MBA留学日乗 20026     | ホームへ |      | 前月へ |  | 翌月へ |  


6月1日(土)     機上の一日

無事午前7:00ボストン発サンフランシスコ行きのUNITEDに乗り込む。正味六時間近くかかったのだが、時差の関係でサンフランシスコに着いたのは午前10:00。しかし、ここで乗り換えた便が関空に着いた時には、これまた時差の関係で一気に明日日曜日の午後4時前まで時計は進む。そんなわけで、今日土曜日は日本に帰る時のお馴染み「空白の一日」である。

昔出張で乗って以来実に久しぶりのビジネスクラスである。(そういえば、その時は上司のIさんが「彼と機内で打ち合わせをするんだから、隣じゃないと困るんだ」とネゴしたお陰で往路はアップグレードでファーストクラスにまで乗ったのであった。)

サンフランシスコ→関空の航路は、いつものニューアーク→成田と違ってカナダの上空を飛ばない。カナダのほとんど手付かずの自然を空から眺めると、三日月湖や湿原の存在がミニチュアのように見える。それを窓側から飽かず眺めているのが大好きなのだけれど、今日はただひたすら海と雲の上を飛ぶばかりなのだった。


6月2日(日)     日本到着

関空からリムジンバスで夕方神戸入り。神戸は摂氏27度。ハノーバーと違って肌がひりひりするような紫外線の強さはないのだが、湿度が高く、少し歩くと汗が吹き出してくる。日本に帰ってきたなあ、と実感する。

不動産屋の人に案内してもらった三宮駅近くのマンションは、3LDKの広さ。家族の滞在も考慮してもらったとのことで、しばらく一人暮らしのつづく僕にとってはもったいないほどの広さだった。マンションの周囲の環境といい、室内のつくりといい、何だか新横浜の自宅にいるような気にさせるマンションなのだった。

早速テレビでW杯のイングランド対スウェーデン戦を観戦。そして生活必需品(及び持ってくるのを忘れた物)の買出しにまわっているうちに時差ボケによる猛烈な眠気に襲われる。


6月3日(月)     インターン初日

今日からサマーインターン開始である。午前中の人事部によるオリエンテーションにつづいて午後から配属先にて仕事開始。

周囲の人々、スーパーバイザー、役員などと話していて感じるのは、インターン生の出すアウトプットに対する非常に高い期待である。それも当然かもしれない。必要経費などを含めると会社側は一人一人のインターンを雇うために大金を投じているわけである。前職時代の僕であっても、「MBA学生がプロジェクトに入る」と聞けば、高い期待をしていただろう。

それにしても、一日じゅうオフィスで机に向かっている、という生活に慣れていないために初日は非常に疲れた。留学当初は逆に夜遅くまで勉強している、という生活に慣れておらずに非常に疲れたことを思い出す。人間慣れないことをすると疲れるもの、しかし何事も意外にすぐに慣れるもの、である。


6月4日(火)     W杯初戦

10週間のインターン期間担当することになるプロジェクトはCRM関係である。二日目になって色々と資料を読んだり話を聞いたりして、会社の考えるCRMのイメージがだいぶつかめてきた。同じCRMでも業界によって随分内容が違うもんだ、とあらためて感じる。

インターン二日目の本日は定時で退社し、自室テレビでW杯の日本対ベルギー戦を観戦する。勝てた試合なので2−2で終わったのは残念なれど、初戦としてはこれで満足するべきか。


6月5日(水)     スーパーバイザー

僕のスーパーバイザーは、女性管理職の方。ラインの管理職をする一方で、CRM導入プロジェクトのリーダーもしており、そのプロジェクトの方に僕がサマーインターンとして配属された、という形である。彼女は小学校低学年のお子さんがいる関係上、夕方は早めに退社する。そのため朝は早めに出社し、勤務時間内は寸分の無駄もない働きぶり。てきぱきとDouble Dutyをこなして、そして時間になると颯爽と帰っていく。普段は実ににこやかで感じの良い女性である。

うーん、彼女に比べると好きなだけ残業ができる僕は、その分だけ時間の使い方に切迫感がなくなっているかもしれない。


6月6日(木)     フロア

僕が配属されたフロアには、若い女性が多い。顧客からの問い合わせを受けるコールセンターや代表電話オペレーター、などが集まっているためだ。最初それを聞いた時には、「何てラッキーなんだ」と思った僕であったが、これが実は疲れるのだ、ということが分かってきた。靴を脱いであぐらをかいたり、鼻くそほじったり、屁をこいたり、うっかりできないのである(普通しない)。また女性が多いため、エアコンの設定温度が非常に高く設定されており、暑がりの僕としてはこれも辛い。

