MBA留学日乗 2003年01月 | ホームへ | | 前月へ | | 翌月へ |
1月1日(水) ニューイヤーデイ
新年がやってきた。あいにく空は薄曇りであり、晴れていれば美しかろうはずの初日の出は拝めなかった。朝食には雑煮、数の子など正月気分を醸し出してくれるものを食す。
その後は午後から教授宅を引き払うためにシーツの洗濯をしたり、荷物を車に運びこんだり。途中洗濯用の洗剤がないことに気付き、最寄のスーパー(といっても8キロも離れている)まで洗剤を買いに行く。山道はスケートリンクのようにぴかぴかに凍っており、注意深く轍を避けて運転する。スーパーのあるNorwichの町は正月のハレの雰囲気は微塵も感じさせず、いつもの町のまま。このあまりにも「普通」の世間の中、元旦のハレの雰囲気を家中に作り出すことは、ある意味「力技」に属する行為だ、と思う。天皇杯もない、大学・社会人ラグビーもない、箱根駅伝もない、特番もない、新聞の新年特集もない、年賀状の束もない、、、あるのは「誰が何と言おうと今日は正月なのだ」という己が信念だけだ。
昼過ぎ、車に満杯に荷物を積み込み、山の上のMassey教授宅を引き払い、セイチャムへと帰ってきた。
夜は一年生M内さん宅へ夕食にお呼ばれ。M内さん、Nさんと共にワインやテキーラなどをがぶ飲みし、またしても相当に酔っ払う。新年早々酔っ払いで大変失礼しました。おいしいお食事、ご馳走様でした。
いよいよこの日乗も三年目に入り、"Class of 2003"の2003年がやってきました。つまり我々がビジネススクールを卒業する年になったわけであります。TUCKに入学した頃、"Class of 2003"と自らの学年を称する時、2003年という年ははるかかなたに霞んで見えるか見えないかの存在でしたが、いつの間にか我々の卒業年たる2003年は目の前にやってきていました。自分がいる今が既に2003年なのだという事実は少なからず私を驚かせます。時はいつも我々の予想を上回るスピードで過ぎていきます。これから先の人生の、あらゆる年が、あらゆる時がそうであるように、これから先の六ヶ月間もやはりあっという間に過ぎていくことでしょう。我々の予想を上回る速度で。あっという間に過ぎていくであろうこれからの六ヶ月間の毎日を、この日乗の上に変わらずに綴っていきます。どうぞ2003年も宜しくお願いします。
1月2日(木) スペイン語 ホッケーごっこ
正月らしく(?)一日じゅう家の中にて過ごした一日。理由はふたつ。(1)またしても二日酔だったこと、そして(2)スペイン語の勉強をする必要があったこと、である。スペイン語は新年一回目の授業=テストが実は明日であったということを今日になって知り、慌てて一夜漬け状態で試験範囲の復習をしている次第(ムリありすぎ)。同じく明日今年一回目の授業=テストのある妻も慌てて勉強している。
勉強の合間に娘とホッケーごっこなどをして遊ぶ。先日娘用に小さなホッケースティックのおもちゃを買ってあげたのだが、狙いどおり娘はそのスティックでやるホッケーごっこに夢中になりつつある。我が家の床はリノリウム調のつるつるした素材で覆われており、パック(に見立てたテーピングのロールだが)が非常によく滑る。この床の上で、スティックでテーピングロールをカンカンと打ち合うのだが、これがなかなか氷上のホッケーの感触を彷彿とさせ、面白い。しばらく我が家で流行りそうな予感がするホッケーごっこだった。
1月3日(金) スノーストーム・ウォーニング
明日から一泊でボストン観光旅行に出かける予定でプライスラインでホテルを落としていた我々一家なのではあるが、何と今晩から明日にかけて東海岸諸州に大雪警報が発せられているらしく、一日中テレビ・ラジオで繰り返し大雪関連のニュースが流される一日となった。曰く、「一晩で15−20インチ(60センチ)は積もるでしょう」「明日は外出を控えた方がいいでしょう」「気温も低く、路面は凍結も見られるでしょう」。よりによって、とはこういうことを言うのか。我ながらなかなか見事な「引き」である。
午後からポーラとスペイン語のレッスン。うちの娘とポーラの娘のクララを別室で遊ばせて、何度も中断させられながらレッスンを行う。いやあ、スペイン語の方も猛勉強が必要だ。
夕方ウェスト・レバノンのウォルマートに買い物に出かけるが、雪のため通常10分で帰ってくる帰路に何と45分も要してしまった。帰宅後もあっという間に車が、庭が、雪に覆われていく。いつまでもやむ様子を見せず、しんしんと降りつづける雪。どう見ても明日ボストンに行けるとは思えない。つい、「どうせ行けないのだから」と高をくくり、明け方4時過ぎまで同級生から借りた日本のテレビドラマのビデオを見てしまったのだった。
そういえば、アルクの「2003年度版 アメリカ留学辞典」に僕の取材記事が載っていたらしいです。P41にTUCKのAssistant Deanのサリーと並んで写真に写っているぽちゃぽちゃした奴が小生です(鶴瓶以外の何者でもないな)。書店で気が向いたら立ち読みしてみてください。しかし、高校・大学時代の僕は海外留学なんか考えたこともなかったのですが、世の中には中学生・高校生から海外留学を志して、こんな本を読んでいる人々がいるわけですね。立派です。
1月4日(土) ボストン行き取りやめ
朝起きると雪は止んでおり、「これならボストンにも行けるのでは」と思わせるコンディションであった。雪に埋もれた車を掘り出し、路面の状況を確認するために高速を2区間だけ走ってみる。しかし、やはり路面の除雪は完全ではなく、ところどころにシャーベット状になった雪が残っているため、特に坂道などではタイヤがよく滑る。コンパクトカーでインチの小さなタイヤを履いたセントラをうらめしく思うのはこんな時だ。四駆のSUVだったら、おそらく何の問題なく二時間の距離も走りきれるだろうが、ニ駆の彼はたった数マイルの道を走るのにも、「嫌だ嫌だ」という始末。そのうちに雪も再び降り出したので、結局ボストン行きは諦めることにした。タイヤのサイズのありがたみというのを日本にいた時にはこれほどまでに感じたことはなかったのだが、NHでの二年間の生活は我々に一種の「ビッグタイヤシンドローム」「ファットタイヤ信仰」のようなものさえ植え付けてしまったかもしれない。おそらく日本に帰ったら、過剰なまでにでかいタイヤを履いてしまいのではないか。
結局レンタルビデオ屋でビデオを三本借りてきて自宅で静かにビデオなどを観る一日とあいなった。予報では午後に入れば止むはずだった雪は夕方になってもしんしんと降り続いている。それを見ながら、「やっぱり行かなくてよかった」、と確認する。既に行くのをやめた以上、確認してもしようがないのだが、確認する。それが人間の心理というものなり。
1月5日(日) バー
