MBA留学日乗 2002年5月 | ホームへ | | 前月へ | | 翌月へ |
5月1日(水) ビア・ゲーム
5月に入りました。今月末には、日本に向けて飛ぶ予定になっています。
二時間目のオペレーションの授業で、「ビア・ゲーム」と呼ばれるシミュレーションゲームを行う。MITの教授が考案したこの有名なゲームは、四人一組でチームになって、製造から小売までのビール流通のサプライチェーンを体験する、というものである。あまり詳しく書くと来年以降オペレーションでこのゲームをやる人々に余計な先入観を与えてしまうので書かないが(といってもPC上でできるビアゲームや、ビアゲームツール組み立てキット、などまでWEB上には公開されているらしい)僕は二次卸パート、韓国系アメリカ人のポールが小売、T内氏が一次卸、アルゼンチン人ファビオが工場を担当した。ゲームが始まってすぐにポールから大量のオーダーが入る。「まじかよ」と思うが、流通過程間の口頭での交渉は禁止されているので、「くそ!」などと言って、ポールに遺憾の意を表明。しかし、ポールは僕の遺憾の意を無視して、大量のオーダーをつづける。そのうちバックオーダーを抱えた僕も隣のT内氏に大量のオーダーを。T内氏も、「Holly Sxxt!」などという言葉を発して僕に遺憾の意を表するが、お構いなし。当然T内氏からファビオにも大量のオーダーが。ファビオは、「俺、工場閉めたいよ」とため息つきつつ大量のビールを生産。そうこうしているうちに、ポールからの発注が激減、というお約束のパターンに陥り皆お手上げ。。。
1セントコインをビール1ケースに見立ててゲームをするのだが、在庫が膨らむにつれて10セントコインがいくつも登場してくる。教室内の他のグループを見ていると、財布から1ドル紙幣を出しているグループもあったりする。結果的にはうちのグループの抱えた在庫は、まだまだ少ない方なのであった。
それにしてもよくできたゲーム。SCM内の情報共有の重要性、流通システム短縮化・効率化の重要性、下流への在庫押し込みの誘惑、などを実感でき、大人がやっても十分楽しめるが、小学校の社会科の授業などで流通システムを勉強するのに使ってもいいのではないか、と思う。
夕方、ソフトボールの試合に参加。ようやく初白星が出た。その後、テクノロジーのグループライトアップの宿題を仕上げた。ビアゲームを一緒にやったポールから「ビールを飲みに行かないか」と誘われるも、明日の予習の多さに断腸の思いで断る。「飲みたかったなあ」と思いながら、朝四時まで予習。
5月2日(木) Indian TUCK Tails
朝からテクノロジー、オペレーション、失敗学、と三つの授業に出席して今週の授業もすべて終了。なかなか多忙な週であっただけに、終わった後の開放感も一際だった。
その後は、恒例の"TUCK Tails"に参加。今日は"Indian Tuck Tails"と題して、インド系学生達がメインとなってサモサ・パコラなどのインドのおつまみを供してくれた。本当にうまい。今日はワインテーブルのバーテンなどもやった。一週間が終わった開放感にインドビールとワインなどを飲みつつ。日本と違うな、と感じたのは、アメリカ人学生のほとんどがワインの産地を気にしないこと(もちろん詳しい人間は気にするのだろうが)。そのかわりにブドウの品種にはこだわるようだ。「これはカリフォリニア、これはフランス、これはオーストラリアで、、、」などと説明していると、「どこでもいいから、ピノ(ノワール)はある?」などと聞かれる。概してインターナショナルの学生は、「フランス産ちょうだい」などと産地だけを指定する人間が多いようだ。
その後帰宅して、同級生の独身三人組(T氏・T内氏・Mさん)を我が家に夕食にご招待。ホッケージャージの背中に「ナンパマン」と書かれたほどの男、T内氏ももう間もなく結婚するので、ついにTUCK同級生の独身組も二人になるのだった。今日も遅くまでゲームなどに興じる。
5月3日(金) ルクレアとGMAT
朝9時から、"Learning from Mistakes(失敗学)"のFinkelstein教授とアポをとっていたので、学校へ。同じプロジェクトグループのメンバーと我々がやろうと思っている企業失敗事例「雪印」について説明する。教授も「それは面白い事例だ」とかなり興味を引かれた様子。「問題を隠そうとする行為は日本では許されるのか?それは一般的に行われるのか?」と聞かれ、「そんなもの消費者には許されるわけがない」とは答えるが、しかし実際の企業行動となると問題隠蔽に走る事例が色々と思い浮かぶのだった。消費者としては問題隠蔽をする企業に怒り狂う日本人が、企業人としてはたびたび同様の問題を起こしてしまうのはなぜか?宗教観の違い、すなわち日本人は拠って立つ宗教を持っていないがために、他人に知られさえしなければそれでよし、とするメンタリティがあるのだ、という説明をどこかで読んだ気がする。しかし、どうもすっきりしない。問題はそんな単純なことだろうか?
それよりも、どうも根底に「企業=お家」となぞらえるメンタリティがある気がしてならないのだが(これだって単純化しすぎかもしれないが)。身内の恥は何が何でも隠そうとする。その全体の動きの中では、「身内の恥」を積極的に公開しようという行為は、「お家」をあえて危険にさらそうという行為と捉えられるのではないか。たとえ「今小さな問題を隠して、後で露呈した場合のリスクは比べものにならないほど大きいんですよ!」なんていう言葉がどんなにロジカルであったとしても。殿様がよほどお家の問題の公開に積極的である姿勢を打ち出していない限り、「忖度文化」のいまだ強い日本人の働く日本の企業では、積極的に問題を公開していこう、という動きには常に逆ドライブがかかるのではないか。
「私は寝てないんだ!」という石川社長の言葉は、問題を単純化する方向に極めて有効に作用し、我々はともすれば記号化された関係で問題を認識してしまいがちである。「企業トップは食中毒を隠そうとするなんて、何故そんな馬鹿な行為をしたんだ?」と教授に問われ、「さあ、分かりませんね」と苦笑する。自分だったら、こんなヘマは絶対にしない、と思う。理想的な危機管理をやってみせる、と思う。たしかにそうかもしれぬ。自分がCEOであったなら。しかし、たとえば副社長だったらどうだろうか。専務だったら、工場長だったら、品質管理部長だったら、お客様相談室長だったら、広報課長だったら。状況に変化は起こせただろうか?何ひとつ変えることすらできなかったのではないか?ビジネスマンのうち、CEOである割合などごくわずかであることを考えると、「CEOでないと状況に変化を起こせない能力」なんて、無いに等しい能力だ。
実際の物事はケースで読むほど簡単ではないし、僕は、少なくとも机に座って考えているほど良いマネージャーではない。実際に目の前に拳を振り上げる反対者は、いつだってどんなケースの中の登場人物よりも手ごわいのだ。しかし、だからこそビジネスは面白い。それを忘れては、僕はご丁寧にも借金を作った上で「机上の空論を振り回すMBA」に成り下がってしまうのである。
(ちなみに、このFinkelstein教授、某インターフェースというMBA受験予備校のカウンセラーであるルクレア氏に似ているというもっぱらの噂である。←一部ウケ)
夕方からスタディルームでShank教授のミッドターム試験をする。学校のネットワークにアクセスしてコンピュータで受ける二時間の試験。最初のうちはじっくり解いていたものの、最後の方は時間がなくなり猛烈な勢いで飛ばしてしまう。その自分の様はGMAT受験時の自分を思い起こさせた。似非ルクレア氏と会い、似非GMATを受け、MBA受験時の気分を少しだけ思い出した週末の一日。
5月4日(土) Chili Cook Off
昨日一日吹いていた冷たい風もおさまり、今日は本当に気持ちの良い快晴の一日だった。
昼前に起きだして、セイチャムのグラウンドへ。日本人二年生のIさんと「タッチフットボールをやろう」と約束していたのだ。三々五々集まってきた人々を入れて一年生対二年生の3対3でランチを賭けたタッチフットの試合をする。試合は0−14で一年生チームの完敗。
引き続いて野球場で最近TUCK日本人内でひそかにブームになっているソフトボールの試合をひとしきりする(セイチャムに住むこと八ヶ月。ソフトボール場しかないと思っていたセイチャムにも野球場があることに今日気付いたのだった。端の方にあったので見えなかったのである)。
三時頃一旦帰宅して、家族と一緒に車で30分ほど走ったところにある学生の自宅で開かれた”Chili Cook Off”パーティーへ。このパーティ、学生が自慢のチリスープを持ち寄って皆で食べ比べつつ審査する、というイベントである。アメリカではマクドナルドなどのファーストフード店でもメニューに入っているほどポピュラーなチリなのであるが、通常は決してその名前から想像するほど辛くはない。しかし今日食べたチリの中には激辛チリがあり、以降ビールが手放せなくなった(やり過ぎでは?と感じたこの激辛チリ、なぜか二位を受賞)。