一日じゅうデスクワークをする生活にもだいぶ慣れてきた。ハノーバーで真っ黒に日焼けした二の腕の色が少しづつ落ちつつあることに気が付いて、少し悲しいインターンシップ四日目である。


6月7日(金)     TGIF

インターン最初の一週間が終了、TGIF(Thanks God It's Friday)と題したインターンとメンターとの飲み会が人事部主催で開かれた。我々のメンターになったのはビジネススクールを卒業して入社後数年程度の若手社員の方々。サマーインターンとしてこの夏働くことになっている学生は全部で13人なのだが、それぞれ働く期間がバラバラなので、現在働いているのは6人だけだ。今日の飲み会にはうち5名が参加した。

ドイツ風居酒屋での一次会につづいてカラオケボックスでの二次会へ。久しぶりのEカラでない本物のカラオケに、ついいつもの歌を枝豆などを使用して熱唱(既に10年以上やっているこの芸、いったいいくつまでやるつもりなのか俺自身?)。

その後、バーで三次会、さらに皆で牛丼屋へ。牛丼屋ではスウェーデンのユニホームを着たスウェーデン人のおっさん三人組と交流。それにしてもアメリカの食生活に慣れた我が舌には、牛丼やらコンビニ弁当やらが、無上の料理のように感じられてしまうのだった。


6月8日(土)     初の週末

洗濯物を洗濯機に放り込んで、神戸の街をしばらく散策。コンパクトなエリアに様々な見所が集まっていて、なかなか良い街だ。しかしながら、観光するには最高だろうけれど、小さな子供と一緒に住む場所としてはどうか。職場の社員の人々は電車で数駅離れた住宅街に住んでいる人々が多いようである。そのあたりにも足を伸ばして住環境を見てみよう。

洗濯・散歩・アイロン、そしてあとは、買いだめした本をひたすら読む週末の一日。


6月9日(日)     ついに初勝利

インターン仲間のIさんと一緒に北野町のスポーツバーで日本対ロシア戦を観戦する。試合開始一時間前に店に行ったのだが、既に立錐の余地もない混みよう。室内は異常な高温多湿状態でまるで熱帯である。皆だらだらと汗をかきながらモニターを見上げている。そんな中で若い人々に混じってテレビ観戦をしておりました。結果はご存知のとおり、1−0で日本の勝利。とにかく嬉しい。

店を出ると、あちこちで奇声を上げる人々の姿があった。


6月10日(月)    卒業式

僕は、乾いたアスファルトを濡らす雨の匂いが非常に好きである。開け放った窓からその匂いが部屋の中に漂ってきた、と思ったらあっという間に本格的な雨になった。今日、ついに九州南部が梅雨入りしたらしい。

ハノーバーでは昨日二年生の卒業式が行われたらしいことを上級生Sさん、Yさん、及び家内のホームページで知った。上級生達がもう既にTUCKを卒業してしまっていて、間もなく再びスーツを身にまとって実業の世界に戻っていくなんて、俄かには信じられない気がするのだった。

卒業生の皆さん、卒業おめでとうございました。


6月11日(火)    関西の味覚

夜、三宮で飲む。今年合格後一年Deferして来年TUCKに入学する予定になっているIさん、以前から名前だけは知っていたものの実際お会いするのは今日が始めてとなる神戸在住のMさん、とお好み焼き屋へ。しかし、うまいです、お好み焼き。日本では、なかんずく関西では、ごく当たり前のように口にできるこの料理も、アメリカでは非常に貴重な味覚になるのであり、向こうに戻ったたらもう滅多なことでは口にできないわけで、したがって一口ずつ味わいながら食させていただいた。二次会では初対面となるアプリカントのもう一人のIさんも合流する。いや、実に楽しかった。

結局、ご馳走になってしまい、すいません。ありがとうございました。


6月12日(水)     ハノーバーからの荷物

ふと思い立って、昼食はマンションに一旦戻ってとってみた。職場から徒歩5分の立地なので、そんなことができるのである。すると、ちょうど良いタイミングでアメリカからFedexの荷物が届く。こちらに来る時に持ってくるのを忘れてしまった品々を嫁さんが送ってくれたのである。箱を乱暴に開くと、ネクタイ・ベルトなど送られてきた荷物の隙間からハノーバーの空気が。

