MBA留学日乗 2003年02月 | ホームへ | | 前月へ | | 翌月へ |
2月1日(土) 時間は過ぎていく
何だかもう嫌になってくるほど一ヶ月が過ぎるのが早い。卒業式が全速力でこちらに向かって駆けてくる。嫌がらせか。
本日のランチタイムに、同級生Tさん一家の長男K太君の誕生日パーティーがセイチャムのユニット11・12で行われたので一家で参加する。さすが人格者K太君のパーティだけあり、会場は立錐も余地もないほどの混みよう。K太君はかつては赤子らしからぬ風格とその鷹揚とした所作から、「社長」「部長」と呼ばれて敬われていたのだが、このところ子供らしく泣いたり笑ったりするようになり、すっかり往年の風格が消え失せてしまった。今日も「ピニャータ」というこちらのバースデーパーティーにつきもののイベント(くす球みたいなものにお菓子などを山と詰め込んでそれを子供達で割るイベント)で、頭の上から降ってくるお菓子の直撃を受けて号泣している。部長。。。
ちなみに本日ビデオ係の大役をおおせつかっていた僕であったが、うっかり最大のイベントであるバースデーソング斉唱を撮り損ねるという失態を演じてしまった。会社であればK太部長の逆鱗に触れて左遷ものか。
それにしても、こちらに来たころにはまだハイハイさえもできなかったK太君が、目の前を走り回っている。子供の成長の速さよ。時の過ぎることの速さよ。
夜は元隣人I氏と奥様を我が家に招待してディナー。気が付くとほとんどI氏と二人でワインを三本、ビールを10本ほど空けてしまっていた。かつてはお互いセイチャムにやもめ暮らしで、どちらかの家のリビングの床に座り込んでビールを飲んでいた我々が、こうしてお互いの家族と一緒に食事をしている、その一点をもってしても何やら時間が過ぎたことを実感させられた夜だった。
2月2日(日) スタディルームにこもる一日
朝起きたら久しぶりにまとまった雪が積もっていた。しかし気温が摂氏零度前後と暖かいため、湿ったかなり重めの雪である。
朝10時からアンと会計のスタディグループ、その後Bosworthというスタディルームにこもってモデリングの作成、ジョンとモデリングのスタディグループ、さらに会計のミッドターム試験、とひたすらスタディルームに篭もりつづけた一日。朝10時にスタディルームに入り、出たのは午後12時近かった。
それだけ長時間狭い部屋の中にいるとさすがに煮詰まってくるので、気分転換のために夕方に一旦家に帰って庭の「かまくら」づくりに着手する。二週間前にかまくら作成に着手していたのだが、意外にかまくらをつくるには手間がかかることが分かって以来、すっかり作業がペースダウンしてしまっていたのだった。しかしここのところの作業でかなり雪の山が大きくなった。さて、いつ完成しますか。
結局ミッドターム試験は、帰宅してからもまだ継続し、終了したのは午前三時をまわっていた。時間かかり過ぎだ。
2月3日(月) フラストレーションのたまるグループ
本日の授業でVGのクラスは終了し、残すは今週末のテイクホーム期末試験だけとなった。半期のみのミニコースのため、本当にあっという間に過ぎてしまった感じである。評価シートには「半期では短すぎるので、来年からは通期のコースにすることを強く勧める」と書いて提出した。
授業終了後は日本人学生で来週行う予定のJapan Panelに関する打ち合わせに参加した後、ブランドマネジメントのミーティングへ。しかし、これがなかなか曲者なのだ。このクラスでは任意に組んだグループで任意のブランドについて"Brand Audit"をする、というプロジェクトが試験の代わりとなるのだが、我々のグループでは僕が推薦したメルセデス・ベンツを対象に選んだ。そうしたところ、グループに漏れたセイヤースクール(エンジニアリングスクール)の学生が、「僕の実家はメルセデスベンツのディーラーをしていて、このブランドについては良く知っているから必ず貢献できる。入れてほしい」と言ってきた。断る理由もないので受け入れることにしたのだが、やがてこの若者が"mature"という言葉とは程遠い存在で、かつ「こだわり」を強烈に持った男であることが明らかになる。ミーティングをしていてもあまり本質と関係ないところに異常にこだわり、実に困った状況になった。
さらにはもう一名グループにあぶれた学生が、「僕の国ではメルセデスベンツといえば非常にメジャーな車だ。必ず貢献できるので、入れて欲しい」とメールを送ってきた。先述のセイヤーの学生と違い、彼は既にTUCK内でも偏屈モノという評を確立している大物であり、非常に嫌な予感はしたのだが、断るのも何だか大人げないのでこれも受け入れたところ、やはりミーティングなどで強烈な「こだわり」を発揮。まったくグループワークがかみ合わず、チームがスタートしていきなり不協和音を最大音量で奏でているような状況になってしまったのである。
今日のミーティングも普通であれば30分であっさりと終わる内容のミーティングだったのだが、先週一度ディスカッションして結論が出ず、仕切りなおしをした今日もまた2時間もかかってしまった(何に時間をかけたのか思い出せない)。
通常、二年目になると、この手のグループマネジメントのストレスは急激に減ずるものなのだが(@何百回となく経験するグループミーティングを通じて、お互いに効率的なグループのマネジメントノウハウを学ぶため、A教授からアサインされるクラスを除いて、気の合わなさそうな相手はお互い最初から避けるため)、今回のグループのストレスはたいしたものである。
しかし、これもひとつの精神修養と割り切って頑張っていくしかありますまい。
2月4日(火) フラストレーションのないグループ
