MBA留学日乗 2002年8月 | ホームへ | | 前月へ | | 翌月へ |
8月1日(木) プレゼン前日
朝からプレゼン資料のブラッシュアップに集中。少しだけロジックがごつごつしていた個所を集中的に手直しし、だいぶ納得のいく内容のマテリアルができた。午後はインターン仲間の某さんのプロジェクトに関して数時間1対1でブレーンストーミング。フィードバックをしながら自分のプレゼンにも参考になるようなことにいくつか気付き、夕方からまた少し手直しをする。
夜、プレゼンの聴衆向けのハンドアウト30部をコピールームにこもってカラーコピー、ソーティング作業。途中、同じく明日最終プレゼンをするインターンのIさん・Mさんとオフィス前のとんかつ屋で夕食。二人とも前日は数時間しか寝ていないのだが今夜も徹夜になりそうな勢いとのこと。
ハンドアウトの準備が終了したのが午後10時過ぎ。それから会議室でプレゼンのリハーサルでも、と思ったが会議室の鍵がかかっていたのでしかたなく自宅でリハーサル。三回ほど通しでやってみたが、どんなに急いでも40分はかかる。
さて、いよいよ明日である。
8月2日(金) 最終プレゼン
午前11時から最終プレゼンを行う。昨日から会社中がばたばたしていたために、聴衆のドタキャンが相次ぎどうなることかと思ったが、部門の役員以下関連の深い部署の人々はほぼ参加してくれた。
プレゼンは途中質疑応答を挟みつつだいたい50分ほどで無事終了。相変わらず英語の発音は下手だなあ、と自分でも思いながらであったが、特に緊張もせず、自分としては満足のいく出来だった。最後に担当役員から、スライドのビジュアル、プレゼンのロジックのクリアさ、短期間で社内に広いネットワークを構築したこと、について高く評価してもらった。
プレゼンの最後にインターンシップ期間中のサポートへの謝辞を述べつつ、「これでプレゼンも終わりだ」というすがすがしいような思いと、「もうインターンも終わってしまうのか」という寂莫間とが微妙に交錯していた。まだ、インターン期間は来週一週間残ってはいるものの、あとはもういかに「お土産」に道筋をつけて、整理された形で、できるだけ多く残していくか、に注力していくことになる。午後はたまった資料を整理しながら、心地よくも寂しくもある脱力感を感じていた。
夜は今日プレゼンを終えた三人を含めたインターン生6名、インターン経験者の社員3名と一緒に打ち上げに行く。明け方までまた皆で羽目を外して大騒ぎした(少し外しすぎたか)。これもおそらく最後、である。
8月3日(土) 家族帰国
午後三時までひたすら眠る。起床後は時計を睨みつつ、部屋の掃除、ゴミ捨て、たまった洗い物、などの家事を行う。今日、妻子が日本へ帰ってくるためである。散らかり放題だったマンションを、なんとか二ヶ月前の状態に近づけることができた。三宮駅前から伊丹空港へ向かうリムジンバスの出発時刻が迫ってきたので、慌てて家を出る。
家族は19:05伊丹空港着のANAに乗ってくるはずだったので、南ターミナルの到着ゲート前にて20分ほど前から待ち構えた。にこにこ笑いながら走ってくる娘を思い浮かべながら待つ。そのうち飛行機の到着は定刻よりも15分ほど遅れるとの案内があり、さらに15分ほどそこで待つことに。そうこうするうち、ようやく飛行機も到着し、ゲートから乗客が次々と吐き出されてきた。しかしいつまでたっても、にこにこ顔の娘はやってこない。そのうち乗客の姿もまばらになってきた。ようやくこれはおかしい、と気付きポケットに入れたメモを見ると「19:05 JAL」の文字。慌てて北ターミナルへ向かうとゲート前に到着から30分を経過した妻子の姿があった。妻に聞くと、娘は「パパー!」と叫びながらゲートを駆け出していった、らしい。
空港内のレストランで家族で夕食を取っていると、膝の上でどんぶりものをいっしょに食べていた娘が突然膝を降りて店の外へ走り出した。慌てて後を追いかける(うまく子供をしつけた食い逃げみたいだな、とか思いながら)。娘は一目散にトイレへ。「うんこ。うんこ」と切羽詰った顔で呟いている。女子トイレの手前で何とか捕まえて、男子トイレへ連れて行った。すると、男子トイレの和式便器を見た娘が一言、「あれ、これじゃない」。「こういうので、トイレしたことない?」と聞くと、「ない」。他の個室もすべて和式。娘は、この便器ではできない、と言い張る。慌てて店へ戻り妻に女子トイレへ連れて行ってもらったのだった。そういえば、娘は和式便器でトイレをしたことがないのだ。まるで帰国子女ではないか。もっとも、今後は帰国子女に限らず、和式便器を忌避する人々が増えていきそうな気はするが。どうなる日本文化としての和式便器。
リムジンバスで神戸へ戻る途中、宝塚の夜景を窓の外に見ながら、「あー!お星様ぴかぴかしてきれいだねえ」と娘は言った。ハノーバーじゃこんな夜景を目にすることなんかないもんね。
8月4日(日) 家族で休日
時差ぼけで朝早くに起きだした娘から、「パパ!起きて!足をベッドから下ろしてここにつけてみて!両足下ろして!そうしたら起きれるんじゃない?早く起きて!遅れるよ!」と、30分以上つづく執拗な「起きて攻撃」を受け、休日には珍しく10時過ぎに起こされた。
