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10月1日(火)      ホッケーシーズン再開

もう10月だ。「早いなあ。もう10月か」と思うのだが、よく考えるといつの頃からか月の変わり目ごとに「早いなあ、もう○月か」と毎回感じているように思う。時間の過ぎる速さとというのはこれまでの人生で過ごした年月に反比例するため、同じ一年間でも幼児には極めて長く感じられ、老人には極めて短く感じられる(のだと思う)。ということは、これから死ぬまで「早いなあ」と感じつづけていくわけだ。その感じる度合いをどんどん深めながら。もっとも仮に80歳まで生きるとしても、月の変わり目なんてせいぜい600回しかないんだけど。

Database MarketingとSupply Chain Managementのグループケースライトアップを同時にやらねばならないため、今日はなかなかに忙しい一日。休みなくライトアップの分析をしている感じである。その上、スタディグループでディスカッションしているうちにだんだん頭が熱っぽくなってきた。額を触ってみると微熱がありそうである。しかし、今日はそんなことは言っていられないのである。今晩から待ちわびたアイスホッケーの練習が始まるのだ。

スタディグループ終了後、午後11時15分に練習会場の「トンプソンアリーナ」に行ってみると、一年生Tripodが先に練習している(シーズン開始後しばらくは一・二年生は別メニュー)。ものすごい人数だ。スタンドから見ていると、うまく滑れる連中もいるようだがほとんどは足元も覚束ない感じである。ちょうど一年前の自分達を思い出す。皆あんな状態からよくまがりなりにも滑れるようになるもんだ。

などと偉そうに感慨にふけりながら、いざ氷の上に出た自分はというと、これが本当にひどかった。スケートにうまく乗れないし、ストップアンドゴーもうまくできない。すぐ転びそうになる。何よりもホッケーで使う足の筋肉をこの五ヶ月間使っていなかったため、すぐに足が疲れる。これから地道な練習が必要だ。

それでも久しぶりの氷は気持ちよかった。滝のような汗をかいたら、頭の熱っぽさもすっかり消えていた。「ホッケー」と聞くと目を輝かせるT内氏を見ていて、「この男はまるで『散歩いくか?』と言われた時のうちの犬のようだな」と思っていたのであるが、それは自分も一緒か。

深夜帰宅して、ホッケー用具の洗濯をしつつ、ケースライトアップのつづきをする。またこの日常がかえってきた。これから七ヶ月間つづく長いホッケーシーズンの始まりである。


10月2日(水)      いきなりホッケー寝過ごす

昨日の寝不足がこたえ、どうにも眠くてしようがない。今日も深夜のホッケーの練習があったのだが、それまで少し仮眠しようとソファんに横になったところそのまま眠ってしまった。大事なホッケーの練習を寝過ごしてしまうという失態にブルーになりつつ、しかたなく机に向かう。

勉強の合間にさまざまな学校の友人とメールで就職に関する情報交換。皆遅くまで勉強しとるなあ、と思うと同時に、米国各地に散らばっている人々とこうしてメールでコミュニケーションを取っているという事実が何だか不思議な気がする。


10月3日(木)      ブルーベリー摘み

午後のDatabase Marketingの授業で今週の授業も終了。外へ出ると朝の曇天が嘘のような抜けるような青空である。間もなく長い冬がやってくる。冬になればスキー、ホッケー、ソリ遊びなど、冬にしかない魅力がいっぱいあるのだが、この抜けるような青空をたまにしか見ることはできなくなるのは少し悲しい。今のうちに青空の下のハノーバーの町の写真を撮ろうとハノーバーの町に出かけて、町の風景写真を取りまくった。

【青空の下のハノーバー。メインストリートに三つしかない信号の二つ目】

さらに、家族三人でWest Lebanonにある農場に向かい、「ブルーベリー摘み」及び「ラズベリー摘み」をする。しかし、ブルーベリーやラズベリーがあんな形で木になっているなんて知らなかった。実は今日までストロベリーみたいに地面に生えているのかと思っていたのだ。摘んだその場で食べるブルーベリーとラズベリーはおいしかった。娘も帰りたがらないほど、青空の下のブルーベリー摘みが気に入ったようだった。

【いざブルーベリー摘みへ出発】

帰宅後は夜遅くまで勉強する。通常木曜日の夜は最ものんびりできる時間のはずなのだが、明日朝6時出発のSupply Chain Managementの工場見学に申し込んでおり、夜は夜で予定が入っており、週明けの提出課題・発表課題なども重なっているため、今週はあまりのんびりもできないのだった。


10月4日(金)      長い一日

朝5時過ぎに起きてまだ真っ暗な中を妻に学校まで送ってもらう。Tuck Circleには大型バスが停まっている。Supply Chain Managementの"Road Trip"(任意参加)に出かけるTUCK生一団を乗せるバスだ。ランチボックスと飲み物とTUCK生を積み込んだ二台の大型バスが向かった先は、車で三時間半もかかるメイン州ニューポートにあるL.L.BeanのOrder Fulfillment Center(物流センター)だ。ニューポートはL.L.Bean発祥の地である。

ガイドが二時間かけて物流センターの中を説明してくれ、なかなか面白かったのだが、「L.L.Beanの物流センター」という名前から高度に自動化された物流センターを想像していた僕にとっては、意外なほどに手作業の多いプロセスに思えた。

その後はニューポートのアウトレット街の店を見てまわる。100店舗ほどあるらしいが、日本の定価に比べるといずれも40%ほど安い感じである(Brooks Brothersのチノパンが$29、Cole Haanのローファーが$140、等)。今のところ必要なものは特になかったので何も買わずに帰ってきたが、日本に帰国する前には是非買い物に来たい場所だ。

その後、ポーツマス市で地ビールの製造工場を見学。案内役のおばさんが、ひとつひとつビールの特徴を説明しながら試飲させてくれるのだが(アメリカの薄いビールを飲みなれた舌には本当にうまかった)、それをたてつづけに飲んでいくうちにTUCK生のテンションがだんだんと上がっていく。最後は今にも「二軒目に行くか!」と言わんばかりのテンションまで上がりきった我々を、おばさんは「ではこれから工場見学に移ります」と工場へ引っ張っていくのであった。

帰路、バスの中で"Happy Gilmore"のビデオを見ながら、夢の中へ。気が付いたら再びとっぷりと日の暮れたハノーバーだった。

夜はSachemのフィルの家で開かれたパートナーつながりのパーティーに参加する。夜10時を過ぎたあたりからお約束のカラオケに移行。子供達もマイクを手に盛り上がる。そのうち近所の住民から通報されたらしく、警官が注意しにやってきた。警官がいる間は静かにしていたのだが、彼が帰るとなぜか「やっぱり来たぜ!」とハイファイブして尚更盛り上がり、そのままカラオケ続行。そして12時前に再び通報があったらしく今度は複数の警官が登場。「もう一回やったら今度は"Citation(召喚?)"するぞ」と警告を受けたところでさすがにお開きになった(どうやら隣の住人がいつも通報するらしい)。

朝から本当に長い一日だった。


10月5日(土)      そば打ち

何かの機会に披露することもあるだろうと、そば打ちセットの一部(麺棒・包丁・小間板等)をハノーバーに持ち込んでいたのだが、これまで一度も使う機会がないままにいた。実は同級生のOさんが同好の士であるということが分かり、「いつか一緒にそばを打とう」と言っていたのだが、本日ようやく実現することになったのである。タイ人留学生のアピチャイ君も誘い、夕方からOさん宅にてそばを打ち始める。