地球の裏側には今もハノーバーが存在し、あの自然に満ち溢れた環境の中で、人々が、そして妻子が変わらず生活していることがどうもピンとこない。それほどこことハノーバーの住環境・自然環境の違いは際立っているのだ。

Fedexにひとしきり郷愁を誘われてから、再び午後の仕事に戻るべく出社。そう、郷愁、なのである。


6月13日(木)     大阪へ

とあるセミナーに出席するために午後から大阪へ。久しぶりの大阪の街は随分と僕の知っている街とは変わっていた。それもそのはず、僕がこの街を歩いていたのはもう14年も前のことなのだ。

セミナーは二部構成になっていて、前半パートの講師は年末にケースインタビューをしていただいた某コンサルファームのパートナー氏。そして、8月後半にインターンとしてお世話になる会社でもある。相変わらず話がうまい。しかし、後半パートの講師はひどかった。自慢をすればするほどおのれの人物が小さく見える、ということを知らぬタイプの人間である。可哀想なお人だ。

ところで、今日先学期の成績がすべて発表になっていた。これで一年間で取った17教科の成績がすべて明らかになったわけである。あらためて振り返ってみての感想は、、、当初考えていたよりも良かったような、もっと頑張れたような。


6月14日(金)     日本決勝Tへ

日本がチュニジアを2−0で下して決勝トーナメント進出を決めた時間帯はまだ勤務時間内。そわそわしつつも、サマーインターン風情がテレビのある店に出かけたり、ましてや早退などするわけにもいかず、お仕事&打ち合わせをしていた。それにしても、グループ1位で決勝トーナメントなんて、本当にいいのだろうか。これは壮大なドッキリカメラじゃないのか。

妻のホームページをチェックしていると(再びHPでお互いの生活を知る日々なのです)、夜中に目覚ましをかけてちゃんと試合を見ているようで、感心である。娘がまだ妻のおなかの中に居た頃、午前三時に目覚ましをかけて、おにぎりなんかを食べながら一緒にテレビでワールドユースの応援をしたことを思い出した。

夜は、今週からインターンを開始したXさん(日本人でないのでこのイニシャルもアリ)の歓迎会も兼ねて、我が家でインターン仲間で飲み会をする。日本対チュニジア戦をビデオで見たりしつつ、結局午前四時前まで皆で飲んでいたのだった。


6月15日(土)     ポートアイランド

どこかでのんびりしようと、本を持ってポートライナーに乗り、ポートアイランドへ。中学生の頃にデートで出かけて以来、何と20年近くぶりのポートアイランドである。当時最新鋭の無人走行機能を誇っていたポートライナーは駅舎も電車も薄汚れてしまって、どこかもの哀しい。ポートアイランド自体も当時堤防に波が打ち付けていた場所がすっかり陸地に変わっている。後で地図を見ると、この巨大な人工島は、当時の南端から数キロ先まで陸地が「増殖」しているようだった。

しばらく歩いて緑と水辺のあるうってつけの公園を発見。横になって日が傾くまで本を読んだ。

TUCKのポン友T内氏から東京で行った結婚式の写真が届く。いつもの怪しいロン毛をさっぱりと切った彼が、美しい奥様の隣で微笑んでいる。見ているとなぜか微笑を誘う写真である。ちなみにこのT内氏、超忙しいはずの春学期の最中に、ホッケーと、結婚式の準備と、新居探しと、CFA(米国証券アナリスト)の試験勉強を同時にやっていた。凄い男なのか、単にマゾなのか。何はともあれ、おめでとう!!


6月16日(日)     バーベキューパーティー

TUCK’05のIさんお勧めのスポットという、大阪と奈良の県境にある村に出かけてバーベキューをした。忠義の士、楠木正成ゆかりの地でございます。

大人7名と赤ちゃん一人でIさんの隠れBBQスポットへ向かう。山道をくねくね登って辿り着いた先は、鬱蒼と茂った杉林の中を流れる小さな清流沿い。木漏れ日の差す中、清流の音を聞きながらの”ヒーリングバーベキュー”であった。環境も最高、肉もやっぱり日本の肉の味の方が繊細で美味。