昼前に家族でポートライナーに乗ってポートアイランドにある遊園地「ポートピアランド」へ。観覧車、トーマスの電車、ボート、メリーゴーランドなど、娘が乗れる乗り物だけを選んで乗る。そんな乗り物でさえ、「電車に乗ろうか」「馬車に乗ろうか」という問いに娘は「いや!乗らない」と即答。これまでに乗ったことがないものは怖いらしいのだ。同じ年頃の子供が「急流すべり」などに嬉々として乗っているというのに。しかし最終的には無理やり乗せてやると、観覧車では「高いねー」と大喜びだし、トーマスではにこにこと手を振りまくっているし、メリーゴーランドでは「下りない!もいっかい!」とごねるし、楽しんでいるのである。背中を無理やり押されて初めて跳べる、この消極性は何とかしなければいけません。「いつも誰かが背中を押してくれるわけじゃないんだよ。自分でどんどんチャレンジしなきゃいけないんだよ」と言っても、もちろん分かるわけもない娘なのだった。こういうところ、親の性質を受け継ぐのだろうか。娘を見ていると、たしかに自分もそんな時がある気はするのだ。消極的な時の自分を見ているような気がする。もっとも君と違って四六時中そうなわけじゃないけどな。
このポートピアランド、1981年に開かれた「ポートピア博覧会」の際に作られた遊園地なのだが、ここのところ入園者数がピーク時の4分の1程度にまで落ち込み、来年3月には閉鎖されることが決まっている。開園当時のすべてが真新しかったこの遊園地に、家族四人で遊びに来ていくつかのアトラクションに乗ったことを、僕はよく覚えている。当時11歳の僕が姉と並んで写真に写ったのとほぼ同じ場所で、21年後の今、3歳の娘がフローズンカルピスを飲みながら32歳の僕が握るデジカメのレンズを見つめている。21年の歳月。ペンキのくすんだ遊園地。変わらないままの夏の日差し。この小さな娘もいつか、その子供を手を引いてかつて自分が子供の頃に行った場所を訪れたりするのだろう、とふと思う。その子供も、そしてそのまた子供も。そして地球はまわりつづける、という言葉が頭に浮かんだ。
その後は、近くのプラネタリウムで神戸の星空を見、ジュンク堂で絵本を買い、南京町で豚マンやらフカヒレラーメンやらを食し(このあたりから娘ベビーカーで熟睡)、家族で神戸の休日を満喫した。最後は買ったばかりの絵本を読んでやっているうちに眠くなったらしく、読み終えた瞬間に就寝。
ところで、一昨日の日乗を読み返してみると何だか自慢っぽい。たまにその手のHPに出会うと思うのであるが、HPに自慢を書くことほど醜悪なことはない。厳に慎まねばならないことである。
8月5日(月) 変わりゆく日本語
インターン最後の週がスタートした。9週間一人で出かけたマンションから、朝「行ってらっしゃい」と妻子に送られるのは、何だか妙なものである。
先週までとは打って変わってのんびりと仕事をした一日。午前中、金曜日のプレゼンに来られなかった人を相手に同じ内容を日本語でプレゼンする。同じプレゼンであっても日本語で行うと、細かいニュアンスを正確にかつ短いフレーズで伝えることが圧倒的に容易になるので、非常に楽である。その一方で、ある意味「クサい」セリフを言う時にどこか照れてしまうのはなぜであろうか。日本語はクサいセリフに適さない言語なのだろうか。
夕方からは、インターン仲間のXさん・Sさんのプレゼンテーションのストーリーについて、サマーインターンで集まって色々とコメントをする。ちなみにこのXさんは中国人、Sさんは中国出身で日本に帰化した日本人。二人ともプレゼン本番は英語なのだが、今日のリハーサルは我々聴衆に配慮してか(?)、日本語である。母国語でない、第二・第三言語を駆使して仕事をしていく彼らを見ていると、たいしたもんだな、と単純に感心する。母国語と英語の行き来くらいであがいている場合ではない。
ところで、日本語と言えば、日本に帰ってきてから気になっていたことがあった。隣の方が電話でしゃべっているのを聞いていると、あるいはコンビニの店員を見ていると、「〜でよろしかったでしょうか」と過去形を使っている機会が多いのである。「お箸は一膳で宜しかったでしょうか?」とコンビニでいつも聞かれるたびに、「『かった』も何も、あんたそれ聞くの初めてやんけ!」と違和感を覚えてしまうのである。今回帰国して初めて感じたことであるので、米国にいたこの一年間の間に急速に広まった使用法であるのか、あるいは関西地方さらには神戸特有の言い回しであるのか、と謎に思っていたのであった。しかし、先日その疑問をふと表明したところ、「私もそれ思ってました」という方が他にもいて安心する。聞くと、特に関西地方に限った使用法でもないらしい。他にも、「〜の方はどうしますか?」の「方」という言い回し、などもよく考えればおかしな使用法だね、という話になった。などという話をしていると、後日隣の席のSさん(大学院で言語学を専攻)が「言語」なる雑誌を持参して見せてくれた。「丁寧表現としての過去形が急速に日本語に広がっている」という記事である。曰く、「英語の"Could you"あるいは"Would you"が"Can you"や"Will you"よりも丁寧なニュアンスを持つように、婉曲表現をすることで丁寧なニュアンスを持たせる意図があると思われるこの過去形表現、急速に使われ始めている」のだそうだ。
誰がキャンペーンを張ったわけでもないのにじわじわと変わって行く日本語という言語。言葉はまこと生き物であります。
(本日、まことに遺憾ながら住基ネットそのまま稼動。もはや個人のプライバシーなどないも同然である。今後ハッキングで公共サービスが大混乱に陥らないことだけを強く望む。)