といっても僕はこれまでそばを打ったことがあるのは二回だけ(しかも二回とも麺がぶちぶち切れてうまくいかなかった)。Oさんとてこれが四回目の挑戦である。アピチャイにいたってはもちろんこれが初めて。男三人、おっかなびっくりの作業だ。

本とにらめっこをしながらどうにかこうにか、粉に水をまぜ、こね、麺棒で延ばし、包丁で切っていく。かなりぶっとい麺になったが何とかそばらしいものが出来た。大きな鍋で茹で上げ、氷水でしめて出来上がりである。味は、まあ悪くない。奥様方及び子供達の評価も上々。しかし今回もやはり麺は途中で切れてしまった。何がいけないのか。こねかたが足りないのか、それとも水と粉のなじませ方がまずいのか。たぶんその両方なのだろう。いやはや奥が深い。

冷やした日本酒をいただきつつ、そばをすする。最後は蕎麦湯で締める。うまい。一瞬米国にいることを忘れる瞬間。今後はもっとうまいそばを打てるよう、精進しようと思う。

帰宅後、ソファで仮眠し、朝までアサインメントと格闘した。

【アピチャイ君が打ち、切ってくれた蕎麦。「きしめん?」とか言うのは禁止の方向で】


10月6日(日)      珍しく勉強の話

空が白み始めてからベッドに入り、昼過ぎまで眠る。午後から学校に出かけてひたすらお勉強。図書館で明日のSales Promotionのクラスで発表する資料を作成し、コンピュータラボでDatabase Marketingのクロスセリングデータの統計処理をし、スタディルームでCorporate Restructuringのスタディグループミーティングをする。

帰宅してからもSales Promotionの発表準備に精を出す。Sales Promotionのクラスは1クラス約20名程度と小規模であり、教室の形態も通常のコロシアム状ではなくラウンドテーブルで行われる。ビジネススクールの授業としては大変珍しく、ケースはまったく扱わず、扱うのはセールスプロモーションに関する研究文献ばかり。毎回"Discussion Leader"として指名された人間がひとつの研究文献についてクラスメートに説明し、適宜質問を投げかけつつその後のディスカッションを仕切っていく、というスタイルだ。そして明日"Discussion Leader"に指名されているのが僕というわけだ。しかし、Seminar形式のこの授業、ドメスティック日本人にとっては結構きついのであります。

明日のCorporate Restructuringで扱うケースは非常に興味深かった。通称(?)「プチプチ」などの梱包材を作っているSealed Airという会社の”Leverage Recapitalization”のケースだ。手元流動性に加えて巨額のDebt financeをして株主にどかんと一時配当を還元し、結果負債のTax shieldその他によって企業価値を上げようというリストラクチャリング戦略である。興味深いのはその際一時配当によって大幅な債務超過に陥ることさえも辞さないことである。たしかに理論的には充分なキャッシュフローと成長性さえあれば企業価値は上がるのだが。。。。日本ではこんな極端な戦略は貸し手に受け入れられない(というか理解されない)のではないか。僕自身、ロジックよりもまず感覚的に「自分が経営者ならこんなリスキーな戦略は嫌だな」と感じてしまう。やはりどんなに理論を学んでも、僕という個人は感覚に左右される部分が大きいということなのか。ちょっとこのケースは興味深かったので、珍しく勉強の話などを書いてみました。

竹中発言を受けて日経平均が大幅に下げバブル後最安値を更新中。


10月7日(月)       忙しい一週間の始まり

午前中のSales Promotionの授業でやる予定だったDiscussion Leaderは時間切れによって明日に持ち越しとなった。

図書館で明日のCorporate Restructuringの予習をしつつ、合間にフィールドスタディのアプリケーションを提出する。カバーレター一面に切々と「どうしても行きたいのだ」と訴えたつもりではあるが、果たしてどうなるか。ところで今週は、火曜日はSupply Chain Management (SCM) のシミュレーションセッションが夜に行われ、水曜日はDatabase Marketingのかなり面倒なライトアップがあり、木曜日にはSCMのライトアップもある。ということでなかなか忙しくなりそうな週である。

帰宅すると妻が娘のハロウィン用の衣装として購入した「パワーレンジャー」の衣装が、椅子の上にかけてあった。脱がれた衣装というのは何となく滑稽で笑いを誘う。しかし、ハロウィンか。もうそんな季節なのだ。


10月8日(火)       億万長者とオークション

一日延びたSales PromotionのDiscussion Leaderの内容は、まあこんなもんか、という感じ。しかし、優秀なアメリカ人学生がやるような、何往復もの丁丁発止のやり取りを通じて議論を深めていく、なんていうリードぶりとは、当たり前だがまるで違う。こちらから一方的に論文の内容を説明し、「こういうケースは、皆はどう思う?」と質問を投げ、何か意見を言ってくれた学生に対して、「なるほど、なるほど」と相槌を打ち、「ちなみに僕はこう思う」と意見を言う、、、、平均ディスカッションは一往復半、である。フラストレーションがたまる。ちなみに1クラス20人の学生のうち、インターナショナルは僕を含めて4人とかなり少なめ(イギリス・フランス・スペイン・日本)で、かなりアメリカ人に寄った人数配分だ。

授業終了後の夕方からはDatabase Marketingのアサインメントに関するスタディグループ。会計ソフト会社の10000人の顧客データそれぞれのデモグラフィックその他の特性と一回目のダイレクトメールに対するレスポンスデータを与えられ、さて二回目にどの顧客にメールを出すのが最も効果的か、というDatabase Marketingの定番の問題だ。Regressionをかけ、リストをセグメント化し、10000人の中からレスポンスの可能性の高い顧客を選んでいく。何とか時間内に対象顧客を選別し終える。

夜7:00から9:00まではSupply Chain Managementのオークションセッション。"FreeMarkets"というB2Bオークションソフトウェアを使ってグループ対抗で自社製品をメーカーに売っていくというオークションをシミュレーションする。リラックスしたゲーム感覚で楽しいことは楽しかったが、内容自体は残念ながら二時間もかけてシミュレーションするほどのものとは思えなかった。それよりも興味深かったのは、今日"FreeMarkets"の説明をしてくれた人物の存在。同社を創業した元CEOである。普通のおっさんである彼は、実はNASDAQにIPOした当時、新規公開株としての史上最高値をつけた同社の株を数年前に売却して引退したという億万長者なのである。こうしてTUCKで授業に参加するのもボランティアのひとつか。こういう桁外れの億万長者って、日本ではなかなかお目にかかれないのであるが、彼のような人物が周囲にいるといないでは、アントレというものに対する精神性が随分違ってくるだろう、と思う。

億万長者とオークションをした後はホッケー。


10月9日(水)        山越える

久しぶりに眠気に勝てず、授業の合間に図書館の机で午睡をとる。二時間の午睡の間に呆れるくらい夢をたくさん見た。

夕方Supply Chain Managementのライトアップについてスタディグループでディスカッション。ソニアがディスカッション結果をライトアップにまとめてくれて、無事終了。帰宅後はDatabase Marketingのライトアップを書き上げる。まだ明日が残っているが、忙しかった今週もこれで山を越えたのを実感した。どうやら今週はどの授業でもアサインメントが多かったらしく、「朝7時までかかって宿題をやった」「何で二年生になってもこんなに忙しいんだ?」といった声をよく聞いた。