それにしても、会場となった同級生の自宅周囲の環境は素晴らしい。広いのだ。庭にはバンドが演奏するステージ、10個以上のチリ鍋(ふぐではない)、ビア樽、バーベキュー、クロケット(ゲートボールのオフロード版?)コーナー、Bocce(後述)コーナー、などがあり、100人以上の人間がそこかしこで飲んでいる。さらに庭の先にはだだっ広い野原が広がっていて、実際のところどこまでが庭であるのかすらよく分からない。参加者は40−50台の車でやってきていたのだが、その車がすべて周囲に停められてしまうというのもすごいことである。最近よく思うのだが、一度こんな環境に住んでしまったらもう都会には戻れないんじゃないか、と心配になるほどだ(それは自分達にも当てはまるのであるが)。
パーティーは、Deanを始め教授陣も何人か家族を連れて参加していた。うちの娘も仲良しEちゃんと二人で手をつないであちこちを探検し、終始ご機嫌である。
夕方になってからBocce(ボッチェあるいはボッチと発音)の試合を始める。4対4のチームで行うイタリア発祥のこのゲーム、カーリングによく似たゲームらしい。「TUCK Bocceトーナメントをやります」という案内に、ルールも分からずとりあえずT氏・T内氏・Iさんとチームを組んで登録したのである。31チームがサインナップしたトーナメントの今日は一回戦で、パーティ会場となった家の主であるローラのチームとの対戦なのだった。ルールも覚束ない状況で始めたゲームだったが、何と我がチームは大接戦の末11−10で勝ってしまった(11点先取したチームの勝ち)。その後トーナメントとは関係なく挑戦してきた2チームとの対戦も、11−0、11−3と圧勝で制する。こんなところに我々の才能が隠れていたとは。
快晴の天気の下、遊びを堪能した一日。理想的な休日だった。帰宅して勉強。
【Bocceのプレー風景】
5月5日(日) アプリカントご夫妻訪ハ(ノーバー)
今日も昨日同様快晴の一日。どこかへ出かけたかったが、昨日遊びまくったツケで宿題が終わっておらず、やむをえず自宅でお勉強をする。しかしあまりの快晴に我慢がならず、勉強の合間に家の前の芝生に出した椅子に座って、青空の下でなぜかアイスクリームを食べたりする。
夕方からダートマスメディカルスクールへ。元々メディカルスクールのSさんの知り合いだった方でTUCKのウェイトリストになっているIさんご夫妻がキャンパスビジットに訪問されたので、その歓迎会をメディカルスクールで行ったのだった。ちなみにアプリカントであるのは、ご夫妻の奥様の方である。「同じMBA私費留学でも、旦那さんがするという時と奥さんがするという時では周囲の対応が違うんですよね」と、奥様に言われる。たしかにそうかもしれない。今回は最初から奥様がアプリカントだと知っていたのだが、もし事前にそのことを知らずに「アプリカントのご夫妻」と聞いたら、アプリカントの旦那さん&その奥さん、だと思うだろう。周囲の対応に限らず、まだまだ女性のMBA受験・海外留学には男性に比べて何かと障壁が大きいと思うので、是非頑張って良い結果が出て欲しい、と思うのであるが。
夜はShankのスタディグループ。
昨日のソフトボールで突き指した左手親指が腫れてタイピングが実に不自由になってしまっているので、アサインメント・メール・HP更新、と何をするにも時間がかかってしようがない。そういえばこちらに来てから結構細かい怪我をすることが増えた。ポンドホッケーで痛めた左膝のお陰でいまだに全力疾走ができないし、ホッケーのフェンスにぶつかった時に痛めた首もまだ少し痛む。周りの学生も怪我をしているものが多い。社会人時代はこんなに怪我をする機会などなかったので、その一事をもってしても今がいかにスポーツをする機会が多いかを示しているかもしれない。
5月6日(月) ハノーバーで日本を思う
日本では連休が終わったようだ。
MBA学生の多くは勉強の合間にウェブで日本のニュースをチェックするのがほとんど日課となっているのではないかと勝手に推察するが、僕もご多分に漏れずそうである(完全に思考がスタックした時など、ほとんど機械的に自分の指がNIKKEI.NETやasahi.comやYahoo.co.jpやその他もろもろのサイトを訪れて”宇多田ヒカルの休養に関するうただてるざね氏のコメント”などを隅から隅まで読んでいることに気付いた時などは、さすがにいかがなものかと思わないでもない)。
そんな日々の情報収集活動の中、「大型連休突入!」などというニュースを読んでいると、ありきたりの週末でしかない米国の暦の中に自分が暮らしている事実に対して、何だか「損した感」を非常に感じるのだった。そして、このたび「連休終了。帰省ラッシュで大人ぐったり」という記事などを読んで、ようやく「損した感」は解消する。他者が楽しんでいる様子を見て損したと思うなんざ、かなり子供チックな発想だ。最近とみに思う「『変化』の重要性」というものにとっても足枷となるようなメンタリティを僕はまだまだ強く持っているわけである。
スタディグループ終了後、Iさんと一緒にメインストリートのパブをのぞく。アプリカントI夫妻の歓迎ディナーをここでやっていたのだが、さすがに時間も遅く既に終わってしまっていた。せっかくなのでそのままビールを一杯飲むことにする。「ここに揚げ出し豆腐や冷奴(なぜか豆腐系ばかりだが)があればいいのになあ」などという思いをつい口にすると、Iさんも同様に思っていたとのこと。スタディグループが終わった後、というシチュエーションがまたサラリーマン時代の残業後の一杯を思い起こさせるのだった。普段ここに暮らしていて特に思ったことなどないのだけど、今日急に思ったのだった、「居酒屋に行きてー」。
居酒屋ならばそのまま飲み、語るシチュエーションであるが、今日は明日の予習があるため、わずか10分で店を出る。生ぬるい風の吹くハノーバーのメインストリートをぶらぶら歩く。なぜかサンダルを両手にぶら下げて裸足で歩くお姉ちゃん(しらふ)、地べたに座り込んで何やら絵を描いているお兄ちゃん(しかし、すれ違いざまにちゃんと挨拶してくる)。やはりここは日本とは違う。
5月7日(火) 一人で予習する一日
ランチはIさんご夫妻と在校生と一緒に屋外のテーブルで。
明日の授業はスタディグループによる予習が必要な授業がないため、図書館にてマイペースで予習。秋学期、冬学期はすべての科目がコア科目であり、そのコア科目は原則すべてスタディグループで予習することになっているので、毎日数時間はスタディグループで過ごしていた。今学期、ワークロードはかなり多めなのであるが、それでも何とかなっているのはこの「時間を自由に使える」という利点によるものが非常に大きい。
6時頃、嫁さんと娘に車で迎えに来てもらい、帰宅して夕食をとった後、自宅で予習のつづきをする。自分でペースが決められるというには、かなり気楽である。しかし、一人で予習をし、登校して授業を受け、また予習をし、という生活を繰り返していたのでは、いったい何のために海外のビジネススクールに来たのか分からないのである。WEB上の通信教育でも、CSのビジネススクールでもほとんど得られるものは同じわけだ。言うまでもないが、この面倒くさいスタディグループという存在が、間違いなく学習効率を上げているのことに、学生は皆気付いている。
一見面倒臭くて避けて通りたいものほど実は学ぶものは大きい。常に、とは言わないが、これは真実である場合が多い。
5月8日(水) 信じられぬ暴挙と信じられぬ阿呆
テクノロジーの授業前に教室でいつものようにニュースサイトを眺めていて目を疑う。中国・瀋陽の日本総領事館に亡命を求めて駆け込んだ北朝鮮住民を中国警察が敷地内まで入り込んで拘束した、というニュースである。ウィーン条約違反も甚だしい行為であり、とても許される行為ではない。大使館・領事館の敷地内が治外法権となること、許可なく立ち入ることはできないことなど子供でも知っている。「領事館の安全確保のためにとった措置であり、条約に則っている」と中国側は主張しているらしいが、片腹痛いとはこのことだ。安全確保のためには敷地内に入ってもいい、などとどこに書いてあるのか。日本側の正式な依頼がなければたとえ領事館が直接攻撃を受けていたとしてもただ敷地外での対応しかできないはずではないか。
ここのところ、中国国内で各国大使館内への北朝鮮住民の亡命が頻発していたので、中国側もメンツをかけて阻止したのだろう(おそらく警備の警官は彼らを目の前で亡命させれば大変なことになる)。しかし、領事館員とて亡命が頻発していることなど分かっていたはず。次は自分の領事館にも来るかもしれぬ、と思っていたはず(思っていなかったとしたら余程のボケである)。何の準備もせずにむざむざと目の前で拘束されるのを見ているなど、情けなさを通り越して呆れるばかりだ。当初「領事館員の気付かぬうちに拘束された」と、外務省は発表していたが、通信社の配信した写真には、「亡命者を取り押さえる警官三人・呆然と立ちすくむ三歳前後の子供・取り巻く群集・そして、子供同様呆然と立ちすくむ三人の領事館員」がしっかり写っている。何のためにそこにいるんだお前ら?しかも、例によって、事件は領事館から北京の日本大使館に連絡がいく前に韓国通信社によって世界中に報道されていたらしい。何をやっとんだ。
気を取り直して今日も三つの授業に出席。
オペレーションでは、クラスメートから教授へ出された様々なフィードバックに関する回答がメールで返ってきていた(どのクラスでも生徒から教授への中間フィードバックを行い、それに応じて後半は多少の見直しを行うことがある)。