8月6日(火) ヒロシマ
57回目の広島原爆の日。合掌。
昨今、「トータルフィアーズ」という映画の予告編で核爆発のシーンが繰り返しテレビで流されている。核爆発のすさまじい爆風をCGでよく再現したものである。劇場で周囲に座ったアメリカ人達が"Oh my god!"と呟くのが目に浮かぶようなシーンだ。しかし、これを作った、そして劇場で見るアメリカ人達は、かつて自分の国がこの"Oh my god!"そのままの状況を日本に二度までも現出させたことにきちんと思いを致しているだろうか、とテレビを見るたびに思う。終戦間際におけるどのような戦況判断に基づいて核使用などという暴挙に至ったのか、そして幼い子供・女性・老人を中心とする非戦闘員を10数万人も殺害するという史上例を見ない大虐殺に至ったのか。これは映画ではない事実、だ。かつて米国が起こしたこの大犯罪を、「代わりに数十万人の連合国兵士の命を救った」などという手垢のついた欺瞞のロジックに逃げこまずに、きちんと認識してほしい。謝罪とか何とかではなく、ただ認識してほしい。そしてそれは日本人に対しても同じことである。それ以上何も言うまい。
8月7日(水) 編集者急募
神戸に来てから既に何度か会っているMさんと婚約者の方を仮住まいの我が屋へお呼びしてボードゲームをする。かつては我々夫婦も自宅に招待した客にあまねく「モノポリー」のプレイを強要するボードゲーム好き、として知られていたのものだが、Mさんのボードゲーム好きはそんなものではない。日本未発売のゲームを取り寄せたり、ボードゲーム大会を主催したり、とかなりのものである。愛すべきボードゲーム馬鹿、ボーダー(意味違う)と呼んでもよい。で、今日はMさんがアメリカから取り寄せた「キャッシュフロー」なるゲームを四人で一緒にした。「金持ち父さん貧乏父さん」に出てくるゲームである。ゲームの中ではあまりにも資本主義的世界を忠実に再現しているので(勤め人である限り、結局浮かばれない仕組みになっている)、ボードに描かれた葉巻を咥えたネズミキャラに自分の貧乏ぶりを小馬鹿にされているような気さえしてくるのであるが、とても面白いゲームで思わず白熱してしまった。結果は、最後のサイコロで一発逆転の目を出して僕が優勝。この夏の運をすべて使い果たしたか。
さて。
「こうすれば受かるMBA」というホームページをご存知でしょうか。過去に実際にトップ校へ合格した人々の体験談を集めた、今後ビジネススクールを受ける人々のための情報満載のホームページであります。TUCK Class of 2002の江口さんが始めたこの企画、同じくTUCKのClass of 2003の俵さんが引き継いで、現在二年分の情報がWeb上で公開されています。僕自身受験生時代にはどれほどお世話になったか分からないし、昨年はお返しの意味もこめて原稿を書かせていただき、公開作業をお手伝いしました。で、今年。。。。どなたか「こうすれば受かるMBA」2002年版を編集していただける方はいませんか?この素晴らしいリソースを二年だけで途切れさせるのはあまりにも惜しいと思います。是非来年以降へもこの伝統を持ち越すべく、これからビジネススクールに入学されるどなたか、この企画の2002年版の取りまとめに手を挙げてください。これから過酷なMBA一年目が始まるという中で、執筆者を募り、原稿を催促し、校正し、Web上に公開し、、、、というのはなかなか並大抵の作業ではないとは思います。それでも、手を挙げてくださる方がいらっしゃることを心から期待しています。具体的なすすめ方についてはおそらく俵さんの方から引継ぎをさせてもらうことになると思いますが、基本的には好きなようにやっていただきたい、と思っています。やるよ、という方、是非橋口までメールください。宜しくお願いします。
ところで、今日本屋に行ってみると「大学生のための留学まるごと応援ガイド」というムック(この言葉を聞くとどうしても毛むくじゃらの赤いヤツを連想してしまうのだが)に僕のコメントが載っていた。スタディルームでの僕とブラッドの写真も載っている(Iさんも一緒に撮ったのに、それは載っていなかった。Iさん、すんません)。本屋で見かけたら立ち読みしてみてください。その記事自体見つけるのがすごく難しいのですが。ついでに、どっちがブラッドでどっちが僕か当ててみてください。
8月8日(木) 送別会
10週間のサマーインターンの終了を明日に控え、今日は有志の方々が僕のために送別会を開いてくれた。お世話になったいくつかの部門の人々が15名も集まってくれる。一次会で飲み、二次会でカラオケ。たった二ヶ月だったが、この人達と一緒に仕事ができたことを嬉しく思うと同時に、もう来週からは自分が他の場所へ行っているのだという事実に悲しい思いも覚える。サマーインターンを始める前まで、正直インターンシップに人間同士の出会い・触れ合いを求めるような事前の期待はそれほどなかった。だけど、実際のところは、やはりインターンとても、人生における他のすべての事象と同じく人間同士の出会いであり触れ合いだったのだ。当たり前のことだけれど。
今日は湿っぽいのはまったくなしに、いつもの馬鹿騒ぎを披露して、そしてお開きに、と思っていたのだが、結局のところ最後は少しぐぐっとくるのを感じていた。午前一時過ぎ、カラオケボックスの前で店員に集合写真を撮ってもらってお開き、である。