午後から大学へ出かけて構内を散歩。ダートマスグリーンの中央には今だにでんとクリスマスツリーが鎮座しており(こちらではクリスマスが過ぎて年があらたまってもリースやツリーなどを多く見かける。昨年は一月中旬でもまだ結構見かけた。12月25日が過ぎたら慌ててツリーをしまい込む日本、1日11日にはきちんと鏡開きをする日本、はやはり几帳面な国民なのか)、一面の雪に覆われている。”ダートマスホワイト”だ。夏や秋も良いが、白い雪に覆われたベイカーライブラリーも非常に美しい。荘厳な雰囲気さえ漂う。
グリーンからTUCKに向けて歩いていると、構内で同じく散歩(?)をしていたシャンク教授と会う。”Hi!”と笑う教授は、普通のおっさんである。
夜は二年生になってから引っ越したSさんの新居にお邪魔し、ワインをいただく。かつてのSさん亭は落ち着いた調度品に溢れ”バーS”と呼ばれるTUCK生憩いの場であったが、新しい家もやはり”バー”の香りを漂わせる空間だった。Sさんはワイン、音楽、インテリアなどに造詣の深い非常な趣味人。茶道も習っていたとのことで、最後はお茶まで出してもらった。ビジネススクールに留学している人々における「趣味人比率」とでも言うべき割合が非常に高い、のはなぜだろうか。
遅くまでワインを飲んで、またしても酔っ払った。
1月6日(月) いよいよ冬学期開始
いよいよ今週から二年生冬学期がスタートする。といっても、今日は授業の登録とパケットの購入だけであり、授業は明日からだ。色々と悩んだ結果、5つの授業のパケットを購入。帰路にブックストアに立ち寄ってテキストを購入する。
一年生の春学期以降ほとんどテキストを使用していなかったのだが、今学期は久しぶりに厚めのテキストが三冊も登場した。しめて約4万円。べらぼうに高い。ちなみにパケットの代金の方もtuitionに含まれているわけではなく、一教科あたり数ドルから100ドル程度(含まれるケース・リーディングの数によって差がある)の代金を毎学期支払うことになる。Tuitionはもともとからして高く、しかもインフレのほとんどなくなった今年でさえかなりのtuition値上げをされたことを考えると、ビジネススクールというのは何と学生から多くを搾取していることか、と思ってしまうのだが、実際のところはフルタイムMBAの学生一人あたりの収支は大赤字であるらしい。フルタイムMBAの赤字をExecutive Programの黒字とDonationで埋めているのが現状らしいのだ。
かほどのtuitionとother expensesを払い込んでもまだ追いつかないほどのコストと手間ひまをかけた教育を、我々は受けているということになるわけだ。
帰宅後パケットを読んで、早速明日の授業に予習が課されていることに気付き、慌ててケースを読む。のんびりと過ごした冬休みから学期モードにうまく順応できるか少しく不安なれど、何とか再びスピードを上げて頑張っていきましょう。
1月7日(火) 授業スタート
冬学期の初日は以下の三つのクラスを受講した。
・Countries and Companies in the International
Economy (Professor Bernard/Slaughter) = 国際マクロ経済学
・Implementing Strategy: Management Control Systems (Professor Vijay
Govindarajan) = 戦略実行論
・Financial Reporting and Statement Analysis (Professor Howell) = 財務諸表分析
午後一番に受けた二つ目のクラスが、通称「VG」ことビジェイ・ゴビンダラジャン教授のクラスであった。VGは毎回全米ビジネススクールの”5ベストプロフェッサー”に名前の上がる、TUCKで最も大物と言っても良いインド人教授である。あまりに大物すぎて通常はエグゼクティブコースで教えていることが多い。鋭い眼光。ピカピカに磨き上げられた(?)頭。きついインド訛り。「あなたの今言ったことは理解できないな」「それでは私の質問に対する答えになっていないよ」と厳しく生徒に突っ込んでいきながらも顔は笑顔、ただし目は笑っていない、そんな感じだ。戦略論の種々のフレームワークは使うのだが、表層的な分析に留まらず、「本当にそうか?」「本当に本当にそうか?」と何度も問い掛けてディスカッションを深めていく取り回し方は実に見事。今後がとても楽しみなクラスだ。
たまたま三つとも同じクラスを取っているジムとジョーとスタディグループを一緒に組もう、と言っていたのだが、VGのクラスはTUCKには珍しくグループワークがないことが判明し、財務諸表分析についてはチームはすべて教授がアサインするということが判明した。ということでスタディグループはやや流動的に。
夜、一ヶ月半にもわたる長い南米旅行から帰ってきた同級生T氏、及びスペインIESEの友人ラバンバ氏と電話で話す。また、来年からのTUCK入学を決めた方とメールのやり取りをする。T氏及びラバンバ氏との会話では残り少なくなった学生生活と「卒業後」に関する話が出、新たに留学される方とのメールでは「入学後」に関する話題が出る。
1月8日(水) 授業すべて出揃う
本日は以下の2クラスを受講し、冬学期の授業がすべて出揃った。
・Art of Modeling (Professor Powell / Goldman) = モデリングはアートだ!
・Strategic Brand Management (Professor Keller) = 戦略的ブランドマネジメント
モデリングのクラスでは、パケットの1ページ目にいきなり”All models are wrong; some are useful”というデミングの言葉が引用されており、パウエル教授(この人もその分野では有名)のモデリングに対する姿勢が伺えた。ゴールドマン教授が「まあアサインメント一回あたり6時間程度の予習でOKでしょう。あまり時間をかけすぎてもしようがないから」とワークロードについて説明した後に、パウエル教授が「6時間なんてとんでもない。彼はある種のモデリングの天才だからそんな短時間でできるだけで、彼の言うことは真に受けない方がいい。普通の人間は10時間でも足りないかもしれない。コンサルタントは一日24時間×7日間常にクライアントのことを考えつづけているべきだし、君達もアサインメントについてはそれくらい考えてほしい。他にワークロードの重いクラスを3つ取っている人はこのコースはドロップすることをお勧めする」と否定していた。二名の教授の連携のまずさが初回にして垣間見えるクラスである。
ところで、この授業の中で、"The Modeling Heuristics"として以下の6点をウェブスターの言葉から引用していた。このheuristicsは(特に1から3については)、モデリングに限らず世の中のあらゆるプロブレムソルビングに敷衍できることではないか、と感じた。
1. Begin with
the end in mind
•2.