生徒:「前回のクラスはまったく得るものがなかった(個人的にはまったくそう思わないのだが)」
回答:「それは失礼。次回はいいケースだ」
生徒:「実際の工場を見に行くフィールドトリップを入れてほしい。」
回答:「その希望はよく分かるが、220名を連れて行ける工場がない。エレクティブではそういうクラスを用意しているのでそれを取ってほしい」
生徒:「教科書がないのでどう準備していいのか分からない(おいおい)」
回答:「今後は予習のガイドとなるようなものを準備するようにする」
生徒:「教授のファッションはいかがなものか。特にセーターは派手すぎる」
回答:「ハノーバーも暖かくなってきたので、今後は派手なセーターを見ることもないだろう。約束しよう!」
Shank、Argenti、Keller、Pyke、Stickneyなどの大物教授ともなると、どんなフィードバックを受けようとも(そもそも大物相手にネガティブなフィードバックなどしにくい雰囲気があるかもしれない)授業の進め方を変えたりはしないようであるが、まだそこまではなっていない教授となると、顧客の要望に応えるのもなかなか大変である。
5月9日(木) 二年生送別会
今日のLearning from Mistakes(失敗学)の授業では、Afterburner Seminarsという会社のBob Branyon氏がゲストスピーカーとして登場し、「失敗からいかにして学ぶか」について90分間講演をしてくれた。結論から言うと、最高に面白かった90分であった。この、”Afterburner Seminars”という会社、主に企業のトップマネジメントに対する研修やコーチングを行う会社のようなのだが、面白いのはスタッフ及び講師がすべて米空軍のパイロットである点だ。今日の講師も、F4ファントム、F5タイガー、F16ファルコンを経て現在F15イーグルのパイロットをしている。そして尚かつ現在民間航空会社の機長もしつつ、パイロット仲間とこの研修会社も立ち上げたということである。米国軍隊のシステムがどのようになっているのかよく分からないのであるが、こういった兼業が許されているところは面白い。ちなみに同社のHPによると彼はU.S. Air Force Adversary Tactics Schoolをトップで卒業したということであるからして、まさに「トップガン」だったわけである。
講演の内容は乏しい表現力ではとても要約できないのであるが、授業終了後にとりあえず聞いた内容を数ページにまとめてみた。読み返してみて、今後ともなかなか役にたちそうな内容が詰まっている、と思う。こんな講演を無料で聞けること(まあ、高額の授業料にすべて含まれているのだが)も、ビジネススクールにいることの得がたいメリットだろう。
授業終了後は同級生Kさん宅で行われた日本人二年生の送別会に参加。
TUCK入学後何度となく参加してきた日本人パーティであるが、それも今日が最後。いつものようにパートナーの人々が作ってくれた料理に舌鼓を打ちつつ、アルコールを摂取し、談笑し、カラオケに興じる人々。さらには今日購入したばかりのBocceセットを使って庭でBocceの試合をする。一年生対二年生のBocceマッチでは、二年生Iさんの神がかり的プレーの連発に信じられない大逆転を許し、罰ゲームとして一年生チーム一同パンツ一枚で腕立て伏せ40回をするはめに陥った。これも、「送別会の主賓に恥ずかしい罰ゲームなどさせるものではない」という、長幼の序を重んじる日本の神様の思し召しによるものかもしれない。
時間はあっという間に過ぎ、6時頃から始まったパーティは気が付いたら日付が変わっていた。
春休みにLBSからハノーバーに遊びに来て我々日本人飲み会にも参加した友人Oさんが、TUCKのコミュニティのことを、まるで「親戚が正月に集まって飲み食いしている様」であり、「ほのぼのTUCK」だと評したのであるが、今日飲みつつまさに言いえて妙だ、と思う。まるで大家族のようなのだ。しかし、いかに協調性を重視するTUCKとはいえ毎年自動的にこのような雰囲気が生まれるわけではなく、これもまた現在の二年生・一年生それぞれの人物のキャラクターのなせるものだと思われるのであり、そう考えると尚更現在の二年生がいなくなることには寂寞感を隠せないのだった。
一年間共に楽しい時間を過ごし、仲良くなった二年生達がいなくなることは寂しい。と同時に彼らの姿を見ていると自分達にこの卒業という時が訪れるのも、もう間もなくのことなのだ、と改めて実感する。
午前二時過ぎになってもまだカラオケは続いていた。マイクを握っていたのはホストのKさんを除けば皆二年生の人々。もうハノーバーでの生活も終わりが近い、という意識も手伝ってか大盛り上がりであった。主賓である二年生を送る役目の一年生としては最後までいるべきではないか、とも思いつつ、訳あって深夜二時半に帰宅。
底抜けに楽しく、そして少し寂しい送別会。
5月10日(金) 快晴の金曜日
昨日午後4:30からスタートしたオペレーションのシミュレーションゲーム”Little Field”のチームミーティングを午後から行う。このゲーム、一年生全員が56チームに分かれてチーム単位でバッチサイズの決定・発注ポイント及び発注量の決定・販売契約内容の選択・工場設備への投資、などなどの工場運営を行いつつ、いかにして手元現金を増やすかを競うゲームである。ゲームスタートからちょうど一週間後の来週木曜日の4:30までかけてゲームは行われる。昨日「とりあえず何もしない」という戦略を選択した我々”Team Worldcup(メンバーに日本人・韓国系・アルゼンチン人がいたので)”は、一日たった今日のミーティングの時点ではいきなりキャッシュバランスで二位になっている。もっとも長期的にはこのまま何もしない戦略が奏効するとも思えないので、今日は三つほどディシジョンをしてソフトウェアにインプットした。
その後はTuck Circleにてまたまた最近流行りのBocceをプレー。たまたま先にプレーしていた同級生達と練習試合などをするも完敗であった。雲ひとつない快晴、綺麗な緑の芝生、そしてそれらに良く映えるTUCKの白い校舎。プレーしていると、教授・職員・学生たちが入れ替わり「何やってんの?」とやってくる。靴を脱いで裸足でBocceをしていると、足の裏から伝わる芝生の心地良さも含め、全身が癒される気がする。こんな恵まれた環境に暮らせることの幸せを思い、つくづく都会に戻るのが嫌になる瞬間なのである。
夜、同級生Sさん宅にお呼ばれして夕食をご馳走になった。まるでレストランで食べているような豪華な食事だった。本当にご馳走様でした。
5月11日(土) 二日酔
午前中行われた”Run for Kids”という子供達のためのチャリティマラソン(というか我々はチャリティ”ウォーク”のつもりだったが)に一家三人で出よう、と言っていたのだが、二日酔いのためあえなくキャンセルしてしまった。我ながらまったく根性が足りませんな。
前日久しぶりにだいぶ飲んでしまったので、昼過ぎに起きだしてもまだ二日酔いである。持ち込んだワインを数倍上回る量を飲んでしまったようで、申し訳ないです。
今日も快晴。外で勉強すると多少は二日酔も緩和されるかと、外のチェアに座ってShankのケースを読み始めるが、まったくもってして難解なケースである。管理会計の概念自体は簡単なのだが、ケースの質問が非常にひねられており、本当に参る。椅子に座ったまま青空を見上げて色々と考えを巡らしていると、お隣のM子さんと遊んでもらっていた娘がご機嫌で何やら歌いながら近づいてきた。そして、ニコニコと僕を見上げたまま隣のチェアによじ登ったかと思うと、あっという間もなくそのまま転倒して号泣する。それをきっかけに外での勉強は切り上げて図書館に向かうことにした。
図書館でしばらく勉強していたものの、やはり窓外の天気の良さに次第に我慢ができなくなり、外に出て行ってBocceなどやることに。さらにセイチャムで数人の同級生及びたまたま通りかかった上級生とソフトボールの練習をする。
二日酔のために極めて生産性の悪い一日、特に何をしたということのない一日だったが、何だか満足感の残る一日であった。
5月12日(日) Shankスタディグループで過ごす
Shankのスタディグループを一緒に組んでいるブラッド・Iさんと二度会った一日。一度目は午前10時から大学のテニスコートでテニス、二度目は午後7時半からスタディルームでケースのディスカッション、である。
テニスはうちの家族とIさんの奥さんも一緒にやったので、大人が5人。2対2でプレーするので常時誰か一人が娘の子守りができる状況である。ブラッドが気をきかせて時々子守りにまわろうとしてくれるのだが、娘は思い切り逃げ回っている。
「ブラッドこわい。いや」
「こわくないよ。ニキータのパパでしょう」
「ブラッドはニキータパパ?」
「そうだよ」
「ふーん。。。。。。でもこわい」
外人男性はいまだに駄目なようだ。
ケースの方はどうにかこうにかグループで結論を出す。しかし、正直言って自信なし、だ。TUCK名物と言われるShankのクラスも残り四回しかないので、話のネタ的にはそろそろコールドコールされて(=90分オンステージとなって)もいいかとも思うが、しかしこのケースでは当たりたくないな、などと我が儘なことを思う。