この魅力的な人々と一緒に仕事ができて本当に良かった。つくづく、自分はどこに行っても人に恵まれているなあ、と思う。本当に幸せなことだ。この10週間は心底楽しかった。そして今日は少し悲しかった。来年の今頃、自分はどこにいるのだろうか。
8月9日(金) インターン終了
神戸でのインターン期間も今日で終了。午前中はチームメンバーと最後の引継ぎミーティング。今後やるべき作業のリストをまとめて、それを説明しながらも、しかし自分はそのインプリメンテーションに関わることはできないという事実。リソースの少なさに頭を抱えるスーパーバイザーを前に、しかし次から次へとリソースの必要となる事項を、Things To Doとして列挙し、担当者を確認していく、というミーティング。。
昼食はこの10週間一緒にランチを取ることの多かった同僚の女性二名を自宅に招待して、妻子と一緒に素麺でランチ。日本酒とCDを餞別としていただく。
午後は、デスクの整理、インターン仲間のプロジェクトのブレーンストーミング、夕方からスーパーバイザーとパフォーマンス評価面接、お世話になった皆さんやインターン仲間とのメールのやりとり、各部門への挨拶まわり、そして最後にデジカメで記念写真を撮り合って、夜8時前にオフィスを出た。
10週間前にハノーバーから神戸に入った時のことを思い出す。あの時、何の思い入れもなかった街、意味のなかった風景が、10週間の間に数々の思い出を伴った、意味のある風景に変わっている。人生の色んな場面で見られる、象徴的な変化、だ。このインターンシップは、短い期間にさまざまな変化を凝縮した、とても濃密な時間だった。
魅力的なインターン仲間との出会い、サポーティブな同僚達との仕事、インターンプロジェクトのアウトプットがなかなか浮かび上がってこなかった時の苛立ち、そしてそれが一気に形になり始めた時の昂揚。。。本当にすべて貴重な、得がたい経験だった、と思う。
ごく限られた人以外はこのHPは見ていないはずだけれど、しかしやはり。ありがとうございました。最高のインターンシップ体験でした。
8月10日(土) 有馬温泉へ
今日じゅうにマンションを引き払わねばならないのだが、東京のマンションに入れるのは明日から。そんなわけで、今日は三宮のマンションすぐ近くのホテルに一泊することになった。慌しく荷造りをし、妻と僕のスーツケース二個を近くのコンビニから東京へ向けて宅配便で発送。その後散髪屋で散髪をし、ホテルにチェックインし、ばたばたと食事を済ませ、地下鉄三宮駅へ向かう。神戸最後の週末を、インターン仲間のIさん父娘・Sさんと一緒に有馬温泉日帰りツアーで過ごすことになっていたのである。
ローカル線にのんびり揺られて有馬温泉郷へ向かい、日帰り客専用の風呂に浸かる。10週間の疲れを癒すべく、ゆっくりと皆で湯船に浸かる、、、はずであった。しかし、今回の温泉行き、三歳の女の子二人に対して大人の女性は妻一人。従ってバランス上どうしても我々パパ二人が男風呂にて娘二人の世話をする羽目になってしまう。これがなかなか大変。「洗ってやるからここへ座れ」と言っても大人しく言うことなど聞いてくれないし、少し目を離すと濡れた風呂場を走ろうとするし、でとても「湯船でのんびり」という風情ではなかったのであった。それでも温泉に入ってさっぱりした後に、日本特有の存在であるマッサージチェアなどに座ってグリグリされた日には、幸せを感じないわけにはいかない。
温泉の後は、近くの店で夕食をとり、再びローカル線に揺られて三宮まで戻る。娘も半年ちょっと年上のIさんの娘Mちゃんと終始手をつないですっかり仲良しになっていた。仲良しになったと思ったらもう離れ離れにならなければいけないのは、少し可哀相だったけれど。
8月11日(日) 東京へ
昼前にホテルをチェックアウトし、タクシーで新神戸駅へ向かう。明日からの二社目のインターンに備えての東京への移動だ。ただし、今回はマンションが家族での滞在を想定していない単身者向けタイプなので家族で一緒に住むわけにはいかない。したがって、妻と娘は新横浜で下りて八王子にある妻の実家へ向かい、僕はそのまま東京まで乗ってマンションに入居することになる。再びしばしの別居生活へ。
夕方に辿り着いたマンションは湯島天神の門前にあるしぶいマンション。外国人の短期滞在者向け用のものらしく、基本的に室内はホテル仕様で、ハウスキーピングもついている。何よりもインターネットに高速で常時接続できることがとても嬉しい。日が落ち始めてからあたりを散策したが、マンションの前には間口の狭い甘酒屋や茶屋が軒を並べるような、それらの家の軒先には風鈴が常に鳴っているような、そんな町である。少し歩くともうあたりはラブホだらけになってしまうのではあるが。
さて、明日からはいよいよ二社目のインターンが始まる。今回も初めて経験する業界。しかも、今回は四週間という短期決戦だ。基本的にあまり出だしから「がつん」と言わせるタイプではなく、どちらかというと時間の経過と共にじわじわと力を出していくタイプの、やや「遅攻型」の僕からすると、これは少々辛い。しかし、そんなことも言っていられないので、初日からテンションを上げていく所存。
8月12日(月) インターン2社目スタート