Simplify the problem
•3.
Break the problem into modules
•4.
Graph key data and relationships
5. Build a prototype
•6.
Parameterize & do Sensitivity
ブランドマネジメントのクラスはこれまたTUCKの誇る大物教授であるブランドマネジメントの大家ケビン・ケラー教授による授業である。人気のあるクラスでもあり、また初回ということもあって通路にも学生が座っている状態だったが、それでも抽選なしでVGやケラーのような教授の授業が取れるのは小規模校TUCKならではの良さだろう。初回はコース内容の説明がほとんどであり、内容の良し悪しを判断するには早すぎるが、大いに今後に期待を持たせてくれるスタートではあった。
夜、男女混成の学内ホッケーリーグの試合に参加し、2−1で勝利。二ヶ月近くぶりのホッケーで疲れきった。
1月9日(木) 歯痛
Art of Modelingの授業終了後、ブランドマネジメントの授業開始までに教室前でうっかり同級生と話をしていたところ、座席がなくなってしまい、通路の階段の座って授業を受ける羽目に。人気のあるこの授業では早めに行って座席を取っておくことが鉄則だったのだが。階段に座って受ける授業は、尻が痛くてなかなか集中できなかった。
夜になってから右下の奥歯が激しく痛みはじめた。渡米前に神経を抜いて根治していた場所なのだが、歯根の奥が腫れているような鈍い痛みだ。アメリカの歯科治療は、もうとにかくべらぼうに高い。一回数万円かかることもザラであるらしく、できれば歯科医にかかることは避けていたいのだが。歯が痛み始めて最初に頭に浮かんだのはそのことだった。歯の痛みと戦いながら明日の予習。
1月10日(金) ディナー
本日で学期最初の一週間の授業が終了した。長いブレイクの後のために、どうにも予習の効率が落ちており、昨晩などはほとんど十時間以上机の前に座っていながら、最終的にまとめられたものはわずか三時間程度のアウトプットでしかなかった。もう少し効率を上げてかからないと、来週からは大変だ。
夜は6週間にも及ぶ長い南米・南極旅行から帰ってきた同級生T氏の帰国祝い食事会をT内一家も呼んで我が家で行う。ゲストが到着するまで、妻がてきぱきと料理を仕上げていく脇でアシスタントとして、味付けや下ごしらえなどを手伝う。T内家の息子”ポンちゃん”がお泣きになって一家が早めに帰った後も、明け方までT氏と話をした。
1月11日(土) 三叉神経痛か?
目覚めると、右側の歯痛が相当ひどくなっていた。痛みの範囲は下側の歯だけにとどまらず、上の歯の周囲、歯茎全体、鼻骨、頬、側頭部、後頭部にまで及んでいる。痛みがあるのは、いずれも顔の右半分だけだ。ここに至って、どうやら原因は虫歯などではなく、神経系の問題なのだと知る。妻が家庭の医学百科で調べたところによると、「三叉神経痛」という病気に非常に症状が似ている。
起き上がって勉強でもしようかと思ったが、日常生活に耐えられないほど痛い。痛みを感じている時は、この痛みさえ取り除いてくれれば、もう他には何もいらない、とさえ思える。実際にはそんなわけはなく、痛みがなくなれば新たな煩悩が出てくることは言うまでもないのだが、痛みに耐えている時の精神状態は何だかとてもピュアなものだ。古来より、多くの人々が痛み自体を宗教上の試練として捉えてきたことなどに、無宗教の僕でさえもふと思いを致す。
しばらくソファでうなっていたが、どうにも我慢ができず、日本から持ってきていた「ナロンエース」を服用して再びベッドに戻って眠る。眠っている間だけが痛みから逃れられるのだ。明日はヒッチコックメディカルセンターに行かねばならないか。
1月12日(日) ヒッチコック・メディカルセンターへ
昼前に目覚めた時には思いのほか痛みがない。すこぶる快調に思え、病院行きをとりやめ、午後から図書館に出かけて勉強しようとしたが、そのあたりから俄かに歯が痛み出した。結局勉強を諦めてヒッチコックメディカルセンターへ向かう。救急外来で診てもらったところ、歯の治療をした個所の奥が細菌に感染して化膿していることが原因となった神経痛だとのこと。その場で痛み止めと抗生物質を処方してもらったが、根本的な治療は歯科医でないとできないとのことだった。
娘を連れてきたことはあるが、自分でヒッチコック・メディカルセンターを使用するのはこれが初めて。受け付けのおばあさんに診察券を作ってもらう。「このカードはずっと使えるから持ってなさいね。卒業75周年パーティーの時でも使えるからね」「75周年?僕はもう108歳ですわ」と笑うと、「笑い事じゃなくて、75周年リユニオンって本当にあるのよ。結構たくさん卒業生が集まるんだけど年寄りばかりだから、実は病院も忙しくなるんだけどね」とのこと。
ファーマシーで購入した薬を自宅で服用していると、娘が興味津津で寄ってきた。「パパ、なんではがいたくなったの?ベイビーのときにねるまえにちゃんとはをみがかなかったからじゃない?もえちゃんはベイビーのときにはをちゃんとみがいてたけど?」と指摘(自慢?)。すいません。でも歯はベイビーの時だけじゃなくて、ずっと磨かないといかんのだよ。
昨日今日とまったく予習をしておらず、夜になってようやく予習を開始。歯は痛むが、たまった予習もまた大変。
1月13日(月) 拷問のような一日
午前中、モデリングの教授のサーベイに協力するためにラボへ行く。とある現実にありそうな課題を与えられた時に、学生がどういう思考回路を辿ってロジックを組み立て、それをどういうプロセスでモデルに組みこんでいくのかを調査したいため、ボランティアを求む、というメールが教授から来ていたために手を上げたのだ。メールの文面を読んで、てっきり学生がPC上にモデルを組んでいく様子を担当者が後ろから眺めて記録していくものとばかり思っていたのだが、実際に行ってみると、いきなり担当者の女性から「じゃあカセットテープをセットするので、何を頭の中で考えているか、なぜそう考えているか、今何をしているか、悩んでいる場合は何を悩んでいるか、すべて大きな声に出してしゃべってください。」と言われる。げっ。まじすか。「えーでは始めます。問題文をまず読みます。これはこれこれこういう問題ですが、最終的なアウトプットとしてはこれこれこういうものが必要だと考えます。なぜなら。。。。そのアウトプットを出すためにこういうパラメターを設定したいと思います。なぜなら。。。。今私は手元の紙に考えられる代替案をすべて書き出してみています。なぜなら。。。。今私はとても悩んでいます。なぜなら。。。。」それから一時間の間、歯痛と戦いながら、僕はひたすらしゃべりっぱなしだった。最後には性格診断テストまでやられた。あー疲れた。