帰宅後、"Learning from Mistakes"のプロジェクトで扱っている雪印関連の資料探しとケースのドラフト作成をする。ここのところ、さまざまな関連資料を読み漁っているのだが、調べれば調べるほど、企業の経営者というものの責任の重さを実感し、そしてその実際の軽んじられ方に暗然とする思いである。関係会社・下請会社・各取引先を含めて、従業員とその家族を含めて、いかに多くの人がひとつの企業体というものを拠りどころに生活していることか。いかに多くの人々がその企業に対して強い思い入れを持っていることか。経営者のたったひとつの判断ミスでいかに簡単に消費者の生命・財産が危険にさらされるか。その責任は、あまり強く意識してしまうとマネジメントなどできないのではないかと思うほどに、重い。
雪印を作り上げた先人の談話などを読んでいると、その迸るような情熱に涙腺の緩む思いがした。それだけに、あっという間に先人が作り上げた信頼を地に貶め、そして恐らくは再び昔日の輝きを取り戻すことはないであろうスノー・ブランドの現状を見るにつけ、大袈裟に言うと戦慄のようなものを覚えるのである。およそすべての組織に働くものにとって他人事ではない事件である。どんな組織だって、たった数日間、あるいは数時間の判断ミスで雪印になりうるのである。そして、どんな大きな事件も、始まりは極めてありふれた、些細な出来事でしかない。誰も「気をつけろ!ここで判断をミスったらお前の会社は危機に瀕するぞ!」などと教えてくれないのである。考えれば考えるほど恐ろしいことではないか。
5月13日(月) 今日もShank漬けの一日
今日のShank教授のManagerial Accountingの授業は例によって非常に「ディープ」であった。テーマとしては一応LCC(Life Cycle Cost)とEVC(Economic Value to Customers)を扱ったのだが、クラス内では完全に「管理会計」の分野を踏み出した議論に終始する。顧客セグメンテーションの是非、あるいはPCリース戦略の是非など、分野で括るとすれば完全にマーケティングあるいはストラテジーの分野に入るような議論ばかり。昨日のスタディグループでもセグメンテーションについては議論していたものの、我々が精一杯広げたつもりの議論の幅を今日のクラスは思い切り超えていた。「これが当時M社(コンサル会社)が出した解だ」と、揶揄的な物言いに続いてスライドを示すShank。彼がこき下ろすM社のソリューションは、昨日我々が議論していた「Managerial Accounting + アルファ」の解に極めて近いのであった。気が付いたらもうあと三回でこのクラスも終わりなのであるが、まだまだ全然彼の求めるレベルまでは追いついておりません。
午後はひたすら図書館で明日のManagerial Accountingの予習。滅多やたらとしち面倒くさいケースであり、午後1時からスタートして午後7時45分のスタディグループ開始時になってもまだすべての設問を解き終わっていなかった。その後グループでディスカッションしながら設問を解いていき、午後11時にひとまずケースの全設問を解き終えて解散する。
昨日に引き続き今日も冷たい雨が降り続いていた。日本でも、そろそろ梅雨前線がどうしたこうした、なんていう季節が近づいてきている頃だなあ、とワイパー越しの雨を見ながら思う。
5月14日(火) 日本領事館亡命事件に関するFT記事
FT(Financial Times)に北朝鮮人亡命事件に関する川口順子外務大臣の記者会見の記事が載っていた。日本のニュースではとっくに既報の内容だろう。領事館員は当初中国の警官を止めようと試みたが、その後北京の日本大使館から自分達の身の安全を守るためにあえて制止しないようにとアドバイスされたため、制止するのをやめたのだという。別のソースで見た外務省発表では、制止する際には「手を広げて」立ちふさがったことになっている。おかしい。通信社配信の写真では領事館員は北朝鮮人亡命者を取り押さえる警官の傍らで落ちた警官の帽子を拾ってあげているのである。手を広げて警官を制止する人物が落ちた帽子を拾うだろうか。韓国メディアが事件を配信した後、対応を問い合わせる日本メディアに北京の大使館はとんちんかんな応対をしていたはずなのだ。その時点で少なくとも大使館広報担当者には瀋陽の領事館での事件は伝わっていなかったのによく迅速なアドバイスをできたものだ。お得意の体面を取り繕う(極めて無意味な)嘘ではないことだけを祈る。外相の会見はFTに限らず世界中のメディアに載るのだ。「よく調べてみたら、あれは嘘でした」ではすまされないのだよ、君たち。
FTの記事は、「日本は今年中国に対するODAの額を大幅に削減した。この削減は公式には日本の国家財政の悪化によるものと説明されている。」という思わせぶりな表現で締めくくられていた。
川口外相は日本の閣僚としては極めてまともな方だとは思うが、いかんせん極めて高度な戦略と専門性を要求されるはずの外交に関するエキスパティーズがあるとは思えない。こういう時こそ「専門家」たる外務官僚が優秀なブレーンとならねばならないはずだが、所謂”チャイナ・スクール”に牛耳られた彼らにそんなことは望むべくもない。どこの国益を考えているのかすら分かったものではない。
海外に住んでいて頼りになるのはやはり日本の公館なのである。我々は、いざ何かが起こったら、戦争やテロやその他の非常事態が起こったら、まず日本領事館(我が家の場合は在ボストン日本総領事館)に駆け込むのであり、彼らは海外邦人にとって最後の砦であるはずである。が、WTCのテロの際に在NY総領事館が在米邦人に対して取った非常識な対応はあまりにも有名だ。亡命者のみならず国民の目から見ても、彼らの存在は極めて頼りない。
と、ここまで書いてネットで本亡命事件に関する二つの新たなニュースを読み唖然。一つ目は北京の大使が『亡命者が来たら追い出せ』と事前に発言していた、というもの(外務省幹部は、「言っていない」と否定)。二つ目は、瀋陽の副領事が亡命者が持参していた英語の亡命文書をつき返していた、というもの。しかも調査でその事実が判明していたにも関わらす文書の存在自体を当初否定していた。今回、中国外務省から指摘され、ようやく文書をつき返した事実を追認。しかし、理由は「英語が読めなかったから」だとか(またひとつ無意味な嘘をつきやがったか)。
戦略的な大きな嘘(はったり)であるならともかく、小さな不都合を糊塗するための小さな嘘は如何にも脆弱で、嘘が露見しやすく、従って嘘が嘘を呼びやすい。そして、何よりそうした類の嘘をつくことは実に無意味な恥ずべき行為である。恥ずかしい、のである。嘘をつくことや不都合を覆い隠すことを、恥ずべきものだと感じるごくごく当たり前の認識さえもが、かの組織とその構成員には欠けているのではないか。いつから日本はこんな国になってしまったのか。
5月15日(水) ソフトボール
"Learning from Mistakes"ではTUCK卒業生のベンチャーキャピタリストがゲストとして登場し、彼が過去に失敗したふたつの投資案件についてのディスカッションを行う。個人的には投資案件自体よりも、彼自身の就職苦労談の方が興味深かった。TUCKの同級生だった奥さんは卒業前に6個もオファーをもらってバケーション先でもサラリーの交渉をしている中、彼は卒業式時点でもどこからもオファーをもらえなかったというのだ。
就職といえば、午前中のテクノロジーの授業でも、教授がジョブマーケットの厳しさについて言及していた。「現在のマーケットの状況は異常だ。例えばあるTech companyの場合、昨年までは10人にオファーを出し、その中で3−4人はTechnology未経験者を採用していたが、今年は採用自体が3名、しかもすべてTechnology Industryの経験者だけに絞っている。こんな状況でオファーをもらうことは本当に大変なんだ。『自分は、入学前に自分で思っていたほど優秀ではないんじゃないか』と落ち込んでいる学生もいたが、そんなことはない。マーケットが悪いだけだから、あまり原因を自分に帰することのないように。」
午後、来年の選択科目の説明会に出席し、帰宅した後着替えもそこそこにソフトボールの試合に参加する。試合は今日も惜敗。短パンでセカンドベースにスライディングしたら脛一面を擦りむいてしまった。脛から血を滴らせながら帰宅すると、妻が一言「ほんと小学生みたいだね」。そして娘が一言、「うわー。気持ち悪ーい。でもすぐ治るからね、大丈夫大丈夫。」
学内ソフトボール大会の戦績も2勝2敗となり、残すところ来週のプレーオフだけとなった。
こちらでソフトボールをしていて感じたこと:
・女性にやたらとうまい選手が多い(出てくる女子選手が皆やたらとうまい。マイバッティンググローブなど持って男性と遜色ないプレーをする選手が多いのだ。聞いてみると皆高校や大学でソフトボール部だったりするのだが、日本の女子ソフトボールよりも裾野が広いのだろうか)。
・男性にあまりうまい選手がいない(日本だと200人の学生からチームを組めば高校時代野球をやっていました、というバリバリの連中が必ず数人はいるものだが、こちらにはほとんどいない。明らかに経験者だな、と分かるのは一年生のトムだけ。国技であるはずの野球の裾野は意外に狭いのだろうか)。