今日のスタディグループは、アカウンティングについてフィルと、モデリングについてジョンと、の小規模ミーティング計二回。フィルは38−39歳、ジョンも32−33歳の非常に成熟した大人であり、尚且つ優秀であるため、とにかく気持ちよいくらいにディスカッションが進んでいく。言いたいことを伝える能力も、相手の言うことを理解する能力も非常に優れているのだ。昨日が昨日だったので、ミーティングしながら幸福感のようなものさえ感じてしまったスタディグループだった。ジョンとのモデリングでは、帰宅後のメールの交換を通じて目に見えてモデルが良くなっていくのもまた心地良かった。
しかし、実社会に戻ったら彼らのような成熟し尚且つ優秀な人物ばかりでないことは明らか。そう考えた場合、こういう「気持ちのよい」グループだけを組んでいるのも、ある意味では自分のためにならないのかもなあ、とふと思った。たまにはブランドマネジメントのようなグループでイライラすることも必要なのだ、たぶん(とでも思わないとやってられん)。
夜は久しぶりのホッケー学内リーグへ。今年初めてアングラ学生チームとの対戦だったが、これが今まで対戦したチームの中でも最強のチームだった。背番号・ネーム入りの揃いのジャージを着た我々TUCKチームに対する奴らのいでたちときたら、上はTシャツに下はワークパンツありコーデュロイあり。防具らしい防具はヘルメットくらいだ。Tシャツ姉ちゃんが、なぜか真っ白なフィギア用スケート靴を履いて華麗にバックスケーティングをかましながら我々おっさん連中を抜きまくっていく。Tシャツ兄ちゃんの強烈なシュートを思わず足で止めに行ったところ、凄まじい激痛(後で右足が腫れあがった)が走るほどの威力である。先方の15名程度のメンバーのうち2名を除く全員が明らかにホッケー経験者であるのに対し、当方はわずか8名の参加でしかも全員TUCK入学後にホッケーを始めた素人。
しかし、これだけの実力差を抱えながらも、試合の方は我々TUCKチームがほとんど体力の限界を超えて奮闘した結果、1−6におさまったのだった。これを考えると、冬季アジア大会の女子ホッケー、日本20−1韓国や中国30−0韓国というのは、一体どんな実力差だったのか?
2月5日(水) 時差のある生活
今学期は午前中の授業をひとつも履修していない。VGの授業が終了した現在は、授業のある時間帯は、月・火が午後2時半から午後4時まで、水・木が12時45分から4時まで、である。今日は本来であれば12時45分から授業がある水曜日であるが、モデリングの授業がオフィスアワーに振り替えられているので、今日も2時半スタート。したがって午後1時までベッドの中にいたのだった。
午後4時に授業が終了した後は、フィールドスタディのミーティングを7時前まで、モデリングのミーティングを9時まで行った。その後帰宅して夕食を取ってからメールなどを書き、日付が変わったあたりでようやく勉強の調子が上がり、予習その他をすべて終了してベッドに入るのはだいたい午前5時頃、そんなスケジュールがここのところ定着している。午前5時に寝ても7時間近く眠れるので、睡眠時間は相当長く確保することができるのだ。このスケジュール、夜型の僕としては非常に気に入っているのだが、困った点がふたつ。お日様が照っている間に活動している時間が短いので、何やら世を憚って生きている気がしないでもないこど、そして週末になって家族と遊ぼうと思ってもいきなり短時間で時差を調整するのは難しいこと、である。
2月6日(木) "Minority Report"
一週間の授業が終わった時の開放感は、何度繰り返しても色褪せることがない。今日も開放感に包まれ、まるでこれから数ヶ月もつづくバケーションを前にしているかのような、心浮き立つ思いで帰宅する。実際の週末はあっという間に過ぎてしまうのだが。帰宅して娘と一緒にかまくらづくりのつづき(もっとも娘はただそばをウロウロしながら『パパすごい!すごい!』と応援しているだけ)をする。
夜は”オープンマイク”と呼ばれるTUCKのカラオケ大会があるのでそれに参加するつもりだったのだが、セイチャムに住んでいるダンの自宅でのDVD鑑賞に誘われたので、そちらに行くことにする。ダンとは今まであまり喋ったことがなかったからだ。やはり今晩はオープンマイクに行っている人が多いのか、結局DVD鑑賞に参加したのはスコットと我が家だけだった。
噂には聞いていたが、対角線が1メートルほどもある大画面と7つのスピーカーで構成されたダンのオーディオシステムは、「これぞホームシアター」と言いたくなる素晴らしいものだった。元上司Sさん(定年退職して現在は知る人ぞ知る高級オーディオブランド「光悦」の製作者兼経営者)宅にあった超本格オーディオシステムを髣髴させる。その大画面で大人はトム・クルーズ主演の"Minority Report"を鑑賞、娘は別室で一人で"Toy Story"を鑑賞する。映画は非常に面白く、堪能させてもらった。しかし、帰宅して見た我が家のテレビの小さかったこと。
深夜に日本に国際電話をかけ、サマーインターンでお世話になったファームのパートナーに卒業後のキャリアについて相談する。色々と親身になったアドバイスをもらい、だいぶ問題が整理できた。人間性と優秀さと両面を備えたこういう人と知り合えた幸運は大事にせねば、と思う。
2月7日(金) 日本とブラジル
昼過ぎより来週水曜日に行う日本人学生による"Japan Panel"のプレゼンテーション内容に関する打ち合わせ。全体を「政治・経済」パートと「文化紹介」パートの二つに大別する予定で、僕はそのうち「文化紹介」パート担当チームに入っている。こうしてあらためて何をプレゼンするかをディスカッションしてみて思うのは、「政治・経済」にせよ、「文化」にせよ、日本という国は本当に語るべき事柄が多いのだ、ということ。とても昼休みだけで紹介しきれるものではない。いかに話したい内容を切り捨てていくかの方が重要になりそうだ。