その後、歯医者に電話し、水曜日の午前中の治療の予約をする。こちらの歯医者では飛び込みの患者というのはほとんどないということで、電話帳で見つけた歯医者に予約の電話をしても体よく断られるのだという。「数ヵ月後に来て」などと平気で言われるのだそうな。今回は同級生Kさんの奥様の紹介をいただいていたのですんなりと予約を取ることができた。しかし、なぜそんなシステムになっているのか。大きな機会損失ではないのか。それとも、それほど素性の知れぬ人間を治療するのは恐ろしいことなのか。
ランチを取りながらブランドマネジメントのチームメンバーでミーティング。そして午後の授業へ。。。。しかし、それからがまさに拷問のような三時間だった。VGの授業が始まったあたりから痛み止めの薬の効果が切れはじめのだ。痛みのあまりまっすぐ座っていることさえできない。VGの顔が、ハウエル教授の顔が歪む。今当てられても「ううう」としか言えまい。ノートを取る文字が普段の三倍くらいの大きさになり、蛇のようにのたうっている。何度も途中で帰ろうかと思ったが、(意味不明の)意地のようなもので二つの授業を最後まで受けつづけた。
授業終了後はミーティングをキャンセルして家に直行。痛み止めを飲んでベッドに入った。これではとてもあさっての予約までなんて待っていられない。明日の朝になったら何としても予約を一日早めてもらおう、と思いながら眠ろうとする。が、なかなか眠れなかった。
二年前に麻酔のほとんどきいていない状態で、足の巻き爪の手術をされて爪をもがれたことがある。今日の痛みは、その時に次いで人生二番目の痛みであった。それでも出産の痛みに比べればマシなのだろうか。
1月14日(火) 原因判明
朝一番で歯医者に電話し、「とにかく痛くて耐えられないので今日診察してくれ」と頼み込み、何とか午前10時半からの予約に変更する。摂氏零下20度の冷え込みの中を学校へ向かい、朝9時からラファとモデリングに関するミーティング。そして終了後そのまま歯医者へ向かった。
ひととおり僕の説明を聞いた歯医者は、「とりあえず歯のX線写真を撮りましょう」と、最も怪しい右下の奥歯を中心に数枚レントゲンを撮った。しかし、出来上がった写真をしばらく見つめた彼は、「うーん。特に問題なさそうだなあ」。「ちょっとはっきりしないので、他の歯も全部撮ってみましょう」、結局上下すべての歯の個別のレントゲン写真を撮る羽目になった。しかし、出来上がった写真を見つめて、歯医者はまた首をかしげている。「たしかにあまりよくない歯があります。これとこれは治療した方がいいでしょう。でも、そんな激痛が出るような状況じゃないんですよね。おそらく、、、、サイナスでしょう。病院に行った方がいい。」。。。サイナス?
その場で大学所有の医療施設、”Dick's House”(ヒッチコックほど大きくない「診療所」)に電話を入れて、午後からの予約を取ってくれた。結局Dick's Houseで再びたくさんレントゲンを撮ったうえで下った診断は、"Sinusitis"。英和辞典によると、「静脈洞炎」。家庭の医学辞典によると、「急性副鼻腔炎」であるらしい。何でも鼻腔の奥にある副鼻腔に、膿のようなものがたまり、そこが炎症を起こして歯や頬骨などの神経を刺激して激しい痛みを起こすらしいのであります。いったい何でまたそんなことに?とりあえず投薬で治るはずだということで、強めの抗生物質を処方された。
何はともあれ原因究明。原因が分かったところで、痛みは急には去ってくれないのが辛いところだが、診療代金が高額でしかも保険でカバーされない歯科(本日もレントゲン撮っただけで17、000円なり)から、大学の医療保険で診察代は100%カバーされる内科・耳鼻咽喉科(本日は薬代のみ800円なり)に変わっただけでもよかった。
しかし、結局病院二軒をはしごしている間に五時間が経過。今日の授業はすべてスキップすることになったのである。VGにその旨メールで連絡したところ、3分後に「大丈夫かヒロシ。学生は(その健康も含めて)いつでも私の一番の優先事項です。健康は授業よりも大事です。授業のことは気にしないで休みなさい。病院の紹介など、私に何かできることがあればいつでも遠慮なく言いなさい。」という温かい返事があった。やっぱりいい人だな、あなた。
処方された痛み止めを飲んで、何とか痛みの方も改善。夜は、サラがフィールドスタディのメンバーを自宅にディナーに招待してくれた。フランク、Kさん、Nさん、サラ、アンと皆が久しぶりに集合し、我が家も家族三人で参加する。意外にもサラが料理上手であることが判明、ケーキを含めて非常にうまかった。
さあ、何とか明日から普通の生活に戻れることを祈りつつ。
1月15日(水) 「普通の一日」
痛み止めがよく効いて、久しぶりに痛みのない普通の一日を過ごした。それにしても、痛みのない体で生きていけるというのは何と素晴らしいことなのでしょうか。授業を受けていても、「ああ、痛くない。俺は今痛くないぞ」と思うだけで、とてもハッピーなのである。
今日のブランドマネジメントの授業の中で、ケラー教授が先日このクラスを履修している学生に調査した「お気に入りブランド」のトップ10が発表になっていた。結果は以下のとおり。
1位:ナイキ
2位:コカコーラ
2位:ソニー
4位:フォルクスワーゲン
5位:パタゴニア
6位:BMW
7位:ブルックスブラザーズ
8位:ゲータレード
9位:スターバックス
10位:トヨタ
10位:ホンダ
なかなか面白い結果ではある。フェラーリよりもポルシェよりもフォルクスワーゲンが上というのはどういうことか。メルセデスのブランドイメージはなぜアメリカでイマイチなのか。アメ車のブランドイメージは、なぜ本国でさえこんなに低いのか。ゲータレードのいったいどこが良いのか。なぜパタゴニアはこんなに人気があるのか(日本での知名度は低いのに)。