・皆異常に真剣にプレーする(一度クロスプレーで二塁に滑り込まなかったところブーイングされた。見ていると短パンの選手でもがんがんスライディングしている。そして当然足を擦りむいている。異常に勝負に拘るのはアメリカゆえか、はたまたB−Schoolゆえか)。
ひりひりする足をさすりつつ、テクノロジーのケースの予習をしながら、「次回からは長いジャージをはいていこう」と誓うのだった。
5月16日(木) 外部から与えられる変化
今日のオペレーションの授業はサービス業のオペレーションについて。サービス業において如何にしてディマンドを平準化し、サービス生産性を上げ、顧客の待ち時間を減らしていくか、などのテーマをディスカッションする。"Psychology of Waiting"と題して、サービスを待っている間の客の心理状態について教授が説明。説明のない待ち時間は長く感じる、何時間かかるのか分からない待ち時間は長く感じる、不公平な待ち時間は長く感じる、一人の待ち時間は長く感じる、することのない待ち時間は長く感じる。。。。などといった待ち時間に関する当たり前の顧客心理とそれに対する有効な対応策についてのディスカッションした。少し面白かったのは、「状況に変化のない待ち時間は長く感じる」というもの。これを緩和するために病院などでは大待合室からドアの中にある待合室、さらに診察室脇の待合スペース、と段階的に顧客を動かし、「自分は目的地に向かって確かに進んでいる」と感じさせる工夫をしている。
人間の生活も同じだな、などと思う。学生から社会人になり、一年目が終わる頃、「社会に出るということは生活に節目がなくなることなんだ」と気付いたことを思い出したのだ。学生時代は、毎年四月になると進級あるいは進学をし、教室が変わり、授業内容が変わり、教師が変わり、クラスメートが変わる。否応なく「自分はひとつ先に進んだ」と感じる。対して社会人になると、目に見える変化はなかなか起こりにくい。同じ内容・同じ責任の仕事を数年繰り返すと、どんな人間でも飽きがくるし、「自分は前に進んでいないのではないか」という焦りのようなものを感じてしまう。日本の会社員の場合、かつてはジョブ・ローテーションという特有のシステムが有効に機能してたのかもしれない。アメリカでは、自発的な短サイクルの転職がその代りとなっていただろう。それらがない場合、我々は待合室にいる患者と同様、焦り、苛々し、ひいてはモラルの低下や生産性の低下へとつながっていくのかもしれない。再び生活に節目のある学生生活に戻った今、尚更そのことを思うのだった。
しかし、外部から与えられる変化なくして自ら生活に刺激=節目を生み出せないなんていうのは、実のところは個人に起因する問題なのである。
この一週間ずっとやってきたオペレーションのシミュレーションゲームも今日で終了。我がチーム”World Cup”は毀誉褒貶を繰り返した末に結局56チーム中21位の結果に終わった。少し残念な結果だったが、このゲーム自体は非常に楽しかった。朝目が覚めるとまずwebで工場の状況をチェックするのが日課になっていたほど、毎日予習の合間に何度も何度も工場をチェックしていたほどである。
夕方からのTUCK Tailsにつづき、auditoriumで開かれた”タレントショー”を家族で観に行く。さらに、メインストリートのパブでの同級生ポールの誕生日飲み会に参加した。一週間を締めくくる、盛りだくさんの一日であった。
【今日の発音】
オペレーションの授業で、"Service operation has relatively
bigger volatility on its quality (than manufacturing operation)"と発言したところ、教授が"un?"ときょとんとした表情。もう一回繰り返したところ、またきょとんとした顔で"bigger
what? viability?"。結局同級生数人が、"(ヒロシは)volatility(と言っている)"と「通訳」してくれてようやく通じたのであった。なぜ通じない?
【今日のスラング】
パブで店の隅にいたアングラの女子学生のグループに、テーブルの上に残って誰も飲もうとしなかったテキーラのショットを差し入れて席に戻ったところ、同級生に"You
have such big balls!"と言われた。"big ball"とはどうやらタマキンのことを指すらしく、「勇気がある」とかいう意味らしい。女性の前であまり使わないように、と釘を指された。日常会話で普通に使われるスラングくらいは完璧に理解して、「それどういう意味?」といちいち聞かなくてすむようになる日は来るのだろうか?
5月17日(金) 父親三周年
午後から学校の図書館に出かけていって作業。明日は娘の誕生日パーティー、あさってはボストンでのMLB観戦で、ほとんど勉強の時間がとれないため、今日中にできるだけ来週の準備を先に進めておく必要があるのだ。
学校へ向かう道すがら、キャンパスにもセイチャムにも白やピンク色の花を一面につけた木々が目につく。ここのところあちこちで見かけるようになっていたのだが、間近で見てみるとどうやらそれらは桜であるらしかった。たしかに木々の下に落ちた花びらは桜のそれである。しかし、何かが違う。。。桜とは認めたくないのである。普通桜たるもの、まず蕾をつけ、それが徐々に膨らみ、そして開花し、花びらが散って、そして新緑が芽を出す、、、というふうに進んでいくはずである。しかしこのあたりの桜ときたら、どぎついピンク色の蕾と新緑が同居していたりする。順番守れよ、お前ら。人と同じく桜までアバウトなのか?この咲き方の違いが品種の違いによるものか、それとも気候の違いによるものかは分からない。分かっているのは、少なくともこのあたりにある桜には風情がない、ということだ。とても花見をしよう、という気分にはならないのである。
深夜に帰宅すると、明日のバースデーパーティーの準備でキッチンは戦場状態。このパーティ、「予習がいっぱいあって」などと言いながらほとんど準備を手伝わなかったことを心苦しく思いながら、今日も書斎に直行する。Shankの予習と失敗学のレポートを書いているうちに、いつの間にやらもう午前5時になっている。明日寝坊しようものなら大変なことになりそうなので気合を入れて(?)寝るとしよう。と、目覚ましをセットしてふと気付く。娘が生まれたのは、たしか三年間のこの時間だったのだった(時差無視)。
産気づいた妻を深夜に病院に送っていったのだが、どうやらまだしばらく時間がかかりそう、ということで僕だけ一旦自宅に帰った。そして帰宅してシャワーを浴びているところを、「もうすぐ生まれそうなのですぐ来てください」と電話で呼び出されたのだった。病院に駆けつけてみたらもう生まれていた。娘は小さかった。指がしわしわで、髪の毛がまだ濡れていて、そしてすーすー音をたてて眠っていた。看護婦さんに「パパにそっくりですね」と言われたが、さっぱり分からなかった。あれは産婦人科の看護婦の特殊技能なのだろう。「もうあっという間のお産で犬のようでしたよ」と看護婦さんは笑っていたが、その後で会った妻は「死ぬかと思った」と言った。何百人・何千人のお産に立ち会ったであろう看護婦さんと、はじめてのお産を終えた妻との落差がおかしかった。
小さな命をこわごわと抱いた感触、実感が湧くような沸かないようなくすぐったい思い、病院の駐車場で見上げた明け始めた星空、、、三年前のちょうど今ごろの出来事である(時差無視)。
5月18日(土) バースデー・パーティ
5時間弱の睡眠で目覚ましが鳴る。窓の外は雪だ。いったい今は何月なのか、一瞬時間軸が頭の中でぐちゃぐちゃになる。しかし、娘がリビングで、「三歳!スリー!」と騒いでいるのを聞くと、やはり今は娘の誕生月である五月なのだ。
今日は午後二時からセイチャム内のTUCKが借りている建物で娘のバースデーパーティーがあるのだった。午前10時過ぎに山のような荷物を車に積み込んで娘を連れて会場へ向かう。がらんとした会場にとりあえず荷物を搬入していると、娘がしょんぼりした顔をしている。「どうした?」と聞くと、小さい声で「みんないないよ」と呟いている。「さっきママがいーっぱいお友達が来るよって言った」「来るよ。まだちょっと早いからね。もう少ししたらいーっぱい来るよ」「そう?」そう言うと、娘はまだ半信半疑ながら少し機嫌を直して風船で遊び始めた。それから妻はひたすらケーキづくり、僕は会場でヘリウムガスを詰めた風船づくり。四時間近く風船をつくりつづけてようやく100個をつくり終わった。両手の指が激しく痛んだけれど、部屋じゅう風船だらけの光景を見るとなかなか壮観である。
二時を少しまわったあたりから、ママとキッズが続々登場する。気が付いたら部屋の中は大騒ぎである。娘も仲良しの友達と部屋じゅうを走り回っている。その後、こちらのバースデーパーティーにお決まりのいくつかのイベントをして、解散したのは午後5時前。それから日本人のパートナーの方々に手伝っていただいて会場を片付けて部屋を出たのが午後6時過ぎ。
