいはガーナは、決して日本のそれに見劣りしないのではないか、と思うのだ。
例えば、モデリングで一緒にグループを組んだアルゼンチン人のマルティンは非常に頭脳明晰な男であり、僕が今まで出会った日本人すべてと比べてもかなり上位にランクされるほど優秀な人間である。正直に言うと、こういう優秀な男がアルゼンチンにもいるのか、と驚き、と同時に「アルゼンチン=日本の半分以下の一人当たりGDPの国、通貨危機にあえぐ国=人材もたいしたことないはず」という、無意識かつ無意味な発想が自分の頭の中にあるのではないか、と反省する。
では、何が日本の高付加価値を生み出してきたのだろうか。製造業であれば工場のラインで働く人々、サービス業であれば前線で顧客にサービスを提供する人々、の優秀性だろう。日本の知識層+ホワイトカラー全般は、総じて他国の知識層に比べて高い付加価値を生み出してきていない、ということを認識すべきだろう。だからこそ、前線で働く人々の優秀性を下支えしてきた日本の教育の崩壊と将来社会に出て働く(と信じたいが)はずの若い世代そのものの崩壊、を深く危惧してやまないのだ。日本の比較優位の源泉であったこの層の優秀性がひとたび崩れてしまえば、後に残るのは「後進国」に比べても見劣りする、空ろな日本の知識層・指導層のみ、ということになりかねない。
などということをアルゼンチン・パネルを聞きながら考える。
夕方の授業終了後、ソフトボールの試合に参加。一発狙いをやめたおかげで二本ヒットを打てたけど、いずれも内野の間を抜く極めて地味なヒットでかえってフラストレーションがたまってしまった。外野守備でも、僕がもっとも苦手とする後方へのフライが来てうまく処理できず。ここまで全然活躍できておりません。試合の方も最終回に逆転されて10−11と二連敗になってしまった。
夜はパートナー連中のゲームに出かけていった妻を送り出してから、娘と夕食をとり、「泡泡のお風呂」に一緒に入り、歯を磨き、早々に寝かしつける。さて、と明日の予習を再開するも、明日は3クラスすべてケースがあり、なかなか時間がかかるのだった。
4月25日(木) 失敗学
今日から後半のミニコース”Learning from Mistakes”が始まる。いわゆる失敗学というやつだ。なかなか興味深いケースを毎回二本ずつ扱うようで楽しみだが、今日はクラスディスカッションにJump inできず、結局90分間沈黙を通してしまった。ちなみにこのクラス、グループでのプレゼン・ケース執筆・レポート作成、と思った以上にワークロードがハードらしいことが判明したが、内容は面白そうである。ケース執筆では是非一連の雪印の事例を取り扱いたいと思い、早速グループを組む。
失敗学といえば、このサイトからもリンクしている「失敗ドットコム」が非常に面白い。また、意外にも文部科学省で「失敗知識活用研究会」という研究会を開いていて、「失敗からいかにして学んでいくか」を毎月議論しているようだ。さらにビジネスの失敗といえば、板倉雄一郎の「社長失格-ぼくの会社がつぶれた理由」がお勧め。いかにしてハイパーネットが一世を風靡し、そして資金繰りに詰まって倒産に追い込まれるか、いかに金融機関などが手の平を返した態度をとっていったか、などなどの過程は、とてもB−Schoolの短いケースでは扱えないものである。この板倉雄一郎氏、「ほぼ日刊イトイ新聞で」で週刊コラム「懲りない君」を連載しており、これまた非常に面白い。
ともすれば、「なぜ失敗したのか」の問いに、「世に問う時期が早すぎただけ」など(ハイパーネットの例など)という安易な解答をしてそこから先の思考を停止してしまいがちな僕は、このクラスを通じてもう少し先の何かを得られないか、と期待している。
などと言っていたら、まさに今日の臨時株主総会で雪印食品は会社解散を決議したのであった。
夕方ようやくスノータイヤをオールシーズンタイヤに交換。作業を待っている間にShankのケースを読んでいたが、いつの間にかまどろみの中へ。夢の中で、"Sarah!" "Sarah!"という声が聞こえ、「しようがないな、Sarahは。コールドコールされてるのに、何やってんだ?居眠りしてるんじゃないのか?」と思っていたところ、実は居眠りしていたのは僕で、サービスアドバイザーから「Sir! You are all set! Sir!」と起こされていたのであった。SarahではなくSirである。夢の中でもヒアリングができていない僕なのだった。
4月26日(金) FUJIYAMA NIGHT
TUCKの日本人学生・パートナー総出のイベントである”FUJIYAMA NIGHT”がウィットモア寮のホールで行われた。この一ヶ月ほど幹事の人々を中心に入念な準備を重ねてきたイベントである。以前から同級生達の様子で皆がこのイベントをかなり楽しみにしていることは感じてはいたのだが、正直ここまで多くの人間が集まるとは思っていなかった。普段は結構広く見えるホールが人であふれかえり、立錐の余地もないほどである。会場の端から端まで移動するのも一苦労だ。