ところで、このトップ10には日本のブランドが三つ、ドイツのブランドが二つ入っている。"Business Week"が毎年発表する世界ブランド価値ランキングと比較するとなかなか興味深い。かのブランド価値ランキングでは、トップ10に入っているアメリカ以外のブランドはフィンランドのノキアだけ。トップ20でもノキアに加えて、ドイツのメルセデス、日本のトヨタ、ソニーが入っているだけだ。ランキングの上から”US,US,US,,,,”と並ぶこのランキングを見るたびに、エスノセントリズムに深く侵され、そのことに気付きさえしないこの国の醜悪さを思ってしまう。グローバルトップ10のうちの9つまでを一国のブランドが占める、そんなことがあると本気で思っているのだろうか。AT&Tのどこが世界トップ10のブランドなのか。それに比べると、TUCK生の感覚ははるかにまともだと言えよう。
痛み止めは効き目もかなり強い一方で、副作用もまた強いようだ。帰宅後は、軽い吐き気と強い倦怠感や眠気に襲われ、勉強もそこそこにソファで眠り込んでしまう。しかし、吐き気や眠気など、昨日までの痛みにくらべれはいかほどのことがあろうか。ということで、終日痛みのない幸福感に包まれていた私なのである。
1月16日(木) 痛みとともに過ぎ去る一週間
モデリングの授業では、モデルを作成する前に、Influence Diagramという手法を使って、いかにモデルを構造化するか、さらにそのDiagramを使っていかにモデルのプロトタイプを作るか、を扱う。問題を構造化する過程が、ロジックツリーによく似ていて面白く、かついかにも役立ちそうなスキルである。しかし、なぜこの内容をコアのDecision Scienceで扱わなかったのかは謎。
週の前半を痛みのためにただ身悶えて過ごしたため、今週はあっという間に過ぎてしまった。来週の月曜日はマーチン・ルーサー・キング・デーでお休みのため、今週末は四連休である。
ところで今朝、妻が突然「庭にかまくらをつくろう」と言い出した。なかなかナイスなアイデア。この四連休中に何とかして大きなかまくらを庭に完成させよう、と考えている。
ビジネススクール合格者による原稿を集めたHP、「こうすれば受かるMBA 2002年版」がコロンビアビジネススクールClass of 2004の遠藤さんの編集により、先日オープンしました。遠藤さんは一月入学であるため、大変忙しい中での更新作業だったことと思います。遠藤さん、本当にご苦労様でした。今年も非常に参考になる情報が満載です。アプリカントの方は是非ご覧ください。
1月17日(金) 摂氏マイナス30度の休日
午前中に起きて「かまくら」づくりをするつもりだったが、昼過ぎまで寝てしまい、起きてそのままスペイン語のクラスへ。単語力が全然上がっていないことがやはり根本的な問題とであることを再認識。今後は単語力増強に努める予定。
帰宅後、勇躍庭にかまくらを作り始める。しかし、あまりにも気温が低いため、雪がサラサラのパウダースノーでなかなか固まってくれない。これはとてもではないがこの週末の間に完成するなんて不可能であることに気付いた。一冬かけてじっくり少しずつ、つくっていくとしよう。もちろん完成した暁には、アッパーバレー界隈在住の酒好きの人々をご招待しますので、該当者の皆さんは気長にお待ちください。
夜久しぶりのジャパニーズホッケー。リンクに向かおうとエンジンをかけたが、あまりの寒さに車のバッテリーがもう少しで死にそうになっているなのが分かる。パワステオイルやミッションオイルも半ば凍結しているのだろうか、やけに重たい。こんな寒さで外にいるのは数分が限界である。ホッケー後、帰宅してこのサイトで気温を確認してびっくり。現在の外気温は華氏マイナス20度=摂氏マイナス30度なのだ。摂氏マイナス30度。ハノーバーに来て初体験の寒さである。間違いなくバナナで釘が打てます。
しかし、それでもセントラルヒーティングのきいた家の中は驚くほど暖かい。外との気温差約50度。家の中は間違いなく日本の多くの家よりも暖かいだろう。
1月18日(土) 資格更新論文と厳寒の日々
薬の副作用なのだろうか(言い訳)、猛烈な眠気でどうにもこうにも起きられず、ベッドを出たのは既に日も沈みかけた午後四時だった。娘から「あ、パパおきてきたー。どうしてパパははやくおきないの?」と詰問される。
午後6時前より学校に出かけ、スタディルームにこもる。もはや毎年この時期の風物詩と化した中小企業診断士の資格更新論文を仕上げるためだ。午後11時近くまでかかって、原稿用紙20枚分の「新規事業創出」に関する論文を一気に書き上げる。個人的には、常々思っていたことを形にまとめられたので、まあ書いた甲斐はあったと言える。しかし、制度としては、毎年の資格更新研修及びその代替物としての論文審査には、診断士という資格に対するコミットメントをチェックすること、審査団体の職員に飯の種を供給すること以外には何らの存在意義もないように思える。こんな制度が資格保有者のクオリティを維持することに役立つとは思えない。それよりも入り口の方をもう少し何とかすることが重要だろうに。こんなナンセンスなことばかりやっているから、、、、と思ってしまうのだ。
完全防寒で校舎から出て外気に触れると、唯一露出した鼻のあたりが痛いほどに空気が冷え込んでいる。今晩も零下27度の寒さ。運転する車の中で白い息を吐きながら自宅へ帰ってきた。
1月19日(日) 初ポンドホッケー
昨年より遅れること約二週間、ようやく今年も解禁となったOccum Pondのポンドホッケーに出かけた。ここのところの激しい冷え込みで氷はしっかり締まっていて気持ちよい。氷の表面の適度な凹凸も亀裂も、室内リンクにはないポンドならではの味わいである。三々五々集まった同級生のT内氏、Mさん、ジョー、アンディ、フィル、さらにはその場にいたホッケー親子、ホッケーおやじなどとチームを組んで、3 on 3や4 on 4を二時間ほど楽しむ。試合の方はホッケー親子(息子の方は小学校低学年か?)にいいように翻弄されての完敗だったが、本当に気持ちよいポンド初滑りだった。