スペイン語のクラスに出席した後、夜はソニアの自宅へ他のブラジル人同級生夫妻と一緒に夕食にお呼ばれ。彼女が他の女子学生三名とシェアしている一軒家は、広いリビング二間(暖炉も二つ)に吹き抜けの天井を持つ、とてつもなく広い豪邸だった。普段はブラジル人らしからぬ(?)アンニュイな雰囲気を漂わせているソニアであるが、話題がアイルトン・セナに及んだ瞬間に、熱っぽくいかにセナがブラジル人にとって特別な存在だったかを語る姿が興味深かった。ブラジル人にとってはセナがなくなった後のF1はもはやF1ではないのだ、と言う。長くホンダのドライバーをし、本田宗一郎を特別に尊敬していたセナは、日本人にとっても特別な存在だったのだ、と説明する。皆でブラジル談義・日本談義などをしながらワインを飲み、ほどよく酔った。
2月8日(土) 快晴の休日
午前中、エンジニアリングスクールのI田さんのプロジェクトである、スノーシューのモニターをするためにハノーバーカントリークラブへ向かう。昨年もこのスノーシューのモニターをやったのであるが、その時は雪が少なくて正直スノーシューの機能の違いがいまひとつよく分からなかった。しかし、今年のテスト会場は膝上まである深雪に覆われていて、テストにはうってつけの状況。そんな中、五種類のスノーシューを履き比べた。昨年と違い、各モデルの履き心地・機能の違いは明らかである。
その後は、"Occum Pond Day"と呼ばれる年に一回のイベントで賑わうOccum Pondへ。昨年のちょうどこの日、渡米したばかりでまだ時差ボケの残る家族をOccum Pondへ連れていったことを思い出す。あれからもう一年が経ったのだなあ、と少しの焦燥と共に思う。空は雲ひとつない快晴。真っ青な空の下、マーチングバンドの演奏などを遠くに聞きながら同級生達とするポンドホッケーは最高の気持ちよさだった。
ハノーバーのタイレストラン「マイタイ」でOさん夫妻と遅いランチをとった後、夜は日本人一年生ご夫妻宅へ夕食にお呼ばれ。楽しい時間はアルコールの摂取を加速し、そして楽しい時間はあっという間に過ぎる。ふと気がついたら時計の針は既に午前三時をまわっていた。少し飲みすぎて、少しはしゃぎすぎであったか、と後でやや反省。本当にご馳走様でした。
2月9日(日) 週末たまったアサインメント
週末の間ほとんど勉強に手をつけられなかったため、かなりアサインメントがたまっている。VGのファイナル試験、アカウンティングのアサインメント、モデリング、さらには明日が提出の締め切り日であるMBA友の会ホームページ用の「MBA日記」、、、。
しかし、昨日のアルコールが残っていて、昼頃起き出した時点でもなかなか腰を据えてモノを考えられる状態ではない。結局ソファでもう一度仮眠をとり、やっと気持ち悪さがだいぶ緩和されてきた夕方になったから、ようやくVGのファイナル試験に手をつける。さらにモデリング、アカウンティング、と怒涛の勢いでこなし、一気に書き上げたMBA日記の原稿をメールで送付した時には既に夜は完全に明けていた。大きな達成感を抱き、小鳥のさえずりを聞きながらベッドにもぐりこむ。
しかし、自分で物事を先延ばしにしておきながら、それを一気に片付けて達成感を感じるというのもおかしな話だ。とってもマッチポンプな週末なのだった。
2月10日(月) アドミッションインタビュー
先週、知人のアプリカントから、「TUCKにアプリケーションを出したのだけど、インタビューのアレンジがされないままに何度もデッドラインが延長されている」という話を聞いた。「MBAナビ・ドット・コムの掲示板でTUCKに対する不満が書き込まれているが、その気持ちも分かる」とも。早速覗いたところ、たしかにそのとおり。また、昨年の卒業生によると、「卒業生インタビューをこのアプリカントに対して行って欲しい。期限はあさってまで」などという無茶な依頼がきているらしい。
アドミッションの担当者は、かなり「うっかり八兵衛」的なキャラで、普段から何かやらかしてくれるのだが(しかし、すごくいい人です)、アプリケーションがピークに達したこの時期、完全にオーバーフロー状態に陥っているものと思われた。アドミッションディレクターに状況を説明し、「掲示板にポストするので何かアプリカントにメッセージくれ。それから、TUCKにはこんなに多くの日本人学生がいるのになぜこの貴重な内部リソースを使わない?何か手伝えることがあったら言って欲しい(実は事務処理の手伝いを想定していたのだが)」と言ったところ、早速受験生向けのメッセージを書いてくれ、日本人二年生宛に「電話インタビュアーをして欲しい」という連絡があった。もちろんインタビュアーには手を上げる。他にも多くの日本人同級生が協力しているようだ。
今日、僕が担当することになった五名のアプリカントの方との日程調整がすべて終了し、今週木曜日・金曜日に彼らに電話でインタビューさせてもらうことになった。
それにしても。。。。今回の件はあまりにもお粗末。Keller教授の言を待つまでもなく、こつこつと積み上げたイメージを短期間のうちに失うことなどいともた易い。担当者にとっては数ある電話の中のたった一つであっても、たまたまテンパっていて邪険な対応をしただけであっても、電話をかけた側から見ればその電話がTUCKのすべてなのに。アドミッションの仕事のうちのある部分はサービスオペレーションそのものだ。サービスの特質(生産と消費の同時性、不可逆性、顧客との共同生産性、非均質性、非貯蔵性、一過性、、、)を考えると、非常に大きな構造的問題を内包しているように思える。