今日も夜10:15からホッケーのTripod内リーグへ。点数を取られまくっての完敗だった。一年生がまだホッケーに慣れていない今は、二年生と一年生との間に明確な実力差があり、二年生プレーヤーがパックを持つと一年生で固めたディフェンスのラインなどはもうどうしようもない。しかし、自分自身のプレーはまったく満足できるレベルになく、こんなことではあっという間に一年生に追い抜かれるのではないか、と焦るのだった。

帰宅して予習のつづき。


10月10日(木)       ビジネスウィークランキング

ライトアップを提出時間間際慌てて仕上げたり、3分で昼食を完食したり、スケートの練習に行って転んで氷で後頭部を強打したり、色々あった木曜日であったが、今日で一週間も無事終了したのであった。

午後5時からビジネスウィークの2002年ビジネススクールランキングの”ライブカウントダウン”が始まるというので、同級生とスタディルームに「禁制品」のビールなどをこっそり持ち込んで発表をウェブで見る。これは、ランキングの存在自体の是非論とは離れた、まあ一種の「お祭り」である。野暮なことは言わず、缶ビールを握りしめ盛り上がるべし。「Non-USランキング」でカナダ勢の大躍進を見た後、いよいよアメリカのビジネススクールランキングへ。TUCKはなぜかビジネスウィークのランキングには相性が悪く前回(2000年)は16位まで急落していたので、20位台あたりから何となくドキドキしながら発表を見守る。しかもこの発表、単にWEB上に表示されるのではなく、ジャック、ジェニファー、ブライアンという何やら素性の知れぬ三人組がチャットしながら発表していくという仕組であり、合間に無駄な会話が多く挟まれていて結構イライラする。

で、結果はTUCKは10位であった。うーん、まあ予想の範囲内か。ちなみに1位はKelloggだった。Chicagoが2位、ウォートンが5位、など少しずつ予想外の結果はあったものの、全体としては至極「普通な」ランキングだった。

尚、今週に初めてMBAランキングを発表するEconomist誌のランキングではTUCKは2位であった(1位はやはりKellogg)。

ちなみに公的に発表されている主要なビジネススクールランキングにおけるTUCKの順位をまとめると、
Wall Street Journal:           1位(二年連続)
Economist:                       2位
Forbs:                             4位
Financial Times:                9位
US News & World Report:   9位 
Business Week:               10位

という感じ(いずれも米国内のみ)。「ランキング」と一言で言っても発表主体で結構バラツキが大きいのが分かると思います。在校生の立場で見ると、自校のランキングを見守るというのはあたかもオリンピックで日本代表選手を応援しているようなものであり、自分にとってたいした意味をもたらさないのは分かっていてもつい盛り上がってしまうような、一種お手軽なイベントであるとも言える。とりあえず、今日のイベントも楽しかった。

Business Week Economist
1. Kellogg
2. Chicago
3. Harvard
4. Stanford
5. Wharton
6. MIT
7. Columbia
8. Michigan
9. Duke
10.Tuck
1. Kellogg
2. Tuck
3. Duke
4. Chicago
5. Stanford
6. Columbia
7. UCLA
8. IMD
9. Virginia
10.Yale

夜は元隣人I氏宅に家族でお邪魔し、遅くまで酒をいただいた。


10月11日(金)      スペイン語スタート

今日からスペイン語のクラスがスタートした。同級生クリスチャンの奥さんポーラがボランティアで教えてくれるクラスに他の奥様二人と一緒に参加する。極めて単純な会話でさえ、スペイン語に今までまったく触れたことのなかった僕は甚だ頭を混乱させられる。単数→複数、男性形→女性形とかやっているともうこんがらがってくるのだが、ポルトガル語圏から来た奥様は、「スペイン語はこれがまったくの初めて」と言いながら、やすやすとこなしている。やはりスペイン語とポルトガル語は共通点が多いらしい。「日本語の名詞には英語同様男性形、女性形はないし、実は複数形すらない」と説明したが、特に複数系がないというのはかなり驚きに値することであるらしかった。

ポーラは母国アルゼンチンでスペイン語の教師だったというだけあって教えるのが非常に上手だ。しかも二人の子供をベビーシッターに預けてまでボランティアで教えてくれるのだから非常にありがたい。何とか卒業までにはスペイン語で一般的な会話くらいはできるようになりたいものだと思う次第。

夜、Corporate Restructuringのかなり重めのアサインメントに取り組む。ある会社をLBOするに当たり、その会社の買収価格を提示し、銀行借入はいくら、劣後債はいくら、など細かいdebt structureに関するプランを併せて提示せよ、というものである。まずはバリュエーションから、と計算を始めたが、あっという間にスタックする。久しぶりに思考停止。こういう時は気分転換をするに限る、とウィットモアのジムに出かけてひとしきり運動をしてさっぱりした気分で帰宅して再び机の前に座る。。。。が、やはり分からない。

午前四時前まで格闘したが、混沌とした頭でまともなものができるわけもなく、ティーチングアシスタントに山のような質問をメールで投げてとりあえず寝ることにした。


10月12日(土)       LBOそしてカラオケ

正午からLBOのスタディグループ。事前の準備という意味では甚だ心もとなく、今日は最低6−7時間はかかるか、と覚悟して挑んだスタディグループだったが、意外にもさくさくと進み、午後四時過ぎには明日までの作業の方向性と割り振りを確認して解散することができた。あたかも、ベストスコア110前後の人間が四人集まってプレーしたのに四人のベストボールを選んでプレーしたら90が出てしまった、という感じ。うまくいかない時はその逆のことも当然わるわけだけど、こういう「それぞれの強みを生かしあった=各人がちゃんと貢献した」という実感がある時というのは、終わった時になんとも言えぬ、まるで風呂上りのような満足感が得られる(例えがややおかしい)。

帰宅後、自分のパートのライトアップを書き上げてから、同級生Kさん宅で開かれるポットラックカラオケ大会に向かう。何度も日乗で登場するカラオケであるが、これはもう決して日本人だけの文化ではない。特にラテン系の連中はカラオケが大好きなようだが、それ以外の国の連中にもなかなか根強い人気がある。今日のパーティーも日本人の他、韓国・メキシコ・アルゼンチン・エクアドル・アメリカ・ロシア、などの学生が参加していた。日本以外の国にカラオケがここまで広まっているというのは、TUCKに来て初めて知ったことであるが、もはやこれは立派な日本の輸出品というべきか。

ちなみに日本語の歌はEカラを使用するが、それ以外の歌はWEBからMIDIファイルをダウンロードしてテレビ画面に歌詞を映し出して歌う。もちろんちゃんとスピーカーにつなぎ、マイクを使用する。十数年前のCDカラオケ並のクオリティは充分あるのである。

今日も夜一時過ぎまでKさん宅に居座ってカラオケをしてしまった。意味不明の言葉で歌われる、不思議な旋律をもった"Fisherman's Song"なる歌(兄弟舟)に、戸惑った笑いを浮かべるラテン系奥様方の姿が印象的な夜であった。

【広いKさん宅リビングに集まったポットラックカラオケパーティ参加者】


10月13日(日)       楽しい?