ちなみに今回のイベントは以下のような内容からなっていた。
柔道模範演技 | 160センチ台の黒帯Sさんが190センチ台の初心者Kさんを投げる。 |
黒田節披露 | Oさんが趣味の黒田節を披露。「少しでも笑うと日本文化を侮辱することになる」と思ってか、妙に神妙な面持ちで手を前に組んでじっと見つめる学生達の姿がおかしかった。 |
着物体験試着コーナー | 着付けのできる方々が、希望者にその場で着物を着せてあげるというコーナー。女性を中心に凄まじい人気。記念写真の嵐となる。 |
寿司サーブコーナー | パートナーの方々が作ってくれた山のようなちらし寿司・いなり寿司をひたすらサーブ。すごくうまそう。食べたかった。 |
バーコーナー | お約束のバーコーナー。日本酒・梅酒・ビール(含キリン)・ソフトドリンクをサーブ。予算の都合でサケは廉価なもののみ。 |
寿司実演コーナー | West Lebanonにある店の寿司職人の兄ちゃんが来てその場で握ってくれた。 |
寿司を作ってみようコーナー | 巻寿司を自分で作って食べてみよう、というコーナー。これも凄い人気で順番待ちの列ができるほど。担当のTさんとIさんは休む間もなくレクチャーしつづける。 |
カラオケ | 大画面TVで提供したカラオケ。事前に用意したソングリストは厚さ2センチにも。Kさんのエンターテナーぶりに感心する。英語の歌のレパートリーが限られている僕は役にたたず。 |
折り紙・習字コーナー | 日本の新聞紙で作ったかぶとが大人気。皆頭にかぶったまま酒を飲む。この部屋(スタディルーム)は完全に”キッズルーム”と化しており、担当者はほとんどベビーシッター状態に。 |
剣玉・コマ他日本の遊び | 一年生T内氏(コマ担)、二年生Iさん(剣玉担)というTUCK日本人の誇る遊びキングによるもっぱら子供達への遊びの伝授。T内氏のコマの上手さに驚く。剣道の防具試着コーナーも密かに人気。 |
日韓ワールドカップ告知 | 巨大スクリーンでひたすらフランスW杯のゴール集を流しつづけるも、南米出身者を中心に自国代表が出てくると食い入るように見つめるもの多数。 |
今回のイベントを通じて感じたことはいざひとつの事柄に取り組もう、となった際の日本人のチームワークの良さ。日本人学生25人、パートナーも含めると実に約40人。その人数の多さもさることながら、チームワークの良さがなければこれだけの大イベントは成功させられなかったに違いない。だからこそTUCKの学生達もイベント自体をおおいにエンジョイしながら、そのオーガナイゼーションにも強く感銘を受けたのだろう。後片付けを終えて会場を出る際にも、"You guys are awesome!!" "You did really really fantastic job!" "Thank you guys!"などと声をかけられた。さて、学生達の期待値が上がった来年は益々大変だ。
【テクノロジーの教授一家に巻寿司の作り方を伝授するTさん】
4月27日(土) MBAサッカー
”MBAサッカーW杯”なる大会が、各ビジネススクール代表チームを集めて今日からセイチャムのグラウンドで行われている。同級生T氏がプレーするというのでその応援に出かけるが、T氏のプレーしているTUCK Bチームは残念ながら我々の見た二試合とも完敗。他校の多くはTUCKの倍以上の規模をもちながらも、参加はすべてAチームのみ。それに対してTUCKは小規模校ながらも2チームでの参加。ということで試合はかなり辛い展開に終始していた。合間に近くの芝生の上でソフトボールの練習などを。
夕方から学校のスタディルームにこもって、オペレーションのTake Home Examをした。さらに間もなく印刷所に出す日本人ガイドの校正作業に精を出す。
まわりのスタディルームには日本人学生の姿が。皆FUJIYAMA NIGHITの遅れを取り戻すべく課題と格闘しているのであった。
4月28日(日) 冷たい雨の一日
冷たい雨の降る一日。雨のハノーバーと快晴のハノーバーは、これが同じ街か、と思うほど表情が違う。どの街だって、雨と晴れでは違う表情を見せるものだが、ここでは特にその思いを強くする。雨の日の空は、冬のハノーバーを喚起させる。
そんな雨の一日、午後から図書館で明日のShank教授の管理会計の予習をつづきに取り組む。このクラス、回を重ねるごとに加速度的にケースの難解さが増してきている。今回などは、合計9時間近くも取り組んでいたのだが、結局自分の中で満足いく解答は得られなかった。最後の数時間はほとんど何も得られないまま、うんうんと頭を抱えていた。こんな時、色々と試しているうちに、ほとんど唐突にある種のブレークスルーが起きて一気に問題が解決することがあるのだが、今日はそんなものはなし。かなり気持ち悪いのだ。一旦帰宅して夕食後、ブラッド・Iさんとスタディグループ、そして帰宅して再び予習のつづき、あるいは日本人ガイドの校正作業。起きている間はほとんどどこかで机に向かっていた、極めて学生らしい一日であった。これが本来の留学生の一日か?