なぜ、明らかなボトルネックにリソースをつぎ込むことができないのか。アプリカントにとっては、本当に大切なプロセスなのだから、もっとしっかりして欲しい。
2月11日(火) 「ジャパン・パネル」リハーサル
モデリングのオフィスアワーでは、僕とローラが組んだ線形回帰式を使ったモデルを教授が「やりすぎ。サンプル数も少ないだろ。複雑なモデルを組んで自己満足しちゃいけない。もっとシンプルに考えなさい」と完全却下。ほとんど一から作り直すことになった。昨日は「すごいすごい!このモデル完璧だよ!」と言っていたローラもがっくり。
オフィスアワーの後、昼食をとりながら明日のランチタイムに行う日本人学生による「ジャパン・パネル」のための打ち合わせを行う。僕は結局伝統的な日本文化紹介のパートをプレゼンすることになった。夕方実際の教室を使ってプレゼンのリハーサル。帰宅後こまごまとしたパワーポイントの手直しなどをしているとあっという間に時間が過ぎてしまい、モデリングに皺寄せが。。。
明日の本番では多くの聴衆が集まってくれるといいのだが。「サクラ」というわけではないが、うちの奥さんと娘も聴衆としてやって来る予定である。
2月12日(水) ジャパン・パネル
昼休みを使って日本人学生による”ジャパン・パネル”を開催する。当初聴衆の出だしが遅く心配したが、開始時刻ギリギリになって一気に学生・職員が入ってきて最終的には通路に座る人も出る状況になってくれ、一安心。聴衆を数えた人によると、日本人を除いて58名が集まったとか。小さなTUCKの規模を考えるとなかなかのマーケットシェアだ。
最初は一年生S氏がアメリカ仕込みの素晴らしい英語で日本の政治・経済についてプレゼン、つづいて僕を含めた二年生四名が日本のカルチャーをプレゼンする。僕がプレゼンを始めた瞬間に娘が「パパのところに行く!」と騒ぎ出して、妻に教室から連れ出されるなどのハプニング(廊下から聞こえる娘の叫び声に学生大ウケ)などもあったが、全体的にはなかなか良いプレゼンであった。
最後は広告代理店からの派遣のA氏が日本から急遽取り寄せた日本のテレビコマーシャルを放映する。これが日本人以外にはなかなか興味深かったようで、シドニー五輪の民放共同CMに場内大爆笑。さらになぜかケビン・コスナーがただ缶コーヒーを飲むだけのCMにも大きな笑いが起こっていた。CM上映まで含めてきっちり予定どおり30分でプレゼンを終えて、その後10分ほどQ&Aを行い40分きっかりでジャパン・パネルは終了した。この辺の時間の正確さも日本らしいところか。
あまり準備期間もないままにバタバタと用意したことを考えると、満点をあげて良いのでは。プレゼン終了後に会った何人かの学生からも、
"Great presentation!!"
"Could I get your Power Point slides?"
"All jokes were sooo funny!"
"Obviously, you guys increased people's expectation toward Student
Panels."
と次々に声をかけられる。
準備段階から本番まで終始一貫してエンジョイできたジャパン・パネルだった。
2月13日(木) コーチ
午前中に2名のアプリカントと電話インタビューを行ってから授業へ。
授業がふたつ終了してから、Massey教授と打ち合わせ。彼が教えている"Doing Business In Asia"という課目で、学生が日本チームと中国チームに分かれてネゴシエーションを行う、というセッションがあり、その日本チームのコーチ役をするためだ。他にも二年生Tさん、一年生M内さん、Y女史がこのボランティアに手をあげて日本チームのコーチをする予定。Massey教授との打ち合わせの後、「日本チーム」の学生達と打ち合わせ。彼らから主としてカルチャーに関する種々の質問を受ける。「名刺はどうやって渡すのか?」「一番偉い人以外も会議でしゃべっていいのか?」「いきなり本題に入るのは一般的か?」等々。すべてをミーティングでクリアにしていくのはあまり効率がよくないので、まずは"Do it! Don't do it!"リストを作って彼らに渡すことになった。
夜はAさん宅で行われる”ジャパン・パネル”の打ち上げに参加するつもりだったのだが、ついソファで眠りこんでしまい行きそびれた。妻と娘は参加してきてエンジョイした様子。
2月14日(金) アドミッションインタビュー終了
本日も昨日につづき3名のアプリカントと電話インタビュー。アプリカントの人々のMBA受験・TUCKにかける思いが伝わってきて、質問に答えるのにも力が入る。30分の予定がだいたい40−45分に延びてしまった。
インタビュー以上に慎重になるのが、Evaluation Formの記入。とにかく何度も推敲を重ねて確認するので、どんなアサインメントよりも非常に疲れた。深夜に入り、ようやくすべてのEvaluation Formをアドミッションにメールで提出し終える。
一昨年に僕がサリーとインタビューをしたことを思い返す。「サリーと会ったら一発でTUCKに惚れますよ」と卒業生に事前に言われていたとおりの彼女の人柄に完全に魅了された。入学してあらためて思ったのは、彼女はTUCKのカルチャーそのものであり、あんなに会う人を魅きつけるアドミッションディレクターは世界じゅうどこにもいなかったのではないか、ということ。自分なりにはベストを尽くしたつもりだが、そのサリーとのインタビューと、僕とのインタビューでは随分とTUCKに対する印象にも違いが出るだろうなあ、と考えると何だか複雑でもある。
2月15日(土) ホッケー ホッケー