午後から昨日に引き続きLBOのスタディグループの二回目。昨日持ち帰ったライトアップをconsolidateして、クラスでプレゼンするパワーポイントスライドを作成して、三時間程度で終了。二日で計7時間であれば、まあ上出来でしょう。

引き続きSupply Chain Managementの水曜日提出のアサインメントに関するスタディグループへ。ミシガン州のとある地場酒類卸会社の物流倉庫の立地及び配送ルートに関する最適プランを作成せよ、という問題である。しかし、現実のビジネスよろしくほとんどの前提与件が与えられていない(現実には前提与件はすべて詳細な調査で導かれるものだろうが、このアサインメントでは与件から自分達で決めていかねばならない)ため、各人のアイデアが立脚している前提与件が実はそれぞれ異なっていたりして、ディスカッションが迷走する。二時間ほどたって、議論が前にも後ろにも進まなくなったので、「とにかく今日は与件だけ合意しよう。後は合意した与件に従ってモデルを僕が作ってメールで送るから、火曜日にもう一度皆で集まって細かい点を議論しよう」と申し出て、30分ほど前提与件だけを話し合ってからお開きに。

帰宅していざモデルを組み始めてから、少し自分の申し出を後悔する。複雑さは中くらいなのだが、手間がかかる度合いが半端ではない。四時間くらいひたすらマシーンと化してエクセルモデルを作っていたが、まだ半分出来たかできないかである。午前二時をまわったあたりで妻が「先に寝るよ」と、書斎に入ってきた。

そして、ラップトップの画面に映った配送ルートモデルを見て一言、「楽しい?」。
僕即答して曰く、「全然楽しくない」。
「え、楽しくないんだ」と妻。

うーん。たしかにそう反応されると、その反応ももっともだと思わされる。ビジネススクールへの留学は楽しかったか(楽しいか)と聞かれれば、迷わず「楽しい」と答えるだろう。自分の意志で皆ここに来ているわけだから、それが楽しくなかったらやばい。では、何が楽しいのか。ソーシャライジングやホッケーなど課外活動だけが楽しく、勉強の部分は楽しくないのか、というとそんなことはまったくない。ビジネススクールの楽しさ=勉強の楽しさ+それ以外の楽しさ、なりき。しかし、ミクロで「今やっていること、楽しい?」と聞かれると、「全然」と迷わず答えてしまうのである。振り返ると、これまで学んだクラスすべて、学んでいる内容を少し俯瞰できた時のみにその「楽しさ」が実感できている気がする。どっぷりはまっている時は、「きつい」「辛い」「眠い」感覚の方が頭を出してきて、「楽しさ」を押し込めているのだ。そして、俯瞰できる時というのは、往々にしてそのタームが終わった時だったりするわけだ(もちろんターム中にもそういうことはあるが)。「ああ、このクラスは本当に楽しかったな。身についたな」と、学期中の「全然楽しくない」感情などころっと忘れ、しみじみと思うわけである。

妻の一言に、色々と考えた次第。皆さん、楽しいですか?


10月14日(月)        Jell−O

”Jell−O”なるものを、知っているだろうか。

セールスプロモーションの授業でNeslin教授が今日も熱く語っていた。「このプロモーションに関する面白い事例でJell−Oに関するものがあるんだよ。Kraftが1990年代に行ったトレードプロモーションで。。。おっと、ところでこのクラスの中に誰かJell-Oを知らない人はいるかな?」

皆、"No way"とでも言いたげな表情で顔を振る。

「だよね。ま、一応聞いてみた方がいいと思って。というのもこのあいだ、とある知り合いと話していて、Rolling Stonesの話をしていたんだけど、ひとしきり話した後で彼が、『ところでスコット、転がる石(Rolling Stones)ってさっきから何回も言っているけど、一体どこを転がってたんだい?そもそも転がる石ってどういう意味だい?』って聞くんだよ。あーっはっは!!」

皆も爆笑。

このNeslin教授、この手の小ネタを挟むのが大好きでどこまで本当の話かは分からないが、しかしJell-Oというのが彼らアメリカ人にとってストーンズと同じくらい、あるいはそれ以上に知名度の高い存在だということは確からしい。ちなみに、Jell-Oとはクラフト社の作るこれのことである。僕も渡米した当時は知らなかったこのJell−O、あまりにも色んなところで売られているので、試しに食してみたことがある。「こんなものが商品として売られているということが、しかも恐ろしいくらいによく売れているということが信じられない」、というのがその時の感想である。そして、それから二度と食べていない。どぎつい合成着色料(蛍光ブルーなどもある)のゼリー、甘ったるい味、こんなものばかり食べているからこの国はデブと馬鹿が増えるのだ、と思わされる(馬鹿は関係ないかもしれない)。

Supply Chain Managementのモデルは今日も図書館で四時間ほど費やしてようやく完成。チームメイトにメールで送ってホッケーへ。


10月15日(火)        体調悪化

Corporate Restructuringの授業では、ゲストスピーカーとしてTUCK卒業生であるゴールドマンサックスのアソシエイト氏が登場した。彼はゴールドマンでLBOを担当しており、今回我々が行ったアサインメントのためのケース・参考資料などを準備してくれた人物なのであるが、アソシエイトレベル(MBAを出て投資銀行に入ると普通アソシエイトからスタートするので、言わば「ペーペー」)がゲストスピーカー(Visiting Executive)としてTUCKにやってくることは非常に稀である。教授からも、「おそらく最も若いVisiting Executiveです」と紹介されていたが、笑顔を絶やさず、率直な人柄が伺える受け答えで、非常に好感の持てる男であった。

彼曰く、「僕も教壇ではなくて、皆さんの側に座りたいですよ。皆さんももう二年生だからよく分かると思うけど、TUCKでの生活というのはそれはそれは特別なものです。今思い返しても最高の二年間でした。毎年ここに来るたびに思うのです。TUCKの学生に戻れるものなら戻りたい、と」。

ここ一週間ほど、洟水が出、咳き込むことが多かったのだが、この授業が終わったあたりから急激な悪寒に襲われ始める。夜、サプライチェーンマネジメントのミーティングをしているうちに、関節もぎしぎしと痛み始めた。熱が上がる徴候である。二時間ほどミーティングが経過した時点でこれはいかん、と判断し、途中でミーティングを抜けてT氏に自宅まで車で送ってもらった。サプライチェーンのライトアップも残りはメンバーにおまかせ、その後にミーティングをするはずだったデータベースマーケティングのアサインメントも自分のエクセルファイルを送って、「申し訳ないけどかくかくしかじかなので、後は宜しく頼んます」とメールする。皆、「早く帰れ、後は心配するな」「薬持ってるか」「明日は休め。ハンドアウトは取っておくから」と口々に言ってくれる。風邪を引いた時というのはいつも、仲間のありがたさを実感すると共に、実は自分がいなくても地球(仕事)は変わらずにまわっていくのだ、という普遍の事実に気付く時でもあるのだ。

帰宅後すぐに薬を飲んであたたかい格好をしてベッドにもぐりこむ。ここまでの悪寒を感じたのは留学後初めてのこと。「病は気から」というが、実際気持ちが張っている時は風邪などひかないものであり、やはり二年目で気持ちがたるんでいるといわれてもしようがあるまい、と思う。


10月16日(水)       全国ネットデビュー

昨夜9時から12時間ほどぶっとおしで寝たらだいぶ体調はよくなったようだ。体調優先・睡眠確保のため、午前中のサプライチェーンマネジメントの授業は、本来の8時15分からの授業ではなく10時スタートの授業に出席することにする。少し遅れて教室に入ると、ジョンソン教授の隣にテレビクルーがいて授業の様子を撮影している。「TUCKのプロモ用ビデオの撮影か、それともローカルのニューハンプシャーTVか、あるいは超ローカル(というよりホームビデオをひたすらケーブルで流しているだけ)のアッパーバレーTVか何かだろう」と気にもとめずにいたら、何と全国ネットのNBCであったらしい。