2社目のインターン先であるコンサルティング会社へ今日から出社する。神戸では徒歩通勤だったので、一年以上ぶりの電車通勤であった。移動はすべて車で自宅から学校まで車で約5分のハノーバーでの暮らしと、職・住・遊、が徒歩圏内に近接していた神戸三宮での暮らしに慣れた我が身には、なかなか堪えるのである。しかし、今日は世間はお盆休みで電車はとても空いていたとのこと。来週が心配なり。
午前中はHRの担当者によるオリエンテーション。ランチは年末にインタビューしてもらったシニアマネージャーと。そして、午後は簡単なトレーニング。
一日まだ馴染みの薄いオフィスに居て思うことは、「知らないことの不安」「知っていることの安心」、ということである。転職をした、異動になった、入学した、あるいは転校した、それらの初日というのは、親しい友人がいないこともさることながら、周囲にあるものを何ひとつ知らない、どこに何があるのかもよく分からないということがまずもって不安であったりする。今日も午前中にはその種の不安を感じた。そして夕方には主要な人物のオフィスやその他もろもろの施設などが概ね分かるようになり、だいぶ安心感をもってオフィスを歩くことができるようになった。何にせよ、「知らない」ということは「不安」なのだ。
今後忙しくなるであろう日々に備えて初日は早々に帰宅し、マンション一階のランドリースペースにて洗濯をしたり、アイロンをかけたり。
8月13日(火) プロジェクト決定
インターン期間中アサインされるプロジェクトが、某メーカーのM&A関連プロジェクトに決定した。パートナー1名、マネジャー1名、それに僕、というたった3名しかいないプロジェクトチームである。早速どっさり関連資料をもらう。
午前中プロジェクトの概要を聞いた後、資料の読み込み。午後はまるまるパソコン関係のトレーニング。引き続いて作業スペースで資料の読み込みとリサーチ作業をしていると、突然”ドドーン”と腹の底に響くような音が。窓ガラスの外に花火が上がっている。オフィスの近くで花火大会が行われているのだった。あたりで作業していた十数名のコンサルタントが、しばらく作業の手を止め、窓際に歩み寄って夜空に上がる花火を見つめていた。
夜遅く帰宅し、さらに資料を読む。読むだけでもこんなに時間のかかるプレゼン資料、作るためには一体どれだけの労力を要したのか。
8月14日(水) オフィス環境の違い
「お盆休みで人影もまばらな丸の内」という、毎年お馴染みの写真が日経ネットに載っていた今日であるが、オフィスは結構人で賑わっていた。座席を見つけるのも一苦労である。ちなみにこの会社、ペーペーのコンサルクラスには決まったデスクというものが存在しない。"Touch Down Space"と呼ばれるオープンスペースがあり、皆適当に場所を見つけてそこで作業するのである。慣れれば誰に監視されているわけでもないこのスタイルというのも快適なのだろうが、これがなかなか慣れません。デスクがないために資料等を保管するためのロッカーがあるのだが、これも早いもの勝ちであり、社員数に対して圧倒的に不足しているのでほとんど使えない。そのため、日々増えていく資料とノートPCをすべて鞄に詰めこんで帰宅するはめになる。肩がモゲそうであります。
夜になってパートナーから「まずはこの仮説を検証してほしい」というメールあり。その仮説の説得力の高さにひとしきり感心した後、深夜まで検証作業に没頭。しかし、なかなかデータが揃わない。
すごい勢いで作業が進んでいく。つい数日前まで神戸にいたということが何だか夢の中のできごとのように思え、そこはかとなく哀しいのである。
冬学期に同じスタディグループだったアシシュからベビー誕生の知らせがあった。
8月15日(木) お盆
お盆、終戦記念日。でも深夜までお仕事です。
午後じゅうマネージャーとディスカッションする。彼と僕と、明らかにどこかが違う。それは何なのだろうか、とずっと考えながらのミーティングだった。コンサルの方法論に対する経験か、クライアントの業界に対する知見か。ちなみにこのマネージャー氏、僕よりもおそらくひとつ年少である。
ミーティングが終わってから深夜まで分析作業を継続する。日々帰宅時間が遅くなってきた。
8月16日(金) 再会そして再会
ランチは飯倉片町に移動して前の会社の同期と「新北海園」でとる。我々の送別会の時以来、一年ぶり以上の再会であった。前職時代よくランチに行った店だったので、他にも何人か元同僚と遭遇した。わずか一時間程度の慌しい再会だったので、それほどゆっくり話せたわけではなかったのだが、お互いあまり変わっていない(見た目)、ということだけは確認できた。夜の飲み会の日程をFixして慌しくオフィスへ戻る。
会社の近くを歩いていると、ハノーバーにおける我が娘のアイドルM子さんにばったり遭遇。日本に一時帰国中なのだそうである。これまでハノーバーでしか会ったことのなかった彼女と東京のこんな街中で(しかも真夏に)「あーどうもどうも」なんて話しているのはとても不思議な感覚だった。
夜は、神宮球場にてヤクルト対阪神戦をTUCKの同級生T氏、MBA友の会(通称M友)のMさんと観戦。Mさんと会うのも昨年6月23日に同じ神宮球場の三塁側内野席で会って以来、一年以上ぶりなのである。あの時も石井一久に二安打完封されたタイガースだったが、今日も1−6で良いところなく敗れてしまった。帰国後もずっと勝率5割をキープしてくれた今年のタイガースの成績には文句のつけようもないのだけれど、最近はとにかく怪我人が多すぎてスタメンがまるで二軍戦である。藤原?。。。誰?