夜7時からダートマス大学対クラークソン大学のホッケーの試合をT内氏と観戦する(旦那衆がホッケーを見ている間、お互いの妻子は我が家にて夕食後のお茶をなさっていたのだった)。第二ピリオドにダートマスのゴーリーが大ポカ(いわゆるトンネル)をやらかして0−1となり、そのまま第三ピリオドに入り時間が刻々と経過する。このまま最悪の敗戦か、と覚悟し始めた頃にダートマスが起死回生のゴール。そしてすぐさま追加点。さらにはゴーリーを下げて全員攻撃に入った敵の隙をついてもう一点ゲットし、3−1でダートマスが勝利した。これまで観戦に行った中では最高の部類に入る勝利である。
しかし、気がつくともうこの冬のレギュラーシーズンもあとは来週のハーバード戦とブラウン戦を残すのみ。ホッケーシーズンも終わりに近づいていることを実感する。来週のハーバード戦は最も盛り上がる試合なので、絶対に家族で観に行きたいところだ。また、まだ購入していないホッケーグッズなども記念に買っておきたい。
午後11時からはT内氏がオーガナイズしてくれたホッケーに参加する。いつもながら少人数なので、へとへとになりながらプレー。
T内氏のサイトを読まれている方はよくご存知だと思うが、彼のホッケーにかける情熱は留学期間が終わりに近づくにつれて益々強まっており、何だか鬼気迫るものがある。寸刻を惜しんで生活のすべてをホッケーにつぎ込んでいるかのようだ。入学した時は皆が横一線でスタートした我々同級生ホッケープレーヤーなのだが、惜しみない努力の結果、今ではすっかりT内氏は我々の中で頭ひとつ抜けた存在になっている。やはり努力は裏切らないということか。
彼のホッケーに対する迸る情熱をすぐ隣で5−6時間ほども拝見させていただき、何だか目頭の熱くなった私であった。
【白ダートマス対緑クラークソン(左) 試合結果(右)】
2月16日(日) フィールドスタディも終わりに近づく
午後いっぱいかけて、フィールドスタディのチームでミーティングをした。気が付くと、今週の木曜日の夜にフィールドスタディのファイナルプレゼンテーションが迫ってきているのだ。プレゼンテーションのロジックを皆で議論しながら詰めていったのだが、今日のミーティングでようやく目途がついた気がする。残すところわずか四日。
しかし気がつくともう今学期も残すところあと三週間なのだ。それが終わればもうあとは短い春休みと最後のタームを残すのみ。
夜は元隣人I氏宅がキャンパスビジットに来ているアプリカントの方を夕食に招待しているというので、夕食後に少しだけ参加させてもらう。とても感じの良い方であった。
2月17日(月) モデリングのグループワーク
授業終了後、ブランドマネジメントとモデリングのスタディグループのはしごをする。
モデリングでは、教授がランダムにアサインした2名のグループでモデルを作り、プレゼンを行う、という一週間単位のセッションを五回連続で行うことになっているのだが、今週はその五回目。このシステムは、普段組むことのないような人間とも1対1でじっくり作業をする機会が持てるので、なかなか気に入っているのだが、一方では自分でパートナーを選べないことによるリスクもある。これまでにチームを組んだ四人は、いずれも僕が作ったモデルを気に入ってくれ、モデルは僕に任せるかわりにプレゼンの作業は重めに分担する、という役割分担が自然とできていた。しかし、今回初めてパートナーを組んだ学生は、どうやら僕のモデルが気に入らなかったらしく、第一歩目の段階から意見が食い違う。「それは一見精緻なロジックに見えるけど、細かいアサンプションは全部不確定なものばかりなんだから、結果的にラフなモデルと変わらないよ。すごくバランスがおかしい。」と30分ほど説得を試みたが、英語力の問題か、まったく納得できないようだった。
結局、彼女のロジックに基づいてモデルを組むことになった(要はあっさり妥協してしまった、ということだ)のだが、いざモデルへ落とし込む段になってどうやっていいのか分からない、というので、彼女のロジックに基づき僕がモデルを組む、という不思議な役割分担に。「自分でできひんくせに何ぬかしとんねん」と、内心沸々と滾るものを感じつつ、朝4時までかかってモデルを作成。
しかし、今ふと思ったのはこのような内容は英語であれば、あるいは彼女が日本人であればこのHPにも書けないかもしれない、ということ。つまり本人に読まれることがない、という日本語のバリアをある意味利用して書いているということで、それはやはり何だか卑怯である気がした。と言いつつ書き直すわけではないのだが。
2月18日(火) Independent Study
来学期に履修するか否かを検討中のIndependent Studyについて、午前中教授及び担当職員と打ち合わせ。このIndependent Studyというのは、その名のとおり教授から1対1でのガイドを受けながら、合意したあるテーマに基づいて一学期間リサーチを行っていくというものだ。通常のエレクティブと同様に1単位が認められる。通常の課目では教授1人に対して学生15人〜60人の関係なので、質問などをするにも限界があるが、このIndependent Studyでは毎週最低一回は教授と1対1のミーティングを持つことになるので、非常にお得ではある。
モデリングでは、昨晩作成したモデルを送ったところ、ようやく彼女が当方の言うことを尊重して聞いてくれるようになり、今日のミーティングはスムーズに進んだ。たまに、「英語が駄目なために、完璧に『こいつは優秀ではない』と判断されているなあ」と感じてしまうことがあるが、今回もまさにそのケース。外国語を勉強する必要のないアメリカ人にはたまに見られる現象である。