アメリカ版のバースデーパーティーを実際に開いてみるのはなかなか面白かった。しかし、普段の勉強なんかよりもずっと疲れる一日だった。疲れ果てた父親をよそ目に、帰宅した娘は山のようにいただいたプレゼントを嬉しそうに抱えて早速遊んでいる。こんなにたくさんプレゼントをもらうなんて、アメリカのバースデーパーティーはまさに「子供の夢」を具現化したものだろう。しかし、貧富の差の大きいこの国では、きっと子供なら誰もがしてもらえるというものではないのだろう、とも思う。
日本人パートナーの皆様には、会場セッティングのヘルプからデザート類まで作っていただき、本当にありがとうございました。
夜8時から12時前まで、”Learning from Mistakes”のプロジェクトチームのミーティング。帰宅後、ベッドに倒れこみたい誘惑と闘いながら、明け方まで予習をする。明日はMLB観戦のためほとんど予習はできないのだった。
5月19日(日) MLB観戦
生まれて初めてのメジャーリーグ観戦。しかも名門レッドソックスとイチロー率いるマリナーズの対戦。さらに球場は格式高きボストンのフェンウェイパーク。ということで、睡眠不足でも実に目覚めの良い朝だった。
Tさん一家の車と二台連れ立ってインターステートを一路ボストンへ向かう。午後一時過ぎの試合開始時間直前にフェンウェイパークに到着。明るいグリーンに塗られた外壁は歴史を感じさせ、外から仰ぐだけで興奮が高まる。こう言うと怒られるかもしれないが、甲子園球場と川崎球場と大阪球場の雰囲気をすべて足したような感を受ける。ゲートで持ち物チェックを受け、球場内へ。暗い階段を上りきると一気に視界が広がり、緑色の芝生と大観衆に埋め尽くされたスタンドが目に入る。野球観戦で、僕はこの瞬間が一番好きだ。
チケットはライト側外野席だったのだが、スタンドとグラウンドの物理的・精神的距離感が近く、充分に試合を楽しめた。イチローも二安打・敬遠を含む二四球・一盗塁・捕殺はなかったものの二度の強肩披露、と素晴らしい活躍だった。
それにしても、イチローはもはやメジャーの中でも明らかに周囲の選手とは違う際立った雰囲気を持っている。相手チームでただ一人登場のたびにブーイングされる。二回表という早い段階で敬遠されても大観衆に「意外感」がない。イチローの頭を超える長打製の当たりに相手の一塁ベースコーチがストップをかける。その後「レーザービームストライク」を二塁ベース上に返球すると、球場全体に半ば呆れたようなどよめきが起こる。すごい男だ。
試合は残念ながら2−3でマリナーズが敗れ、投球練習を続けていた佐々木がマウンドに上る機会はやってこなかった。
【絶好の好天に恵まれたFenway Park(左)】 【一度この目で見てみたかった”Green Monster” でかすぎる(右)】
午後7時半にハノーバーに帰り、8時過ぎからShankのスタディグループ。
5月20日(月) 雪印
ShankのManagerial Accountingのスタディグループも今日で終了。最後を締めくくるに相応しい大部のケースで、なかなかに手ごわかった。TUCKの看板のひとつと言われるこのクラスも明日で終了すると思うと、何か達成感のようなもの(特に何を成し遂げたわけでもないのだが)と同時に、一抹の寂しさすら覚える。
帰宅後、”Learning from Mistakes”の雪印に関するプロジェクトのプレゼンの準備とケースのライティング。実は昨日、取材を申し込んでいた雪印のある社員の方から直接自宅に電話があり、色々と貴重な話を伺うことができた。内容については「一切オフレコ」ということで話してもらったのでここに書くわけにはいかないのが残念だが、本人が雪印変革の肝となる要職に就いていることもあり、実に興味深い話を色々と聞くことができた。先方にとっては忙しい時間を割かれるだけで一文の得にもならないはずの、たかが一学生のお願いに丁寧に答えていただき、本当に感謝している。
このプロジェクトで詳しく調べるにつれ、どうもこの事件は世間で報道されているような単純な図式だけではなさそうだ、と徐々に思うようになった。なぜ我々は物事を安易に記号化してしまうのだろうか、というやや本題とは外れた疑問も強く感じるようになった。
もっともっと深く突っ込んでみたいところであるが、残念ながらこの授業については今週一杯で終了である。あさっての授業でプレゼンをした後、ケースを書き、アナリシスレポートを書き、それで終了、だ。実はこのクラスのグループは初めて日本人だけで組んでいる。日本人学生だけで組んだ、日本企業の失敗を題材にしたプロジェクトである。最初にグループを組んだ時に「来年以降のこの授業で使われるような良いケースを書きましょう」と言っていたのだった。当初は日本人学生の優秀さを示すためにも是非とも良質のケースを書きたい、と思っていた。今は、この稀有な、示唆に富み、さまざまな痛みに満ちた事件を取り扱う者の責任として、是非良いものを完成させたい、と思う。
5月21日(火) Shank終了
TUCK生から恐れられるShank教授のManagerial Accountingのクラスがついに本日で終了した。このクラスが終わってみて改めて感じるのは、「管理会計」を学んだという気はまったくしない、ということだ。「考えつづけろ。考えることをやめるな」「ひとつのレイヤーで物事は終わりじゃない。次のレイヤーへ進め。それが終わったらさらに次のレイヤーへ行け」「数字は一面的なものではない。マネジメントの意思でどうにでも変わる」。彼の言葉はひとつひとつ印象に残る。しかし、「管理会計」の概念として、何かを新しく学んだ気はまったくしないのだ。教科書すらない。手元に残ったのは、クラスで扱ったすべて彼自作の18本のケース、そしてそれぞれの授業後に毎回公開された呆れるほどに精緻なティーチング・コメンタリーのみ。クラスでは、マーケットセグメンテーション、X理論・Y理論、WACC、プロダクトポジショニング、生産拡大戦略の是非、新商品開発の是非、、、、などなど幅広いテーマを扱った。学んだことは、「管理会計」の概念よりもむしろ「考えること」自身なのかもしれない。そしてそれは、MBAという学位の持つ二年間の学習過程自体にもおそらく当てはまるものだ。彼の言い方を借りるならば、「知識なんてクソッタレ」なのである。知識を詰め込んだだけの人間は、考えつづけている人間に、つまるところ勝てないのだから。
結局、このクラスでコールドコールを受けることはなかった。英語の問題があり、クラスにダイナミズムを起こすには役不足だと判断されたのかもしれない。だとしたら残念なことだし、自分自身を恥じなければいけない。
午後は「失敗学」の明日のプレゼンの打ち合わせ、さらにテクノロジーのグループライトアップの打ち合わせ。何や知らんがやたらと忙しい。自業自得ながら先週末に睡眠を充分に取れなかったせいで疲れきっている。そして、疲れているとついついビールを飲みたくなってしまうのだった。
5月22日(水) プレゼン
”Learning from Mistakes”の授業で、雪印に関するプレゼン。直前の昼休みに通しで練習したこともあり、なかなかの出来だったように思う。ひいき目かもしれないが、教授も生徒も非常に興味深そうに聞いてくれていた。質問も一番多かったし、授業後「良いプレゼンだったよ」と声をかけてくれる同級生も多かった。まずはプレゼン終了。あとはケースとアナリシスを良いものに仕上げることだ。
帰宅して予習をした後、夕方からソフトボールの学内プレーオフに参加。今日はどういうわけかTUCK Aチームの打線が爆発し、アングラ学生チームに圧勝してしまった。いつの間にやらベスト4であり、あと二回勝てば優勝だ。レギュラーシーズンの成績はいったい何なのか、アメリカのメジャースポーツを見ていて感じるのと同じ疑問をまた抱く。
ところで、今日の試合前に身長190センチくらいある黒人の二年生とキャッチボールをしていた。彼が、「次はフォーク、次はパーム、次はナックル。。。」などと言いながら変化球を投げる。これがえげつないくらいに変化するのだ。パームなどはふわっと一旦10センチ以上浮いた(ように見えた)後にストンと30センチも沈む。ナックルなどはグラグラッと強烈に左右に揺れたあとに手元近くで右、あるいは左に鋭く落ちる。彼が投げているのは日本のソフトボールよりも一回り以上大きいように思えるこちらのソフトボールである。普通の硬球だったらどれくらい変化するのか。あとで見たらどえらくでかい手の平をしていた。またも「人種の違い」を実感した瞬間である。こんな熊手のような手の平を持った連中と一緒に野球をやっているのだから、イチローはやはりすごい、と思うのだ。
5月23日(木) 一年目終了
今日の3つの授業(テクノロジー・オペレーション・失敗学)でビジネススクール一年目の授業がすべて終了した。それぞれ最後の授業ということもまり、授業の終わりにコース評価と教授の一言、そして生徒の拍手、というお決まりのイベントが行われた。テクノロジーとオペレーションは今学期二つだけの、そしてTUCKの二年間で最後のコア科目だったのだが、僕は実に対照的な評価をつけた。オペレーションはほぼ満点、テクノロジーは相当低い点数。授業の最後の拍手もオペレーションのジョンソン教授に対するものは、テクノロジーの際の拍手に比べて、大きさで二倍、長さで三倍、くらいはあっただろうか。いつまでも終わらないかと思ったほどだ。「良い授業をありがとう」という学生の気持ちが両者に対する拍手の違いとして正直に表れていたように思い、興味深かった。(テクノロジーの教授の質自体は高いと思うのだが、惜しむらくはコース内容があまりオーガナイズされていなかった、と思う。)