ところで、渡米当時はあんなにアメリカの食事のボリュームの多さに呆れていたはずの僕が、今ではすっかり「アメリカンサイズ」慣れしてしまっているということに、あらためて気付かされた。スーパーでバーベキューの食材を買い込んでいても、ついつい多めにカゴに入れてしまいそうになるのである。「日本では、アメリカの7掛けくらいで丁度いいはず」と自分に言い聞かせつつも、「いや、やっぱりこれじゃ足りないんじゃないか」と思ってしまう。スーパーのショッピングカート、ジュースの容器、スナックの袋、肉のパック、等などすべてのサイズが慎ましく、かわいらしく思える。しかし、こんな順応はまったくもっていらぬ順応である。最近体重増加傾向の僕としては、この夏の日本滞在中に、感覚を「日本サイズ」に是非戻しておきたいところだ。


6月17日(月)      一進一退

早くもインターン三週目に入る。今日はメンターの方と昼食。

プロジェクトは非常にうまく行きそうに思える時もあれば、まったくどう進めていいか分からなくなることもある。先週には完璧に思えたロジックが、今日分かった新たな事実で覆されてしまい、まったく滑稽なものに変わってしまった。ああ、こんなもんを出さなくてよかった、とホッとしている場合でもないのである。また、新たなブレークスルーを見つけなければならない。

英語力の向上に限らず、何事も一進一退であります。


6月18日(火)      日本敗れる

4月のTUCKのAdmitted Student Weekendでお会いしたSさんが、会社にやってきて久しぶりに再会した。最終的には他校へ進学することになったSさんだが、車で二時間程度の距離にある学校であるし、今後もお付き合いする機会はたくさんあるでしょう。

決勝トーナメント一回戦日本対トルコ戦は、午後三時半スタートのため、またも見られず。「先制されたらしい」「後半40分でまだ0−1でリードされているらしい」そして「負けたらしい」という噂が、どこからかさざなみのように伝わってきて、日本の敗戦を知った。友人のいる某社では試合の時間帯は会議禁止にして応援したとか、また別の某社では廊下にテレビを出していたとか。

しかし、良い夢を見せていただいた。大会前は、「決勝トーナメントまで行ければ奇跡的。ベスト8なんていくわけないだろ」などと言っていたくせに、最近では組み合わせ表を見ながら「トルコとセネガルか。。。もしかしたらベスト4だって。。。」などと思ってしまっていた。それにしても、Jリーグスタート前を考えると信じられないことです。たった10年間でここまでサッカーを取り巻く環境が変化した国、代表の実力が向上した国もそうはあるまい。すべてが初体験のこの国にとっては何もかもが貴重な経験でした。(それにしても韓国対イタリアは凄かった。。。)


6月19日(水)      面談

部門の役員と面談をする。

曰く、「君がfancyなspread sheetを作るところなんか見たくありません。トップマネジメントはspread sheetなんか作ることはほとんどないんです。君がどれくらいsmartか、も興味ありません。MBAならsmartで当たり前なんです。僕が知りたいのは君がどれだけ周囲の人を巻き込んでプロジェクトを進めていけるか、どれだけ周囲に影響を与えられるか、それだけです。」

「トップマネジメントとしての資質があるかどうかは分からないけど、いいミドルマネージャーにはなれそうだ---もし君のパフォーマンスを見ていてそう思ったなら、決してオファーは出しません。いいミドルマネージャー候補は既にたくさんいるのです」

頑張りましょう。

全然関係ない話をひとつ。夜のニュースで、「言わずもがな」「けんもほろろ」の意味が分からない人の割合が、20代前半で50数パーセント、10代後半で70数パーセントだという調査結果が報道されていた。。。。嘘だろ?いつも言葉は時代に合わせて変わって行くものだし、消えていくものだけれど、いくらなんでもこれはひどい。あまりにも急激な、日本語の「崩壊」だ。この世代が鴎外や鏡花を読んだとしても(読まないんだろうが)、単語の意味が分からない「虫食い」だらけでとても読めたものではあるまい。


6月20日(木)      アイロン

早い。今週に入って一気に一日一日が過ぎていくスピードが上がってきた。今日もミーティング四つでプロジェクト進まず。要注意。

日本に帰って来てからワイシャツはクリーニングに出さずに自分でアイロンをかけているのだが、これがなかなかうまくかけられない。一箇所をかけるとどこか他の個所に皺がよる。ワイシャツに綺麗にアイロンをかけるテクニックというのは、実は凄い技術なのだ、と改めて実感し、そんな技術を持つ人のことを尊敬するのだった。