夜はあさってに迫ったフィールドスタディの最終プレゼンテーションに向けてチームミーティングを深夜まで行う。このチームでワークするのもいよいよあと二日。
2月19日(水) プレゼン前日
明日行うフィールドスタディの最終プレゼンについて、Masey教授と最終打ち合わせ。「前回見た時よりも非常に進歩している。素晴らしい」と、教授としてはご満足いただいた様子であったが、大概が"Great!"としか言わない人なので、いまひとつ不安は残る。明日学長とクライアントがどう反応するか。最後まですんなり決まらなかったプレゼンテーターは、東京での中間プレゼンでプレゼンする機会のなかったサラ、アン、Nさんがやった方が良い、という教授の一言であっさり決定した。
ミーティング後は男四人でスタディルームにこもって、パワーポイントの最終修正作業を深夜まで行う。
ここのところ厳しい冷え込みがつづいていたハノーバーだが、今日は春のような陽気だった。アスファルトの下の土が凍結し隆起してできた道路のデコボコもだいぶおさまっている。温度計を見ると、34度(=摂氏プラス1度)。摂氏でプラスになったのは久しぶりのことだが、この程度の気温で「春の陽気」と感じてしまうのだから、人間の順応力というのは素晴らしいものがある。
2月20日(木) フィールドスタディ終了
夜7時から会議室にて、フィールドスタディの最終プレゼンを行う。会議室には、Dean Danos、Massey教授、Rassias教授が並び、TV画面には、日本のクライアントがモニターの中のプレゼンを見つめている様子が映しだされている。前回の中間プレゼンとは違う内容のプロポーザルを提示した最終プレゼンだったのだが、聴衆の皆さんは意外なほど好反応。特にDeanは、「君達の提案に基づいて早速行動を起こすことにしよう。一年以内にはRoll Outできると信じているよ。セールス&マーケティングについては色々意見があるだろうからまた相談させて欲しい」と、すぐにもプログラムをスタートしそうな勢いだった。やっぱり、本気だったのね。。。来年にはこのプログラムのインプリメンテーションに関するプロジェクトが出来るかもしれない。
これにて、11月初旬の準備段階から年末の東京滞在を経てほぼ四ヶ月間にわたって続いてきたフィールドスタディもすべて終了、である。このフィールドスタディは当初想像していた以上に満足度の高いプログラムだった。しかし、何だかまだ実感が湧かない。まだまだこれから作業が残っているような気がするのだ。プレゼン終了後はメインストリートの"Murphy's"でプロジェクト終了の軽い打ち上げをした。
その後、午後11時からはトライポッドホッケー、午前0時からはジャパニーズホッケーと二時間ぶっ通しでホッケーをプレーした。一週間が終わった開放感、長かったフィールドスタディーが終わった開放感、そしてホッケーによる心地良い疲労、、、、いつにも増して素晴らしい木曜日の夜である。
2月21日(金) ビッググリーンの試合
アイスホッケーのダートマス(”ビッググリーン”)対ハーバード(”クリムゾン”)戦を家族で観戦に行った。明日がリーグ戦(ECACリーグという東海岸のリーグといわゆるアイビーリーグを同時に行っている)の最終戦であるが、それには行けないので、これが今シーズン最後のホッケー観戦ということになる。つまりこの二年間の留学期間中最後のホッケー観戦ということになり、そしてそれは(おそらく。。。)ダートマス大学”ビッググリーン”を応援する人生で最後の機会ということになるのだ。そう考えると何だか感慨深いものがある。同級生T内氏一家、Tさん一家、新潟国際大学から交換留学で来ているAさんも一緒にかなり早めに会場入りして試合に備える。Student SectionにはセイヤースクールのI田さん一家の姿も。
試合はハーバード相手ということで一部血気盛んな学生達が盛り上がりに盛り上がっていた。一般的にハーバードの学生はダートマスのことなど相手にしていないようだが、ダートマスの学生はハーバードを相当意識しているようなのだ。しかし、現在ECACの二強の一角を占めるハーバードの動きは明らかにダートマスのそれよりもワンランク上のようで、試合は劣勢のまま進む。二点先取された後に一点を返したあたりまでは競っていたが、最終ピリオドに二点を追加されてついに万事休した。「よく頑張ったけどねえ」などと言いながら皆ゾロゾロと家路につく。
この小さな町の住民達にとって、Thompson Arenaで行われるビッググリーンの試合は冬の間の数少ない娯楽なのだ。一大イベントと言ってもいい。家族揃ってダートマスグッズに身を固めた人々の姿。ホットドッグを食べ、クラムチャウダーをすすり、ピリオドの合間のちょっとした催しものに皆で盛り上がる。自らも地元のクラブチームでホッケーをプレーする小中学生達にとってビッググリーンの選手達は身近なヒーローだ。
この小さな町の住民達が集まるThompson Arenaという場はとても素晴らしかった。ハノーバーという小さな町が精一杯盛り上がっている様はいつも微笑ましかった。もうここでホッケーを見ることもないのか、と思うとなかなか寂しいものがある。
試合終了後、ジムの誕生日パーティをしているポール宅にTさんと顔を出して飲む。パーティ後は自宅にて、Tさんと妻と三人で午前三時までポーカーを楽しんだ。
2月22日(土) T家の食卓
今日はウィンターカーニバルのレース当日だというのにあいにくの雨。