今日のスタディグループはデータベースマーケティングのみ。毎週毎週データの分析及びライトアップがあってなかなか面倒なのだが、手法を頭に刷り込むには確かにこれが一番良い方法だと思われる。今日のケースのテーマはクラスターアナリシス。まだ頭がボーっとしていてよく働かないらしく、ラボで統計ソフトのアウトプットを眺めていてもデータの意味するところがすんなり頭に入っていかない。極めて効率が悪いのである。しかも、夕方入っていた一年生の方との就職関係のアポをすっかり忘れるという失態まで演じる。社会人としてあるまじきことで、大いに反省。

夜、同級生Iさんより「もうすぐ12chのNBCに出ますよ」と電話連絡があり、慌ててテレビをつけると、今朝の授業風景がテレビに映されていた。僕が画面に映ったのはわずか0.5秒。「あっほらパパだよ。パパいたねー」という言葉に、娘は「え?どこ?パパどこ?」と女性ニュースキャスターの姿を見つめつづけるのであった。


10月17日(木)        単純化された世界

一週間の授業を締めくくる木曜日の授業はサプライチェーンマネジメントとデータベースマーケティング。サプライチェーンマネジメントでは、在庫に関するさまざまなモデルを機関銃のような勢いで説明するジョンソン教授に圧倒されつつ、必死でメモを取る。後で見返してみたら、モデル自体に数字を入れれば最適解が出てくることは分かるのだが、その背後にある意味がさっぱり分からぬモデルがいくつもある。明日金曜日のオプショナルの在庫モデリングセッションにやはり出る必要があるようだ。(しかし、このジョンソン教授、時々タイムマネジメントがぐちゃぐちゃになって最後に駆け足になるのだけが唯一の欠点である。彼はこの課目を2クラス教えているのだが、1クラス目の失敗を2クラス目では修正しているであろうことは想像に難くない。これは僕が常に後ろのクラスを取りたい理由のひとつでもある。)

授業終了後、家族とウェストレバノンへ買い物へ。妻がドラッグストアでちょっとした買い物をしているのを車の中で娘と待っていると、「ねえパパ。変な人がいるね(別に変な人でもないのだが)。あの人いい人?わるい人?」と聞かれる。別に悪い人にも見えないので「いい人じゃない?」と答える。つづいて、「あ、あの人変なめがね(サングラス)かけてるね。あの人わるい人なんじゃない?」

娘はどうしても、世の中を「いい人」と「わるい人」の二極に分化させたいらしい。実際には人は皆幾ばくか「いい人」であり、いくばくか「わるい人」であり、ただその配合度合が人により、あるいは同じ人でさえ時により異なるだけである。善良な家庭人だって企業犯罪に荷担したりする。「真面目な良い人」がカッとなって人を殺めたりする。彼は「わるい人」?「いい人」?そのどちらも正解なのだよ-----そんな説明は娘には通じない。娘は身のまわりのすべてを単純化することでそれらを理解しているのだ。

娘を見ていて想起させられるのが、アメリカ=よい人、イラン・イラク・北朝鮮=わるい人、という単純化された世界観である。残念ながら国民の大多数が教育レベルが低く、ゴシップ誌とFOXだけが情報源のようなこの国では、こんな三歳児級の単純化された世界観が信じられないくらい当たり前に受け入れらていく。

「千と千尋の神隠し」が封切りになったときの映画評論に、「映画の質としては素晴らしい映画。しかし惜しむらくはストーリーが複雑すぎて興行的には成功しないだろう。国民はもっと単純なストーリーを求めている」という印象的なものがあった。たしかにアメリカ人のマジョリティが好んで観るハリウッド映画は、始めに「いい人」と「わるい人」を誰にも分かる形で明示し、そしてそれは決して覆されることがない。

単純化された世界、といえば、ビジネススクールで学ぶ数々のモデルの多くは(今日SCMで学んだ多くのモデルも、需要供給曲線も、種々のパリティも、CAPMも)、現実にはありえない単純化された仮想の世界に立脚したモデルである。「ボラティリティは一定」だなんて、どこの世界だってありえないし、それはもはやある意味ボラティリティでさえない。しかし、単純化された世界に基づくモデルは現実の世界の事象を説明するのに極めて有用なのだ。幼児が少しづつ世界の複雑さを学んでいくように、少しづつ変数を追加していってモデルはその完成度を深めていく。

三歳の娘、アメリカ中心世界観、映画のストーリー、ビジネススクールで学ぶモデル、、、、単純化された世界に思いを馳せた週の終わり。


10月18日(金)        アイデンティティ

午前中はサプライチェーンマネジメントのオプショナルセッションに出席する。

午後からは二回目のスペイン語の授業。一気に会話に出てくる単語数が増え、早くもきつくなってきた。今日の生徒はブラジル人奥様、アメリカ人奥様と三人だったのだが、明らかにこの三人の中では自分が一番出来が悪い生徒である。授業終了後は「来週までにかなり頑張って挽回するぞ」とか思うのであるが、すぐに学校の予習に押し流されてスペイン語の勉強は後回しになってしまうのだ。

夜は、一年生の日系アメリカ人ケンジ君と彼のリンクであるT氏を招待してのディナー。日本語をもっと練習したい、というケンジと英語をもっと練習する必要のある我々による「ランゲージパートナーディナー」と銘打っていたのだが、結局気が付いたら会話はほとんど英語に。ところでケンジの将来の夢は「子供を世界レベルのアスリートにすること(できればサッカーあるいはアルペンスキー)。」であるらしい。日系アメリカ人の彼のガールフレンドは中国系オランダ人。子供が生まれたらその競技の特性に応じて日本・アメリカ・中国・オランダの四つの国の中から国籍を選択させたい、とか。「サッカーならやっぱり日本のナショナルチームに入れたい」そうだ。子供をアスリートに、という話はよく聞くが、四つの国籍の選択肢を頭の中に思い浮かべるという発想自体が純ドメスティックジャパニーズの僕の中には考えられぬことであるので、とても新鮮だった。

様々な人種が混在して暮らしているアメリカは「人種の坩堝=メルティングポット」と称されることもあるが、その実彼らはあまり混ざり合っておらず、メルティングポットというよりもモザイクといった方が正しいようだ。白人は白人と、黒人は黒人と、アジア系はアジア系と結婚する確率が非常に高い。ケンジも、アメリカで生まれ育ったアメリカ人であるのに、やはりメンタリティはアメリカ人のそれよりもずっと日本人に近いと感じるということだった。結婚相手としては、いくら言葉のコミュニケーションに問題がなくても白人アメリカ人は考えられないのだという。また、いくら国籍がアメリカでも、やはりイチローはじめとする日本人メジャーリーガーや、サッカー日本代表の活躍に、一番心が躍るのだとも言っていた。

テーブルの上に乗った日本食(コロッケが日本食かどうかはともかく)を「わあ!Today is like my 天国ですよ。」と喜んで食べてくれたケンジ君は、結局午前二時過ぎまでアルコールを飲みながら彼の中の日本人アイデンティティに関わる話を色々と語ってくれたのだった。


10月19日(土)        ジョブマーケット

NH州の紅葉の名所、ホワイトマウンテン(ハノーバーから車で三時間程度北上したあたりにあるエリア)に紅葉を見に行こう、と言っていたのだが、朝起きると今にも降りだしそうな一面の黒い雲。天気予報サイトも「降水確率80%」とのたまっている。やむをえず中止にしたところ、午後からやはり大粒の雨が降り出した。昨日は好天であったし、明日の予報も晴天である。かなり日頃の行いが悪いようだ。昨年うっかり紅葉見学をしそこなったので、今年は是非見に行きたいのであるが。