今週一週間のアサインメントをリストアップしてみると、なかなかそのボリュームは大したものだ。こんなふうにアサインメントと格闘しているうちにあっという間に時間は過ぎていく。春学期に入って、明らかに時間はその速度を増した。
日本ではGWに突入。カレンダーはくるりと一回転し、次の年の留学生達が渡航準備を始める時期になった。B−Schoolの二年生達は帰国の準備を始め、僕はサマーの準備を始めた。周囲のすべてがその動きを速める時は、少し立ち止まって考えねばならぬ時、でもある。
4月29日(月) 国際競争力さらに低下
毎年恒例のIMDの"World Competitiveness Yearbook"の2002年版が発表になった。日本は昨年の26位からさらに4つ順位を下げて何と30位に低下した。実はこの調査、49の国と地域しか対象としていないのであり、下から数えた方がずっと早い位置まで落ちてしまっているということである。ずっと昔から抜かれていたシンガポール・香港・台湾につづき、ついにマレーシア・韓国にも抜かれた。IMDには、「老化を自覚して気力を失った『中年の危機』」とまで酷評される始末。
評価項目に文句を付ける筋もあるようであるが、同じ評価項目で我が国が89年から93年まで五年連続トップであったことも事実。評価が低い項目を見ると、「企業家精神」「大学教育とビジネスニーズとのマッチング」「株主の権利と責任」「政府の政策の透明性」「国家財政」「電力コスト」などなど、明らかに何がしかのてこ入れが必要な分野ばかりである。
国会の発言検索をすると、昨年の同ランキングが発表になった際に、本会議及び委員会で本件に関する危機意識が議論されたようではある。しかし、質問に対する大臣の解答はどうもピントがずれているように思えてならない。例によって答弁は長いので、極めて乱暴に要約すると以下のようなものだ。
質問者:「IMDによると日本の国際競争力が26位まで下がったとか。これに対する大臣のお考えは?」
大臣:「問題だと考える。やはり我が国は産業技術力及び国際競争力を高めていかねばならないと思っている」
「技術力」は今でも世界トップクラスと評価されているんだが。。。「国際競争力」を高める?いや。。。だから。。。
今回のランキング低下は国会で取り上げられるだろうか。そしてどういう議論がなされるだろうか。好むと好まざるとに関わらず、競争力を上げるためには政治主導でやらねばならない項目が多いことも事実。その意味で気になるところではあるのだが、正直期待薄か。
Shankのスタディグループ、あっという間にケースを片付け、「何て効率的なんだ。俺達すごくないか?」などと盛りあがってブラッドの奥さん運転の車で帰宅する。しかし、遅めの夕食を取って他の科目のアサインメントに取り組み始めた瞬間、そのボリュームの多さに気分の昂揚もあっという間にクールダウン。さらにネット上で当ランキングの記事を読んで、すっかり憂鬱な気分になったのだった。日本はそんなもんじゃない、はずだ。
4月30日(火) 卒業間近
他のビジネススクールは既に授業が終わったところも多いようだが、TUCKはなぜかスケジュールが遅く、今学期は5月末まであと一ヶ月つづく。一月はじめのスタート時期はどこも同じだったのに一ヶ月も春学期の終了が遅いということは、それだけコマ数が多いということなのだろうか?という話題に今日なった。授業日数や授業コマ数の学校別の比較は見たことがないので、ちょっと興味深いところである。
他の学校の二年生のホームページを見ていると、皆もうあとは卒業を待つばかり、という状況のようだ。Indiana(Kelley School)の石野さんのサイトもついにこれにて終了ということで、「終わりの言葉」が掲載されていた。サイト開設時から毎日のようにチェックしていたので、勝手に感慨深いものを感じている。二年間にわたってつづいてきた、長いストーリーを読み終えた気分。つい一年後の自分を想像する。
「セイチャムでコヨーテだか狼だかを見かけたので、気をつけましょう」とある学生からメールあり。ヒト・犬・猫・鳥・リス・シカ・クマにつづいて今度はコヨーテ。。。。セイチャムには色んな動物が住んでるなあ。