夜、同級生Tさん宅にてディナーをご馳走になった。事前に「当日のドレスコードはネクタイ着用で」という冗談めかしたメールが届いていたので、シャレでネクタイにジャケットで行ったところ、他の参加者も皆シャレでドレスアップして参加していた。一般家庭の食卓で皆がドレスアップして着席している様は何だか不思議である。しかし、T家の食卓に出てくるメニューは、ネクタイ着用がまさに妥当では、と思わせるものばかり。最初に登場したアーティチョークなどは、僕はこれまで一度も食べたことがなく、出てきた瞬間(これはいったい。。。。蒸したパイナップルか?)と思ったほどであるが、T家の二歳の息子K君はそれを手馴れた様子でバターにつけて食べており、やはり風格を感じさせてくれた。とにかく、非常に贅沢な気分を味わわせていただいたディナーであった。本当にご馳走様でございます。
最後はまたポーカーで締める。
2月23日(日) プロジェクト・モード
今週から現在履修しているすべてのクラスでケーススタディが終了し、プロジェクトモードに移行する。ブランドマネジメントはメルセデス・ベンツのBrand Auditを6人のチームで、財務会計はExpress Scripts Inc.というHealthcare Facilities Companyに関する分析を4人のチームで、そしてArt of Modelingではカーリース会社の収益構造をモデリングするプロジェクトを4人のチームで行う。今日は財務会計のチームで集まって二回目のミーティングを行った。
個人的にはケーススタディよりもプロジェクトの方がTake awayが多く、好きだ。しかし、今後は3プロジェクトのミーティングが頻繁に入り、作業量も同時に増えていくので、忙しくなりそうだ。しかも、ブランドマネジメントのチームのチームワークが非常に気になるところ。
しかし、残すところ今学期もわずかに二週間のみか。最近何かというと同級生の間でその話が出るようになった。いちいち感慨にばかりふけっている場合でもないのだが、寄ると触ると感慨にふけってしまうTUCK Second Year Communityなのである。
2月24日(月) 欠乏症克服か?
男女混成ホッケー学内リーグのプレーオフに参加。参加者は今日も少なくフィールドプレーヤーは7名のみ。これはすなわちベンチに下がれるのは2名のみ、7割以上の時間帯を氷上でプレーしなければいけないことを意味するのだが、アイスホッケーというスポーツの特性を考えると信じられないことである。短時間の間、短距離走のような無酸素運動でトップスピードでプレーし、頻繁に選手交代を繰り返しながらチーム全体としてのスピードを維持しつづけることがホッケーの本質であるはずなのだが。。。(我々の場合、肩を激しく上下させながら長距離走を走っているような状態なのである)。
さて、今シーズンここまでノーゴールをつづけてきた僕であるが、本日ようやくゴール欠乏症を克服。ディフェンスのワイリーが打ったシュートを相手ディフェンスが弾き返したところを、7−8メートルの距離から流しこんだ。今年は一点も取れないのでは、と思っていたのでホッとする。ただし、その後調子に乗って何度も一人で持ち込んで打った10本ほどのシュートはすべて外したのだが。
ここ一週間ほど「春の到来」を予感させる暖かさがつづいていたハノーバーだが、本日ようやく気温が華氏20度(摂氏マイナス7度)前後まで下がった。天気予報サイトを見ると、明日の夜は久々に華氏マイナス15度(摂氏マイナス26度)前後まで下がるようだ。冷え込む予報を見るとついワクワクしてしまうのはなぜだろうか。
2月25日(火) ASW vs チーズステーキ
ミーティングの合間、昼休みに四月に行われるASW(Admitted Student Weekend)におけるジャパン・テーブルの打ち合わせに妻子と一緒に参加する。ASWは毎年四月に三日間の日程で合格者を集めて行われるTUCKの一大イベントで、数々のイベントが用意されている。そのイベントの一環として最終日に「インターナショナルランチ」という各国の学生がお国料理をサーブするイベントが行われ、日本も例年どおり「ジャパン・テーブル」を出す予定なのである。
打ち合わせではASWのメニュー、さらには四月末に行われる「フジヤマナイト」のメニューなどを決めていったのだが、やがて困った事実が判明した。年に一回ウォートンスクールで行われるホッケーの大会”チーズステーキ杯”の日程がASWとかち合っていたのである。トライポッドホッケー選手にとっての”チーズステーキ杯”は、高校球児にとっての甲子園、メジャーリーガーにとってのワールドシリーズ、プロゴルファーにとってのマスターズ、プロテニス選手にとってのウィンブルドン、相撲取りにとっての両国、芸人にとっての上方演芸大賞、に比肩すべき存在であるところは疑いを入れない。ASWも大事だが、チーズステーキも大事なのだ。実に困った。
この問題は早速TUCK内のメーリングリストでも話題に。ある学生が「ASWは合格者をTUCKコミュニティ全体で歓迎するTUCKにとって最も大事なイベントのはずだ。一人でも多くハノーバーに残ってイベントに参加しよう」とメールを書けば、ある学生が「チーズステーキ杯こそTUCKで一年のうち一番大事なイベントだ。これに行かないなんて考えられるか」と反論する。
しかしただでさえ料理・セッティングなどで男手が必要なジャパンテーブルの時に、ホッケー野郎が大挙して三日間もフィラデルフィアに出かけることになれば、奥様方の大顰蹙は免れまい。困った。
2月26日(水) 失敗事例を語るスピーカー
今日のブランドマネジメントの授業のゲストスピーカーは非常に良かった。Scott Bedburyという元スターバックスのマーケティング担当副社長にして元ナイキの広告宣伝部門トップであった人物である。ケラー教授がスタンフォードで教えていた頃に知り合った友人らしい。彼自身が手がけたスタバとナイキのマーケティングキャンペーンのTV広告を見せながら、経験から得たブランディングの原則を説明してくれたのだが、彼は自身の成功事例だけでなく失敗事例も示してくれた。