午後からそぼ降る雨の中をバーモント州にあるクイチー渓谷まで出かけた。渓谷にかかる橋の上から見た木々の紅葉度合いはまだ7割、という感じ。それでもこの雨の中を多くの観光客が橋の上から峡谷を染める紅葉を見下ろしていた。こちらでいつも不思議に思うのであるが、なぜアメリカ人は雨の中でも傘をささない奴が多いのだろうか。日本だと、95%以上の確率で道行く人々が傘をさしているような本降りでさえ、こちらでは傘率30%程度であったりする。傘をささないで歩くことがマッチョなのか?濡れること自体が好きなのか(たしかにテーマパークの濡れ系アトラクションのアメリカ人の間での人気は凄まじい)?謎である。

ところで、来週末に二度目のボストンキャリアフォーラムが迫ってきた。今年はフォーラムのために授業を休む必要もなく、またフォーラムにつづき一週間の「リクルーティングウィーク」と称する中休みがあるので予習を前倒しする必要もなく、そういう意味では比較的落ち着いた準備ができている。しかし、相変わらず就職状況の厳しさを実感させられることが多い。僕はTUCKのデータベースその他にレジュメを公開しているので、いくつかの企業からインタビューしたいと連絡が入ることがあるが、それらはほとんど例外なく僕の前職のキャリアに関連したポジションに関するものである。いわゆる「キャリアチェンジ」を前提とする話はほとんど入ってこない。不況になればなるほど企業は採用の際の重点を候補者のポテンシャルから過去の経験値へとシフトしていき、そして採用の絶対数自体をどんどん絞りこんでいく。僕を含めて「キャリアチェンジ」を前提として入学する者が多数をしめる学生側とは当然大きなアンマッチが生じてくるわけだ。ジョブマーケットの厳しさは、事前の想像を遥かに上回る。昨年の二年生でもまだ就職先が決まらず、TUCKの図書館などで顔を合わせることが結構あるのである。この厳しいマーケットの中、皆が希望に近い職を見つけられればよいが。

何か天候と同じで暗い話になってきたので今日はこの辺で。


10月20日(日)        スロースタート

日曜日のスタディグループで、ビジネススクールの一週間がまた始まる。今週はCorporate RestructuringとDatabase Marketingのケースがそれほど重くないので、僕にとっては比較的穏やかなスタートとなった。しかし、ファイナンス系科目を重点的に履修している同級生達は今週ミッドタームがあるため、週始めからかなり疲れている感を受ける。

同じスタディグループメンバーである新潟国際大学からの留学生アピチャイにT氏が「週末はどうだった?」と聞いたところ、「週末?僕達に週末なんかあったっけ?」という答え。彼によると両校のワークロードの厳しさは「比べものにならない」そうだ。もちろん彼が履修してきた、そして現在履修しているクラスにもよるので、単純比較などはとてもできませんが。

今日のスタディグループはサプライチェーンマネジメントのケースライトアップのみ。「ヒロシは前回モデルにかなり時間を費やしたんだから今回は休むべきだ」とケビンが主張して、ほとんどの負荷を彼が肩代わりしてくれた。じゃあその分別のところ(妻)にお返しを、と皿洗いと娘の入浴を買って出たはいいものの、風呂にお湯を張っているうちに娘と一緒にソファで寝入ってしまう。そうこうしているうちに妻がジムから帰ってきてしまい、結局お返しはできずじまいに終わったのだった。


10月21日(月)        加速する秋

TUCKの二年生の秋学期は一週間のリクルーティングウィークを除くと正味9週間しかない。既にそのうち5週間が経過して現在6週間目に入っていることに今さらながらふと気付き、少しくショックを受けた。この間始まった秋はもう終わりに近づいている。留学生活二年目の一日一日が素晴らしいスピードで過ぎ去る。

まだ紅葉のピークまでは少し間があるか、と思っていたセイチャムの木々があっという間に色づき、そして葉を落とし始めた。我が家の後ろに聳える大木もあっという間に一面金色の美しい姿になったかと思うと、もう3割がた葉を落としてしまった。夏の間、我が家の前の駐車場に涼しい木陰を作っていたメープルも、真っ赤に染まった後に気がついたら大半の葉を散らしている。まだ緑濃い芝生の上に金色の葉が散らばる様は美しい。朝日の下で見る裏庭の美しさは本当に息を飲むようだ。今度写真を撮ろうと思いつつ、いつもギリギリまでベッドの中にいる僕にはとてもそんな時間はないのだった(本当にそれはそれは美しいので今度無事写真に撮ることができたら載せまする)。

今週からオンキャンパスインタビューが本格化。キャンパスでスーツ姿の同級生の姿を目にすることが増えてきた。


10月22日(火)        懐かしい人々、ディプロマ

セールスプロモーションとコーポレートリストラクチャリングの授業を受け、スタディグループへ。今日のスタディグループはデータベースマーケティングのみ。明日提出のライトアップに関するミーティングであるが、先週から前・後半の二回にわけてのライトアップであり、既に半分終了していたので、今日は一時間程度であっさりと終了した。

ここのところ、たてつづけに懐かしい人からメールをもらった。元同僚、後輩、学生時代の先輩、そして留学準備中のカウンセラー・デバリエ氏。彼らからのメールを読んで、頭の中で何かが少しだけ巻き戻された。留学を決めた頃のこと、卒業後のこと、などを否応なく考えさせられた。

今日、学校から「Diploma(学位記・卒業証書)に記載してほしい名前のスペルを正確に書いて提出するように」との書類が届いていた。そう、もうそんな時期なのだ。しかし、"Will your mom be upset if you omit your middle name? Don't laugh; it's happened."という言葉には、笑うなと言われても笑ってしまった。


10月23日(水)        初雪とスキット

朝目覚めると窓の外は雪景色だった。昨年の初雪は10月8日だったものの、その時はちらつく程度。積雪はおそらく11月中旬まで見られなかったと記憶しているので、昨年よりもかなり早い積雪である。今年の冬は例年どおり寒い冬になるのだろうか。落葉が一気に加速し、セイチャムの落葉樹にはほとんど葉はなくなってしまった。紅葉の季節、終了である。

朝8時15分からのサプライチェーンマネジメントでは同級生のスキット(風刺劇)に久々に大笑いした。”インスティル”と”eスカイ”というSCMソフトウェア会社(食品系と酒類系)の2つのケースを題材に、グループ毎にスキットもしくはケースライトアップのどちらかを選ぶというアサインメントだったのだが、スキットを選択したグループが3つあったのだ(我々のグループはライトアップを選択)。

1つめのグループは日本人Sさん、Iさんのいるグループ。ウェストレバノンの日本食レストラン「ベニハナ」で神戸牛のメニューを目にし、「こんな田舎で神戸牛が食えるんか!」と喜んでそれをオーダーするヤクザ(Sさん)、サプライチェーンの問題で神戸牛の配達が間に合わず他の牛肉を神戸牛と偽って出すウェイター(Iさん)。硬い牛肉に激怒したヤクザがレストランを脅し、レストランがSCMの改善を求めて泣きつく、というストーリーである。関西弁で怒鳴りまくるヤクザのセリフがスクリーンに訳されるたびに教室は大爆笑だった。

2つめのグループは、ドタバタヒーロー物風。教室の後方からブルロープを振り回しながら登場し、観客がオーダーした数とまったく違う数のお菓子を配りまくる「ブルウィップマン」(サプライチェーンの上流から下流にかけて在庫が大きくなることを”ブルウィップ効果”という)、おんぼろシステムにいつまでもしがみついている「レガシーITマン」、ペーパーワークの山に埋もれた「ペーパーマン」を、ヒーロの「インスティルマン」(白い下着パンツ、白いTシャツにでかでかと”I”の文字、そして黒いタイツ着用)がやっつけるというもの。朝イチの授業とは思えぬハイテンションに、教室じゅう爆笑である。