6月21日(金)      TGIFその2

あっという間にインターンも3週間が終了。ファイナルプレゼンテーションは9週目に実施する予定になっているので、実質残り6週間である。6週間あれば、仮説の検証からインパクトのあるコンセプトの提示まで、何だってできる気がする。その一方で、何のアウトプットもなしに6週間を無為に過ごすことなど容易である。そして。よほど効率的にすべての作業を行わないと、後者になる可能性の方が、おそらく高い。

残業のために遅れて人事部主催のサマーインターンのTGIFパーティーに参加する。今週から新たに3人がインターンを始めたので、インターン生は全部で10名になった。

二次会はまたもインターン生だけでカラオケ店へ。とてもではないが、ここには書けないような内容の大騒ぎをし、午前四時前に帰宅。


6月22日(土)     書店にて

二日酔である。予定のない週末は、もっぱら本を読んでいる。もちろん金がないので、本来の「本を買いたい欲求」×10%程度の本しか買ってはいない。「金もないのに本当に今この本を買う必要があるのか、おい?」などと自問しつつ、欲求の90%をカットするわけだ。ストレスがたまる。以前に書いた、『本との出会いはまさに一期一会であり、出会った時に少しでも「読みたい」と思ったものは全部買うべき、「今度来た時に、金のある時に買おう」などといっていては、結局その本との出会いを逃すことになる』というモットーに反すること甚だしいのであるが、背に腹はかえられません。別に大金持ちになりたいなどとは思わないが、本を自由に買えるくらいの金は稼ぎたいものだ(笑)。

そんな貧乏学生の僕にとって強い味方なのが、三宮駅前にある本屋の「ジュンク堂」である。ご存知のとおり、多数の「座り読みコーナー」を擁するこの大規模書店の存在は非常にありがたい。特に高価な経営書の類は何度か通って読んでしまう。そのつもりが、読んでいるうちについついどうしても買いたくなって結局買ってしまうこともあるので、本屋側の思惑に気持ちよく嵌っていると言えなくもないが、ありがたい本屋ではある。

ところで、久しぶりの日本の書店で気がついたこと。それは、やたらと「MBA」の文字が冠されたビジネス書が増えていることだ。渡米前もグロービスの例のシリーズやそれらの類書などかなり出版されてはいたが、その頃の比ではない。当社比2−3倍増、という感じだ。このブームが一過性のものだとすると(そもそもブームは一過性だからこそブームなのだが)、その後には揺り戻しがくる可能性が高い。実際、パラパラと斜め読みしてみると、特に新しく出版されたものの中には首を傾げたくなるようなものが多い。アメリカの書店のビジネス書コーナーで、少なくとも僕はこんなにも大量の”MBA”を冠した本を目にしたことはない。ビジネススクールの数はアメリカの100分の1程度、年間MBA輩出数でも同じく数十分の1程度である日本でのこの「MBA本」ラッシュの存在は、今後それがどうなっていくのかも併せて非常に興味深い。


6月23日(日)     豚マンとスタバ

今住んでいるマンションから徒歩10分程度のところに南京街がある。旧居留地を抜けて、右手に迫り来る六甲の山容を眺めつつ、南京街に至る道筋は、なかなか味わい深い。

インターン仲間のMさんより薦められた、南京街の「老祥記」で長い行列に並んで豚マン9個を購入。小さな広場に多くの外国人観光客と並んで腰を下ろして豚マンをほうばる。美味。うますぎ。

夕方からは目的もなくポートライナーに乗り込んで、ぐるぐると周回ルートを回りながら読書。高架から見る海・山の見晴らしは、読書のエッセンスとしてはなかなか宜しい。車内の環境に飽きた後は、ジュンク堂を冷やかしてから、スターバックスでひとしきり読書。急成長したアメリカのスターバックスのコア・コンピテンスは「優れた従業員教育」や「顧客対応力」だ、などと言われているが、日本のスタバのそれに比べるとあんなものは「屁」みたいなもんである。僕は米国内のスタバで横柄な従業員の態度に不快な思いをしたことはあるが、日本ではない。もともとサービスのクオリティの低いアメリカだから、あの程度で差別化ができただけだ。マックもスタバもアメリカよりも日本の方が、従業員のサービスレベルも店舗のクレンリネスも圧倒的に高い。僕はその差を実感するたびに日本のサービス産業の優秀性に感動してしまうのであるが、いずれも最初にコンセプトを作り上げたのはアメリカである。発明するのはアメリカ、改良するのは日本、サービス業でもこの構図は変わらないのだろうか。