授業終了後、図書館でレポート作成でもと思ったが、気が付いたら二時間熟睡。その後TUCK CircleでBocceのトーナメント二回戦の試合をするも、7−11で逆転負け。
さらにブキャナン寮の前の芝生で行われたアルゼンチン人学生主催の「アルゼンチンバーベキュー」パーティーに参加する。家族も少し遅れて参加。皆思い思いに芝生の上に座って、ワインを飲み、バーベキューを食す。あらためて「もう一年間が終わってしまったのか」と思う。同級生と話していても、「この一年はとにかく早かった。あっという間だった」と口々に言う。そして、二年生は「二年目はもっと早く感じるよ」とこれまた異口同音に言う。
いつの間にか午後8時を過ぎて、ようやく日も沈みかけてきた。目の前のニューイングランド風のレンガ色の建物を夕日がさらに赤く染めるのを見ながら、この素晴らしい環境を離れる時が我々にもやってくるのだなあ、と思うのだった。このあっという間の一年がもう一度繰り返されたら、それでもうサヨウナラだ。
9時前にパーティーを辞する時もまだ少し明るさが残っていた。アルゼンチン音楽が大音量で鳴りつづいていた。
5月24日(金) ソフトボールとセクションパーティー
昼過ぎから日本人二年生を送る最後のイベント「壮行ソフトボール 一・二年生対抗戦」を行う(何かと学年対抗試合が好きなのです)。家族も参加しての対決だったのだが、我が妻と娘はまたもとあるバースデーパーティーが入ったため残念ながらソフトボールは欠席となってしまった。試合は一試合目が18−14、二試合目が4−1でいずれも一年生チームの勝ちとなった。ホッケー、Bocceと連敗していた一年生チームにとって、これが始めての勝利なのである。
一旦帰宅した後、夕方には再びソフトボール。学内ソフトボール大会の準決勝である。アングラ兄ちゃん相手に一時リードするなど健闘したものの、惜しくも8−13で敗退した。その後に引き続いて行われたTUCK Bチームの準決勝も敗退。これで短かったソフトボールシーズンも閉幕である。夏期休暇が終わり、ハノーバーに戻ってしばらくしたら、もうホッケーシーズンが始まる。
夜、ポットラックパーティーに出かけていた妻と娘をピックアップして、「セクションパーティー」の会場であるバーモント州側にあるPrebleの家へ。一年生秋学期のセクション、”オリジナルセクション”のパーティーなのである。久しぶりにこのセクションの仲間で集まったのだが、やはり入学直後の一番辛かった時期を一緒に過ごしたという意識からか、彼らには特別な親しさみたいなものを感じる。のんびりとした、本当に楽しい時間だった。秋学期に彼らと一緒に過ごしていた頃にはここにいなかった妻と娘を紹介してまわるのも楽しかった。作ってもらったホットドッグを必死にほおばっていた娘も、最後はPreble夫妻のベッドの上で眠ってしまった。
5月25日(土) Massey教授
午後、失敗学のケース及びアナリシスについて、グループで集まって作業。ここまでかなり力を入れてやってきただけあって、プレゼンに続いていずれもなかなか良いものができそうだ、と感じる。しかし、最後の英語のブラッシュアップについてはアメリカ生活の長いKさんに全面的にお願いすることになってしまった。自分の力のはるかに及ばぬことを痛感し、申し訳なく思う瞬間である。彼の負荷を減らすべく自分でやろうとすると、成果物のクオリティは逆に下がってしまうのである。クオリティの高いものを仕上げようと思うなら、ある程度の段階を超えれば何もしないこと、これが一番なのだ。分かっていてもなかなか辛いことではある。
夜は隣人I氏がアレンジしてくれたJoseph Massey教授とのお食事会に家族で参加する。二年生のMさんも一緒だ。かつて東大博士課程で学び、USTR(米通商代表部)の日本担当としてさまざまな貿易交渉に携わったTUCKきっての日本通である教授のトークはひじょーに面白かった。
「安田砦の陥落の時を見てたんですけどねえ、涙が止まらなくて大変でしたよ。催涙弾でねえ」
「私は日本野鳥の会の最も古い外人会員なんですよ。1986年の紅白では数を数えましたよ」
「日本では青森以外全県に行きましたけど、やっぱり一番好きな場所は陸中海岸ですね。あとは萩と津和野ですかね」
「エイスケ(榊原英資)は20年以上前から知ってます。彼はスマートですが、手ごわい交渉者という感じじゃないですねえ」
「農水省との交渉の時は、出前で届いたチャーシュー麺を頭からかけられたことがあるんですよねえ」
流暢な日本語を自在に操ってトークを繰り広げる氏は実に底知れぬ男である。中にはあまりにもよくできすぎているので、それはネタか?と疑ってしまうものもあるほどだ。
とにかく面白い人であり、非常に楽しい夜だった。うちの娘も彼になぜか非常になついて、彼の手を握って話そうとしなかったほどだった。そして、I氏奥様のおいしい和食の数々も堪能させていただいた。どうもご馳走様でした。
深夜に帰宅してから明け方までManagerial AccountingのFinal用のケースの準備をする。外が明るくなり始めた頃、ようやくひととおりデータをまとめ終わった。まあ、後はなんとかなるだろう。
5月26日(日) Shank Final
昼前に妻に学校まで送ってもらい、ShankのFinal Examに取り組む。今回のファイナルは、グループライトアップ。他にもこういったスタイルの試験はあるのだが、珍しいのは今回のファイナルのためだけに教授がアサインした三名一組のグループで解答を作成するという点である。一緒に"Team12"にアサインされたのは、アメリカ人のPaulと日本人のIさん。Iさんはスタディグループも一緒に組んでいるのだが、偶然にもファイナルまで一緒だった。余程縁があるということだろう。何度も一緒にディスカッションしているのでお互いのアプローチなども分かってきており、非常にやりやすい。ちなみにIさんとは、「失敗学」のグループも一緒にやっているので、ここのところ連日一緒に何かしら作業している気がするのだった。
ファイナルのお題は事前に配布されたケースを各自が読んでそれぞれ分析をし、グループで集まった段階で問題文を読み、そこから六時間の制限時間内で解答する、というもの。せーの、で問題文を読み、皆で一問目から順番に問題を解いていく。今回初めて共同作業をしたPaulとも何となく波長が合い、ディスカッションは非常に気持ちよく進んだ。結果、一時間も制限時間を余して試験は終了した。最後の問題を解き終えた昂揚に、ハイファイブをして解散。
試験後、またもIさんそして今度はブラッドと一緒に、メインストリートのパブにてShankスタディグループの打ち上げする。今日はManagerial Accounting issueを離れて、日本はロシアでどう見られているのか、ロシアは日本でどう見られているのか、などなどのトピックをひたすら話す。ロシアは日本でどう見られているのか?そう訊かれ、たったひとつの国の持つイメージにさえ様々な側面があることに、話しながら、今さらながら、気付く。不可侵条約を破ったこと、北方領土問題によるネガティブイメージ、ソ連時代からつづくスポーツ大国・ドーピング大国としての複雑なイメージ、ペレストロイカ以降のメディア露出によるポジティブイメージ、、、とても一言で言い表せるものではない。自分で説明しつつ、少しく混乱する。おそらくロシアは、我々にとってアメリカ・中国・朝鮮半島と並び最も複雑なイメージを持った国なのだ。
僕はTUCKに来るまでは、ロシア人が例えばアメリカのビジネススクールに留学するためにGMATの勉強をしている、なんて想像したこともなかった。例えば海外旅行をしたり、例えばテニスをしたり、例えばマネジメントコンサルティングをしたり、そんなことすら想像したこともなかった。想像していたのは、毛皮の帽子をかぶり、コサックダンスをし、ウォッカを飲み、バーベルを挙げ、、、そんな人々である。少し誇張しすぎだろうか。否、実際そうだった気がするのだ。
友人としてブラッドと話している時、彼があの三色の旗を国旗とする国の国民であることを僕はいつも忘れている。彼の強いロシア訛りと国としてのロシアは全く別個のものである。そして、自分の中での彼の存在とロシアの持つイメージを結びつけようとする時、少なからず混乱する。そして、同様の混乱を覚える国及び同級生が少なからず僕の中に存在する。その混乱は、おそらくそれらの国が僕にとって「どこか遠い国」でなくなっていく過程に覚えるものなのだろう。コサックダンスがGMATに変わる過程、なのだ。
最後は自宅前まで送ってもらったIさんの車の中で、三人で握手をして解散。
5月27日(月) サマーインターン近づく
明け方にベッドに入り、午後三時過ぎまで寝ていた。忙しい時はたいして寝なくても平気なくせに、少し時間ができるととめどなく睡眠をむさぼってしまう、この性向はどんな環境に置かれても変わらないようだ。