その後は近くで開かれていたM友の某氏のホームパーティーに参加。T氏とアホトークを炸裂させて帰ってきた。
色んな人と再会できた楽しき一日でありました。
8月17日(土) ドア開かず
お仕事をしようと昼過ぎに重い荷物を抱えてオフィスまで出かけるも、何とドアが開かない。土日は通常のカードキーだけでは空かない設定になっているようだった。誰か中にいないかと思ってドアの中を覗くも、誰もいる様子なし。まさかコンサルティング会社が土日空いていないなんてことはないだろう、と勝手にアサンプションを抱き、疑うことなく電車に乗ってやって来たのだったが、がっかり。何事も思い込みはいけません。ちゃんと検証してから行動しましょう。
しかたなく帰宅して自室でせっせと計算作業をする。
お盆が過ぎて昨夜あたりから急に涼しくなってきた。今日は20日ぶりに最高気温が30度を下回ったようである。ついにこの夏も終わりに近づきつつあるようだ。ハノーバーにおけるベストシーズンは夏だろう。一方、東京・大阪における(サラリーマンにとっての)ワーストシーズンもやはり夏だろう。ハノーバーのベストの季節を見ずして日本の最悪のシーズンに俄かサラリーマンをしているわけだが、それでもやはり夏の終わりには一抹の寂莫感を感じてしまうのだった。窓の外から聞こえる風鈴の音もいよいよ涼しげになってきた。
8月18日(日) 妻の実家へ
昼過ぎに八王子の妻の実家へいきなり「今から行ってもいいですか」と電話をかけ、一週間ぶりに妻子の顔を拝みに行ってきた。テーブルから溢れんばかりのご馳走の数々に幸せな気分に浸る。湯島から八王子まで、何だかんだで片道二時間近くかかるので、なかなか尻が重かったのであるが、妻、娘、義父母、義理の妹二人と会い、犬を触り、ご馳走をたらふく食べさせてもらい、すっかりリフレッシュした気がする。やはり必要ですな、リフレッシュは。
しかし、台風が近づく中、今日の東京はすっかり秋の涼しさだった。ポロシャツと短パンで電車に乗っていて風邪をひきそうになったほどである。外は涼しくなっているのに、真夏日のままにクーラーをがんがんにかけ、扇風機をブンブンまわしている車内。「外部環境の変化に対応できていない何か」を想起させられてしまうのである。
8月19日(月) クライアントへ
午後からマネージャーと一緒にクライアント企業へ出かけ、経営戦略部の部課長とミーティング。さらに、遅れて参加したパートナー、M&A部門のマネージャーも入れてミーティング。夜はそのままクライアント企業内の施設での飲み会へと移行する。ビールをがぶがぶ飲みながら、ターンアラウンド戦略についての意見交換をした。
飲み会でクライアントの部長と話をしながら、そしてほろ酔い気分で帰りの地下鉄でパートナーと話をしながら思ったことは、これはきついとか何とか言っている場合ではないな、ということであった。クライアントは何とか自分の愛する会社を蘇生させたいと、死に物狂いになっている。コンサルタントが付加価値を出すためには、それ以上のものを何らかの形でつぎ込むしかあるまい。こんなことはコンサルタントにとっては当たり前のことなのだろう、と思う。しかし、そんな当たり前のことを今さらながら思った夜だった。
8月7日の日乗で、「こうすれば受かるMBA」2002年版の編集者を募集していましたが、このたびColumbia Business School Class of 2004の遠藤淳さんが引き受けてくださることになりました。遠藤さん、どうもありがとうございます&宜しくお願いします。そして、Class of 2004の皆様で今後遠藤さんの案内文をご覧になった方は、何卒当企画へのご協力をお願いいたします。寄稿したいけれど遠藤さんの連絡先が分からない、という方は小生までご連絡ください。
8月20日(火) 隣人
台風一過で抜けるような青空の下を強風が吹き荒れる一日。そして、ひきつづき夏の終わりを思わせる涼しさだった。
昼は「できるだけ多くの人と会おう作戦」の一貫として、戦略コンサル数社のパートナーを経験してから今世話になっている会社のパートナーに最近転じてきた方とランチ。他のファームとの違い、彼から見た当社のビジネスモデルの強み・弱みなど興味深い話を色々と聞けた。その後はひたすら深夜までデータ分析。うんうん頭を捻って新しい切り口を考える、というような段階まで至らず、ひたすら数字をこねくりまわしていた。
ところで、現在住んでいるマンションの隣人が最近外人男性に入れ替わったようである。この御仁、昨日は深夜二時頃に完璧な酩酊状態で、(おそらく)電話に向かって「どうして駄目なんだよー。君なしじゃ生きていけないんだよー。愛してるんだよー。」と一時間以上も繰り返していらっしゃった(これがまた驚くほどよく聞こえるのだ)。そして今日は友人を数名部屋に呼んでパーティーをしているらしい。時折、「うきゃーっ!!」と猿のような叫び声が聞こえてくる。いったいどういうシチュエーションになればそういう叫び声が出るのか、僕の日本人的発想では思いもつきません。
8月21日(水) プロジェクト・タイガース
今日のランチは他のプロジェクトのシニアマネジャーととる。役人からコンサルタントに転じて短期間でシニアマネジャーになったという彼は、とても豪快かつ直截的な物言いをする方でなかなか楽しかった。しかもこの方、カーディフ大MBAに留学していたM氏の大学ラグビー部の先輩だということが分かりびっくり。世間は狭いものです。
夜、プロジェクトのパートナー・マネジャーと食事をしていて、たまたまこのプロジェクトの三名全員が阪神タイガースファンであることが判明する。大阪でならともかく、東京のコンサルファームで阪神ファンだけで固めたプロジェクトなんて、なかなかないでしょう。
夕食後、オフィスでひたすらデータ分析。
8月22日(木) 時間軸の違い
一日一回マネージャーとミーティングをし、その結果を反映してまたせっせと分析する、そんな毎日の繰り返しである。明日はクライアントに中間段階の分析結果を持ち込んで先方とディスカッションをする予定なので、今日で一気に分析資料を形に仕上げた。しかし、このマネージャー、パワーポイントのスキルが半端でない。僕も密かに自信を持っていたのだが、てんで相手になりません。今日も驚愕の裏技テクを教えてもらった。