6月24日(月)     雨の一日

梅雨空。あっという間に一日が過ぎた。

今週後半に東京出張が入ったのだが、気が付いたら出張用カバンなどを持ってきていない。しかたなくロフトで急ぎ旅行用カバンを購入する。

夜、久しぶりにハノーバーの妻より電話があった。声が近い。そういえば、ここのところ、こちらからもあまり電話やメールをしていなかったなあ、と思う。去年秋、今年正月、そして今回、の過去三回の別居経験を省みるに、別居生活になった直後というのがもっとも頻繁に電話やメールなどをやり取りするのだが、二週間ほど経つと徐々にその頻度が落ちていき、一ヶ月もするとぱったりと連絡しなくなってしまう。離れ離れになった直後の喪失感・寂しさ、のようなものが徐々に薄れていくのと同時に、新たな環境へ徐々に適合していくのである。人間の心ってよく出来ているなあ、と感心すると同時に、やや複雑。


6月25日(火)     エスカレーター

梅雨らしく二日つづけて雨。家と会社が近いので、雨天でもたいして歩かずに済むことがありがたい。さらにビジネスカジュアルで出社しているので、雨でもズボンが濡れるのをさほど気にしなくて良いことも。

間もなく立ち上げるあるものを社内に告知するためのマテリアル用に、カメラマンをやったり、キャッチフレーズを作ったり、会議用のプレゼン資料を作ったり、そんな一日。今日はバリバリ残業してプロジェクトの方も目途をつけるぞ、と意気込んで一日をスタートしたが、だんだん体調がすぐれなくなってきたので、8時頃にあっさりと退社した。

帰宅途中買い物に立ち寄りエスカレーターに乗る(ちなみにハノーバーにはエスカレーターはない)。左側に立ってボーっと上を見上げていると、後ろに人の気配が。振り返ると完全に人の流れをせき止めてしまっている。そう、関西ではエスカレーターで立ち止まる人は右側に、追い抜く人は左側に、というのがルールなのだった。関東地方は立ち止まる人が左側、米国でも僕の知る限り同じく左側だ。しかし、欧州は関西式に右側が多いらしい。大阪の右並びは70年代初めに阪急が呼びかけたことで定着、東京の左並びは90年代になって自然発生的に定着したとか。なぜ右と左の違いが出たのか、ご興味のある方は「関西おもしろ文化考」第五話「歩く」をご覧ください。


6月26日(水)     ニュートラルな思考

今日も雨。夜、仕事が終わってから新幹線で東京に向かう。せっかくなので東京の友人知人誰かと会いたいところだったが、ホテルにチェックインした時は既に午後11時過ぎで、残念ながら会う時間はなし。

東京へ向かう途中、新幹線は新横浜駅に停車する。窓から今は他人に貸している自宅マンションが見える。不思議な感覚だ。このまま駅を出て自宅へ向かったら、そこには一年前の妻と娘がいるような気がする。しかし実際には妻と娘はここではなくて遠く離れたハノーバーにいる。ハノーバーにいた時、溢れる自然の中で思う新横浜の自宅は、とてつもなく遠かった。実際に地理的にも遠かったのだが、緑に溢れた環境とコンクリートに覆われたそれとの乖離があまりにも大きかったこともあるだろう。もうここに戻ることは二度とないような気がするくらいに、ここは遠かった。なのに、今僕はいともたやすく新横浜の自宅前に存在している。そして、ハノーバーは遥か遠い。それは、僕の肉体という物質がここにあるからでなく、精神がここにあるからだ。新横浜にいる自分を、「現状」として完全に認識し、ハノーバーに行くことを「変化」だと認識しているからだ。つい一ヶ月前までは逆だったのに。