アメリカでつくづく思うのは、一般人の「演じる」ことに対する敷居の低さである。ラジオを聞いていても、電話出演した聴取者が驚くほど巧みに、ウィットたっぷりにDJと会話していく。学生が行うタレントショーなどでの演技やイベントのDJも極めてうまい。一般的日本人の間に存在する演じることへの照れみたいなものがまったく感じられないのだ。おそらく彼らは小さい頃からさまざまなことを大仰に表現することをトレーニングされているのだろう。そんな中で素晴らしい演技をしていたSさん・Iさんの日本人二人は素晴らしい。

ジョンソン教授も大笑いした後、「いったいどうやってこの状態からリカバーすればいいんだ」と嘆きつつ授業をスタートしたのであった。


10月24日(木)      犯人逮捕

ワシントンDC周辺で連続狙撃事件を起こして米国世情を騒然とさせていた犯人がついに捕まった。元米兵の黒人であったが、17年前にイスラム教に改宗していたというから話はややこしい。「アルカイダが関係している」「いや、ジミー・カーターの影が見え隠れする」などと色々とネット・テレビが喧しい(さすがにテレビではジミーカーター云々などと言う奴はいないが)。

先日CNNを見ていたら、「犯罪心理学の専門家」という太ったヒゲのおっさんが出てきて、連続狙撃犯のプロファイリングなるものを行っていた。「おそらく、犯人は今この瞬間もこのテレビを見ているであろう。君のプロファイリングはこうだ。30代後半、白人、やや右よりの思想を持ち、軍隊出身で狙撃の腕に自信がある、あるいはミリタリーマニアだ。」断言である。自信満々だ。狙撃犯の存在よりも、鼻の穴をひろげながら得意気に語る彼の存在を見ているほうが、何だか虫唾が走る気がした。「科学的」だか何だか知らないが、僕はこのプロファイリングなるものが嫌いである。占いと同じくらい唾棄すべき詐欺的存在だと考えるし、これで金をもらうという行為には詐欺罪の適用ができないものか、と思ったりすることも占い師と同様である。結局犯人は、40代、黒人、ムスリムであり、当たっていたのは「軍隊出身」だけだった。あれだけの狙撃技術を持っていれば、軍隊の経験があることくらい誰でも予想できるんじゃないのか。

今日の二つの授業が終了して、明日からは10日間の「リクリーティングウィーク」に入る。僕も明日から日曜日までの三日間、ボストンで行われるボストンキャリアフォーラムに参加する。明日は早朝7時過ぎにハノーバーを発つ予定。


10月25日(金)      ボストン・キャリアフォーラム @ 〜クジラ・再会〜

朝7時半過ぎに同級生二人をピックアップし、インターステートにてボストンへ向かう。午前10時過ぎにはボストンキャリアフォーラム(BCF)会場であるWorld Trade Center Bostonに到着した。

毎年そうなのだが、戦略系のコンサルティングファームはBCFには出展しない。そして僕は投資銀行には興味がない。従って会場でインタビューができる企業数自体がどうしても限られてしまう。今日は特にインタビューの予約なども入れていなかったため、ひととおり会場をまわると特にすべきことがなくなってしまった。

午後から、空いた時間を活用して思わず会場近くの埠頭から出るWhale Watchingの船に乗り込む。あまり期待していなかったホエールウォッチングだったが、港を出て一時間少々経過したあたりでおもむろに船が進みを停めた、と思ったらいきなり船のすぐ近くにクジラが背中を出した。「これは二歳の若いクジラ、キャパです。今餌を取りにもぐっています」と海洋生物学の専門家がクジラの行動を色々とマイクで解説してくれる。結局キャパは一時間近くも船の近くでもぐったり浮かんだり潮を吹いたり、とエンターテナーぶりを発揮して乗客を楽しませてくれた。

夕方からはBCF会場近くのホテルで夏の間インターンをしていた会社のレセプションに参加。「インターン参加者の声」ということで経験談などをお話しする。インターン仲間、もともと知り合いだった他校の一年生、久しぶりに会った会社の人事部の人々、などとビール片手に話す。できればそれぞれ一時間くらいは最低話したいところだったが、如何せん参加者は多く、時間には限りがあり、慌しい再会となった。

さらに宿泊先のホテルに帰ってからは、受験生時代の友人やその知人などとラウンジで話す。ケロッグのKさんとは昨年4月に新宿御苑の花見で会って以来一年半ぶりの再会、BUのTさんとは昨年のBCF以来一年ぶり、、、など懐かしい顔が多くあっという間に時間が過ぎた。

ホテルの部屋に戻った時は既に深夜。プライスラインで一泊$60で落としたこの部屋を今年もまたT内氏とシェアしているのであった。ベッドがツインでなくクイーンベッドだったことだけは想定外だったが、価格最優先の我々にとっては関係なし。T内氏が眠るクイーンベッドにもぐりこんだ瞬間に眠りに落ちた。


10月26日(土)      ボストン・キャリアフォーラム A 〜インタビュー・レセプション〜

午前中、一社とインタビュー。BCFのインタビューには事前にスロットの予約をとる方式とその場でスクリーニングを受ける方式と二種類がある。前者は直接各社のブースの裏側に並ぶインタビューブース(カーテンで仕切られた個室)に入ってインタビューを受けるもの、後者は各社のブースに並んでその場でインタビューを受けるもの、だ。後者の場合も、引き続きあるいは後刻、「もう一度インタビューを受けていただけますか」ということで裏のインタビューブースに行くこともある。ほとんどの場合、「もう一度」は次の段階に進んだという意味であり、良いサインである。ただし、今日のインタビューは前者のケースなので直接インタビューブースへ。

今日のインタビュアーは僕とバックグラウンドが似ており、共通の知人も多く、楽しく会話をすることができた。

夜は午前中インタビューを受けた会社のディナーへ。ダウンタウンの和食屋である。畳の上で口にする寿司・刺身・熱燗はうまく、会話も楽しかった。会社によっては、「このディナーはスクリーニングだ!君達の態度を全部チェックしているぞ」という雰囲気がいかにもプンプンしているところもある。学生同士が何とかアピールしようと競い合い、空虚な質問と自己の見解の開陳を繰り返し、結構辟易することもある。その点今日のレセプションの雰囲気は楽しかった。

その後、昨日ゆっくり話せなかったインターン仲間と集合して飲む。神戸の街で何度も飲んだ彼らとボストンでこうして飲んでいることが不思議な気がした。

午前三時前にようやくホテルに戻ったが、実はサマータイムが今夜終了していたたらしく、時計の針は午前二時前に戻っていた。


10月27日(日)     ボストン・キャリアフォーラム B 〜雑感・ハノーバーへ〜

三日間のBCFもいよいよ最終日。午前中にサマーインターンをしていた会社の方と面談し、午後からは同級生二人とそれぞれ奥様から依頼されていた日本食材の買出しにポータースクエアにある「寿屋」へ向かう。山のような米、調味料、などを買いこんでから最後のインタビューを終えた同級生を会場でピックアップし、インターステートで一路ハノーバーへ。午後7時過ぎにはハノーバーに到着した。