ここ二週間、この業界で仕事をしての感想は、「時間軸が短い」。アウトプットの質はひとまず置いとくとしても、アウトプットを出すまでの要求時間は圧倒的に(ほとんどの)事業会社よりも短いのではないだろうか。
秋を思わせる涼しい夜気の中、タクシーで帰宅。
8月23日(金) 六本木
雨の中、午後からクライアント企業へ向かい、第一回目の中間ディスカッション。当方で分析した結果を説明し、その内容に基づいてディスカッションをしていく、というものである。その場をリードしていくマネージャー氏を見ていて、やはり仕事は年齢でするもんではないんだよな、などと思った。
会議が終わった時に先方の部長から、「そういえば橋口さん、ホームページ見ましたよ。いい奥さんだなあ、なんて感心してたんですよ」と言われる。一瞬このホームページのことか、と思ったがどうも後半部分に思い当たることがない。よく聞くと一年前にMBA友の会のホームページに書いた受験体験記のことであった。先日、「検索エンジンに自分の名前を入れると同姓同名の人が結構いて面白い」という話題になり、「僕の場合、顔までそっくりの回天特別攻撃隊の橋口大尉が出ます」という話をしていたので、その後実際に試して発見されたらしい。サマーインターンだとは特に言わずに働いていたのだけどバレてしまったか(別に隠すつもりではないのだけど)。
その後は、六本木へ向かい、前の会社の職場の方々が開いてくれた納涼飲み会へ参加する。ほとんどの人は昨年夏以来一年ぶりの再会であったが、まだ普通の週末に同僚と一緒に飲みに来たような感を受ける。これが二年ともなるとだいぶ「久しぶり感」も強まるのだろうけれど、一年というのは微妙な期間なのだ。久しぶりの六本木は、知らない店も何軒かできていたが、相変わらず世界に冠たる活気のある街だった。一次会の飲み屋、二次会のカラオケ、三次会の六本木らしい店、そして最後に少しお茶を飲んで明け方湯島へ帰る。
上司も同僚も変わっていなくて嬉しくなった。かつての会社の仲間と飲みに行けるというのは、それだけで嬉しいことである。
8月24日(土) 実家へ
昼過ぎ二日酔の頭で起きだして、一週間分のたまった洗い物を一階のランドリースペースで洗濯。現在妻子が滞在している埼玉県杉戸町の僕の実家へ行くのだが、持っていく着替えがないのである。しかし、なぜかこのマンションに設置されている米国ウェスチングハウス社製の馬鹿でかい洗濯機が二時間たっても三時間たっても止まらない。三時間半後、「ピーッ」という音とともに止まった洗濯機の中から出てきたのは、脱水どころかすすぎさえ終わっていない泡だらけの洗濯物である。「。。。さすがアメリカ製。。。」一年間のアメリカ生活で、こういう予想外(もはや予想外でもないが)の出来事に対する耐性だけは確実に上がった気がする。とりあえず、洗濯のつづきは実家でするべく、その泡だらけの洗濯物をごみ袋に詰め込んで、そのまま実家へと向かった。
実家に着いたら、まっさきに迎えに来ると思った娘が玄関に出てこない。書斎を覗くと、父のPCで「ハリーポッター」のDVDを「これ、怖い」と震えながら見ていた。
夜は寿司を食べながら父と日本酒を飲んだ。
8月25日(日) 休日らしい休日
昼食をとった後、和室にごろんと横になっていると、いつの間にかうとうとしている。蝉の音や、バットでボールを打つ音や、「夏の昼下がり」を演出する音が意識の中で遠くなったり近くなったりする。まっ昼間に畳の上で寝るというのは、何ともいいがたい幸せ感があるのだ。アメリカの自宅のベッドの上やカーペットの上では、こうはいかない。
夕方陽が翳ってきてから、親子三人で近くの公園などへ散歩に出かける。娘は近所の子供達が固まって遊んでいるとすぐに近寄って仲間に入ろうとする。一方でちょっと高い所に上るとすぐに、「怖い」とへっぴり腰になる。「人懐っこくて怖がり」。このキャラクターは、場所が変わろうとももはや動かしがたいものになりつつあるようだ。
イベントは何もないが、のんびりとした休日らしい休日だった。夜九時頃、両親と、もうしばらくそこに滞在する妻子と別れて湯島のマンションに戻る。早くも明日から現在の会社でのインターンも後半戦に入る。
8月26日(月) ランチョンにて
部門の統括パートナーとランチョンミーティングをし、今日もまた色々な話をした。彼は、さまざまなメディアで顔を見かけるこの世界では著名な人、いわゆる看板パートナーなのであるが、随分と率直に自分の経験を話してくれた。新人コンサルタントの頃、何ひとつアウトプットを出せないままに報告会の日を迎えてしまったこと、プレゼンが苦手で報告会のたびに「下手くそ」と罵倒されながら、何とかうまくなりたいとカメラの前で何度も練習したこと、等など。傍から見ていると、「苦手なことなんて何一つありません」というように見える大物パートーナーでさえ、そんな時代があったのだなあ、と思う。そういえば、先日話をしたある人は、「子供が生まれたばかりの頃、会社で罵倒されまくって、自分が無能に思えて、家に帰って幼い子供の顔を見るたびに涙が込み上げてきた。何でこんなきつい仕事に転職したんだろう、と何度も思った。」と言っていた。
「でも辛いと思う時こそ、伸びてるんだよね」と、最後にパートナー氏は付け加えた。「もうひとつ救いなのは、罵倒は純粋にアウトプットをよくしたいからこそするんであって、足を引っ張らんがための罵倒はこの会社には存在しないことかな」とも。
刺激にもなり、色々と考えさせられもしたランチョンであった。
8月27日(火) 日本語のケース
朝からクライアント企業にあるデスクでお仕事。夕方生産部門の人々とのミーティングを終えて、会社へ戻ってさらに分析&資料作成を継続。何だか疲れてきたので、一旦帰宅して自宅でまたしこしことパワーポイントづくり。そんな一日だった。