たとえば、ある会社から別の会社に移る時、ある仕事から別の仕事に移る時、何もないニュートラルな状態から両者を選ぶよりもはるかに大きな精神的な壁を超えなければならない。「自分にとってどちらがベストか」を選択するという命題は同じなのに、自分の精神が「現状」に囚われている中では、「変化」を実際以上に大きなものと捉えているためだ。精神の置き場所をできるだけニュートラルに保つことは、少なくとも選択に先立ちニュートラルな思考ができるようにすることは、今後のキャリアを選ぶ上で非常に重要だ。心理学的にも人は変化を嫌う生き物であり、一旦選んだ床屋に行きつづけるのも、一旦加入したクレジットカードを使いつづけるのも、そのサービスが気に入っていると言う要因よりも、「変えるのが嫌だ」「面倒くさい」という要因によるものがほとんどだ。しかし、人生の選択は床屋やクレジットカードとは違う。ニュートラルに、冷静にキャリア(家族との生き方)を選んでいかなければならない。

僕はもともと変化を非常に嫌う人間だった、と思う。8年勤めた会社を辞めて、住み慣れた日本を離れてアメリカに留学する、という「変化」を選択した段階で、自分の性質は少しは変わったかと思った。しかし、まだまだ「変化」の壁を実際以上に大きく捉えてしまっていることを様々なシーンで思わされる。自戒、である。

新幹線は新横浜駅を出て東京駅へと向かう。僕の肉体と共に、精神もまた新横浜を離れて東京へ向かう。


6月28日(木)     東京出張

またまた雨。フィールド調査と称して東京支店にやってきた。午前中は営業の現場に携わる様々な人々にインタビューした後、午後は実際にセールスの方に同行して現場に出る。同行させてもらったセールスの方は僕よりもだいぶ若い人であるが、しっかりしているなあ、と感心する。ちなみに彼は、扱っている製品分野のMS(修士号)を持っている。聞くと、セールスの半数近くがその分野のMSを持っており、その事実にこの業界の特殊性というものを思い知らされる。僕の前職の業界におけるセールスとは同じセールスでも位置付けがまったく違う。今お世話になっている会社には、マーケティング・企画などの分野にもマスター及びドクターが非常に多い(所属する部署はどうやら10人全員がマスターらしい)。今日最後に訪問した顧客先で会った同じ会社の他部門の三人の社員もやはり、ドクター1人とマスター2名(うち一人MBA)。研究職でもないのにこの比率、やはり特殊な業界だ。

初めてのフィールド調査は非常に参考になった。やはり何事も現場の人の直接話を聞くのが一番である。と同時にフィールドを出回っている方が自分の性には合っているなあ、と実感。

午後11時過ぎに帰宅。


6月29日(金)     再会延期

日本に帰ってきてから、初めての何の予定もない金曜日の夜。じっくり残業などをする。

ハノーバーでは、妻子がSachem内の新しいユニットにぼちぼち引越しを始めている頃だ。男手が必要なこんな時に現場にいない旦那に代わり、ハノーバーに残っている隣人I氏、フィル、フランシスコ、などが引越しを手伝ってくれるとのこと。ああ、ありがたい。

ところで、引越しが済めばすぐにでも、などと言っていた妻子の日本帰国が、どうやらなくなりそうな公算が大きくなってきた。理由はひとえに経済的なもの。夏の間にかかる種々の出費が明らかになり、これから卒業までの資金計画を改めて計算していたのだが、かなりギリギリであることが判明。何やかやと2000ドルはかかる妻子の帰国費用を切り詰めようか、という話になった次第。2000ドルあれば親子三人一ヶ月余計に暮らせるからなあ。

今回の帰国を延期すると次に会えるのは、9月10日前後になる。まだまだ二ヶ月以上も先のことであり、昨年秋につづいてまた今回も三ヶ月以上会えないことになる。正直、寂しいのは否めないが、会えない理由は自分の経済力のなさに他ならないものなのだから、やむをえない。留学前の受験期間中もそうだったが、二年間の留学生活中も節約節約の窮乏生活を妻には強いており、本当に申し訳ない、と思うのだ。というか、情けない、正直に言うと。

娘と久しぶりに電話で話をした。

父「もしもし?もえちゃん?」
娘「うん。もえちゃん」
父「パパですよ」
娘「パパ?」
父「元気?」
娘「うん。げんき」
父「もうすぐ引っ越しするんでしょ?」
娘「うん。もうすぐひこーきのるの」
父「え?」
娘「ひこーき。そしたらね、じーじとばーばにあいにいくの」
父「あのね。ひこーきのらないんだよ」
娘「ん?」
父「のらないの」
娘「ん?」