久しぶりに滑って気が付いたことは、昨年はよく凹凸に足を取られて転んでいたのだが今年は膝をリラックスさせてバンプや亀裂を吸収できるようになっていることと、同じ時間滑っても昨年ほど足が疲れなくなっていたこと、である。さすがに多少は昨年よりスキルが向上しているらしい。
夜は同級生宅で40人ほどが集まったカラオケパーティー。顔の痛みの方は、幸い昨日から痛み止めの力を借りなくてもよくなってはいたのだが、いまだ抗生物質を飲んでいるために今日もアルコールは禁止。皆がハードリカーを飲みながら弾けまくっている横で、アップルジュースを飲みながら歌い踊った。帰宅してから朝まで予習する。
ただ今の気温、摂氏零下23度。
1月20日(月) MLKデー
明け方娘が突然ベッドの上でゲロを吐き、一家して大騒ぎ。その後やや熱も上がったようだ。軽い風邪であればいいのだが。
マーチン・ルーサー・キング・デーで休日の今日は授業はなく、午後からフィールドスタディチームの打ち合わせのために学校へ向かう。二月後半に行う最終プレゼンテーションに向けての今後の進め方を議論する。
今日学校へ向かう途中、コネティカットリバーの橋の上で、ダートマスの学生による結構大規模なイラク攻撃反対デモが行われていた。昨年末にレバノンで小規模のデモを見たことはあったが、これだけ大規模なデモはこのあたりでは初めて目にした。最近では、"Attack Iraq? No!"と書いたグリーンのステッカーを貼った車も目につくようになり、徐々に反戦ムードが高まっているのを感じる。なかなか大義名分を手にできないこともあって攻撃が延び延びになっているうちに、世論は完全にイラク攻撃不支持に固まってきたように感じる。今日話をしたある同級生(アメリカ人)も、「イラクを攻撃することには説得力がない。イラクを攻撃して北朝鮮を攻撃しないのは、北朝鮮に石油がないからだろう。」という、真っ当な見解。米国以外では当然のようにされているこの種の報道も米国内ではあまり目にしないので、一般のアメリカ人からこういう見解を聞くと、少しほっとする。
今日はここ数日ではかなり”暖かく”、現在の気温も摂氏零下19度どまり。
1月21日(火) アプリカント来たる
今日のVGのストラテジーのクラスでは、Balanced Score Cardを扱う。意外にも、MBA二年目にしてBSCをちゃんと扱ったのはこのクラスが初めてである。クラスの後半は、某企業でBSC担当の役員をしている人物によるQ&Aセッションが行われた。今回もそうだが、このクラスは90分間がとても濃く、短い時間に感じる。今学期履修しているクラスは概して授業が濃く、面白いものが多くて、非常によい。
夜はキャンパスビジットに来られたアプリカントの方と数名の在校生と一緒に中華レストラン「パンダハウス」で食事。アプリカントの方もいきなり零下20度の世界にやって来て、この寒さにはかなり驚いているようだった。早いもので我々の二年あとになるクラスの人々の受験シーズンも既に後半戦なのだ。彼らが新しい生活への希望に満ちてビジネススクールへとやってくる時、我々は既に二年間の、長かった、夢のような日々を終えて、実業の世界で働き始めているのだ。
ディナーの後、ホッケー学内リーグに参加。僕はまたしてもノーゴールで試合の方も2−4で敗れる。今シーズンに入ってから既に10試合程度には出場していると思うのだが、実は今だにノーゴールなのである。完全にゴール欠乏症に陥っている。明日こそは絶対ゴールするぞ、と思いつつ帰宅後予習。
今晩の気温、摂氏零下20度前後。
1月22日(水) またしてもノーゴール
一昨日には38度6分まで熱の上がった娘もすっかり元気になり、昼はモニカの家へ元気にランチに出かけていった。しかし、モデリング、ブランドマネジメントの授業を終えて、家に車で迎えに来てくれ、と電話をしたところ、娘が受話器を取り、「いやー。もえちゃんびょうきだから、むかえに行かないよ。パパひとりでかえっておいでね」。零下20度の寒さの中、そりゃないだろ君。
夜、今日はCo-Ed(男女混成)学内ホッケーリーグへ参加。三回もゴール前にフリーで持ち込んだのに、すべて外してしまい、またしてもノーゴール。ゴール欠乏症いよいよ深刻化。それにしても今日の試合は選手が8名しかおらず、オフェンスもディフェンスも2ラインできない有様。ほとんど交代なしで滑りつづけ、最後には完全に息があがってしまった。
ただ今の気温、摂氏零下24度。
1月23日(木) 寒さと鼻毛について
本日もまたしても零下20度を下回る寒さ。寒いといえば、同級生T内氏のサイトによく「寒くて鼻毛が凍った」という表現が出てくるのだが、僕はこれまで零下30度の寒さの中でも鼻毛が凍ったことがない。同じく鼻毛が凍った経験を持たないT氏と「いったいなぜ彼の鼻毛だけが凍るのだろうか?」と議論し、「彼の鼻毛はよほど普段からウェッティーなのだろう」という仮説に達した。以後、T内氏のことを「湿り鼻毛君」と呼ぶことに決めたのだが、今日もう一人の「湿り鼻毛君」を発見。同級生I氏のサイトにも「鼻毛が凍った」という記述があったのである。
以下、Iさんの日記より無断転載。
『経験のない方のために一応説明すると、鼻毛が凍った時の感触はどちらかというと、「鼻毛が凍る」という言葉の響きから想像されるものよりは、「鼻毛が硬くなる」という言葉が呼び起こすであろう印象(そんなものがあればの話だが)に近いと思います。息をするとばさっ、ばさっって感じです(これは鼻毛の長さにもよるのかもしれませんが。)。風邪が治りかけのときとかに、鼻毛についた鼻水が時間が経って固まった時の鼻毛の硬さ、あれが一番近いかもしれません。』
うーん。。。。ばさっ、ばさっって感じ?。。。
1月24日(金) 新年会
月曜日の休日の代替のため、本来は授業のない金曜日も今週は授業があるため、昼前より学校へ向かう。昨日まで約一週間ほどつづいた零下20度を下回る強烈な寒さが今日は緩み、零下10度前後。明らかに体で感じる寒さが違う。暖かくさえ感じるのだ。駐車場で会った学生達と、"It's amazingly warm today, isn't it?" "No! it's RELATIVELY even Hot!!"などと言い合い笑う。