今年のBCFも多くの友人・知人に再会でき、非常に有意義な三日間だったが、一方でジョブマーケットの厳しさをこれでもかと実感させられる三日間でもあった。通常のマーケットの状況であれば、とっくに複数のオファーを得ているであろう優秀な友人達でさえ、なかなかオファーを得られない。そしてそれはトップ中のトップと言われる学校であっても同じである。もともとMBAの求人を出す企業の多くは極めて景気センシティブなので、景気の悪化に応じて極端に採用数を絞ってくる。景気変動に影響されにくい業界のポジションもあるにはあるが、他業界志望の学生が流れてくるので倍率が急激に上がっている。

そしてそういった状況の中で、明らかに単なる「採用する側の立場の強さ」を「おのが優秀さの証左」であると勘違いした面接官連中を多く見かけることになる。横柄な態度、見下した物言い。いったい何様だお前?お前自身が偉いのか?彼らには是非「奢れるものは久しからず」「盛者必衰の理」という言葉をかみしめてもらいたい。このジョブマーケットの中ではいつ自分が逆の立場になるかもしれないし、今日の応募者が明日の顧客に変わることも充分ありえるのだ。ああいう応募者を舐めきった態度を取りつづける彼らには哀れさと情けなさを禁じえない。友人達と会場で立ち話をするたびに、「自分が逆の立場になった時に、ああはならないよう気をつけよう」という話が出ていた。

もうひとつ印象に残ったのが、海外留学中の日本人アングラ諸君のルックスの奇抜さである。ひげ、ピアス(耳・鼻)は言うに及ばず、ベッカムを上回る鋭角のとさか髪、「自分はフロリダから来た」ということをアピールしているらしいオレンジ色の髪、ネガポジを間違えたと思われる黒シャツ、ルパンと錯覚させられる赤シャツ、、、、いったいどことインタビューしようというのか?ちなみに「リクルートスーツ」というのは言葉こそ違えアメリカにも存在しており、TUCK生もインタビューの時は皆ダークスーツに白シャツを身につける。彼らのルックスは「アメリカだから」などという理由はまったく当てはまらない。

もちろん話をした中には極めて意識の高いアングラ学生もいたが、どうしても会場を行き交うこれらの珍獣に目を奪われつづけた三日間であった。


10月28日(月)      インターナショナル・フィールドスタディ

12月に行われるフィールドスタディの事務局から、「メンバーに選ばれた」という連絡があった。行き先は、、、、何と日本。その国の言葉を話せる人間が必要だという理由で、6人のメンバー中3人が日本人になっている。12月には米国のイラク攻撃が始まるとの報道もあり、行き先がインドネシア・マレーシア・フィリピンなどテロの影響を受けやすい場所になった場合はキャンセルをしようか、などと考えていたが、日本というのはかなり意外なロケーションだった(過去のフィールドスタディでは日本国内のクライアントの実績はゼロだ)。

プロジェクト内容も面白そうな内容なので、前向きに検討することにする。滞在中の生活費などバジェットが許せば、だが。


10月29日(火)      巻き寿司ディナー

四時近くまで起きていて朝寝坊をしてしまったため、本日午前中に予定されていたとあるサプライズ企画への参加はできず。残念。

夕方からブラジル人同級生のソニアを自宅に招待して巻き寿司クッキングディナー。日本食が大好きだという彼女とその場で巻き寿司を作って食べる。イタリアワインを手土産に持参してくれた彼女の実家では、7−8歳の頃から(!)食事中(ランチも)にワインを飲む習慣があったという。「ワインの味を見分ける舌を小さな頃から鍛えるため」だそうな。父親はポルトガルから大人になってから移住してきた人で、父親の家庭での習慣をブラジルでもほぼそのまま踏襲していたらしい。そうやって鍛えられた舌を持つ彼女にとっては、アメリカのワインは「どうしようもなくまずい」ものだということで、当方で用意していたカリフォルニアワインは最後まで出せなかったのであった。

一年生の時から同じスタディグループだったので彼女のことはだいぶ知っているつもりだったが、こうして少人数で長い時間話すのはよく考えると初めてのことである。お互い新発見が色々とあり、色んな意味で面白いディナーだった。

【ソニアさん(とヒロシ)が巻いた寿司。初挑戦にしては、まあまあいけているのではないかと。】


10月30日(水)      キッズ・ハロウィンパーティー

TUCKキッズの毎年恒例行事”キッズハロウィンパーティー”がブキャナン寮のホールで行われた。昨年は妻子が帰国中だったので、一人で参加したパーティだったが、今年は無事家族揃っての参加となった。娘は”パワーレンジャー”のピンク色のヤツに扮装、嫁さんは何だかよく分からないが、パツキンのギャルに扮装している。僕はちょんまげヅラを一応持参したものの、会場でカメラを構える平服のパパの群れを見てあっさりヅラをしまいこんで、平服カメラマンに徹することに。個人的に今回最も面白かった扮装は、日本人同級生Tさん夫妻の扮装(アフロ男とコギャル?よくわからない)であった。

それにしても、子供(大人も)のコスチューム、かぼちゃ、お菓子、パーティグッズ、などなどハロウィン関連商品は実に幅広い。アメリカのハロウィン市場は日本のバレンタインデー市場よりもはるかに大きそうだ。日本の玩具メーカー・菓子メーカーは日本にハロウィンを定着させるべくもっと知恵を絞るべきだろう。

ちなみにハロウィンといえばつきもののパンプキンを昨夜僕も彫ってみた。彫ること15分、かなりナイスなドラえもんができあがったので掲載いたします。

【小生が彫ったドラえもんパンプキン。かなりの自信作である。】

夜は某社と電話インタビュー。B−School受験時に受けて以来久しぶりの電話インタビューかつ日本語では初めてである。同じことを説明するにしてもface to faceと電話では随分と違って、これがなかなか難しい。電話インタビューの難しさの原因は「英語」ではなく「電話」にあることが分かっただけでも(両方か?)、良い経験であった。


10月31日(木)      ふたたびボストンへ

午前中スペイン語レッスン。一週間ほとんど勉強していなかったため、昨夜一夜づけで勉強したところは何とかうまくごまかせても地道な努力が必要なところはもうボロボロ。言語修得の道は厳しいです。ところで同じクラスにブラジル人の奥さんがいるのだが、これが初心者のくせに驚くほどスペイン語がよくできる。ポルトガル語とスペイン語がだいぶ似た言語であるとは思っていたが、実際のところは似ているどころではなく「70%ほど同じ言語」であるらしい。ポルトガル語を母国語とする人はスペイン語はしゃべれなくても聞けば意味は分かるような(その逆は無理だとか)。標準語と琉球弁よりも近いということか。そんな人が初心者クラスにいるのはミスマッチではないか。

昼から同級生Mさんと相乗りしてまたもボストンへ。夏の間にサマーインターンをしていたコンサルティング会社がボストンのホテルで開くレセプションに参加するためである。しかし今日はハロウィンのため、ボストンに入るインターステートが日本の首都高を彷彿とさせる渋滞ぶりで3時間半かけてようやくホテルに到着する。ホテルのロビーにも仮装した客が多かった。レセプションの前に久しぶりに会ったパートナーと面談し、レセプション、そしてディナーへ参加。午後10時過ぎにホテルを出て、午後12時半にハノーバーへ帰ってきた。

今後ボストンでレセプションをする会社が数社あり、そのたびにこうやって往復四時間強かけてハノーバー・ボストン間を往復することになる。その他にもインタビューなどが入る可能性があり、徐々にワークロードがきつくなってきた授業と合わせて、なかなか多忙な秋学期後半になりそうである。


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