全然分かってないな、こりゃ。


6月29日(土)       社長宅へ

サマーで働いている会社のインド人社長の自宅へ他のインターン達とランチに招待される。高級住宅地として、あるいは本御影石の産地としても有名な御影にある社長宅は、やはりすごいお屋敷だった。社長本人は、住んでいる邸宅とは裏腹に、極めて庶民的(?)な人物である。

奥さん&お手伝いさんが作ったと思われるインド料理のランチをいただき、社長お手製のゲームで盛り上がった。この社長お手製のゲームというのがなかなか面白い。ホームパーティ用に我が家でも作ってみようか、などと思う。ちなみにこれまで六ヶ国に住んできたという社長の高校生の息子は、高校を卒業したらやはりアメリカの大学に行きたいとのこと。「彼はダートマスから来たのよ。ダートマスに行きたいんでしょ。色々聞いてみなさい」と社長の奥さんに僕に質問するよう促されるも、シャイな彼はほとんど質問してこなかったのだった。

夜はインターン仲間四名で南京町に出かけて小籠包を食す。さらにW杯の三位決定戦韓国対トルコ戦を観戦するためにスポーツバーへ。


6月30日(日)       ふるさと再訪

今週もまた本を持って電車に乗る。今日は阪急に乗って適当に京都嵐山あるいは宝塚方面へでも、と思いつつ各駅停車に乗り込んだ。しかし、十三駅で降りて乗りかえを待つうち、もう少し足を伸ばせば僕が小学校低学年から高校卒業まで住んでいたあたりまで行けるな、と思い直し、阪急千里線に乗り換え。さらにモノレールに乗って吹田市は山田地域に向かう。小雨の降る中、のんびりと14年ぶりに訪れる町を歩き回った。

竹林の間をくねくねと曲がりながら抜ける細い路地。塾なんか誰も行かずに、学校が終わった後は五時間も六時間もかけて皆で道草をしながらこの道を帰ったことを思い出す。

しかし、驚いたのは僕の記憶の中にある風景と違って、目に入るものすべてがミニチュアに見えることだ。当時巨大に思えた池は実はちっぽけなため池であり、小学校の校庭のホームからライトまでの距離は笑ってしまうほど近く、車が行き交う危険な目抜き通りと思っていた道路は何と一方通行だった。高校卒業まで住んでいたのだから、「大人の縮尺」でもこの町を見ていたことはあるはずなのだが、記憶に深く定着しているのは、やはり小学生の頃に見た「子供の縮尺」のままの風景なのだろう。

14年ぶりに来た町は、変わってしまっていたものも数多かった。当時毎日通った駄菓子屋はつぶれてなくなり駐車場になっていた。老夫婦は当時からややボケ気味だったので(僕達はそれをいいことに支払いをごまかしたりしていた)、もう夫婦ともに亡くなってしまったのかもしれない。いつも実を盗んでは食べていた枇杷の木もなくなっている。「ぼっとん便所」の汲み取り口を空けては爆竹を投げ込んだりしていて、一度ズボンをはきながら走るおっさんに追いかけられたこともあったけ、などと懐かしく思い返していたのだが、どこにも汲み取り口は見当たらない。あれから下水道が整備されたらしい。隣の小学校と「喧嘩の強い奴を5人ずつ出して白黒はっきりつけよう」(いったい何の?)と5対5で喧嘩をした公園もなくなっていた。

一番ショックだった変化は、安全に対する意識の変化だ。当時土日は校門を開放していた小学校の門扉は固く閉ざされ「安全対策のため校門は閉鎖いたします。ご理解ください」の文字。あちこちに「不審者から子供を守ろう」というポスター。そして、僕が住んでいたマンションは、どこもかしこも防犯カメラだらけになっていた。入居者の名前を示すボードの前に立って、「ああ、誰それの一家ももういないのか。あ、誰それさん一家はまだここに住んでるんだ」などと思っている間にも、通り過ぎる住民からじろじろと不審者を見るがごとき目で見られていた。防犯上やむをえない対応だと思いつつ、地域全体の持つ雰囲気の変わり様に、日本中の治安があの頃から比べて悪化していることを痛感した。

それでも、懐かしいふるさと再訪だった。忘れていた当時のいたずらの数々を思い出し、自分達はあらためてろくでもないガキどもだったんだな、とうれしく思った。

再びのんびりと各駅停車で本を読みつつ三宮へ帰る。

W杯決勝はブラジルが2−0でドイツを下して5度目の優勝。ずっと先のことのように思えた2002年W杯もついに終わった。


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