ミーティング、二つの授業、スペイン語のクラス、とハシゴした後の今日のしめくくりは、TUCK日本人の新年会。昨日まで抗生物質を飲んでいたため、実に二週間ぶりのアルコール摂取であったために、久しぶりのビールが実に美味く、楽しい会話もあいまって心地よく酔った。今日の新年会には新潟国際大学からの交換留学生A氏(日本人)とLBSからの交換留学生F氏(アイルランド人)の二人も参加していたのだが、F氏はLBSの我が友人Oさんのクラスメートだとのこと。世界は狭い。
最後は我が家に場所を移して、午前四時まで飲んでいた。
【M内氏撮影によるTUCK新年会集合写真。その場にいる全員が笑っている、お気に入りの一枚】
1月25日(土) モノの品質について
例によって昨日のアルコールのために二日酔。夕方になってようやく起き出して、家族でウェスト・レバノンへ買い物へ。娘がスケートをする際に必要なヘルメットとスキーパンツを買うためだ。ヘルメット$5、スキーパンツ$10。あらためて思うが、この手のモノの値段は驚くほどアメリカは安い。というよりも、日本のそれが高いのか。当然ながらアメリカで売られているモノの平均的な品質は日本のそれよりも相当程度に低い。製品そのもののクオリティ以外にも、注意深くこちらの店頭在庫を見ていると箱が破れて中身が見えていたり、商品が汚れていたりして、とても日本の店頭には置けないだろう、と思われる品物が多い。しかし、その品質の違いはほとんどが実用には支障のない範囲である。
たとえば、この夏に耳にした医薬品の品質についての事例。パッケージやピルケースの裏に印刷している文字がかすれている場合、あるいはピルケースの中で薬剤がふたつに分割されてしまっている場合、日本では消費者クレーム・製品自主回収の対象となるが、アメリカでは特に問題もなくそのまま売られるという。クレームを避けるためには、生産ラインでの品質管理担当者の数と質を上げざるをえず、それはそのまま末端価格に(通常であれば)反映される。よく我々は「日本の物価は高い」、と文句を言うが、その一因は間違いなく、我々消費者自身にもあるのだ。
こちらで暮らして、モノのクオリティについての要求レベルは間違いなく下がった(サービスクオリティの要求レべルの低下度合はまた別)。ちょっとくらい品質が悪くてもいいじゃないか、と思えるようになった。日本に帰ったら、またもとの要求レベルに戻るのだろうか、ちょっと興味深いところである。
買ってきたヘルメットに詰め物をして娘の頭のサイズにフィットさせてやると、娘は嬉しそうにヘルメットをかぶって、「かっこいい?かっこいいでしょ」と何度も確認していた。
1月26日(日) スーパーボウル・サンデー
昼過ぎに妻と娘と一緒にOccum Pondへ。通販で購入したスケート靴(といっても靴の底に二枚ブレードをアタッチするという簡易版)、ヘルメット、スキーパンツ、といういでたちで娘もいざ池の上へ。。。。しかし、どうにも滑る氷の上が恐ろしいらしく、両側から支える両親にしがみついているばかりの娘だった。地元の子供たちのように一枚ブレードで自由に滑れるようになる頃には、冬は終わってしまっているだろう。
夕方からは同級生数名を自宅に招待して、一緒にスーパーボウルのオークランド・レイダース対タンパベイ・バッカニアーズ戦をTV観戦。No.1オフェンス(レイダース)対No.1ディフェンス(バッカニアーズ)の対戦ということで盛り上がっていたのだが、結果はディフェンスの圧勝だった。オークランドでは暴動が起こったとか。
スーパーボウルといえば、この日のためだけに各社が大金を投じて作ったCMをチェックすることが、視聴者としてのひとつの楽しみでもあるのだが、今年のCMは完全に期待はずれ。さほど「特別さ」を感じさせないものが多かった。昨年よりもさらに後退した景気がスポンサー企業の広告宣伝費を押し下げていることをまざまざと感じさせてくれるスーパーボウルであった。
1月27日(月) ハウエル教授
先週末は休日が一日少なかった上に、やや予習をさぼっていたため、やるべきことがたまりにたまっていた。最低限のところだけを取捨選択して取り掛かっても、午前7時頃まで予習にかかってしまった。従って寝不足を引きずった一日。
さて、本日は財務諸表分析を教えているボブ・ハウエル教授について少し触れてみたい。昨年この彼のクラスを履修していた一学年上のSさんからは「落ち武者」と表されていた人物である。このクラスの中で、ハウエル教授はおそらく彼が独自に考案したものと思われるかなりキャッシュに重きを置いたユニークな財務諸表を使用する。つまりこのクラス内で分析を行う際には、USGAAPベースで示された財務諸表を「ハウエル方式」に一旦変換せねばならないのだ。この作業が実は結構面倒くさい。わざわざ変換しなくても、概念を理解しておけばそれで良い気もするのだが。しかし、彼はこの「ハウエル方式」に相当の愛着があるらしく、自信満々にこのスタイルを推奨し、「キャッシュ!キャッシュ!」とうわごとのようにいつも叫んでいるので、これを無視するわけにもいかない。
また、彼はなぜか己の肺活量を超えてまで呼吸を控える傾向があるようだ。通常の肺活量キャパを100とすると、彼は150くらいまで頑張って息継ぎなしでしゃべるのである。したがって最後の50くらいは声がかすれてしまって何を言っているのかさっぱりわからないことが多い。もう少し呼吸を頻繁にして欲しい。
さて、本日のアサインメントでは、どうしても与えられた条件上うまく計算ができない(circulating calculationになってしまう部分)があり、それをどうやって解決するかで随分と悩まされた。教授はどんな解法を提示してくれるのか、と楽しみにしていたところ、何とも力技の解決法をいきなり示されて驚いた。それは反則だろ、という解決法である。綺麗に包装紙を剥がすことができず、思わずビリッビリッと包装紙を破いてしまったようなもんだ。しかも後で生徒がまたその包装紙を使わねばならない、というのに。
僕の中でのハウエル株、急降下中である。
1月28日(火) もう一度英語について