一つ目の失敗は有名な"NIKE WOMEN"の広告。ハンガーにかかった女性用のサポーターの股間の部分が発火し、めらめらとサポーターが燃えていく、ただそれだけのCMである。かなり反響を呼んだCMだが、ナイキのブランドイメージに与えた影響は決して好ましいものではなかった。彼曰く、「女性ユーザーが非常に多くなっている今のナイキがこのCMを流せば良い広告かもしれない。でも当時は女性ユーザーはほとんどいなかった。ブランドの時期によっては相応しいCMは全然違う。これは明らかに失敗です。」
二つ目の失敗は"NIKE HIKING"の広告。アフリカの原住民達が揃ってナイキのシューズを履いてどこかへ歩いていく。そして一人の男が画面に向かってスワヒリ語で何かを叫び、"Just Do It!"という字幕が表示される、というもの。何が失敗だったのか。実はその男はスワヒリ語で「この靴は小さくて足が痛いんだよ!」と叫んでいた、というオチである(オンエア後に指摘されたらしい)。
「ただし、失敗なしに成功することなんてありえない。(ナイキ創業者の)フィル・ナイトも失敗は責めなかった。同じ失敗を二度しなければね。」とのこと。
今日彼の話を聞いていてあらためて思ったのは、僕は自分の失敗を衒いなく語れる人物が好きなのだ、ということだ。逆に自分の成功体験だけを強調する人物はまるで尊敬するに値しない、と思っている。特にビジネスの場で自らのクレディビリティを下げることなく失敗を語るためには、それ相応のスマートさが必要である。こなた自慢するためには何らのスマートさも必要ない。よく「アメリカは日本と違って自分を売り込まないと評価してもらえない」、という言葉を聞くが、その点については非常に注意深く考える必要があると思う。アメリカでも自慢ばかりしている奴は軽蔑されるし、売り込まなくたって優秀な人間は尊敬される。本日のスピーカーも一言も「自分は凄い」と言ったわけではないが、彼がとても優秀な人物であることは明らかに伝わってきた。
授業後は三つのプロジェクトのミーティングをハシゴする。かなり気が重いものもあったのだが、意外にもすべてのミーティングが効率よく進み、午後10時過ぎからはジムで運動をする時間までできた。
2月27日(木) スタディグループ
来週に三つのプロジェクトのプレゼンがあり、それぞれのグループワークを並行して行っている。同級生のほとんどが同じ状況のようで、全員が空いている時間を見つけてミーティング時間をセットするのも簡単にはいかなくなってきた。
ちなみにモデリングのグループを一緒に組んでいる学生の国籍はアメリカ・スペイン・インド、ブランドマネジメントはロシア・アメリカ・中国・中国・日本、財務会計はアメリカ・アメリカ・カナダ(英語圏)。前者ふたつが留学生主体なのに対し財務会計はすべてネイティブスピーカー。会話のスピードも留学生が多く入っているグループより早いしスラングも多い。まだまだ分からないスラングは多いのだが、それでも留学当初に比べれば随分マシになった、とミーティングをしながら思う。留学当時は"Hey, give me your juice."などと言われるたびに「は?」と固まっていたものだ(バッテリーのことを"Juice"と称し、"My juice is almost running out."などと使う。しかし、アメリカ人以外からはほとんど聞かない)。ちなみに最近はこういうネイティブ中心=「しゃべり重視型」のグループの場合は、とにかく事前にファイルを送るようにしている。全員で同じファイルを見ながら説明を進められるので、楽なのだ。
全然関係ない話で恐縮だが、「三年B組金八先生」に「加藤勝」役で出ていた俳優直江喜一氏の現況に関する記事を発見した。このドラマを見ていない人には「で?」という感じだろうが、見ていた人にはきっと感慨深い記事では。中島みゆきの歌をバックにスローモーションで加藤勝が護送車に乗せられるシーンは日本ドラマ史上に残る名シーンである。あれからもう21年がたったのだ。
2月28日(金) 交換留学生送別会
午前中、Independent Studyの件で教授二人と面談し、どういう内容についてスタディしたいかを口頭で説明する。この後、プロポーザルペーパーを作成し、最低二名の指導教授によるサイン、さらにDeanの承認を得て、来学期のIndependent Studyの許可が下りる、というプロセスになる。
夜は新潟国際大学から冬学期の間交換留学に来ていた日本人のA氏と、LBSから同じく交換留学に来ていたアイルランド人F氏の送別会をセイチャムのユニット11/12で行う。料理はポットラック。いつものようにとてもバラエティに富んだ、おいしい料理を味わった。最近男性陣もポットラックに手作り料理を持ってくる傾向が広がっているのだが、今日はT氏が初めて手作り料理を持参。恐る恐る食してみたが、これが意外にも美味かった。いつものようにビール・ワインを飲み、いつものようにトークをし、いつものように「ショットガン」(缶ビールを使ったこっち版イッキ飲み)をした、実に楽しい送別パーティーだった。
二次会は我が家でEカラ。アイルランド人F氏もこの"Japanese Technology"を使ってビートルズを熱唱していた。結局皆で午前3時頃まで飲んでいた後、残った数名でさらに午前6時までカードゲームなどをして遊ぶ。
秋学期のアピチャイ君といい、今学期のA氏・F氏といい、交換留学で来た人々がハノーバーを去っていくと嫌でもひとつの学期が終わったことを意識させられる。次の学期の終わりは、いよいよ我々がハノーバーを去る時だ。