夕方T内氏が所用で家に立ち寄ってくれたので、ついでにキャッチボールをしたり、Bocceをしたり。たまたま遊びに来たTさんの奥様・息子K君、お隣のM子さん、なども一緒になって芝生の上でビールなどを飲んだり(K君は飲んでいないが)。セイチャムの家のまわりには、前にも後ろにも青々とした芝生があり、どこでだってのんびりとこの好天を楽しむことができる。金のかからない最高の贅沢だ。
こうして青い空と緑の芝生を見ながらビールなどを飲んでいると、幸せを感じる。そしてそれと同時に何か切ないような思いも抱く。ここに暮らす日々は所詮誰にとってもかりそめのものに他ならず、いつかは皆ここを離れていくこと、こうしている間にもたしかに時間は青空の向こうを流れつづけていること、そんなことをぼんやりと考えてしまうのだ。
夜10時過ぎになってようやく学校に出かけ、オペレーションのファイナル試験に取り組む。午前一時過ぎにようやく答案を提出。これで試験も残すところテクノロジー1科目となった。
今週金曜日の飛行機で日本に帰ることになっている。そして、来週の月曜日からはインターン先で仕事が始まる。6月3日から8月9日まで、関西にある某メーカーでマーケティング関係のインターンを、週末に東京に移動して8月12日から9月6日まで東京のコンサルティング会社でインターンをする予定だ。そしてそのままハノーバーに帰ってきたらもうすぐに秋学期がスタートする。長いはずのMBA学生の夏季休暇は僕にはまったく存在しない。
実はこの長い、14週間にもなるサマーインターン期間中の当日乗の扱いをどうしようか、と随分悩みました。一旦は夏季休暇の間更新を停止しようと決めました。日本でのサマーインターンの日々は「留学」日乗とは言えない、という思いがあったのです。読む側から見ても面白くないだろう、と。インターン先の会社に対する守秘義務がある以上、突っ込んだ話などはとても書けません。漠とした話ばかりでは尚更面白くないでしょう。そして、インターン先企業の採用担当の方がこのHPをご存知であると知るに至って、これはやはり停止しよう、と思ったのでした。他社でインターンするということを書くこと自体がネガティブに作用しそうですし、逆にこのHPを採用担当者へのアピールに使うようなことはまったくもってぞっとしませんでした。自分の中でそれだけはやってはいけないことなのです。
しかし、最終的には日乗の更新は継続することにしました。MBA留学は本来就学と就労体験を合わせて完結するものです(卒業後の就労を経て完結する、否一生完結しない、という話もありますが)。そもそも読者にとって面白いかどうかを意識する、という考え自体がおかしいのです。当然採用担当者の方には他社でインターンすることも伝えました。逆に阿り(おもねり)をせぬよう細心の注意を払っていきます。そして、守秘義務にも細心の注意を払うことは当然です。
そんなわけでインターン中も細々と更新していきます。その間の内容はハノーバーでの生活とはだいぶ趣が変わるでしょうが、宜しくお願いします。
5月28日(火) ファイナル試験終了=MBA一年目終了
午後三時過ぎから最後に残ったテクノロジーのファイナル試験を自宅にて開始。極めて単純明快・簡単明瞭だった昨日のオペレーションの試験とは180度異なり、何ともわけの分からぬライトアップ試験で手こずる。途中夕食をとったりメールを書いたりする時間を挟みながら、結局午後11時過ぎになって4ページの答案をメールで提出して、試験は終了した。これで、一年目のカリキュラムもついに終了したわけである。
9月4日に秋学期Aがスタートしてから、約9ヶ月。本当にあっという間の一年目だった。まるでジェットコースターに乗っていたようだった秋、雪に閉ざされホッケーにどっぷりとはまった冬、再び雪の下から美しいハノーバーが顔をのぞかせ始めた春、そしてもう当地には夏がやって来ようとしている。その間、妻子が帰り、WTCのテロがあり、そしてまた妻子と再会した。
今までの人生で会ったこともなかったような天才に何人か出会った。そして、正直なぜここにいるのかと首を傾げたくなるような同級生にも出会った。ある時は「自分は相当できるんじゃないか」と有頂天になり、そしてある時は自分の馬鹿さ加減に心底嫌気がさした。成績は思っていたよりもずっと緩やかに思えた。一方で注ぎ込んだ労力に対する教室でのパフォーマンスという見返りの低さに苛立った。時々気まぐれに上手くしゃべれる気がする英語力も、本質的には遅々として向上しなかった。
8月に初めて当地に入った時の僕は、初めてのアメリカに右も左も分からなかった。公衆電話のかけ方も分からなかったし、レンタカーを借りることすら、地図を買うことすら僕には一苦労だったのである。その頃から比べれば、この一年の間に自分の中に少しずつ少しずつ「狎れ」が生じつつあるのも事実である。それは必ずしも悪いことではないのだが。慣れてきたB−School生活を再度リフレッシュし、二年目を全力で駆け抜けられるよう、この夏は厳しい環境の中で自分のパフォーマンスの低さに凹むような経験を是非ともしておきたい、と思う。
何はともあれ一年目が無事終了。明日から二日間は、帰国準備の合間の短い夏休みである。
5月29日(水) Quecheeなど
バーモント州側へ30分弱走ったところにあるQuechee及びWoodstockという町までドライブする。Quecheeでは、湖の砂浜で砂遊びをしたり、ガラス工場の作業工程を見学したり。娘は初めての砂遊びだったのだが、痛くお砂遊びがお気に召した様子。しかし実のところ娘よりも我々夫婦の方が童心に返って楽しんでしまっていたかもしれない。Woodstockでは、covered bridgeを見学したり、公園でのんびりとスムージーなる飲み物などを飲んだり。
最後はハノーバーのイタリアンレストランのオープンテラスでゆっくりと夕食をとった。久しぶりで家族でのんびり過ごした一日。
5月30日(木) 荷造り
いよいよ明日日本へ向けて出発するため、散髪をしたり、I−20の裏書の手配をしたり、など忙しく働く。
実は散髪だけは日本に帰ってからしたかったのだが、帰国後インターン開始までには時間がなさそうだったのでやむをえずいつもの店でカットすることになった。こちらの美容室、なぜか襟足をシェーバーでじょりじょりとやるのがお好きなようで、同級生など見ているとかなりの連中の襟足が青々と幅1センチほどにわたって剃りあげられている。初めてこっちに来た時には、「なんじゃこりゃ!」と思ったのを覚えているが、慣れというのは怖いもので、僕も現在ではすっかり彼らと同じカットに甘んじているのだった。しかしあさってからは日本暮らし、襟足が青々としているカットなんざ笑われてしまう。今日だけは「剃るのはよせ」と言おうと思っていたのだが、つい目をつぶってまどろんでいる間に気がついたら襟足をじょりじょり、、とやられていた。そんなわけで、不本意ながら日本でも「アメリカンカット」な僕なのである。
散髪後、切れた時計の電池を交換しようとK−Martに行ったところ、お姉ちゃんに「うちではこのサイズの電池は扱ってないわ」と言われる。つづいて「でも、WalMartにならあると思うわよ」と一言。K-Mart、こりゃ駄目だ。
夜は寮からの引っ越しとサマーインターン準備に忙しいT氏・T内氏を夕食に招待。
日付が変わる頃になってようやく荷造りを開始した。
5月31日(金) なぜかボストン泊
やってしまいました。
午後5時過ぎのUNITEDの便に乗るために、午前11時のDartmouth CoachでBoston Logan空港へ。午後二時前に空港へ到着し、UNITEDのカウンターで意気揚揚とチェックインしようとしたところ、お姉さん、唖然とした顔で「え?あなたの便は午前中に既に成田に向けて飛び立ってますよ」。。。こちらも唖然。。。「いや、そんなはずないでしょう。ほら”17:15”って書いてある」とプリントアウトしたE-Ticketを見せる。「ああ、これはボストンから成田まで17時間15分かかるって意味ですよ。離陸時間はこっち」とお姉さんが指差した個所にはしっかりと”845A(午前8:45)”の文字が。。。。。もしかして。。。「やっちゃった」って奴?
今日中に飛び立つ都合の良い他の便などは当然なく、明日の便に振り替えてもらうことに。しかし、明日朝の成田行きでは、予定していた日曜日中の不動産業者との鍵の受け渡しができない。「日曜日の午後までに大阪に行かなきゃいけないんだ。何とかしてくれ(おまえのせいだろ、と自分でも思いつつ)」という切なる訴えが効いてか、幸いにして翌朝7:00発サンフランシスコ経由関空行きの便に振り替えることができた(これも最後の一席であった)。これなら何とか夕方六時には目的地である神戸に入れる。
結局そのまま空港内のヒルトンホテルに部屋をとって泊まることに。年末に泊まった時と同じタイプの部屋なのだが、当時プライスラインで$50で泊まったのが今日は$159。何だかえらく損した気分だ。
それにしても出発時刻を間違えるなんざ、我ながら呆れてものも言えぬほどのボーンヘッドである。何とか振り替えてもらえたのでよかったようなものの。電話で報告した嫁さん笑って曰く、「HP用のネタ作ってない?」。
MBA一年目を終えた帰国の日である今日、このサイトのアクセス数が30000を超えていた。ソウルではW杯の開会式が行われた。色んな意味で記念に残る一日なのであったが、この大失態のお陰でさらに忘れられぬ一日になりそうである。