しばらく緩んでいた冷え込みが再び強さを増し、今朝の気温は零下摂氏31度("wind chill"と呼ばれる体感温度では零下34度)。車のスターターもさすがに一発ではかからない寒さの中を学校へ向かう。ミーティングをする予定だったダイアナは「寒さで車が始動しなかった」とかでミーティングには現れず。
朝8時過ぎからクリスタルとモデリングのミーティング。その後は、VGのクラスに関するミーティング(ダイアナ現れず)、午後に入ってVGのシミュレーションゲーム、ハウエル教授の財務諸表分析、モデリングのオフィスアワー(教授と会う時間)、さらにブランドマネジメントのチームミーティング、、、と午後7時過ぎまで休みなく動いている一日だった。
VGのクラスでは、昨日にひきつづきコンピュータラボにて三人一組となったシミュレーションを行った。教授から割り当てられた組は、ダイアナとエンジニアリングスクールからTUCKの授業を履修しているロバートと同じだ。午前中にロバートと軽くディスカッションをしてからシミュレーションへ。シミュレーション系のクラスになるといつも、圧倒的にスピーキングスピードと語彙力の無さを露呈してしまう。なぜならシミュレーションは時間的な制限の中で行われるため、通常よりもかなり速めのディスカッションが要求されるからだ。そういう状況の中では、時にスピーキングスピードが、時には語彙力がボトルネックとなって、相手に伝わる内容の説得力にキャップがかかるのだ。
それ以外にも、なぜだか今日は英語力のなさをあらためて実感することの多い一日だった。
事例1)同級生から、彼女の古い友人が新婚翌月に急死したため週末は葬式に出ていたのだ、と聞いて、"oh.....it's so sad."というアホみたいなことして言えなかったこと。
事例2)モデリングのオフィスアワーで、100%モデルを作成した僕の説明よりも、その数時間前に初めてモデルを見た同級生の説明の方を教授がよく理解していたこと。
事例3)ブランドマネジメントのミーティングで、うまく相手を説得できなかったこと。
卒業まで半年を切ったこの段階においてもいまだこんな状態とは、まこと情けない限り。
1月29日(水) Deanとミーティング
授業終了後、TUCKのDean(学長)である、Paul Danos氏とフィールドスタディに関するミーティングを行う。年末に東京に三週間滞在してクライアントにプレゼンテーションをした我々であるが、フィールドスタディはまだそれで終了したわけではない。今学期の後半にクライアントに対する最終プレゼンテーションをし、その後今回のフィールドスタディの内容をケースに書き、そしてようやく終了するのである。ちなみに我々が従事しているプロジェクトの内容は、TUCKが日本で日本人のビジネパーソン向けのマネジメント教育プログラムを開設することに関するフィージビリティスタディを行う、というもの。いわゆるエグゼクティブMBAみたいなものか、それともMBA留学生のサマースクール代わりのものか、はたまたひたすらプレゼン・コミュニケーションスキルに特化したものか、等等プログラム内容についてはまだ未定であるが、TUCKが主体となって開設するプログラムである以上、TUCKの学長は重要なクライアントの一人なのである。
ということで、時折Dean Danosとミーティングをする必要があるわけだ。それにしても、相変わらず眠そうなトーンでしゃべる学長だなあ。テンションの高い人々が多いビジネススクールのfaculty陣の中で、ある意味出色の存在ではある。
1月30日(木) 一週間の終わり
週始めにたまっていたアサインメントにもどうにか追いつくことができ、今週も無事に終了した。週末にハウエル教授の財務諸表分析のミッドターム試験があるため、同じクラスをとっているフィル、元隣人I氏と一緒に軽い勉強会などを行う。この中間試験、take homeなのはいいのだが、指標の分析に入る前には細かい計算をせねばならず(それは当たり前か)、その前にデータのインプットから始めねばならず、試験の本質的な部分に迫るはるか以前の段階で膨大な時間を取られそうであることがどうにも気が重い。試験時間は無制限だ。
夕食後、ソファで横になってテレビを見ているうちに眠気に襲われ、気が付いたらそのまま朝まで眠っていた。目が覚めてベッドに場所を移したが、ソファで眠ると疲れが完全に取れた気がせず、睡眠の質という意味で何だか損した気分である。
何はともあれ、この一週間も終了。早いもので冬学期も四週間が過ぎ、これで早くも学期のほぼ半分が終わったことになる。
1月31日(金) ボストンの日本食材
同級生Oさんと相乗りしてボストンへ。日本食料品店「寿屋」とアジア系食材店「Reliable Market」をまわり、大量の米や食材などを購入する。ハノーバーエリアでも「国寶ローズ(名前はどうかと思うが)」「錦」といった銘柄の日本人の口にも耐えうる品質の米は買えるのだが、やはりボストンで売っている「田牧米」「かがやき」といった銘柄の米に比べると味的にだいぶ劣るのである。したがってハノーバー界隈に住んでいる日本人は皆、米が尽きるとボストンでまとめ買いをしているようだ。ちなみにこれらの米はいずれも米国産。米国内にも細々とこういった米を改良し、作っている米農家はいるわけだ。
今日行った二店の他にも、ボストンには「吉野屋」、「Super88」などといった日本食を扱うスーパーが多く存在し、非常にうらやましい。これらのスーパーの店頭で、「中華三昧」「からし明太子」「するめ」「ほっけの開き」「うなぎの蒲焼」といった見ているだけで味蕾を刺激してくれる面々を目にしていると、ボストンで生活して日常的にこれらを入手できる人々を羨ましく思ったりする。日本に住んでいればスーパーとしてごく当たり前の品揃え、いやむしろ貧弱であるとさえいえる品揃えなのだが。
インターステートを走り、再び日本食材の容易には手に入らぬハノーバーへ戻る。実際のところ、ここで調達できる食材を中心とした生活だって、さして問題があるわけではないし、普段は特に不便も感じていない。しかし、例えば一年ほどボストンで暮らした後にここに来れば、直後は随分と不便に感じるのだろう、と思う。そして、そのボストンだって東京から見れば、なかなか欲しいものも手に入らない場所に他ならない。
利便性などは極めて相対的なもの。欲求も満足もすべてこれ相対的なもの。