ところで、今週金曜日に部門の全体会議があるのだが、その後でパートナーが講師となり、コンサルタント・マネージャー達が受講生となる『経営分析セミナー』が開かれるようである。その場でケーススタディを2本実施するのできちんと予習しておくように、と今日渡されたケースは嬉しいことに日本語だった。普段は、TUCKでケースをやるたびにネイティブとの圧倒的なリーディングスピードの違いとスピーキング能力の違いにフラストレーションを感じまくっており、「一度日本語でケーススタディをやってみたいよなあ」などと日本人同級生と話したこともあったのだが、こんなところで実現するとは。
今日の夕方、クライアント企業から自社オフィスで戻る途中、抜けるような青空の下、なぜか雨が降っていた。黒澤明の「夢」に出てくる「狐の嫁入り」のような見事な雨だ。橋の上から後ろを振り返ると、川の上に見たこともないような大きな虹がかかっていた。
8月28日(水) 「いつかそのうち」
一日オフィスでばたばたと資料を作成し、夕方からクライアント企業に出かけて二度目の中間説明会を行う。前回の説明会から稼働日ベースで2日半しか経っていないのだが、、、、よくこんな分析をこんな短い時間でやるもんだ。だいたいどんなペースで成果物が仕上がっていくのは分かったとはいえ、まだ時間軸に慣れていない僕にとっては今回も感心しきりのプロセスだった。それでも、何が何やら分からなかった前半戦に比べると少しずつ自分なりのバリューを出せるようになってきて、だいぶ精神的には楽になったかもしれない。今日は早めに帰宅し、洗濯と金曜日のケースの予習などをする。
ところで、実はハノーバーに帰ったらSachemで家族で花火をしたい、と思っていた。アメリカでやる線香花火もなかなかいいな、などと。で、今日帰宅途中にコンビニに立ち寄って花火セットを購入しようとしたのだが、ついこのあいだまでエンドに並んでいた花火セットがすっかり撤去されてしまっている。そう、夏は終わったのだ。その他にも今回の日本滞在中には、TUCKのイベントで使うために日の丸を何本か買って帰ろうと思っていたのだが、W杯が終わった瞬間にあんなに街じゅうの店で売られていた日の丸を見かけなくなってしまった(まあ、これは成田で買えるのだけど)。
何事も、「いつかそのうち」なんて言っていたら目の前から消えてしまうのだ。モノに限らず、本との出会いも、人との出会いも、時間も。。。。。今目の前にあるものが大事なのです。
8月29日(木) ランチ&ディナー
今日は珍しく、一日オフィスで山のようなアナリストレポートを読んでプロジェクトで使えそうな事例をピックアップしていくという、リサーチャー的仕事に終始する。
今週からもう一人サマーインターンが参加したので、現在働いているインターンは計3人になった。今日はリクルーティングチームがこの3名のインターン向けのランチとディナーをセットしてくれた。ランチは会議室でパートナー・シニアマネジャーと。ディナーは赤坂の店でシニアマネジャー・マネジャー・コンサルタント計4名と。日本酒をぐいぐい飲みながらの楽しい飲み会であった。自分と同じように事業会社を経て、さらにMBAを経て転職してきた人々と話をするのも刺激になるのだが、特に刺激になったのはディナーに参加していたまだ大学を出て三年目の若手コンサルタントとの話だ。7つも年下の彼なのだが、とにかく意識が高い。もしもこの会社に入ったら、こんな優秀な若手に始終突き上げられることになるんだろうな、などと思う。
飲み会後はインターン三名で湯島のマンションへ帰る。
8月30日(金) トレーニング
部門の経営分析トレーニングに参加する。20数名の生徒はすべて戦略コンサルタント、講師はグロービスでも講師をしているパートナー、で二本のケースを4時間半で扱う、というものである。まず一本目のケースで数名ごとのグループに分かれてディスカッションをし、その結果を前でOHPを使ってプレゼンする。HBSの某氏、LBSの某女史、そして僕、というサマーインターン三人組がつづけてプレゼンをし、講師のパートナーから容赦のない質問攻めを受けた。「何でそんなことが言える?」「本当にその結論になる?」と、なかなか厳しい。しかし、その後にプレゼンした若手アナリスト達は、「そんなんじゃここに出てる意味ないよ」「真面目にものを考えてる?」と、それこそ蜂の巣状態であった。
それにしても良質のトレーニングだ。「B-Schoolでのクラスよりも、ずっといい」というのが同じグループに入ったLBSの某女史と僕との一致した意見。すべてを日本語でやっていること、クラスメイトが全員フレームワークをしっかり持っているコンサルタントであること、を考えればある意味当たり前なのかもしれないが。言語・文化・職業バックグラウンド、などが究極的に均一化されたクラスだからこそ、という部分もあるだろう。しかし、それを差し引いても素晴らしいトレーニングだった。
講座が始まる前に全員で1000円ずつ拠出した賞金を、最後に発表される「ベストグループ」に与える、ということになっており、「絶対うちのグループでしょう」などとメンバー内で言っていたのだが、結局「みんな駄目。該当者なし」ということで、夜のボーリング大会の賞品に繰り越しということになってしまい、がっかり。
夜はボーリング大会を欠席して、築地で開かれた前職の友人達との飲み会に参加する。偶然TUCKの上級生が前職の友人の一人と現在同僚になっており、久々にその二人にも再会できた。
本日行った母の緑内障の手術が成功したとのことで、一安心した金曜日。この会社でのインターンも残すところあと一週間である。
8月31日(土) 学生時代
昼過ぎに起きだして洗濯。そして自室で仕事関係の書類を読む。
夕方から、大学時代の懐かしい友人と久しぶりに新宿で再会。日本酒を飲む。学生時代の話をし、久しぶりに当時のことを思い出す。学生時代のことを思い出す時はいつも、少し懐かしくそして少し恥ずかしいような思いを抱く。日々を無為に過ごしてしまったことに対する恥ずかしさなのか。10年後に、今僕が過ごしている二度目の「学生時代」を思い出す時には、どのような感情を抱くのだろう。
8月も今日で終わり、子供達の夏休みも終了だ。お盆、甲子園の終了、など夏の終わりを感じさせる区切りの中でも最大の区切り、8月最終日が終わった。